47 到着
シェリアは王立学院を昼過ぎに早退すると、今日訪れるというお客様のために身支度を整えていた。といっても、もちろんそのお客様のためだけに早退したわけではない。
王立学院の時間割りは基本午前中が座学、午後が魔法の実践となっている。なので今のシェリアは午後の講義に出てもあまり意味がない。
その上フィデルに「魔法が使えないことがあまり他の人に知られないように」と言われている。だから早退という強行手段を選んだのだが───そこまでフィデルが言う理由は、知られてしまったら、それが社交界では弱点となるからだ。
この世界で貴族であるということは、量の違いこそあれど、少なからず魔力を保持しているということである。それがもし「ルティルミス伯爵令嬢は魔法が使えないらしい」なんてことになったら、どうなるか───。
思わずシェリアは、ぎゅっと目をつむって祈るように手を組んだ。魔法が使えなくて迷惑がかかるのが自分だけならまだいい。けれど、ルティルミス家の家族や婚約者のフィデルを含むレヴィン家に迷惑をかけてしまうのはわかりきっている。
「シェリア様、準備が終わりましたよ。お客様もそろそろ到着なさるそうです」
この数週間で親しくなった侍女、マリーの言葉にシェリアは顔をあげた。もう既に成人している彼女は、ルティルミス伯爵家の侍女、ティアとは別の落ち着きがある。いつかマリーとティアを会わせてみたいな、と思うと暗くなっていた気分が少し明るくなった。
シェリアが玄関ホールに着くと、フィデルが険しい顔で扉を睨み付けているところだった。まるでその扉から敵軍が攻めこんで来るのではないかというほどの、殺気すら感じる表情である。
「あ、あのー、フィー?」
シェリアが隣に来たことにすら気がついていなかった様子のフィデルは、声をかけると驚いたように眉をあげた。
「リア、いつの間に」
「いつの間にって今だけど、どうしたの?」
「どうしたって、何が?」
おそるおそる問いかけると、フィデルは不思議そうに聞き返した。どうやら険しい表情をしていた自覚がないらしい。シェリアは苦笑しながら指摘する。
「すごい顔してた」
「もうすぐあいつが来るのかと思うとつい」
あいつというのは、もちろん『お客様』のことだろう。基本的に温厚なフィデルがこんな反応を示すのは珍しくて、シェリアは少し首を傾げた。シェリアが知っている中で彼がこんな感情を向けている相手は、メルディアくらいだ。
「お師匠様、そんなに嫌な人なの?」
わざわざレヴィン家に来てくれるくらいなので、優しい人なのだろうと思ったが、違うのだろうか。シェリアが不安を滲ませて聞き返すと、フィデルは困った表情で口を開く。
「嫌というか、面倒というか」
「えー、フィデルは僕のことそんな風に思ってたの?ひどいなー」
シェリアは自分とフィデルの間で聞こえた声に驚いて飛び退いた。声の主である七、八歳くらいの少年は悪びれることもなく笑っている。
「あなたがフィデルの婚約者のシェリア?僕はクリューっていうんだ。よろしくね!」
そういうとクリューは戸惑うシェリアの手をとって唇を落とす。展開の速すぎる状況についていけずにシェリアが固まっていると、フィデルがすかさずクリューの頭にげんこつを落とした。
「痛いなー、フィデルってば弟子のくせになにするの」
「俺のものに手を出したお前が悪い」
フィデルは言い捨てると、固まっているシェリアの腰を抱いて引き寄せる。そのままシェリアを閉じ込めるように抱き締めた。シェリアはもうほとんど停止している脳の、少しだけ動くほんの一部を使って考える。今、クリューと名乗った少年は「弟子のくせに」と言わなかっただろうか。それに、フィデルは不機嫌そうにしながらも否定していない。ということは。
「えっと、あなたがフィーのお客様ですか?」
「うん、今日からよろしくね!シェリア」
頭を押さえていたクリューはにぱっと笑って手を差し出した。シェリアは握手を求められているのだとわかって、自分も手を出さないと、と思っているとクリューの手がパシリと叩かれた。もちろん、フィデルである。
「フ、フィー、さすがにお客様にその態度は」
「そうだよフィデル。あんまり独占欲の強い男は嫌われるよ?」
シェリアが抱き締められた姿勢のままおろおろと言うと、楽しげにクリューが便乗する。次の瞬間シェリアを閉じ込める腕の力が強くなり、クリューの足が踏まれたのは言うまでもなかった。




