蒼い糸 5
「───おまたせー。熱いから気をつけてね。」
「ありがと。お砂糖は?」
「入れてあるよ。小匙半分。」
「さすが。」
「でしょー。もっかい!」
「よしよし。」
「えへへー。
……あ、そういや明日だっけ?美容院。」
「うん。2時から。」
「次はどんな頭にするの?」
「とりあえず脱色して、あとは美容師さんと相談しながら決めようと思ってる。」
「脱色、ってどのくらい?ギャルだった時くらい?」
「あん時よりはもーちょい控えるけど、明るめにはするつもり。
店長にも、そろそろイメチェンしないのって言われたし。」
「ずっと黒髪で頑張ってたもんねー。」
「まーね。
アパレルで見た目縛られることなんて滅多にないけど、一応。ケジメなんで。」
「今度のイメチェンは、何きっかけで?」
「前に、職場の打ち上げやった時、それぞれのエピソードトークになった、って話したじゃん?」
「うん。」
「実は、そこからも色々あってさ。
ギャル時代の写真、みんなに見せる流れとかもあったわけよ。」
「それで?」
「今と全然イメージ違うけど、お店的にはこっちの雰囲気のが合ってるかもね、って言われて。」
「あー。あそこ結構、奇抜な髪の店員さん多いもんね。」
「そうそう。
腐っても、流行を先んじる存在でなきゃいけないからさ。
どっちにしろ、いつまでも同じ髪型ではいらんない、と。」
「なるほどなるほど。
ギャル時代の格好もワイルドで好きだったから、わたしとしては、どんな尾田さんも大歓迎です。」
「あんがと。」
「でも、黒髪の尾田さんとお別れなのも寂しいなー。
一年だっけ?」
「だいたいね。
真咲の実家行った時から、ほぼほぼ変えてない。」
「そっか。
そう考えると、なんか、感慨深いな。」
「うん。あん時は大変だった。」
「ね。」
私たちは、女同士だ。
キスはできてもセックスはできないし、並んで街を歩いてたら、そろそろ彼氏作んないのとか言われたりする。
でも、関係はなにかと聴かれたら、迷わず恋人同士と答える。
変な顔されても、冗談でしょって疑われても、互いに彼女なんだって言う。
たぶん、お隣に住んでるOLさんも、友達同士のルームシェアだと思ってるんだろう。
彼氏呼びたい時とかどうするんですかって、こないだゴミ出ししてる時に話しかけられたし。
まあ、女同士でマンション借りてたら、普通は家族かルームメイトって思うよね。
「あれから、お父さん達の様子、どう?」
「ぼちぼち、ってとこかな。
相変わらず、イイ男いないのって責っ付いてはくるけど。
すっかり大人しいよ。却って不気味なくらい。」
「こないだも、高っかい紅茶おすそ分けしてくれたしね。」
「あっ……。
そうだよ、紅茶!昨日届いたのに、言うの忘れてた。」
「お母さん?」
「うん。あと、父さんからも。」
「えっ、お父さんも?」
「母さんからは、こないだと同じ、茶葉ね。
尾田さんが美味しいって言ってたよー、って話したら喜んでたから、調子乗って頼みすぎちゃったんだろうね。
毎日飲むくらいでないと、消費おっつかないな、こりゃ。
で、父さんからはー……。これ!」
「………チョコレート?」
「そう。
こっちはよくコーヒー飲んでるってこと、たぶん母さんから聞いたんだと思うけど……。
とにかく、そのお茶請け、じゃなかった、コーヒー請けにって。」
「ゴディ……。
───って、あの!?」
「みたい。
せっかくだし、開けてみる?」
「うーん……。
気になるけど、コーヒーのほう甘くしちゃったし、今食べんのは勿体ないなぁ。」
「じゃあ、晩ごはんの後にする?食後のデザート。」
「いいね。楽しみ。」
「……あとさ。
もういっこ、ご報告したいことが、あるんだけど。」
「なに?」
「実はその……。入籍からは、結構経つんだけど……。
式の方は今度、こっちでやることに、なったの。
姉さんと、大輔さんの。」
「え!そうなのおめでとう!」
「ありがとう。
……それで、なんだけどね。尾田さんの話したら、ぜひ招待したいねってことに、なって。」
「え……。ワタシもお呼ばれしていい、ってこと?」
「うん。どうかな?」
「ワタシはもちろん、嬉しいけど……。
でも、お姉さん達が良くても、ご両親は嫌がるんじゃない?
同居は許してくれたけど、まだ、ワタシ達のこと、認めてくれたわけじゃないんだし。」
「……あのね、尾田さん。
"是非に"っていうのは、わたしと姉さんと、大輔さんと、父さんと母さんと、全員一致の意見なの。」
「え?」
「父さんと母さんも、尾田さんに来てほしいって、言ってくれたの。」
真咲の家族も、私の母も。
なるべく早くに見切りをつけて、安牌の男で手を打ってほしいと、思っているんだと思う。
どんなに譲歩して配慮して、理解しようと努力したって、自分たちには持ち合わせのない感覚なわけだし。
異性を選んだ人たちには、同性で惹かれ合う気持ちは、正しくは伝わらないはずだ。
たとえ、LGBTという言葉が辞書に載っても。
多様性を重んじる世界や時代になったとしても。
実際に周囲の人が祝福してくれるとは限らない。
どうしたって私たちは、世の理から外れた異端者である事実は、覆らない。
「恋人って括りにするのは、やっぱりまだ、抵抗があるみたいだけど……。
尾田さんが、わたしにとって一番、大事な人だってことは、ちょっとずつ分かってきたみたい。」
「う、そ……。」
「嘘じゃない。嘘じゃないよ。
ちょっとずつ、本当にちょっとずつだけど、わたし達が幸せならって、思ってくれてるんだよ、きっと。」
「うそ……。」
「はわ、な、泣かないでぇ。」
「あんただって泣いてるじゃん……。」
「これははなみずれしゅ……。」
いつ、自分の心が離れるか、相手の心が離れるか。
自分が手を離すか、相手に手を離されるか。
そんな不確かなものを抱えながら、私たちはこうして一緒にいる。
いつか、真咲に好きな男ができるかもしれないし、私に好きな男ができるかもしれない。
とても些細なきっかけで、百年の愛が冷めることもあるかもしれない。
最初に感じた不安は、何日何ヶ月、何年たってもずっと不安なまま。
それでも。
私は、おばさんになっても、おばあさんになっても。
心から愛する男性と結ばれたとしても。
今までの人生で、一番幸せだったのはいつですかと聴かれたら、今だと答える。
それだけは確かだと、胸を張って言える。
「真咲。大好きだよ。」
「わたしも。尾田さんが大好き。」
「浮気しないでね。」
「しないよ。」
「浮気するくらいなら、捨てていって。」
「なーにそれ?」
「他に好きな人できたら、全然そっち行っていいんだからね。」
「尾田さんは、わたしが他の人と一緒になってもいいの?」
「よくない。」
「よかった。」
私は、真咲が大好きだ。
頭いいくせにアホなとこも、真面目な割にだらしないとこも。
私が好きだよって言うと、口元をモゴモゴさせちゃうとこも。
私は汚いから触らないでって言うと、本気で怒るとこも。
ぜんぶ纏めて大好きだ。
真咲の方は、どうなのかな。
せめて私の十分の一でも、私を好きでいてくれたら、いいな。
「もし、わたしか尾田さんのどっちかに、好きな男の人ができたらさ。」
「別れる?」
「ううん。
彼氏と彼女、両方いる女になっちゃうなあ、って思って。」
「ぶふっ。なにそれ。」
「あ、わらったぁ。」
「いや笑うでしょそんなん。おかしいし。」
「そうかな?
そういうのもアリだねって言ってくれる人が相手なら、両方と同時に付き合うのも悪くないと思うけど。
わたしの尾田さんに対する好きと、異性に対する好きは、たぶん違うと思うし。」
「そんなこと、許してくれる人いないよ。」
「わかんないよ?
ゲイのカップルで、彼氏と別れるつもりはないけど結婚はしたいし、子供もほしいって人もいるかもしれない。
だったら最高だなー。形だけ結婚して、関係は異性の親友みたいに接してくれる旦那さんがいたら、周りを気にせず尾田さんといられるし。」
「子供は?どうすんの?」
「お互いにでも、どっちか一方が預かるでもいいけど、育てるのは四人全員でやるの。
あ、でもそうなったら、どっちが先とか長いとかで喧嘩しそうだな……。」
「ふ。真咲ってたまに、面白いこと言うよね。
四人がかりだったら、いろいろ多すぎだし、なんかしら足りないよ、たぶん。」
「でも、愛だけはいっぱいだよ?」
「……そうかもね。」
真咲への返済にって貯めた資金は、手を付けずに残してある。
真咲が受け取ってくれない以上、額は増え続ける一方だろう。
もし、病気や怪我で入り用になったら、通帳ごと押し付けてしまうでもいい。
他の誰かと結婚、出産にでもなったら、お祝い金と称してアタッシュケースに詰めるでもいい。
真咲が必要としたその時は、どんな理由であれ、いくらでも返すし与えていい。
あるいは。
永遠に、真咲はお金を必要としない、となったら。
その時は、真咲の受け取らなかったお金で、真咲との思い出を作れたらいい。
世界一周旅行に行くでも、マイホームを買うでもいい。
施設から養子をもらうなりして、子育て費用に充てるでもいい。
真咲と一緒なら、どんな形だっていい。
真咲の夢は私の夢で、真咲の笑顔は私の喜びだ。
「コーヒー、おかわりいる?」
「うん。今度はワタシがいれてくるよ。」
「やったー。
わたしはお砂糖抜きの───」
「ミルクふたつ、でしょ?」
「さすが!」
本当に、未来って、わからないものだ。
お金なんて、人の一生を狂わせる毒みたいなものだと、あの頃までは思っていたのに。
ちょっと考え方を変えるだけで、いつかへの切符のように思えてくるのだから。
「ふふっ。」
「どしたのー?ゴキゲンだね。」
「ちょっとね。」
「思い出し笑い?」
「あの時、変な女って無視しないで良かったな、って。」
「……そうだね。
わたしも、勇気出して良かった。」
物語の世界では、運命の相手とを繋ぐ縁のことを、赤い糸って呼んだりする。
なら、私と黒石は?
異性間での縁が赤いなら、私と黒石の縁はどうなんだろう。
「ね、後でちょっと出掛けない?」
「これから?いいけど……。帰り遅くなっちゃうよ?」
「ちょっとくらいいいよ。
何時になっても、どーせ同じ家に帰ってくるんだし。」
「それもそうか。どこ行く?」
「駅前カフェ梯子ツアー、新境地開拓を目指して!」
「日アサの特番かよ。
時間は?何時間くらいがお望み?」
「3時間、フリーコースで。」
「………承りました。」
澄んだ海のような、果ての空のような、このお揃いのマグカップのような、深い深い蒼。
僅かでも足し引きたら、すぐに真っ黒になってしまう。
その分、ちょっとやそっとの雨風では薄まらない、頑固で綺麗で扱いの難しい色。
私と黒石を手繰り寄せた糸にも色があるとしたら、きっと、そんな色をしているに違いない。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。