37.5 はじまり
「リアー、まだかかりそうか?」
「も、もうちょっとだけ!」
シェリアは扉に向かってそう叫んだ。フィデルを待たせてしまうのは申し訳ないが、今日くらいは許してほしい。なんといったって、彼との婚約を世間に知らせる、大事な日なのだから。
最初、フィデルとの婚約が決まったときには夢かと思った。それに禁術を解くことだけが理由ならまだ理解できるが、「リアのことが好きだ」と言われたときには絶対に嘘だとも思った。それほどまでに、あり得るはずのない話だったからだ。『シナリオ』通りなら、シェリアは好意を向けられるどころか憎まれる対象なのに。そう思ったときに思い出したのは、やっぱりゲームのイベントで。しかも、シェリアが断罪される場面そのものだった。それが、今日の婚約の儀である。そのときに思ったのが「きっとこの婚約はシナリオ通り、断罪されるために結ばれたんだ」ということだった。素直に喜べばよかったのに、どうしてもそれができなかった。リアルすぎる確約された運命。それを変えようと動くのはとても難しくて、その通りに動くのはとても、とても簡単なことだから、シェリアはシナリオを信じることしか出来なかった。
けれど、フィデルの言葉に救われた。何度拒絶しても、『この世界は現実だ』『リアは悪役じゃない』と言ってくれた、その言葉をシナリオよりも信じてみたいと思った。きっと、今の自分はあのゲームのヒロイン以上にわがままだ。それでもいいと思った。それでも、『登場人物』としてだけじゃなくて、フィデルの隣にいられたら───。
まだ少しシナリオを信じてしまう気持ちはある。自分を誘拐していた男が言っていたことも怖い。だけど、もう引き返せないところまで来た。シナリオ通りに『自分の命』と『フィデルの隣』を天秤にかけるのではなく、『シェリア・リナ・ルティルミス』としての未来を、両方を掴むために。
そう決意して、シェリアはゆっくりと息を吸い込んだ。そして扉を開ける。
「お待たせ、フィー」
「リア......」
シェリアの姿を見て、フィデルは瞳をこぼれんばかりに見開いた。
「おかしい、かな?」
「いや、すごく似合ってる」
シェリアが身に付けているのは、夜会の時と同じ桜色のドレスで一度は見ているはずなのに、そんなに驚くことだろうか。違うのは上着を羽織っていることと───。
「この髪飾り、つけてくれたんだな」
「一回蹴っちゃったけど」
フィデルの言葉にシェリアはそう言って髪飾りを触る。白い花と星をあしらった、シェリアにはもったいないくらいのものだ。
「リア、まだ怖いか?」
シェリアはフィデルの質問に思わず肩を揺らす。何が、とは言われなくてもわかる。これから断罪イベントの舞台に行くのだから。あのあとフィデルにはしっかり話したから、心配してくれているのだろう。
「怖いよ。怖いけど、フィーがいれば大丈夫な気がする」
フィデルがいなければ断罪されることもないのに、フィデルがいれば大丈夫な気がする。おかしな気持ちだとは思うが、なぜか心地いい。
「リアはちゃんと、守るから」
フィデルの言葉にこくんとシェリアはうなずいた。
そして、婚約の儀が始まる────




