35 教科書
カビとホコリの匂い。伯爵令嬢として生まれてから、ほとんど嗅いだことがなかった匂いにシェリアは目を覚ました。頭が割れそうなくらい痛い。手足は縛られているし、そうでなくても動かす気力が出なかった。
「起きちゃったの?シェリア。もうすぐ終わるところなのに。寝てないと辛いよ?」
見たことのない赤髪の少年が、シェリアの目の前でいたずらっぽく笑った。体は夜会の日の症状を悪化させたかのようで、言うことをきかない。
「あなた、は?」
「ねぇ、シェリア。シナリオって知ってるよね?」
シェリアの言葉を無視して少年は言う。『シナリオ』という言葉にシェリアは目を見開いた。
「そうだよ。僕はこの現実をシナリオ通りに戻すために、君を拐ったんだ」
くつくつと楽しそうに少年は笑う。何度も繰り返されるシナリオという言葉に、彼も前世のゲームを知っているのだろうかとシェリアはぼんやりと考えた。しかし、少年はその考えとは違うことを言った。
「シナリオ。神様の作った、みんなが幸せになるための教科書。その番人は僕だからね、僕が持ってるんだ」
ほら、と少年はどこからか一冊の分厚い本を取り出した。そして倒れているシェリアにも見えるように開く。
「ここにはね、メルディア様がフィデル様と結ばれて、国を繁栄に導いてくれることは書いてるけど、シェリアはそのときに婚約を破棄されるんだ。だけど」
そう言うと、楽しそうに笑っていた少年の表情が冷たいものになる。
「どうして?シェリアはまるでシナリオを知ってるみたいに、シナリオとは全然違う行動をとるよね。僕が誰かにこれを見せるのは今日が初めてだから、そんなことあるはずないのに」
何かの魔法なのか、だんだんシェリアの意識が消えそうになる。けれど少年の声はその意識の隙間に滑り込むように、はっきりとシェリアに届いた。どうして、という疑問に答える声はもう出ない。喉がカラカラに乾いてしまって、風だけが通り抜ける。
「まあ、君は消えちゃうもんね、どっちでもいいよ。これから世界は元に戻るんだ。おやすみ、シェリア。もうこっちに帰ることはないと思うけど、いい夢を」
歌うように少年はそう言った。ついに意識が持たなくなる。シェリアは何も言葉に出来ないまま、目を閉じた。
フィデルは探索魔法でシェリアを探していた。なぜあの手を掴めなかったのだろうと、後悔だけがつのる。それに、本性を現すまで彼が本物の兄ではないと気づかなかった自分にも腹が立つ。
「いた」
シェリアの魔力がついに探索魔法に引っ掛かった。転移魔法は遠くにいこうとすればするほど魔力を消費するので、そんなに遠くには行っていないはずだと思っていたが、彼の魔力もフィデルと同じくらいの化け物らしい。国までは越えていなくても、国の中心地の王都から国境沿いに飛ぶなんて。
「我を望む場所に運べ!」
フィデルは恐れられたり、利用されたりといった記憶しかない自分の化け物並みの魔力量を、このとき初めてよかったと思った。この魔力のお陰でシェリアを追うことができる。
「頼むから、間に合ってくれ......」
絞り出すように言うと、フィデルは光に包まれた。
GWだー!と思ってダラダラと過ごしていたら、ストックが1話か2話くらいになっていてかなり焦ってる作者です。本編はシリアスな展開ですが、作者はゆるゆるです。新シリーズも考えてはいるんですが毎日投稿は続けていきたいので、どのタイミングで書いていいのやら笑
とにかく、これからもよろしくお願いします!(毎回言ってる気がする)




