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合わせ鏡 2



「ワタシ、アンタが好きなの。」




同窓会の帰り。

"ちょっと二人で飲み直そう"と誘ってきた親友に、私は告白された。




「うん。わたしも好きだよ。」


「そうじゃなくて。

そうなんだけどそうじゃなくて、ラブの意味で。」


「ラブの意味で?」


「そう。

友達としても人としても勿論好きだけど、プラス恋愛対象として好きなの。あわよくばお付き合いしたい方の、愛してる方の愛してる。」


「……ん?」




木更津きさらづユウ。

さらさらの黒髪に、涼やかな目元。

クールビューティーを体現したルックスとは裏腹に、良くも悪くも竹を割ったようなお転婆娘。


私の幼馴染みにして親友が、まさかラブの意味で私を好きだったなんて、想定外だった。




「ごめん、ちょっと話見えない。」


「どこがよ。明け透けでしょ。」


「いや、ちょ……。嘘でしょ?」


「嘘じゃない。」


「"大成功"って書かれたプラカード持った人───」


「出てこない。」


「……マジ?」


「本気と書いて。」


「マジ?」


「マジ。」


「出島……。」




最初は冗談だろうと思った。

いつもの調子でからかって、ウッソーってゲラゲラ笑っておしまい。


でもユウの目は本気だった。

何度問い質しても、本気だとしか答えなかった。




「いつから?」


「高校の時から。」


「え……っ。

もしかして、それからずっと?」


「ずっと。」




好き?

ユウが?私を?

友達としてでも、人としてでもなく、恋愛対象として?


なんで?

女同士だよ?幼馴染みだよ?

今まで私をそういう対象とも、自分は同性愛者とも言ったことなかったじゃない。


なんで今更、私が既婚者になってから、そんなこと。




「なんで、わたしなの。」


「ごめん。」


「謝ってほしいんじゃなくて。純粋に疑問なの。

仮にユウが、女性を好きな人?だとして、なんで選りに選って?」


「ワタシだって別に、元から女を好きだったわけじゃないよ。

すずを好きになって初めて、あ、ワタシ女もイケるやつだったんだ、って気付いたの。

まあ、すず以外に好きになった女なんかいないけど。」


「きっかけとかはあったの?」


「あるよ。高槻先輩。」


「あの人がどうしたの。」


「ワタシも好きだったの。先輩のこと。」


「は?」


「なんだけど、気付いたら先輩じゃなくて───」


「ちょちょちょちょ待て待て待て待て。」




詳しく訳を尋ねてみると、高槻先輩がきっかけだったとユウは答えた。


もともとはユウが彼を好きだったが、わたしも同じ気持ちであると分かって遠慮したんだと。

ここまでは理屈として分かる。


分からないのは、何故そこから、私を好きだという話になるのか。




「毎日まーいにち、高槻先輩のここが好きって話聞いてるうちに、先輩よかアンタのが可愛くなってきちゃって。

で、アンタと先輩が付き合うってなった時に初めて、その"可愛い"が"好きの可愛い"だって気付いたのよ。

我ながら、不毛な恋に目覚めちまったと絶望したもんさ。」




つまりユウは、自分の本心を押し殺して、私の恋を応援してくれていた?


自分の方が先に好きになったのに?

まだ私が付き合えると決まったわけじゃなかったのに?


なんだよ、それ。




「黙っててごめんね。

できればこのまま、普通の友達として、死ぬまでやっていきたかったけど。

なんか、我慢できなくなっちゃった。」




ぜんぜん、知らなかった。

ぜんぜん気付かなかった。


だってユウ、そんな素振り、一度も出さなかった。

いや、友達なら、ひた隠しにされても見抜いて然るべきだ。

あれだけモテる人だったんだから、ユウも該当しておかしくないと、私が確かめるべきだったんだ。


なのに私は、ユウが何でもない顔して受け入れてくれるのをいことに、ずっと。

ユウも好きだという彼の話をして、ユウも好きだった彼と付き合って。

それからも何度も、何度も何度も、相談に乗ってもらったり、愚痴を聞いてもらったりして。


なんて、酷い奴なんだ、私は。




「今すぐ決着つけようとしなくていい。ずっと曖昧なままでもいい。

だけどもし、何かしらの答えが出たなら、その時は遠慮せず、言って。

どんな形になっても、ワタシは受け入れるからさ。」




その日は、ただただ混乱して終わった。

ユウは深くは追求せず、私に委ねると言ってくれた。


好きの意味を掘り下げたいなら教えるし、これきり友達をやめたいなら絶縁してもいい。

すべて覚悟の上で打ち明けたから、あとはアンタの意思を尊重すると。


ああも真剣な表情は、私の知る限りでも初めてだった。




『───今までお付き合いした人は?』


『ちゃんとはいない。』


『"ちゃんと"以外ならあるの?』


『ちょびちょびとはね。』


『男も女も?』


『うん。でも男は無理だった。』


『どこらへんが?』


『セックス。』


『セ────』


『何度か試そうとしたんだけど、直前になると全身震えだして、冷や汗止まらんくなってさ。

どうしても無理だった。』


『誰が相手でも?』


『誰が相手でも。

だから、精神的にも肉体的にも、男は受け付けなくなっちゃったんだと思う。完全に。』


『そうなんだ……。

女の人とは?ないの?』


『それは聞かないで。』


『アラ……。』




私は悩んだ。


好きと言ってもらえたのは嬉しかった。

ラブだろうとライクだろうと、長年を共にした友人関係だろうと、人から好意を持ってもらえるのは純粋に嬉しい。




『聞き辛いんだけど……。わたしのことはどうなの?』


『なにが?』


『その……。

性的な意味であれこれとか、あるの?』


『あると言えばあるし、ないと言えばない。』


『というと?』


『したくないって言われたら、そういうの一切ない関係でも構わない。

逆にしてもいいって言われたら、遠慮しない。』


『アラ……。』




だけど私は、ユウをそういう(・・・・)意味で好きではない。

そういう意味で好きなのは、あくまで晃平さんだ。

今も昔も、私は晃平さんを愛していたし、愛している。

どんなに大事な存在でも、晃平さんを裏切ってまで、ユウを選ぶことはできない。




『わたしのこと、嫌いだと思ったことはないの?』


『ないよ。』


『本当に?

この際だし正直に言ってくれていいんだよ?』


『じゃあ正直に言わせてもらうけど、晃平さんのことはめっちゃ嫌い。』


『あははっ。』




かといって、ずっと友達でいましょうも無理だろう。

たとえユウがそれでもいいと言ってくれても、私が無理だ。

申し訳なくて居た堪れなくて、もう前のようには付き合えない。




『───ユウのことは好きだよ。

好きって言ってもらえたのも、嬉しかった。』


『うん。』


『でも、わたしにとってのユウは、やっぱり、幼馴染みで、友達で、』


『うん。』


『大好きだけど、恋人の関係には、なれない。』


『うん。』


『だから、わたしはこの先もずっと、友達でいたいけど……。

もしユウが嫌なら───』


『いいよ。友達でいよう。』


『えっ、いいの?』


『いいよ。むしろ御の字。

アンタそんなヤツだったの信じらんないって往復ビンタ食らって絶交されるとこまで覚悟してたから、関係続けられるだけ儲けもん。』


『鬼かよわたしは……。いや鬼かごめん。』


『お詫びは牛乳プリンでいいよ。』


『まだ言ってんのそれ?』




後日。

電話口で改めて、感じたことを率直に伝えた。


ユウは分かったとだけ返して、食い下がらなかった。

他の何が変わっても、自分にとっての一番がアンタなのは、変わらないと。




『───今なにしてんのー?』


『テレビ観てるよ。アメトーク。』


『あ、ワタシも観てる。

今日の、ちょっと微妙だよね。』


『全く畑違いなジャンルだからね。』


『晃平さんは?』


『シャワー浴びてるから大丈夫。』




以来ユウは、三日に一度は連絡してくるようになった。

私の方から責っ付いてはあしらわれて(・・・・・・)いたのが、嘘のように。




『───昨日ねー、店に男の人来たんだよ。』


『へー。

彼女へのプレゼント?』


『いや、自分用。

化粧してみたかったんだって。』


『へー!

オネエ?の人なのかな?』


『たぶん違う。リーマンっぽい普通の人だった。

彼女いるって言ってたし。』


『なのに化粧したいの?』


『別にいいんじゃん?誰にも迷惑かけてない。

男でも化粧していいし、スカートも穿いていい時代になったってことだよ。』


『そっか。そうだよね。

やだなぁ、無意識に偏見。』


『しょうがないよ。それが普通の反応。

みんなも最初、戸惑ってたし。』


『ユウは?』


『ワタシはなんとなく、お仲間かどうか、空気で分かるから。

単に珍しいお客さんだなー、としか。』


『すげえー。』




そんなユウの寛容さに甘えて、私もユウとの会話を楽しんだ。


不思議だ。

別れ別れだったわけでもないのに、やけに懐かしく感じる。


今日どんなご飯を食べたとか、最近どんな映画を観たとか。

取り留めのない世間話にカラカラと笑い合うのが、こんなにも楽しいことだったと、久しぶりに思い出した。




『───どうかした?

あ、晃平さん帰ってきた?』


『……ううん。なんでもないよ。大丈夫。』




そして気付いた。

私の感じる懐かしさは、ユウが感じていた寂しさ虚しさの裏返しなんだ。


友達への、ましてや同性への恋心を秘め続けるのは、さぞ苦しかったろうに。

苦しませる私を突き放すでもなく、どうせなら野球選手と結婚したいとか冗談飛ばしたりして。


私を傷付けまいと、困らせまいとして、ユウは自分一人で、道化を演じてくれていたんだ。






***


ユウからの告白を受けた半年後。

話したいことがあると晃平さんに言われ、都合のよい日に機会を設けた。




「───じゃあ、そろそろ。しましょうか、話。」


「……うん。」




いつものように晃平さんの帰りを待ち、いつものように晃平さんを出迎え、作っておいた夕食を向かい合って食べる。


もう何度となく繰り返したルーティーン。

なのに目の前にいる夫は、まるで知らない人の顔をしていた。




「別れないか、俺たち。」




青天の霹靂だった。

話があるなんて急に言い出すから、きっと良くない知らせだろうとは感じていた。

ど真んなかに的中してしまうとは、いっそ清々しい。




「離婚したい、ってことですか。」


「そう。」




昔は自他ともに認める、仲のいいカップルだった。


晃平さんは私に、とても優しくしてくれた。

私も晃平さんを、とても慕っていた。


ブスのくせに身の程知らずだとか、晃平さんのファンに陰口を叩かれるのは辛かったけれど。

分不相応の自覚はあったから、乗り越えるべき試練なんだと受け入れられた。


そう自分に言い聞かせることで、目を逸らしたかった面もあるかもしれない。

矢面に立たされる私を、知らんぷりし続ける晃平さんから。

本当は私は愛されていないんじゃないかという、果てのない不安から。




"───結婚するのは大賛成。

ただひとつ、守ってほしい条件があるの"。




不安が不満に変わったのは、大学生の頃だ。

私は晃平さんを追いかけて同じ大学に入り、特技を活かして出版業に就くことを目標としていた。




"貴女が憎くて言ってるんじゃないの。

貴女のためを思って言っているのよ"。




それは叶わぬ夢と消えた。


私自身の力が及ばなかった、ならいい。

是非にと言ってくれる人も場所もあって、あと一歩のところまで迫っていたにも拘らず、断念した。

断念せざるを得なかった。




"せっかくい会社に入っても、妊娠したら辞めなきゃいけないでしょう"。


"仕事の楽しさを覚えた矢先に、なんてなったら貴女が辛いのだし、会社にだって迷惑をかけるわ"。




家庭に入り、主婦業に専念してほしい。


高槻家から出された結婚の条件。

ご挨拶に伺った折、先輩のご両親から直接、そう言われた。


家庭に入ること。

夫を支えることを第一の役目とすること。


高槻家はそれなりの名家だし、晃平さんも割のいい仕事に就いたから、妻まで働きに出る必要がないのは分かる。


でも、強制されなければいけないことなのか?

夫が外で働いて、妻が家を守る構図は、偏った因習だと見直される時代になったんじゃないのか?




"でも、わたし達はまだ、若いですし。

子供の話は、もう少し先でも───"。


"そうやって大事なことを先延ばしにしていると、いつか取り返しがつかなくなるわ。

私は結婚も出産も人より遅くて苦労したから、貴女には同じ轍を踏ませたくないのよ"。




結婚は、あくまで私達のことだよね?

二人で働いて、二人で家庭を築いていけば、なんの問題もないよね?


彼だけは味方になってくれるはずと信じて、私は必死に晃平さんを説得した。

晃平さんが味方したのは、ご両親のほうだった。




"君の言いたいことも分かるけど、俺としては、はやく母さん達に、孫を抱かせてやりたい"。


"それは────"。


"別に、機会がなくなるわけじゃないんだ。

君のやりたい仕事は、何歳になってからでも出来るだろ?

それこそ子供を産んで、落ち着いてからでも遅くはない。

今は焦らずに、ゆっくり考えていけばいいじゃないか。な?"。


"………はい"。




固定された上下関係。

確定した未来予想。


私の意思は誰も尊重しない。

どこにも反映されない。


求められているのは、亭主の三歩後ろに控える、貞淑で大和撫子な、妻としての有りようだけ。




「理由、聞いていいですか。」


「………。」


「わたしのこと、嫌いになりましたか。」


「違う。」


「じゃあ、どうして。」




だったら何故、その時点で見切りをつけなかったのか。


我ながらほとほと呆れてしまうが、勇気がなかったのだ。

捨てるのも諦めるのも怖くて、イチからやり直すのが億劫だった。


だから窮屈な現状維持を選んだ。

いつかは道が開けるかもしれないと、根拠のない希望を寄る辺にして。




「妊娠させてしまったんだ。」


「……誰を?」


「会社の、後輩の女の子。」




その結果が、これか。


孫の顔を見せてやりたいから。

俺の仕事を優先してほしいから。

あれこれと申し開きを立て、私に鎖を繋いだ結果が、これか。


なるほど。

余所に女を作っていたから、妻を相手にしなくても困らなかったわけか。

いわゆるレス(・・)の状態が続いていたのは、単なる倦怠期ではなかったわけだ。




「つまり、わたしに隠れて不倫してたってことですか。」


「そんなんじゃない。」


「じゃあなんだっていうんですか。」


「……向こうから、どうしてもって、しつこく迫られて。

断りきれなかったんだ。」


「断れなくて、仕方なく応えているうちに、うっかり子供ができてしまったと。」


「………。」




妊娠させた?

しかも、会社の女の子を?


内輪に手を出せば、逃げ場がないと分かっていたはずでしょう?

もう少し二人きりの夫婦生活を楽しみたいからって、例の孫とやらを産ませてくれる機会さえ、見送ったはずでしょう?


私には我慢ばかりさせておいて、自分は外で悠々自適に過ごしていたの?




「相手の女の子は、どうしてるんですか。」


「まだ、初期の段階だから、堕ろすことも一応、できるけど……。

本人は産みたいって、言ってる。」


「その子とやり直すために、わたしはもう要らないって、そういうことですね。」


「そんな言い方はしてない。」


「そうでしょう、実際。

経緯はどうあれ、妊娠させてしまったからには、責任を取る。

そりゃあ、そっちを優先しますよね。わたしとの間には子供がいないんですから。」




怒りが湧いた。

許しがたいと思った。


ただ、冷静だった。

自分でも意外なほど、なにに対して怒っているのか、どうして冷静でいられるのか、理論的に分析できた。


怒りが湧いたのは、裏切られたから。

私の苦労を無駄にされたから。


冷静でいられたのは、そんな気がしていたから。

そもそも期待していなかったから。




「なんで俺ばっかり悪者なんだよ。」


「え?」


「君は気付いてなかったわけだろ?

俺が外で何してるか、どんな人たちと付き合ってるか、興味すら持たなかった。」


「それは、詮索しないでくれって言われたから───」


「だから自分は一方的な被害者なのかよ。

俺の気持ちなんか考えもせずに、毎日呑気に過ごして、いざとなったら全部俺のせいかよ。」




晃平さんも私も、随分前には、愛が冷めていたのだ。


どうにかここまで続けてこられたのは、周りからの圧力と惰性があったおかげ。

いつか破綻することになっても、予防はしないし回避するつもりもない。


釈然としないが、"なるべくしてこうなった"というのが、適切な表現だ。




「俺だって、君がもっと優しい奥さんだったら、浮気なんかしなかったよ。」




もうひとつ。

私が冷静でいられた理由。


ユウの存在。

ユウが私を好きだと言ってくれたおかげで、私は私の尊厳を守ることが出来た。

晃平さん以外にも私を必要としてくれる人がいる安心感が、私の心にベールを覆ってくれた。


そうでなければ、もっと狼狽して、もっと悲観して、もっと慟哭しただろう。

どうして私ばかりがこんな目にと、早まった真似をしたかもしれない。




「よく、わかりました。」




虫のいい話だ。

あなたのことは選べないなどと拒んでおいて、選んだ相手に捨てられそうになると、過ぎた岐路を振り返りたくなる。




「離婚の件も、妊娠の件も、あなたの気持ちも。

全部よく、考えますから。」




ねえ、ユウ。

本当にあの人でいいのって、前に聞いてきたことあったよね。

モテる人だから苦労するよって意味なんだと、私はずっと思ってた。


違ったんだね。

晃平さん(・・・・)がモテる人だからじゃなくて、私たち(・・・)が人として欠けているから、上手くいかないよって言いたかったんだね。

ユウには、私たちの10年後がどうなるか、分かっていたんだね。




「少し、時間をください。」




私って、晃平さんのどこが好きだったんだっけ。






***



「───離婚するべきだし、離婚以外に選択肢ないってことは、もう分かってるの。

ただ、別れてください、はい別れましょう、で片付けていい話なのかなって、モヤモヤして……。」




晃平さんとの離婚の件を、私は真っ先にユウに相談した。


ユウは一から十まで話を聞いてくれただけでなく、週末に有給をとって駆け付けてくれた。

親友の一大事を電話一本で済ませるわけにはいかないと、頼もしく笑う顔はドのつく素っぴんだった。




「自分の辛い時だけ頼ったりして、申し訳ないけど……。

ユウだったらどう思うか、聞かせてほしい。」




いつも女優さんばりにメイクしてヘアセットして、部屋着のままじゃコンビニも行かないと豪語していたユウが。

唇はカサカサの髪はボサボサ、急拵えのパーカーにジーパンという出で立ちで、私のためにと息を切らして走ってくれた。


それだけで私は、なんだか泣けてしまいそうだった。




「ちなみに、晃平さんの方は?今どうしてんの?」


「わたしの気持ちが固まるまでって、近くのビジネスホテルで寝泊まりしてる。」


「ふーん。自分が悪いって認識は、一応はあるわけね。

ご両親には?」


「まだ。他の誰にも話してない。ユウだけ。」


「なるほど。

言っとくけど、ワタシは結婚歴がなければ、男とまともに付き合った経験もないから、意見するにしても偏ると思うよ?」


「いいよ。なんでも。

わたしに対する批判でも、なんでも、受け止めるから。

率直に思ったこと、言って。」




しかしユウの反応は、私の想像とは違っていた。




「正直、晃平さんの気持ち、わからんでもない。」


「え。」


「誤解しないでよ?不倫野郎の孕ませ野郎を庇ってるわけじゃない。

ゼロヒャクの100パー向こうが悪いし、絶対に許されることじゃないけど……。

どのみち、こうなる運命だって気はしてた。

たとえ奥さんが、すずじゃなくてもね。」




てっきりユウのことだから、今すぐ晃平さんをボコボコにしてやらなきゃ収まらない、とかって憤慨するものと思いきや。


当初の私と似て、冷静だった。

なんなら、ちょっと期待外れなくらいに。




「すずはファンクラブ入ってなかったから、知らんかったかもだけど。

晃平さんのおうちって、昔から結構有名だったのよ。」


「お金持ちって?」


「それもだけど、ご両親───。特にお母さんが厳しいらしいって。

会ったことあるなら、すずが一番、その片鱗を感じたんじゃない?」




ユウはぜんぶ言ってくれた。

ぜんぶ教えてくれた。


普通は突っ込みにくいことも、遠慮してしまいそうなとこも。

私のどこが駄目だったのか、私たちの何がいけなかったのかを。




「お付き合いだけなら自由にさせてもらえただろうけど、結婚となりゃ話は別。

一人の夫として、お前はこう在りなさいとか。妻に選ぶ女は、コレコレの条件を満たして当たり前とか。

きっと何をして何を決めるにも、相当クチを挟まれたはず。」




晃平さんは完璧な家庭を望んでいた。


理想的な自分と、理想的な伴侶。

誰の目から見ても羨ましい人生を送りたかった。

送らなければならなかった。




「自分で自分の首、絞めちゃったんだろうね。

"憧れの高槻先輩"としてアンタに近付いた手前、いつを出せばいいもんかタイミング失って、理想と現実のギャップにだんだん追い付けなくなって……。

策士、策に溺れるってやつ?」




お前は私たちの自慢なのだから、これからも自慢になるような行いを。


厳格なお母様が手塩にかけて育てた結果、一部の隙も許せない彼が出来上がってしまった。




「男ってさ、たいがい見栄っぱりなのよ。特に好きな女の前では。

"一番カッコイイ俺"だけ見ていてもらいたい。だから"カッコ悪い本当の俺"は余所で解放する。


別に、こっちからすれば、そんなの望んでないし。

気軽な相手に鞍替えされるくらいなら?ダサかろうがなんだろうが、自分の傍にいてほしいのにね?」




晃平さん自身は、完璧主義な性分ではなかった。

友達と悪ふざけもするし、学校をズル休みしたこともあった。


勉強も部活動も、生徒会長になったのだって、好きでそうしたんじゃない。

"高槻晃平"を演じる上で必要だったから、仕方なく全うしていたに過ぎない。


お母様が敷いたレールを、お母様が定めたルールのもと、真っすぐに歩かされる。

たとえ、自分の志していた道は、逆向きに続いていたとしても。




「信じらんないだろうけど、アンタ、愛されてたんだよ。

お母さんに介入されるまでは上手くやれてたのが、いい証拠。」




そんな時に、無条件に甘えさせてくれる存在が現れたら。

私の前では完璧じゃなくていいと、甘く囁かれたら。


縋りたくなるのも、無理はないかもしれない。




「私を愛してくれるなら、お母さんのことなんか無視してよって、普通の人は言うだろうけどね。


難しいんだよ。

女にとっての母親と、男にとっての母親は違う。

女より男のが、お母さんの存在ってデカイもん。


そのお母さんから、ずーっと教育されてきたことを、実は間違いだったって自力で気付くのは、まず無理。

そんなのおかしいよって指摘してくれる人がいて初めて、疑問を持てる。


晃平さんには、その人がいなかった。

アンタも、その人になれなかった。」




私だって、完璧な晃平さんが好きだったんじゃない。

友達と悪ふざけしたり、学校をズル休みしちゃったりする方の晃平さんを、人間らしいと好きになった。




「晃平さんは悪いことをした。アンタは何も間違ってない。それは揺るがない事実。

ただ、晃平さんだけが悪かったんでもないし、アンタは正しいことだけしてたんでもない。

それもまた、悲しいかな事実。」




ジム通いなんてやめて、お腹がぽっこり出てきたって良かった。

手料理だからと遠慮せず、ソースだってマヨネーズだって掛けてくれて良かった。

稼ぎが悪かろうが何だろうが、自分の好きなことを仕事にしてくれて良かった。


晃平さんが望むなら、私はどんなにカッコ悪い夫婦になっても、構わなかったのに。




「ワタシから見れば、二人とも被害者だ。

毒親持った晃平さんも、失敗させられたアンタも。」




それを本人に伝えられなかった時点で、私は晃平さんの妻として失格だったんだろう。


晃平さんに相応しいのは、一緒に完璧を体現してくれる人じゃない。

完璧なんかクソ食らえと、お前はお前らしく生きろと、引っぱたいてでも目を覚ましてくれる人なんだ。




「何度でも言う。

アンタは悪くない。間違ってない。

ワタシは晃平さんを大嫌いだし、晃平さんのお母さんも許せない。

一族郎党、ワタシが纏めて血祭りに上げてやりたいくらい。」




私みたいに、権利がないと卑下したり、嫌われたくないと従うばかりの女は、そう。

格差以前に、一人の人間として、不釣り合いだったんだ。




「ただ、今は今、過去は過去。

こんなんなっちゃったけど、アンタは晃平さんを愛してたし、晃平さんもアンタを愛してた。

あの頃は楽しかったし幸せだった。


その気持ちまで、思い出まで、否定する必要はない。

どんなに悔しくて苦しくても、晃平さんを好きになったアンタの気持ちは間違ってないし、晃平さんを選んだアンタの選択は悪くなかった。」




珍しく晃平さんの肩を持ったユウ。

けれど私は、どうして全面的に私を庇ってくれないの、とはならなかった。




「なにがあっても、ワタシは絶対、アンタの味方。アンタが一番大事。

アンタが決めたことなら、ワタシはどんな形になっても、応援する。」




ユウのおかげで気付いた。

正しさを求めることは、必ずしも正しくない。

晃平さんの浮気の原因は、私に一端があったんだと。




「もし、離婚を躊躇う理由があるとして。

別れたあとどうしよう、一人でどうやって生きていこうって不安が、その理由になってるんだとしたら……。

ここはひとつ、ワタシに賭けてみちゃもらえんかね?」




ユウのおかげで気付けた。

晃平さんのやったことは悪いことでも、晃平さんは悪人じゃない。

私は心から、晃平さんを愛していたんだと。







「───別れましょう。」




その上でやっぱり、離婚をしようと決意した。


絶対にやり直せなくはない、かもしれないけれど、もういいんだ。

気付きを得たところで、私の晃平さんへのスタンスは、きっと変えられない。

卑屈で従順で、相手から行動してくれるのを常に待っている。


そうして知らず知らずと息苦しい空間を生み、帰ってき辛い環境を作り、出張だと家を空けられる度に、また新しい女かとヤキモキする。

晃平さんである以上、私でいる限り、未来永劫ずっと、この繰り返し。




「え……。」


「なんですか?

意地でも別れたくないって、泣いて縋ると思いました?」


「………。」


「しませんよ、そんなこと。

単なる浮気、単なる不倫ならまだしも、子供ができてしまったんですから。

当事者三人だけの問題でなくなった以上、わたしの個人的な感情は優先できません。」




だから、解放してあげる。

なりふり構わず貴方の胸に飛び込んできた子と、楽に息をできる世界へ送り出してあげる。




「じゃあ、気持ち的には、やっぱり別れたくないってことか?」


「ああ、ごめんなさい。言い方が悪かったですね。

個人的な感情を優先するなら、あなたも相手の女も八つ裂きにしてやりたい気持ちですけど。

これから親になろうという人たちに、そんな真似はできないって意味です。」


「………。」


「っていうのは半分冗談で……。もう、自信がないんですよ。

あなたを幸せにする自信も、あなたと幸せになる自信も。」


「俺は────」


「だから、いいです。もう。

わたしの苦しみをあなたは知らず、あなたの苦しみにわたしは気付けなかった。

それが全て。それが答えです。」




私は私で、私らしくいられる世界で、私でいさせてくれる人と、生きていくから。




「今まで、ありがとうございました。どうか、新しい奥さんと、可愛い子供さんと、お幸せに。」




ユウ。

あの時のあんたの気持ち、今なら分かるよ。



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