42 忘れちゃった
「秘密?」
シェリアが聞き返すと、フィデルはうなずいた。
「ああ。なんで突然魔力が増えたのかはわからないが、このことはリアと俺しか知らない。それに増えたのもあの一瞬だけで、今は元に戻ってるんだ。証拠もない。だから、二人だけの秘密だ」
魔力が多い、というのは『強力な魔法が使える』という意味では便利な反面、それだけ制御が難しいということだ。それは、強すぎる程の魔力を持つフィデルを見ていたのだからよく知っている。だからこそ、多くの人なら喜びそうなこのことも、怖いと思った。
だから、秘密というのはとても魅力的な提案だった。シェリアが自分から誰かに話すつもりはもちろんなかったが、シェリアを心配したフィデルが誰かに相談しないとも限らない。『生まれたときから変わらない』とされている魔力量が突然増えたというただでさえ異常な状況なのだから、そのほうが自然な判断だとさえ言える。なのにフィデルが「秘密だ」と言ってくれる理由がわからなかった。
「私は嬉しいけど......フィーはそれでもいいの?」
「いい。秘密にすることで、リアを守れるなら。だけど、これだけは約束してほしいんだ」
迷いなく言いきったフィデルは、真剣な表情で真っ直ぐにシェリアを見つめる。
「リア、俺と一緒に魔力制御の練習をするって誓ってくれ」
へ?とシェリアは首を傾げた。そんなことは全然構わない。むしろシェリアから頼みたいくらいなのだが、なんというかそれだけでいいのかと拍子抜けした気分だった。しかし、シェリアの間抜けな声にも真面目な表情を崩さずにフィデルは言った。
「正直今回の原因が何か俺にもわからないから、この練習が本当に必要かもわからない。もしかしたら、あれはあのときだけの奇跡みたいなものかもしれない。だけどまた起こることだってありえるから、できる限りの対策はしておきたいんだ」
それが秘密の条件。そう言われてシェリアは勢いよく頷いた。「突然魔力が多くなるときがある」。そんなことが他の人に知られたら───厄介事の予感しかしない。だから秘密にした上で制御できるように練習できるなら、これ以上にありがたいことはなかった。
「フィー、ありがとう」
シェリアが笑みを浮かべて言うと、フィデルは苦笑して言った。
「まあ、リアのことだから、今回だけじゃ終わらない気がするけどな」
「フィー、それ『フラグ』って言うの」
満面の笑みから一転、疲れたような表情で呟いたシェリアにフィデルは不思議そうにしていたが、やがてこらえきれなくなったように吹き出した。
「やっぱりリアには飽きないな」
そう言うとフィデルは立ち上がってシェリアに手を差し出した。
「戻ろう、リア。俺達の婚約の儀の会場に」
「うん」
その手をとってシェリアは立ち上がる。秘密は薔薇の下に置いてきて、何事もなかったかのように。だけど、フィデルにもらった言葉は忘れないように。シェリアのためを思ってくれた一言一言が、思い出す度にシェリアの心を暖めてくれるのだから。
会場に戻る道中、フィデルは最初に「何とかする」と宣言した通り、魔法でシェリアのドレスだけを洗浄してしまった。シェリアは少しも濡らすことなく、けれどドレスはクリーニングにでも出したかのように。そう言ったらフィデルには首を傾げられてしまったが。
数十分ぶりに戻った会場にはまだ少しざわめきが残っていたが、噂話程度に落ち着いていて、先日の夜会のような輝きが戻っていた。思い返せばシェリアは一応これが社交界デビューから二回目の夜会なわけだが、まさかそれが自分の婚約の儀になるなんて、と感慨を覚える。
「どうかしたか?」
「ううん。ただ、不思議だなぁって思っただけ」
『シェリア・リナ・ルティルミス』は乙女ゲームの悪役令嬢だった。その事を知ってから、悪役令嬢らしく振る舞おうと頑張った。あのときは無意識だったが、少しの間でもフィデルの隣にいるために。けれど予定ではそのあと断罪されるはずだったのに、罪を犯したのはシェリアではなくメルディアで、シェリアはフィデルとの婚約を破棄されることなくここにいる。二人とも同じシナリオを追ったのに、シナリオ通りの結果にはならなかった。本当ならこのあとは────。
「あれ?」
「どうしたんだ?」
「大したことじゃないんだけど、思い出せないなと思って」
「思い出せない?」
さらさらと。すくった砂が手の隙間から零れるように、忘れていく。けれど不思議と不安はなかった。それどころか少し安心さえした。本当にそうなるのかわからない未来なんて、知らなくていい。
「リア、何が思い出せないんだ?」
フィデルはシェリアに問いかける。シェリアは自分をこんなに心配してくれる幼馴染み兼婚約者に少し笑って、フィデルの耳元に口を寄せる。そしてフィデルだけに聞こえるように言った。
「ゲームの記憶。忘れちゃった」
えへへ、と笑ってみせるとフィデルは目を見開いた。なんと言っていいかわからないという風に視線をさ迷わせる。
「リアは、それでいいのか?」
「うん。これからもフィーの隣にいるならゲームとは違う展開なんだから、覚えててもしょうがないよ」
「そうか」
少しも不安そうじゃないシェリアに安堵したような顔でフィデルは口元を緩めた。
「リア、これからも色々あると思う。だけどずっと一緒にいてくれるか?」
軽い口調で聞かれたその内容は、口調ほど軽くないものだった。だけどシェリアの心はずっと前に決まっている。きっとずっとずっと前。フィデルを好きになったときから。
「もちろん」
そう答えるてシェリアは笑った。ちゃんとフィデルに伝わるように。自分の方が、ずっと一緒にいたいのだと。するとフィデルはシェリアの想いが伝染したように、幸せそうに笑ったのだった。




