合わせ鏡 1
*あらすじ
ユウとすずは小学校からの幼馴染み。恥ずかしいところも醜いところも晒し合って、互いの成長を見守ってきた。
やがて高校生になった二人は恋を経験するが、好きになった相手がまさかの同一人物だった。
先に身を引いたユウは、すずの恋を応援するうち、知らず知らずと自らが心変わりしていたことに気付かされる。
友達と好きな人がカブった。
って、漫画でもドラマでも現実でも、たまによく聞く話。
とりわけ学生ともなると選択肢が少ないわけだから、かっこいい男の子は必然、取り合いになる。
たった一つの枠を争い、自分を彼女にすると得ですよと意中のイケメンにアピールしたり、あいつが彼女になると損ですよと厄介なライバルをネガキャンしたり。
ある意味で大人同士のそれより露骨で恐ろしいかもしれない。
でも私には関係ないと思っていた。
たとえライバルが多くても、その中に友達は含まれない。
見ず知らずの相手とならば、どんな勝負だって受けて立ってやる。
ちょっと前まで、そう意気込んでいたはずだったのに。
「───ユウ」
「うんー?」
「わたし、好きな人できた、かもしれない」
「うっそマジ!?だれだれ?」
「笑わない?」
「笑うわけないじゃん!だれ?」
「三年の」
「うん」
「廣井、先輩」
「え」
小早川すず。
飾り気のないお下げ髪に、気の弱そうな泣き黒子。
その割に中身はシビアかつドライで、敵にしても味方にしても一筋縄じゃいかなそうなクラスメイト。
私の幼馴染みにして親友が、まさか私と同じ人を好きになるなんて、全く想定外だった。
「廣井って、あの廣井?難しい方の字の、みんなが共通認識してる廣井代表の廣井?」
「うん」
「気になるとかじゃなくて、マジで好きになったの?」
「気になる───、だけで済めば良かったんだけど。気付いたらなんか、好きになっちゃった」
私達が揃って矢印を向けてしまったのは、二つ年上の廣井晃平先輩。
ルックス良し性格良しのサッカー部キャプテンで、おまけに生徒会長もやってるとかいう鬼スペックマン。
二年の時までは彼女がいたそうだが、三年に上がると同時にフリーになってからは言うまでもない。
次に廣井先輩の彼女枠を勝ち取るのは誰か。学年問わず熾烈な戦いが繰り広げられ、私も例に漏れなかった。
「自分でも分かってるの。私なんかが好きになっていい相手じゃないって」
「いやそんなことないけど……」
「だから、いいの。別に付き合いたいとかは望んでないから。
片思いの人ができたって、それだけ」
みんなが好きになる色男なんだから、すずが廣井先輩を好きになるのだって全然普通のこと。なんの問題も違和感もない。
ないんだけど、なんか、意外だった。
だって、すずの好きな芸能人って大体おっさんだし、愛読書だって純文学だし、ひじきとか豆とかの煮物おいしいねって食べちゃうし。
じゃあ伴侶として選ぶ相手も、みんなが首を傾げるような個性的で渋い感じなのかなって思うじゃん。
「ユウには一応、報告しなきゃって思ってさ。
笑わないでくれて、ありがと」
なんだよ、すずも結局はイケメン好きなのかよ。
自分も酷いミーハーであるのを棚に上げて、私は勝手にがっかりした。
「───今朝の見た?」
「なに?」
「廣井先輩」
「なに。なんかあったの」
気持ちを打ち明けた日から、すずはしょっちゅう廣井先輩の話をするようになった。
嬉しそうに楽しそうに、私が欠伸をするまで、懲りもせず。
滅多に自分を表現したがらない性分のすずが、こんなに饒舌になるほどだ。相当入れ込んでいるのだろう。
私の知る限りでも初恋。初めて目にする親友の姿。
すずが恋をすると、すずが女になると、こうなるんだなあって。
興味深い反面、ちょっと複雑だった。
「───そういえば昨日、廣井先輩がね」
「はいはい」
実は私も、前から廣井先輩を好きだったの。
そう言えばきっと、すずは受け入れてくれるんだと思う。
でも、受け入れたら最後、自分の気持ちには蓋をしてしまうんだと思う。
ユウの方が相応しいよとか、私なんかじゃ釣り合わないよとか、勝負する前から諦めて身を引いてしまう。
互いに成長を見守ってきた幼馴染みだからこそ分かる。すずは、そういうやつなんだ。
「───あ、ごめん。私また一方的に……」
「いーよいーよ。普段ワタシのが聞いてもらってばっかだし。で?廣井先輩がどうしたって?」
言わなかった。
すずを悲しませたくなくて、大事な親友をそのへんの有象無象と同じにしたくなくて。
私の眼鏡に適うやつはこの学校にいない、私はとうぶん彼氏なんか要らないと嘘をついた。
こっそり続けていた廣井先輩へのストーキングも、やらなくなった。
「───こんなことユウにしか言えないから、つい調子乗っちゃうよ。
いつも付き合ってくれて、感謝してる」
いや、違う。
言わなかったんじゃない。やらなかったんじゃない。
言えなかった。できなくなったんだ。
「───さっき友達の人とじゃれてたんだけど、不意打ちで膝カックンされて変な悲鳴あげてた。男の人でもあんな声でるんだね」
「───気付いたんだけど、先輩ってちょっと内股だよね。癖なのかな?
あ、そのせいで躓きやすいとか。じゃあ矯正するべきなのかな……」
「───こないだ噂で聞いちゃった。先輩、猫アレルギーなんだって。でも先輩自身は猫大好きで、野良を見付けるとつい構っちゃって、帰る頃にはくしゃみ止まらなくなるんだって。可哀相だけど可愛くない?」
すずはいつも、廣井先輩のカッコイイ話じゃなく、カッコ悪い話をする。
箸の持ち方が変だとか、なんでもないところでよく転ぶとか、虫が出ると女みたいにギャーギャー騒ぐとか。
そういうダサくて間抜けなところを、人間らしくて素敵だという。
「ふーん。よく見てんね」
私は知らなかった。
すずより前に好きになって、ストーキングまでしてたくせに、廣井先輩にそんな一面があるなんて気付かなかった。
みんなが憧れる"表"ばかりをフォーカスし、"裏"を見ようとしなかった。そもそも、先輩に裏側があるってこと自体、考えもしなかった。
「───あ、あれあれホラ。廣井先輩。珍しいとこでー……と。誰かいんな。誰だあれ?」
「桜井さんだよ」
「なに?ミスチル?」
「廣井先輩と付き合ってるんじゃないかって言われてる人」
「え、じゃあライバルじゃん」
「とんでもないよ。私なんかじゃ話にならない」
「やってみなきゃ分かんないじゃん」
「分かるよ。なにもかも勝ち目ない。だってあんなにお似合いなんだよ?
桜井さんくらい素敵な人が相手なら、諦めもつくってもんだよ」
私はカッコイイ先輩を好きになったけど、すずはカッコ悪い先輩を好きになった。
先輩も一人の人間で、一人の男で、完全無欠じゃないってことを、すずは理解している。
私にはないものを、すずは持ってる。
「すずだって負けないくらい可愛いじゃん」
「ふ、優しいの。そう言ってくれるの、ユウだけだよ」
どうせ負けるなら、すずにが良いな。
気付けば自分自身ではなく、すずにこそ廣井先輩の彼女にと望むようになった。
私みたいにスペックで男を選ばない、本当の意味で誰かを愛することの出来る、すずに。
「───ユウ。話、あるの」
望みは、やがて現実となった。
廣井先輩の方からすずに交際を申し込み、二人は晴れて恋人同士になった。
どこで接点を持ったのか、なにが決め手だったのか。少なくとも私は聞いていない。今更すずが隠し事をするとも思えないので、本当に急なことだったんだろう。
廣井先輩ファンの中に、可愛くて頭が良くて特別な子がいると、巡り巡って本人の耳に入ったのかもしれない。
だとしたら、唆したやつは良い仕事をしてくれた。成就に免じて、すずの秘めた恋心をバラしやがった罪は不問にしてやろう。
「だから言ったっしょ?すずだって負けてないって」
何はともあれ、すずの想いが通じたんだ。
どのみちワタシなんかはお呼びじゃなかったろうし、好きな人と親友がカップルになってくれるんなら、これ以上の大団円はない。
「ほんと、まさか、こんなことになるなんて。まだ夢見てるみたいだよ」
その瞬間、私は失恋をした。
廣井先輩じゃなく、すずに。
「それもこれも有能なアドバイザーが付いてたおかげだな。
褒美として牛乳プリンを一つ献上したまえ」
「やっす」
私は、すずを好きになった。
廣井先輩のここが素晴らしい、ここが魅力的という話を毎日聞かされて、廣井先輩やっぱり最高とはならなかった。
誰も気に留めないような美点を見出だしてしまうところや、本人でさえ隠している努力をきちんと評価してあげるところ。
私なんかじゃ釣り合わないと言いながら、もし結婚したらの妄想に自分で笑ってしまうところ。
私でさえ知らなかったすずの素顔が、廣井先輩の存在ありきでどんどん炙り出されていって。
私の中の廣井先輩が小さくなるにつれて、すずは大きくなるばかりだった。
「本当にありがとう、ユウ。ぜんぶユウのおかげだよ」
自覚すると同時に失恋。しかも相手は同性の友達。やべーだろ、普通に考えて。
だって私、面食いだし。今まで男しか好きになったことないし。女もイケるなんて思ったことなかったし。
ていうか、なんで、すずなの。
幼馴染みなんだよ。親友なんだよ。ずっと一緒にいたの。
クリーム系食べると太りやすいのとか、生理の時ゾンビみたいになんのとか、寝顔が引くほどブスなのとか、ぜんぶ知ってんの。
もし私が男だったら、百年の恋も冷めちゃうかもしんないようなとこ、ずっと側で見てきたの。
なのになんで、今更。
「ユウにも好きな人できたら、今度は私が応援するからね」
いくら自問自答したって答えは変わらない。
好きになってしまったものは仕方がない。
問題なのは、この疚しい気持ちを抱えたまま、どうやって友達関係を続けていくか。
「ばーか。アンタの応援なんて要んねーよ」
ねえ、すず。
私も廣井先輩が好きだったって言ったら、その上でアンタを好きになっちゃったって言ったら、どうする?
***
「───なんで?桜井先輩じゃなかったの?」
「違ったんだって。桜井さんの方は好きだったらしいけど」
「だからって、なんであんな子?しかも一年でしょ?」
「自分の立場わかってないんじゃない?」
「全然ブスでしょ」
「身の程わきまえろってーの」
二人が交際を始めた噂は、瞬く間に学校中を駆け巡った。
腹いせの虐めとかは幸い起こらなかったが、すずの足を引っ張りたがる輩は後を絶たなかった。
根も葉も無い作り話を吹聴して、すずの株を落とそうとしたり。
すずが他の男子と喋ってるとこを写真に撮って、ビッチだって方々にバラ撒いたり。
イマカノがお払い箱になれば次こそは、っていう魂胆だったんだろう。
「───ああ見えて男好きっていうか、男子には誰でもニコニコしてるんですよ」
「先輩も騙されてるんじゃないですか?」
「えー?」
「なにかトラブルとかなる前に、もっとよく考えた方がいいですよー」
「うーん。でも、まだそうと決まったわけじゃないし。実際に俺は見たわけでもないしね」
「またそうやってー」
「優しいばっかじゃ駄目ですよー」
廣井先輩は、特にどうともしなかった。
すずと別れたがる素振りがなければ、すずを貶める連中を諭したりもなかった。
周りに流されない姿勢は評価できる。だけど、だったら、なんで止めないのか。
俺の彼女を悪く言うな、くらい注意してやったらいいのに。
それが出来ないならせめて、すずを励ましてくれたらいいのに。
「───最近あんま寝れてない?」
「え?」
「顔色。あとここ、肌荒れてる」
「あー……ハハ。ビタミン不足かな」
「嘘つかんでいいから。ワタシの前では本音で話しな」
仮にも彼女だろ。お前が近付いてきたんだろ。
なんで守ってくれないの。大事にしてくれないの。
私から奪ったくせに。私とすずの時間を縮めやがったくせに。
私の百倍すずを笑顔に、幸せにしてくれないと、割に合わないんだよ。
「しょうがないよ。先輩がモテるのは今に始まったことじゃないし。こうなるだろうなって覚悟してた」
「だとしても何でアンタばっか辛い思いしなきゃなんないの?先輩から好きって言ってきたんでしょ?庇ってくんないの?」
「先輩にも色々、付き合いとかあるんだよ」
「自分の彼女ほっとくのがしょーがない付き合いってなんだよ。バッカじゃねーの」
「まあまあ。実際みんなの言ってる通りだから───」
「どこがだよ。すずの方が百倍かわいいし優しいし賢いし?男には誰でもって、キモオタにもデブにもハゲにも平等ってことじゃん。長所でしかないじゃんそんなん」
「買い被りすぎだよ」
「本当のことだもん。ブスって言うやつがブスなんだもん」
私だったら、悲しい顔させない。悲しい思いさせない。
すずが楽しい時も辛い時も一緒にいるし、くだらない話も興味ない話も全部聞いてあげる。
すずのこと馬鹿にするやつが一人でもいるなら、自分一人でも特攻しに行ってやる。
私の方が絶対、百倍、すずを好きだよ。
「そうやって、ユウが代わりに怒ってくれるから、私はいっつも自分で怒るタイミングなくなっちゃう」
「ごめん」
「違うよ。おかげで胸がスッとしたってこと。ありがとね」
「うん」
「怒らせちゃって、ごめんね」
「……うん」
あれだけ輝いて見えたのは、なにもかも正しく思えたのは、今や遠い昔。
すずを好きだという気持ちが強まるほどに、私は廣井のバカヤロウを嫌いになっていった。
片方がイイフリこきに徹し、片方がじっと耐え忍ぶ構図は、まるで二人の未来予想のようだった。
「───寂しいね」
「まあね」
「ずっと一緒だったのに」
「まあね」
「メールするから」
「ん」
「電話も」
「ん」
「手紙も書こうかな」
「いいってそんな。先輩と仲良くね」
高校卒業。
一足早かった廣井先輩に続き、私達もお世話になった学び舎に別れを告げた。
すずと廣井先輩の関係は未だ続いている。
すずに相談をされる私の役回りも続いている。
二人はいずれ結婚するだろうし、私もすずと縁を切るつもりはない。
ただ少し、距離を置いた方が良いのかも、とは思った。
すずとは別に本州の大学を受けたのは、そのためだ。
「───木更津さーん。明後日ってバイトあるー?」
「明後日はないよー。どしてー?」
「有志集めて新歓コンパすんだってー。出る?」
「あー、んー……。じゃあ、ちょびっとだけ顔出そっかな」
「ほんと!じゃあ一緒いこ!」
すずも、廣井先輩も、他の誰も。
ここには、かつての私を知る者はいない。
ここで私は、新しい私に生まれ変わるんだ。
計画したのは、いわゆる大学デビュー。
派手な色に髪を染め、化粧を覚え、ドラッグストアでアルバイト。
勉強もサークル活動も忙しく、毎日毎晩目が回りそうで、弱音を吐きたくなることもあった。
でも良かった。
大変だ大変だとパニクっている間は、すずのことを忘れられるから。
すずを好きな異常さを抜きにすれば、私はただの女で、ただの大学生でいられるから。
「───付き合ってる人いないなら、オレ、立候補してもいいかな」
大学入学から半年ほどが経った頃。同期の男の子に告白された。
倉内栄人くん。通称、ミスタークラウチ。
長身で爽やかで家が金持ちで、おまけに顔が私好みの超イケメン。
どっかの廣井なんとか先輩より、十倍はカッコイイ人だった。
「え。なに急に。趣味悪すぎでしょ」
とうとう私にも春の訪れが。
地球の裏側までブッ飛んでいきそうなくらい浮かれた。
浮かれて、終わった。
「いやいや。むしろ見る目ある方だと思うよ」
「自分で言うそれ?」
「だって、オレくらいモテるやつに告白されて、そんな冷めた反応する人いないよ」
「自分で言うそれ?」
「だから、そういうとこも含めて、面白いなって思って」
倉内くんは見かけ以上に中身が男前の人で、女子人気に劣らず男子からも慕われていた。
私を好きになった理由も、アルバイトに勤しむ真面目さや、誰にでも分け隔てない優しさに感銘を受けたからだと言ってくれた。
これ以上ない、いい男だった。
なのに好きになれなかった。付き合って試す必要もなかった。
あ、この人のこういうとこ、すずに似てる。
倉内くんの告白を受けて真っ先に浮かんだ感想がそれで、もう駄目だと瞬時に悟った。
「ごめん。嬉しいけど。めっちゃ嬉しいけどマジで。マジで本当は喉から手出るほど"イエス"って言いたいんだけど」
どんなに離れても、メールや電話の回数が減っても。
朝起きてたまに、寝る前に必ず、すずを思い出した。
今、どうしてるかな。
先輩と上手くやってるかな。新しい友達できたかな。
ちゃんとご飯たべてるかな。ちゃんと眠れてるかな。
たまには私のこと、考えてくれてるかな。
「だけど?」
避けて拒んで、遠ざけるたびに、ほとほと実感させられた。
好き。大好き。愛おしい。会いたい。声を聞きたい。触りたい。
勘違いじゃない。思春期特有じゃない。友情の延長なんかじゃない。
「好きな人がいるの。だから貴方とは付き合えない」
もう、逃げられないくらい、戻れないくらい、すっかり花は開いてしまった。
自ずと枯れるのを待つには、あまりに先が長すぎる。
「その人って、この大学の人?」
「ううん」
たぶん、私は死ぬまで、この想いを抱えて生きていくのだろう。
散らせるのは怖くて、枯れるのは待てなくて、少ない水でも間に合うように進化してしまった、砂漠のサボテンみたいに。
「幼馴染みなの。高校までは、ずっと一緒だった」
もっと奔放だったら。
こっちも負けないくらいイケてる男ゲットしたったぜ、どや~。
って踏ん反り返れるくらい図太い神経してたら、こんなに苦しまずに済んだろうに。
「幼馴染みって、確か女の子じゃなかった?もう一人いるの?」
一番になりたかった。
友達で一番じゃなくて、すずの、人生の一番になりたかった。
「いないよ。女の子で合ってる」
本当は嫌だった。
廣井先輩と何した話聞かされんのも、廣井先輩と並んだ写真見せられんのも。
大嫌いなミニトマト無理矢理ごっくんするみたいに、限界まで感情殺して、やっと飲み込んできた。
「だから、貴方とは付き合えない。ごめんね」
やめたいよ、今すぐ。
友達もアドバイザーもやってらんねーよ。
疲れるし面倒くせえし損するばっかりだよ。
でもやめられない。やめたくない。
悔しいけど、廣井先輩がいる限り、私はすずの唯一でいられる。
こんなこと話せるのユウだけだよって、私だけの笑顔を泣き顔を見せてくれる。私だけの"ありがとう"をくれる。
『ユウ。こんな私と友達でいてくれて、ありがとうね』
だから、いいよ。
伴侶の座は譲ってやっても、特等席は永遠に私のもの。
お前はそうやって、すずの可愛いとこだけ見てろ。
お前に好かれたくて、一生懸命装ってる美しいすずだけ見てろ。
私はお前の知らないすずを知ってる。汚いとこも醜いとこも、丸ごと好きだって言える。
すずに対する愛情の深さは、お前より私の方が上だ。
「───はー、マジもったいねーことした」
ごめんね、すず。
純粋な友達でいてやれなくて。心から祝福できなくて。
私の恋を応援してくれるなら、どうかそのままでいて。万年二位でいさせて。変わらないで。
アンタが幸せなことが、私の幸せなの。
「ガン検診、行かなきゃな」
すず。
アンタを好きになるんじゃなかった。
アンタを好きになって、良かった。
***
10年後。
高校の恩師が定年退職されるのを機に、その年の三年生で集まることになった。
生まれから高校卒業までを過ごした、我らが故郷で。
「───ユウじゃーん!やば久しぶりー!」
「相変わらず美人だね~」
「そうだろうそうだろう。お前らは相変わらず普通だな」
「口悪いとこも変わってねえ!」
私は現在、函館の方で化粧品販売の仕事をしている。
ドラッグストアでアルバイトしていた頃も、お客さんのメイクレッスンをする係だった。
その当時から接客業は性に合っていたし、美容関係にも興味を持っていた。
趣味と実益を兼ねてというのが、最も適切だろうか。
「販売員やるくらいだから詳しいんでしょ?最近はどんなのが売れ筋なの?」
「見せよっか?」
「え、なに実物あんの?」
「あるよ。いつでも営業できるようにサンプル持ち歩いてる」
「さすが~」
「私も見たーい!」
「なに?なんの話?」
「おじさんには関係ないハナシー」
「同い年だろ!」
仕事の話、家庭の話、懐かしい思い出話。
10年の月日など感じないくらい、みんな意気揚々と語り合った。
私も久々に羽を伸ばし、気の置けない平和な空気を堪能した。
交通の便が悪かったとかで敢え無く遅刻をしてきた、あいつが現れるまでは。
「───こんばんは。遅れてすいません」
最後に合流したすずは、ひときわ美人になっていた。
定期的にビデオ通話なんかもしてるから、垢抜けたのは百も承知なんだけど。
面と向かうのは2年ぶりだったもので、私はつい呆気にとられてしまった。
「え……っ。すずちゃん?」
「うん。久しぶり」
「久しぶり……。なんかめっちゃ、雰囲気かわったね」
「え?ああ……。髪型のせいかな」
「それもだけど、一段と綺麗になったっていうか」
「女優さん入って来たと思った」
「いやホントそれ」
「あはは。おだてるのが上手いね」
すず。私のすず。
大人になっても衰えるどころか、ますます磨きがかかっている。
笑うと可愛くて、困ると色っぽくて、どの角度をどの瞬間に切り取っても美しい。
あの廣井先輩の妻となった事実を、妬む者はもういない。
「ユウも。久しぶり」
「……久しぶり」
「あ、二人連絡とってたんだっけ」
「うん。でも会ってはいなかったから、なんか変な感じ」
「おや?ユウちゃん急に黙ってどした?」
「すずちゃんがあんまり綺麗になったから焦っちゃった?」
「そんなんじゃねーし。すずが綺麗なのは元からだしワタシの美しさとはジャンルが違げーから」
「負けず嫌い炸裂やん」
「あはは。ユウのが綺麗に決まってるよ」
でも、私は知っている。
みんなが憧れた廣井先輩は、決して良い亭主じゃないことを。
みんなが羨む廣井先輩との家庭は、円満とは程遠いことを。
「今はもう廣井すずなわけでしょ?」
「うん」
「すごいなー。学生ん時から付き合って結婚までいくカップルってほぼいなくない?」
「しかもあのウルトラスペック番長~」
「今もカッコイイ?」
「うん。見た目全然変わってないよ」
「ヤダ即答ー!」
「いいな~」
すずが22歳、廣井先輩が24歳の時に、二人は結婚した。
披露宴には私も出席し、歯軋りしながら御祝いのスピーチをした。
すずの花嫁姿は、まるでダイヤモンドを擬人化したように神々しかった。
「うちの旦那なんかまだ30なのにハゲてきてさー。あっという間におじいちゃんよ」
「おじいちゃんは言い過ぎでしょ」
「そっちはー?上の子何歳になったの?」
「今年で5歳だよ。下が2歳」
「うわ大変~」
「でも一番かわいい時じゃない?」
「私も二人目は男の子ほしいなー」
「独身組は肩身が狭えっす……」
誰もが一度は絵に描く、理想的な美男美女夫婦。
強いて汚点を上げるとすれば、すずが大学を卒業した直後に入籍したこと。
自分も働きに出たいと望むすずを黙らせ、廣井先輩と廣井先輩のご両親は家庭に入ることを強いたらしい。
「俺こないだ営業で廣井さんに会ったよ」
「え、ほんと?」
「どんなだった?」
「いやマジ全っ然変わってない。それこそ俳優ってかノンノ感やばかった」
「へー」
「しかもめっちゃバリバリで、仕事もデキる男っての?
うちの会社の女の子たち色めき立ってたよ」
「だってよ奥さん」
「あはは……。その節は主人がお世話になりました」
あんなカッコイイ人が旦那さんで、そのうえ自分は専業主婦で、こんなラッキーはそうそうない。
なんて言えるのは、無知で無分別な馬鹿だけだ。
すずには、やりたいことがあった。
絵や文章を書くのが得意だったから、それを活かせる仕事がしたかった。地元の出版社への就職も、ほぼ決まったも同然だった。
それを廣井先輩は阻み、早く孫の顔を見せてやりたいとか何とか言って、家の中に閉じ込めた。
きっと、洗練されていくすずに嫉妬したんだ。
学生時代は絶対数が少なかったから自分が頂点にいられたけど、社会に出ればそうもいかない。
世の中には自分よりカッコイイ男がたくさんいると知られるのが、すずに愛想を尽かされるのが怖かった。だから自分の目の届く範囲に囲ったんだ。
孫の顔がどうとか、未だに実現させる気なんてないくせに。
「この幸せ者めー」
「うちのと交換してほしいくらいだよー」
可哀相なすず。
追求されるのは廣井先輩のことばかり。廣井先輩の妻である以外、誰もすずに興味ない。
嫌でしょう?不快でしょう?
本当は碌でもない身内を、上辺だけで誉めそやされるのは。
反論したいでしょう?否定したいでしょう?実際がどんな有様か、証拠を突き付けてやりたいでしょう?
「幸せの形は、人それぞれだから。わたしは自分に与えられた境遇に感謝するだけだよ」
できないよね。
誰もが欲した相手と一緒になった手前、失敗だったなんて後ろめたくて言えないよね。
自慢の奥さんでいるようにって、躾られてるんだもんね。
「優等生すぎて、ぐうの音も出んわ」
「ユウもちょっとは見習ったらー?」
「すずちゃんの爪の垢煎じてもらいなよ」
「爪は鷹の爪で間に合ってます」
「あ、そうだ辛いもの食べたい」
「じゃあこれは?"閻魔様の麻婆豆腐"」
「名前からしてヤバそう」
もっと、みじめな思いをしなよ。もっと四面楚歌になりなよ。
アンタを理解できるのは私だけ。アンタを心から思いやれるのも私だけ。
アンタと廣井先輩の間にあるものは、とっくに愛じゃないんだって、早く気付いて。
「───なんだよ付き合い悪いなぁ。ちょっとくらい顔出してけよ」
「そーだよユウいないとつまんない!」
「ごめんなさ~い、アタシお酒得意じゃなくってぇ~」
「一升瓶あけたやつがよく言う!」
「そういうわけだから後は皆さんで楽しんでぇ~。
行こ、すず」
「あ、うん……」
一次会がお開きとなり、二次会は別の居酒屋で仕切り直すことになった。
私は名残惜しくも参加を断り、すずを個人的に連れ出した。
「へー。こんなとこに、こんなお店あったんだね。たまに来るの?」
「んー?まあ、ちょっとね」
飲み屋街の外れにある、雰囲気の良いバーラウンジ。
周りを見渡せばカップルばかりで、女同士の客は私達しかいない。
なんでこんなところに連れて来たのか。なんでこんな店を知っているのか。
答えは簡単。今日この日にすずを誘うため、事前にリサーチしておいたのだ。
「ほんと、久しぶりだよね。実際会ってみると、なんか違う人みたい」
「こっちの台詞よ。どえらい美人になりやがってよ」
「あはは、ありがとう。ユウはずっと変わらず美人だよ」
警戒心ゼロ。私がどういう目を向けてるかも知らずに、あっけらかんと無防備を晒して。
今まではそれが心地好くて、都合のいい親友ポジションに甘んじてきたけれど。
もう、今夜で終わり。我慢するのは、もうやめる。
「それで、改まってどうしたの?電話じゃ出来ない話?」
「なに、親友との再会を惜しんじゃいけない?」
「そんなことないよ。嬉しい。でも珍しいじゃん、ユウから話したいって言ってくるの」
「そうだっけ?」
「そうだよ。電話もメッセージも、わたしからばっかりで……。避けられてるのかなって、実は結構気にしてた」
「まあ、避けてはいたかな」
「え……」
「けど、アンタが想像してんのとは違う」
「どういうこと?」
「アンタを嫌いになったとか、人妻になったから遠慮してるとかじゃない」
「じゃあ、どうして?」
10年。あんたへの恋心を自覚して、10年。
酷く長くて、短かった。飽き性の私が、よくここまで一途を貫いたものだ。
「すずさ、最近笑わなくなったよね」
「え、そう?」
「さっきだって、愛想笑いで誤魔化してんのバレバレ。すずが腹から声出して笑ってんの、ここ数年聞いてない」
「んー……。そりゃあ、まあ。大人になったから?」
「関係ないよ。30だろうと40だろうと笑う人は笑う。所帯持ってようと独身だろうと、本当に楽しけりゃ笑うもんなんだよ人間」
「哲学だなぁ」
怖くないと言ったら嘘になる。やっぱりやめておけば良かったと後悔するかもしれない。
でも、たとえこれっきりになったとしても、私は私の気持ちを知ってほしい。
自分は一人ぼっちだって、自分は必要とされてない人間なんだって思い込んでるアンタに、分かってほしい。
「で、ワタシは思ったわけ。また前みたいな、しょーもないことでダハハって笑うアンタを見たいなって」
「ダハハ笑いはユウの方でしょ」
「うるさい。とにかく、ワタシはアンタの笑顔が好きなの。
だから、どうにかして笑ってもらおうって色々してきたけど、今までのワタシじゃ無理だって悟った」
「よく分かんないけど……。とりあえず聞くわ」
「つまり、今までのワタシを変える。ニューワタシになると決めたのよ」
「にゅーわたし?どゆこと?」
今アンタの目の前にいる私は、いつだってアンタの味方。
いつだってアンタのことを考えてるし、いつだってアンタを必要としてる。
アンタが望むなら、私はいくらでも、アンタの逃げ道になってあげるよ。
「すず」
「うん?」
「ワタシ、アンタが好きなの」
廣井先輩、聞こえるかい。
廣井の名字を返してやるから、すずは私に返してもらうよ。