29 負担
フィデルは青白いシェリアの頬を撫でた。熱などはなさそうだが、魔力の消費が著しかったので体にはかなり負担がかかっているだろう。
「ほんとに、なにしたんだよ」
フィデルはぽつりと呟く。今日の夜会で彼女の魔力をこれほど減らすような魔法を使うような場面はなかったはずだ。なのに、どうしてシェリアはこんなに辛そうにしているのだろう。
「リア、ごめん」
フィデルはシェリアに伝わっていないことを知りながらそう言った。シェリアから離れてしまったこと、致し方なかったとはいえ魔法で無理矢理眠らせてしまったこと、そしてこれから使う魔法のこと。
「かの者の記憶をここに映せ」
フィデルは再びシェリアに杖を向けて詠唱した。するとフィデルの部屋があっという間に夜会の会場に変わる。これは記憶再現と呼ばれる精神干渉系魔法の一種でかけられたものの記憶を追体験することができるのだ。罪人の捜査などに使われるので禁術にはなっていないが、人の記憶を勝手に覗き見るのはあまり気持ちのいいものではない。けれど、今回は事が事なのでそうも言ってられなかった。
夜会の会場がシェリアの視点で映し出される。フィデルと離れたあとも、シェリアはキョロキョロしながら歩き続けているだけで特におかしな様子もなければ、魔法を使う素振りだってない。そう思っていると、ちびちびとジュースを飲んでいたシェリアが突然呟いた。
「ば、バカなこと考えちゃダメ」
記憶再現といっても、現実に起こったことを再現出来るだけで当人の思考まではわからない。一体何を考えていたのだろう、と思ったときに異変は起きた。
(そんなの、悲しすぎるんじゃない?)
シェリアの声が響く。フィデルはシェリアがまた独り言を呟いたのかと思ったが、様子がおかしい。まるで声の主を探すようにシェリアの視界はキョロキョロと動いた。
(悪役令嬢なんてやめちゃえば楽なのに)
再び声がする。シェリアの声で、シェリアじゃない声。この声は、と思ったフィデルの考えを決定付けるように声は言った。
(ふーん、不器用なんだね。私に主導権を渡してくれたら、もっと上手くやってあげるのに)
主導権を、渡す。その言葉にフィデルは戦慄する。それはきっと、シェリアが『シェリア』でなくなるということだ。ダメだ、とかすれた声でフィデルは呟いた。これはもう終わった出来事なのだから、フィデルの言葉が届くわけはないが、呟かずにはいられなかった。シェリアは、彼女の提案を受け入れてしまったのだろうか。だからこんなに魔力が減っているのだろうか。
(ね、もっと上手くやろうよ)
彼女の声が響く。続きを知りたくなくて、フィデルがぎゅっと目を瞑ったとき、自分の声が聞こえた。
「リア、リア!あれだけ俺から離れるなって言ったのに」
(あーあ、もうちょっとだったのに)
フィデルは自分が間に合っていたことにほっとして肩の力を抜いた。
「フィー?」
シェリアの視界は上を向く。シェリアを揺さぶったとき、どうも目の焦点があっていないと思っていたが、それはそうだ。シェリアの視界を忠実に再現したこの世界は、くらくらなんてものではない。ぐわんぐわんと揺れている。
「リア、ずいぶん魔力が減ってる......いや、違うな。荒れてるのか、これは?」
フィデルの言葉の間にも、シェリアは今にも倒れてしまいそうなのを必死に耐えているのがわかった。
「今の短い間に何かあったのか?見てた限りでは、おかしなところはなかったけど。体調は?」
シェリアの視界が一際大きく揺れた。彼女が自分からもたれかかって来るなんて珍しいと思っていたが、それだけ限界だったのだろう。
「もうちょっとだけ我慢してろ。会場を抜けるくらいまで」
フィデルはここで抱き上げておけばよかったと後悔した。会場の中でそんなことをすれば確実に目立つからと思っていたが、どう考えてもこの時点でシェリアはかなり無理をしている。フィデルは再び「ごめん」と呟いた。
なんとか会場を抜けると、ドアが閉まった瞬間にシェリアは座り込んだ。今考えれば倒れなかったのが奇跡というくらいに視界が歪んでいる。
「魔力の使いすぎだ。もう少し減っていたら命に関わるくらいだぞ。この間の中級魔法でも大して減ってなかったのに何をしたんだ?大魔法でも使ったのか?」
シェリアは実際には、大魔法よりも大変なことをしていた。一人であの禁術と対峙していたのだ。あの術に魔力を喰われながら彼女を受け入れなかったのだから、体への負担は計り知れない。記憶再現では視界しかわからないが、頭痛などの体の不調も考えたら相当なものだったのだろう。
「フィー、ごめん」
「夜会のことか?そんなことより、リアの方が大事に決まってるだろ」
このときは気づかなかったが、シェリアの視界からみている今は、シェリアが小さく首を横に振っているのがわかった。なんでそんなに、自分を大事にしてくれないのかとフィデルは泣きそうになる。
「なんも片付いてないけど、ベッドくらいはあるから」
フィデルの言葉を聞くシェリアの視界は揺れるを通り越して霞んでいる。聞こえてくる声もどこか遠い。
「今は使用人たちもみんな夜会の方に行ってるからドレスのままで寝にくいと思うけど、とりあえず寝てろ。寝てたら少しは魔力も回復すると思うから」
そう告げる自分の声はくもっていて、ただの「音」にしか聞こえなかった。シェリアがこのとき言葉を理解できていたのかも怪しい。シェリアは無理矢理意識を保っているようで、瞬きの回数は増えるが意識を手放そうとはしない。
「フィーは、夜会に」
戻れるはずもない。こんな状態の彼女を置いて。なのに、消えそうになる意識を保ってまでシェリアはそう言う。
「いいから寝ろ!どう考えても会場を出たときより悪化してるだろ、このまま起きてたら死ぬぞ!」
「だけ、ど」
自分の怒鳴る声が響いたが、シェリアは途切れる声でなんとか反論しようとする。視界は霞むどころか、フィデルの形も捉えられないほどぼやけていた。このままでは、本当にシェリアが死んでしまう。
「かの者に安らぎを与えろ」
フィデルの魔法で、やっとシェリアの視界が暗転する。
「大丈夫だ。そばにいるから」
本当にシェリアの言う通り夜会に戻ったりしなくて正解だった、とフィデルは思った。もちろん、そんなつもりはさらさらなかったが。
シェリアの記憶が終わったことで、記憶再現の魔法が解ける。フィデルはなんとも言えない気分で繋いだ手を見つめた。




