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星を目ざすもの、海より来たるもの 5


アドアストラとユタが邂逅して、半月が経った頃。

本日分の営業を急きょ取りやめたアドアストラは、いつものようにユタに朝食を振る舞ったあと、自分だけでユルカの森を探索しにいった。


目的は件の"スマグナー"。

ユタが失くしてしまったという、魔法の帽子を見つけることである。




「───さすがに無いか……。」




まずはユタと邂逅した場所、ニアの池に程近い小川へ。


周辺をぐるっと見て回ったアドアストラだが、それらしい物はどこにも落ちていなかった。

ユタいわく"鳥か何かに盗られた"そうなので、現場から離れた場所に移動させられてしまったのかもしれない。




「(鳥に持ち去られたのが事実として、精霊の魔力を含むような代物を、鳥ごときが扱えるとは思えない。

途中でどこかに捨て置いたか、耐性のある種族に譲り渡したか……)」




アドアストラは考えた。


ユルカの森は深く広い。

自分の目と足を持ってすれば虱潰しも不可能じゃないが、効率は悪くなるだろう。




「(いや待てよ。

そもそも、この私が探知できないんだ。よほど巧妙に編まれた魔力ならば、所有者の耐性は関係ない。

となると、最初に持ち去った鳥が、そのまま森を出てしまった可能性も……?)」




それに、スマグナーはユタにとって大切なもの。

自らの命にも、亡き家族の忘れ形見にも等しい宝物だ。


探索に時間をかけ過ぎたせいで、よごされたり壊されたり、二度と取り戻せない異国などに渡ってしまったら大変だ。




「やれやれ。

思ったより長丁場になるぞ、これは。」




そこでアドアストラは、体面よりも効率を優先した。

ユルカの森に棲まう獣たちに、協力を仰ぐことにしたのだった。




「───忙しいところを済まないね。

折り入って相談したいことがあるんだが、聴いてくれるかい?」


「───実は、探し物をしているんだ。

外身は人間、中身は精霊由来という、世に二つとない代物でね。」


「───君自身に心当たりがなければ、風の便りでも構わないよ。

とにかく今は、情報が欲しいんだ。何かあれば、ぜひ教えてくれ。」




熊、鹿、鳥。

熊といえば、アドアストラと共にユルカの森を守っている統治者。

鹿といえば、持ち前の賢さと穏やかさで森の賢者と呼ばれる知恵者。

鳥といえば、スマグナーを持ち去った元凶に最も近いとされる当事者。


なにか情報を持っていそうな順に、アドアストラは話を聞いて回った。

しかし、いずれも風聞を耳にした程度で、実際に触れたり関わったりした者はいなかった。




「(もうじき日が落ちる。

今日のところは出直すべきか?いやしかし……)」




もしかして、既に異国に渡ってしまったか。

発見はもはや絶望的かと思われた時、アドアストラの前に一匹の狐が現れた。


"きみ"こと、狐族のボスである。




「欠け尾の兄さんじゃないか。

しばらく見ないと思ったら───」


「ウルルル、クルル。」


「ああ、そうだよ。

あいにくと、釣果はゼロだけれどね。」


「グゥ、グゥグゥ。」


「本当かい?」


「フスフス、クゥーン。」


「……別に、場所さえ教えてくれれば、自分で取りにいくよ?」


「ウウーン。」


「そういうことなら……。よろしく頼むよ。」




"貴女の探し物に心当たりがある"。

そう言って欠け尾の狐は、心当たりまでの道案内をアドアストラに申し出た。


アドアストラはやや引っ掛かりながらも、欠け尾の狐が委細を話そうとしないので、彼からの申し出をひとまず受けることにした。




「なるほど。」




ニアの池を超え、ローガン邸をも超えた北東に、心当たりの場所はあった。


辿り着いたその場所で、欠け尾の狐が委細を話さなかった理由を、アドアストラは察した。




「黙ってついて来いってのは、こういうことだったんだな。」


「……キューン。」


「いいよ。背に腹は代えられない。

お前が間に入ってくれるだけ、マシというものさ。」


「クルクル。」


「大丈夫。喧嘩はしない。

……少なくとも、ここではね。」




ユルカの森の最北東に位置する、大きな洞窟。


ここは狼族の根城であり、アドアストラでさえ滅多に近寄らないエリアだった。

というのも、アドアストラの一族と狼族は、長らく停戦および冷戦中の関係にあるからだ。


狼族はローガン邸の敷地内に、アドアストラは狼族の縄張りに、それぞれ立ち入ってはならない。

協定を結んだわけでなくとも、暗黙の了解による不可侵の関係を、両者は10年近く続けている。


ブレイクが落命したあの日から、ずっと。




「キャンキャン、キャンキャン。」




洞窟の出入り口に向かって、欠け尾の狐がひと吠えする。

すると洞窟の中から、一匹の狼が出てきた。


灰褐色の被毛に金色の瞳を持ち、左目に深い引っかき傷の跡を残した、同族の中でもとりわけ(・・・・)大きなオスの個体。


通称、"きみ"。

欠け尾の狐と同様に、こちらも一族のボス的な存在である。




「それは─────」




伏し目の狼の口には、一枚の黒い布が咥えられていた。


欠け尾の狐が、話をつけておいてくれたらしい。

アドアストラが事情を説明するまでもなく、伏し目の狼みずから心当たり(・・・・)の品を持ってきたのだ。

挨拶も雑談も、口喧嘩をもすっ飛ばして。




「グルルル。」


「くれるのか、私に?」


「グゥー、ルルルル。」


「……拝見する。」




洞窟の中と外、様々な位置の様々な角度から、他の狼たちの熱視線がアドアストラに注がれる。


アドアストラは己の一挙一動に気をつけながら、伏し目の狼に差しだされた黒い布を受けとった。


黒い布の正体は、中央に髑髏とつるぎえがかれた、明らかな海賊旗だった。

恐らくは、ユタが陸路を来る道中、服代わりに身に付けていたというものだろう。

適度な大きさと厚みがあるので、狼たちの巣穴に材料として用いられていたようだ。




「時期的にそうかもしれないとは思ったが……。

珍しいな。君たちが、人間の道具を巣作りに使うなんて。」


「フガッ、フスフス。」


「確かに、これはこれで探していたものだ。

だが、私の本命、と思われるものは、もっとずっと小さくて、独特の気配がするはずで───」


「ブルルッ。」


「あ。」




協力には感謝するが、己が真に求めていたものとは違う。

アドアストラの言い分を最後まで聞かずに、伏し目の狼は洞窟の中へと引き返していった。


間もなく戻ってきた伏し目の狼は、海賊旗よりも遥かに小さな、布状ではある何か(・・)を新たに咥えていた。




「これは─────」




伏し目の狼に差しだされ、アドアストラが再び受けとる。


布状の何か(・・)の正体は、頭巾だった。

海賊旗と同じく巣穴の材料にされていたようで、一見には煤けているものの、ただの頭巾でないことは一目瞭然だった。




「意匠は人間界の流行りだが……。

驚くほど、人間の匂いはしないな。」




白地にフリルのあしらわれた、ボンネット状の頭巾。


生地の手触りは、水面みなもを掌で撫ぜたかのように滑らか。

フリルの曲線は、浜辺に寄りそう漣かのように細やか。

市場に出せば、高値で取り引きされる逸品に違いない。


しかしながら、"ただの頭巾でない"ことの所以は、優れた素材にも意匠にも非ず。




「なるほど。ネーレーイスとナーイアス。

どうりで、海の人魚が湖に馴染めるわけだ。」




強い魔力。

白い頭巾には、海水の精霊と淡水の精霊、二柱の魔力が編み込まれていた。

狼が巣穴に持ち帰り、すっかり煤けてしまった今なお、本来の輝きを損なわないほどに。




海賊旗こっちは返すよ。

君の仲間が拾ってきたんなら、そいつの獲物だ。」


「キュルル、グルル。」


「やっぱり、渡り鳥の仕業だったか。

いよいよ当てられる(・・・・・)前に、自分から手放したのは英断かな。」


「ウ。」


「いや、なんでもない。」




伏し目の狼いわく、海賊旗は仲間の狼が拾ってきたもの、白い頭巾は渡り鳥が預けてきたものだという。


すなわち、その渡り鳥こそが、ユタからスマグナーを奪った元凶。

興味本位で持ち去ったはいいが、強い魔力に当てられて扱いに困り、耐性のある狼族に引き取ってもらったわけだ。




「何はともあれ、目的は果たした。

みなのおかげで、無駄に駆けずり回らずに済んだよ。恩に着る。」




帽子とも言い換えられる形状、精霊によって編み込まれた魔力、"小川にいた人間から奪った"との供述証拠。


十中八九、この白い頭巾こそがスマグナーだ。

探し物がやっと見つかったとアドアストラは喜び、伏し目の狼と欠け尾の狐に改めて礼を述べた。




「ただその、なんだ。

君たちは私を嫌っていて、得もないのに。

……どうして、手を貸してくれたんだ?」




とはいえ。

アドアストラの一族を嫌っているはずの狼族がなぜ、今回ばかりは協力してくれたのか。


不作法を承知で、アドアストラは最後に尋ねた。

伏し目の狼は気まずそうに体を震わせたあと、"とある存在"の名前を引き合いに出した。




「はは。

腐れ縁ってのは、どこまでいっても腐れ縁だな。」




懐かしい響き。

先日にも思い起こした悪友の顔を、先日よりもハッキリと、アドアストラは思い浮かべた。




**


宵の口。

スマグナーを無事に取り戻したアドアストラは、ニアの池へと急いだ。


もう日が暮れてしまったので、夕食を一緒に持っていくべきかもしれない。

煤けたままでは申し訳ないので、スマグナーを洗濯しておくべきかもしれない。


先にやった方がいいだろうことは、いくつか選択肢に上がっていた。

それでも、アドアストラの足は止まらなかった。


とにかく、はやく、ユタの喜ぶ顔が見たかった。

木々の間を縫って走るのも惜しくて、翼が生えたように夜空を跳び回って、ユタの待つニアの池まで、アドアストラは急いだ。




「(今のは───?)」




ニアの池まで、もう目と鼻の先。

というところまで来て、アドアストラはようやく立ち止まった。


歌が聞こえる。

おのが心音と、おのれで風を切る音に遮られていたが、ニアの池から歌声が聞こえてくる。


問うまでもない。

これは、ユタの声だ。


ニアの池まで残り数メートルの距離を、アドアストラは恐る恐ると歩み寄っていった。




「珍しい顔ぶれだな」




今朝ぶりに戻ったニアの池には、珍しい獣たちが集まっていた。


先刻にアドアストラが協力を仰いだ鳥に鹿、本来は警戒心が強いはずのリスにネズミ。

更には、ユルカの森の統治者である熊こと、"みねきみ"まで。


ニアの池の湖畔に沿うように集まった獣たちは、じっとその場に佇んで、ユタの歌声に聞き惚れていた。




「─────。」




そんな中に、ユタはいた。

獣たちに見守られる中心で、仰向けに湖を揺蕩いながら、彼女は歌っていた。


言葉は聞き取れない。

人魚固有の言語なのか、獣と意思疎通を図れるアドアストラにすら、歌詞の意味は分からなかった。


ただ、ユタがどんな思いで歌っているかは、彼女の歌声から自然と伝わってきた。



"───会いたかった、ずっと。

これからもずっと、きっと死ぬまで、ね───。"



かくも美しいのに、かくも切ない。

もっと聞きたいのに、ずっとは聞いていられない。


門出に惜別、羨望と憧憬、試練か祝福。

愛する者へ贈る悲歌のようでもあり、愛そのものを偲ぶ讃歌のようでもあり。


この歌に名前をつけるとするならば、まさしく。




「(鎮魂歌、か。)」




アドアストラはそれ以上、ユタに近付くことも、ユタに声を掛けることもなく。

ユタが歌い終わるまで、待っていることしか出来なかった。




「───そんなところで見ていないで、此方こっちにいらしたらどう?」




ひとしきり歌ったユタが、アドアストラのいる方向にむかって話しかける。

ユタの視界からはアドアストラは視えていないが、アドアストラの気配は最初から感じていたのだ。




「別に、区切りがつくのを待っていただけさ。

観劇中は動かないのが作法らしいからな。」




アドアストラが草木を掻き分け、ニアの池の湖畔に出る。

ユタの歌声に聞き惚れていた獣たちは、アドアストラが急に現れたものと驚き、ニアの池から散り散りに去っていった。




「グウゥー。」


「やあ、今朝は世話になったね。」


「スンスン。」


「おかげさまで。

遠からず、改めて礼をさせてもらうよ。ありがとう。」




唯一驚かずに留まった峰の熊が、進捗はどうかとアドアストラに尋ねる。

アドアストラは後ろ手にスマグナーを隠しながら、もう一方の手で峰の熊の顎を撫でてやった。




「本当にお話できるのね。

ワタシには、彼らが何を思っているかもさっぱりなのに。」




峰の熊も去り、他に誰もいなくなった。

二匹きりになったのを確認して、ユタはアドアストラに近付いていった。




お話(・・)ってほど正確じゃないけどな。

あくまで意思疎通を図れるって程度さ。」


「頑張ればワタシにもできるかしら?」


「……魚と話せるなら、イケるんじゃないか?」


「んー……。

海洋生物と陸上生物とじゃ、言語体系が違いすぎるから……。

一朝一夕には難しそうね。」


「逆も然りだな。」




湖畔に身を乗り出したユタが、アドアストラの顔を意味深に見つめる。




「なんだよ?」


「それ。」


「それ?」


「なにか隠しているんでしょう?なーに?」




アドアストラが後ろ手に隠したスマグナーを、ユタは指差した。


ここはまず会話の流れを作って、自分から切り出そうと思っていたのに。

計画を崩されたアドアストラは、観念した様子で種明かし(・・・・)をしてやった。




「あ……!」


「お前の持ち物、で、間違いないか?」


「間違いないわ!どこで見付けたの!?」


「森の中だよ。

色々あって、ご覧の有様だが……。どこか壊れたりはしていないか?」


「大丈夫そう。

ちょっと弱ってはいるけれど、しばらく水に浸けておけば、本来の魔力を取り戻すでしょう。」


「それを聞いて安心した。」




アドアストラが地面に片膝をつき、ユタにスマグナーを手渡す。

ユタはスマグナーを掲げ、星の光に晒してから、大事そうに胸に抱きしめた。




「ありがとう、ありがとう。

アナタには本当に、助けてもらってばかり。

アナタはワタシを驚かせる天才ね。」




驚く顔、笑う顔、しみじみと感慨に耽る顔。

ユタの喜ぶ顔をたくさん見られて、アドアストラは今日一日の苦労が吹き飛ぶ心地だった。




「驚かされたのは、こちらも同じだがな。」


「え?」


「まさか、海以外でも歌えるとは思わなかった。」


「ああ……。

そういえば、初めてだったわね。ニアの池(ここ)では。

確かに、歌う場所は選ばないけれど、歌い方にはコツがいるのよ。」




とんとん、とユタは自らの喉を小指の腹で叩いてみせた。

アドアストラは一方の手を地面に、もう一方の手を片膝に置き、ゆっくり話すための姿勢をとった。




「普段はエラ呼吸、なんだよな?」


「水に潜っている時は、そうね。」


「こうして話をする時は、肺呼吸なんだよな?」


「アナタに対しては、そうね。」


「じゃあ……。

エラ呼吸と肺呼吸、場面で使い分けができるなら、川で溺れていたのはなんだったんだ?」


「アナタがワタシを見付けた時ね?」


「そうだ。」




歌を歌える人魚には、肺呼吸のみが可能なタイプと、肺呼吸とエラ呼吸の両方が可能なタイプがいる。


シルルーの場合は後者だった。

"肺呼吸よりエラ呼吸の方がしやすい"、

"肺呼吸をするには魚の下半身を水に浸けた状態でなくてはならない"など、

いくつかの前提や条件はあれど不可能じゃなかった。


では、アドアストラが邂逅した当初、ユタが小川で溺れていたのは何故か。

今までは聴きそびれていただけで、初歩的な疑問はアドアストラの中で燻り続けていたのである。




「前にも話したと思うけど……。

あの時はその、スマグナーを盗られた直後で、生半なまなかに変身が解けた状態だったから……。」


「パニックになって、呼吸の仕方を忘れた?」


「平たく言うと、そう。

水中でも地上でも息をできる反面、ふとした拍子に制御不能に陥ったりする。

便利なようで不便よね。」




名残惜しそうにひと撫でしてから、ユタはスマグナーを手放した。

スマグナーは星の光を纏いながら、湖の底へと沈んでいった。




「あの時のワタシは、喉が渇いて、焦っていて……。水場があって、安心して……。

油断大敵と、弁えていたはずなのに、つい、欲に駆られてしまった。」


「……間一髪、だったんだな。」


「ええ、本当に。

シルルーの死因の中でも、割かし多いことなのよ?」


「ふーん……。

つまり、そこさえ意識すれば、水中でも歌を歌えると?」




おもむろに左腕を上げたユタが、左半身の側面をアドアストラに示す。

そこに連なっていたのは鱗ではなく、切れ込みのように生々しいエラだった。




「ほら。

耳の後ろと、首筋と、脇の下、ここまで。」


「………。」


「これだけのエラを備えているからこそ、ワタシ達はより深くまで潜水できるし、水中でも綺麗に歌えるのよ。

すごいでしょう?」


「……わかった。わかったから。

嫁入り前の娘が、臆面もなく肌を曝すんじゃない。」




あっけらかんとしたユタに反して、アドアストラはばつが悪そうに顔を背けた。

ただの呼吸器官と理解していても、うら若い乙女の秘部・・を前には、さすがのアドアストラも直視はできなかった。




「意外。アナタでもそんな顔をするのね。」


「………。」


「ふふ。

その赤くなったとんがり耳を、立てていてくださいな。

特等席で、ワタシの歌を聞かせてあげる。」


「……さっきも聞いたが。」


「さっきのとは別。

今度のは、アナタへの、アナタのためだけに贈る、感謝の歌。

お嫌でなければ、ごゆるりと。」


「………好きにしろ。」




初々しいアドアストラの反応に満足したユタは、そのままの姿勢で再び歌いだした。

アドアストラはユタに言われた通り、目は合わせないながらも、ユタの歌を間近で拝聴することにした。






"───アドアストラ。星いだく乙女よ。"




感謝の歌。

"ありがとう"を込めた歌。


歌詞の意味は、やはり分からない。

ただ、先程よりも明るく優しい歌声で、前向きな気持ちが込められていることは窺えた。




"貴女と会えて、良かった。

貴女にも、会えて良かったと思える誰かが、いつか───。"




なのに、なぜだろう。

明るく優しい声なのに、先程の歌よりずっと、切なく聞こえてしまうのは。

嘆きや悲しみを歌われるよりずっと、胸が詰まってしまうのは。




「(ああ、そうだった。

あの時、あいつは─────)」




気付けばアドアストラは、涙を流していた。


背中越しに響く、隣り合わせの歌声に。

もういいと拒むことも、目を閉じることも耳を塞ぐことも、身動ぎひとつも叶わずに。

いっそ己が泣いていることにさえ気付かずに、アドアストラは人知れず(・・・・)涙を流し続けた。




「───赤髪さん、」




最後まで歌い終わってから、ユタはアドアストラの顔を覗きこんだ。




「ワタシは、アナタのことをよく知らないわ。」


「………。」


「アナタがどこで生まれて、どうやって生きてきたのか。

アナタの本当の名前すら、ワタシは知らないわ。」


「………。」


「でも、知っていることもある。

冷たそうに見えて、実は温かくて。厳しいところもあるけれど、根は優しくて。

塩漬けの豚が好きで、どんな服も似合っていて、───ワタシとお喋りをしてくれるのは、決まって夜で。」


「………。」




"アナタのことをよく知らない"。

へりくだる割に、ユタはアドアストラの芯を捉えていた。


アドアストラが何者かは知らなくても、アドアストラが誰かのために生きて死ねる性分であることを。

そしてその誰かとは、涙の理由であることを。

ユタには、最初から分かっていた。


ただ、その誰かについて尋ねていいものか。

その誰かと自分を重ねないでほしい、ワタシをワタシとして見てほしいと。

アドアストラの心を欲しがる自分の心が、ユタにはどうしても分からなかった。




「言いたくないことは無理に尋ねるべきじゃないって、今までは思ってた。

駆け引きが重要なんだって、それが地上での作法だって。」


「今は?」


「今は違う。

もっとちゃんと、アナタを知りたいって、今は思う。

アナタを知りたいワタシの、この気持ちがなんなのか、知りたいと、思う。」


「なぜ?」


「だって、そんな顔で泣くから。

こんなに優しい顔で、こんなに、子供みたいに泣くひとを、初めて見た。」




ユタがアドアストラの涙を拭う。

アドアストラがユタに振り向き、双方の視線が交わる。




「だから、どうか教えて。アナタの涙の理由わけを。

アナタの、変わり者で、大切な、お友達の話を。」




この時にユタが覚えた感情は、彼女の瞳に出会った時のアドアストラと、全く同じものだった。



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