15 暗闇
フィデルは真っ暗な世界にいた。シェリアの『声』が伝えていた通り、辺りにはなにもない。けれど、ただ真っ暗なだけでなく、ところどころにヒビが入り始めていた。
「これは、精神の崩壊が始まってるってことなのか?」
フィデルの誰にともなく呟いた言葉は、闇に吸い込まれるようにして消える。少し歩いてみるが、全くと言っていいほど景色は変わらない。
本当に、こんなところに長時間いたら禁術など関係なく頭がおかしくなりそうだ。早くシェリアを見つけないと、とフィデルが思ったときだった。
「フィー!」
暗闇のなかに声が響いて、どこからか現れたシェリアが抱きついてきた。彼女の艶やかな茶髪が暗闇になびく。
「リア?」
思っていたよりも早く見つけることができたことを少し不審に思いながらも、フィデルは安堵した。そんなフィデルにシェリアは笑顔を向ける。
「よかった、見つかって。伯爵もリベルトさんも心配してたんだ」
早く帰ろう、とフィデルが言うと、シェリアは心底不思議だというように首をかしげる。
「帰る?なんで?」
そんなシェリアにフィデルは戸惑う。声を聞いたときは、怖いと言っていたはずだった。
「なんでって、このままだと死ぬんだぞ」
シェリアの様子がおかしい。早く帰らないと命すら危ないのに。そう伝えると、シェリアは首をかしげたまま言った。
「私はそれでもいいよ?フィーが近くにいてくれるなら」
「おまえ、リアじゃないな」
シェリアの言葉にフィデルは言い切った。シェリアは驚いたように目を見開く。
「何でそんなこと言うの?フィーの方がおかしいよ」
そう言われても、フィデルの考えは変わらない。あのとき、フィデルを救ってくれたシェリアなら絶対にこんなことは言わないからだ。
「リアはっ。本物のリアなら、ちゃんと一緒に帰ろうって、そう言うはずだ」
フィデルが言うと、シェリア────偽シェリアがくつくつと笑った。そして、本物のシェリアなら絶対にしないような不気味な笑顔を浮かべる。
「何でわかっちゃうかなぁ。このまんま私に騙されてれば、幸せに死ねたかもしれないのに」
「おまえは何者だ」
偽物が指をひとつならした。すると、なにもなかった暗闇に巨大な何かが現れる。
「これは……」
そこに現れたのは、自分が鳥くらいに小さくなってしまったのではないかと錯覚するほど大きな鳥かごだった。現れた瞬間は鳥かごの大きさにばかり目が行ったが、なかに入っているのはシェリアだということに気づく。
「リア!」
「安心して、あっちは本物だよ」
ふふっと偽物が笑った。
鳥かごの中で眠るシェリアは、名前を呼ばれたことに気がついたのか小さく身動ぎする。その人間らしい動きに、そして現実世界で見たような死んだような眠りかたでないことにフィデルはほっとした。
「私は誰か、だっけ?あっちの世界ではなんていうんだっけなぁ、確か……そう、禁術!私はその魔法そのものだよ」
相変わらず不気味な笑みを張り付けながら言う偽物の言葉に、思わずフィデルは彼女を凝視する。魔法に自我が生まれて人の形をとるなんて聞いたことがない。
「怪しんでるね?確かに、私の存在は現実ではありえないのかもしれないけど、ここはシェリアの精神世界だからね」
何でもできるよ、といって偽物は鳥かごの格子越しにシェリアの手を掴んだ。現実で着ていたネグリジェのままだったシェリアの服が、薄い水色のドレスに変わる。
「ここから出る方法はとっても簡単。私を殺せばいい」
偽物にシェリアの姿でそう言われて笑顔を向けられ、フィデルは言葉を失った。
「武器ならちゃんとあげるよ。フィーは短剣が好きなんだっけ?」
そう呟きながら、虚空から短剣を取り出した。フィデルがいつも持ち歩いているものだ。偽物は、鞘に入ったその短剣をフィデルに向かって投げる。
「どこからでもどうぞ。まあ、シェリアの姿の私を殺すなんて、できないかもしれないけど」
偽物は笑った、否、嗤ったのだった。




