53 少年と聖獣
「拐わ、れて......?」
意味のわからない言葉を、シェリアは理解することもできないまま繰り返した。まるで、外国語を聞き返すような。クリューのしたように、口を動かしただけ、そんな言い方にクリューはクスクスと笑う。ただ、その軽い笑い声とは裏腹に、苦さを含んだ表情で。
「シェリア、君に前世の記憶があるって本当?」
「え......?」
別にまずいことを聞かれたわけでもないのに、シェリアは思わず息を飲んだ。フィデルにしか話したことがないので、きっとフィデルがクリューに伝えたのだろう。フィデルが必要だと判断したならそれでいいと思うし、別にそれに怒るつもりも、責めるつもりも全くないが、ただただ純粋に驚いた。
「フィーから、聞いたの?」
「うん。シェリア、もしかしたら君は僕の、いいや、僕らの探してた聖女様かもしれない」
クリューの少し幼い、けれど落ち着いた声がシェリアの耳を撫でる。シェリアはクリューが何を指してそう言ったのかわからず、困惑した表情のまま口を開いた。しかし、何を聞いたらいいのかと戸惑い、口を閉じて、けれどまた開いてを繰り返す。
「僕ら、って?」
なんとか聞くことが出来たのは、一番気になった部分ではなかった。そこまで踏み込んでしまうともう戻れない気がして、本能のような何かがシェリアを止めた。
「ん?ああ、僕らって言うのはね」
そこで言葉を切ると、クリューはとてとてと歩いて少し移動する。といっても室内なので、元いた位置とたいして差はない。なんのために移動したのかとシェリアが首を傾げたときだった。
「うん、この辺りならたぶん大丈夫かな」
クリューは意味深に呟く。すると、彼の体が突然光に包まれた。
「......?」
何かの魔法だろうか、とシェリアは不思議に思いつつも黙って見守る。光は五秒と経たないうちにおさまり───シェリアは息を飲んだ。クリューがいるはずのそこにいたのは、新雪のように真っ白な。けれど、理知的な眼光の、白狼だった。
「どう?シェリア、びっくりした?」
白狼は嬉しそうに尻尾を振りながらそう告げる。その声は、確かにさっきまで話していた彼のもので。
「ク、リュー?」
「うん、これが僕の本当の姿」
シェリアの問いかけに確かに頷いて、白狼───クリューは笑った。
「ていっても、このままじゃ話しにくいよね」
そう言うと再びクリューの体は光に包まれ、少年の姿に戻っていた。シェリアは突然のことについていけずに、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。クリューはそんなシェリアにとどめを指すように言った。
「今見た通り、僕は四大聖獣の一人───一匹、なのかな?クリューだよ。だから、僕らっていうのは僕ら四大聖獣のこと」
よんだいせいじゅう、と今聞いたばかりの言葉を口のなかで転がす。どこかで聞いたことのある響きな気がするが、記憶が朧気すぎて思い出せない。確かに覚えていたはずのゲームの記憶はなくしてしまったけれど、そのなかに存在した単語でないことだけは、なぜかわかった。
「もしかして、シェリアは四大聖獣も知らない?」
きょとんとした様子のシェリアに、驚いたようにクリューは問いかけた。その通りなので、シェリアはこくりと首を縦に振る。
「人間の間では、小さな子供には必ずといっていいほど伝える話のはずなんだけど」
不思議そうに首を傾げながら告げたクリューの言葉で、シェリアは自分がその単語を知らない理由を悟った。聞いたことがあるようで、常識のようなのに、知らないのは。それを教えてくれる母が、物心がついたときにはもう、いなかったからだと。
そんなシェリアに気がついた様子もなく、クリューは言葉を紡ぐ。
「昔々、あるところに神様がいました」
その神様は人の暮らしを見守ることを日々の楽しみとしていました。あちこちを笑い声が飛び交うような、穏やかな暮らしを。しかし突然、人々は争いを始めました。きっかけは簡単なことで。他人の富が欲しくなったから。誰にも負けない地位が、名声が、欲しくなったから。そんな単純で、醜い争いを神様は嘆き、悲しみました。けれど自分が地上に降りることは叶いません。それならば、と神様は自らの分身として、四体の獣を生み出しました。強く、気高く、けれどもとても聡明な。そして彼らはその力をもって、威厳をもって、賢明さをもって、それぞれに争いを止め、それぞれに国を作りました。そして、世界には平和が訪れたのです。
「めでたしめでたし。っていうのがよく伝えられる話なんだけど、この争いをおさめた四体の獣を人間は神と同じように崇め出してね」
神と同じ、尊いものとして『聖獣』と呼ぶのだと、クリューは言った。




