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蒼い糸 3


黒石と再会してから、一年と数ヶ月後の春。

父の残していった借金が、完済した。


どうしてこれほど急に、と驚く母には、隠れて水商売をしていたと嘘をついた。

さすがに身売りで稼いでいたとは、事後報告であっても打ち明けられなかった。




「───なんとなく、そんなような気はしてたけど……。」


「………。」


「あんなに、言ったじゃない。

相談してねって、無茶はしないでねって。」


「ごめん。」


「もし何か、トラブルに巻き込まれていたら……。」


「……ごめん。」


「晴子。」


「はい。」


「こっちおいで。」


「……はい。」


「相談、できなくて、辛かったでしょう。

無茶させて、ごめんね。こんな親で、ごめんね。」


「………。」


「よく頑張ったね。ひとりで、よく頑張った。頑張った。」


「……うん。」


「でも、もうやめてね。

好きなことは、好きにしていいから。好きじゃないことは、ちゃんと言ってから、決めてね。」


「わかった。」


「他に、嘘はついてないのよね?」


「……うん。」


「よかった。

せめて水商売で、よかったわ。

実は風俗で働いてました、なんて言われたら、卒倒しちゃうところだった。」


「………うん。そうだね。」




辛い毎日だった。

死にたくなるようなことが、たくさんあった。


ただ、辛いばかりの毎日でもなかった。

死にたくなっても踏ん張れるだけの、嬉しいことや楽しいこともあった。


だって、この仕事を始めたおかげで、黒石と再会できた。

不幸のドン底から、母を解放してやれた。


すべてが良かったとは、やっぱり言えないけれど。

終わり良ければすべて良しなら、気まぐれに呟いてやってもいいかなと、思えた。




「───悲しいかな、手放しには喜んでやれない立場でして……。」


「でしょうね。

無理に引き止められないだけ、ありがたいと思うことにします。」


「引き止めたかった、けどね、ほんとは。

ここが普通の、飲食店とかだったら、普通に引き止めるし、普通に喜んだんだけどね、ほんとね。」


「オッサン、鼻水でてんぜ。」


「オッサンはやめなさいよ。ありがと。」


「……ワタシって、運が良いんだか悪いんだか、よく分かんない人生みたいです。」


「ええ?なーに急に。」


「借金できて、風俗堕ちして、ってとこまでは、ガッツリ不幸だったはずなんですけど。

いざ働いてみたら、よっちゃんもいっちゃんも優しいし、客も意外と、まともな人多かったし。」


「そりゃあ、格安を売りにしてるトコなんかと比べれば、ね。」


「それもこれも、二人がいろいろ根回しとか、守ってくれたおかげだと、思ってる。

ありがとう。」


「ええ……?初めて言われたよそんなん……。」


「卒業式……?」


「元気で、いてね。長生きしてよね。」


「おう。100まで生きるぜ。」


「また路頭に迷うことがあったら───」


「オッサン。」


「嘘だよ。

二度と来んなよ、嬢ちゃん。」


「……ふふ。

二度と来ねーよ、ばーか。」




後日。

身辺整理が済んでから、私は黒石に連絡をとった。


完済のことを報告したらきっと、開口一番におめでとうと言ってくれるだろう。

お祝いに何か美味しいものを食べたり、旅行にでも行こうと誘ってくれるだろう。

そうしたら私は、今度こそエスコートする側になって、恩返しの第一歩を黒石と共に踏み出そう。


なんて、期待していたのに。



『───もしもし。』


「あ……。ワタシ、だけど。」


『うん。久しぶり。どうしたの?』


「ちょっと、話したいこと、あったんだけど……。

大丈夫?具合わるい?」


『そんなことないよ。大丈夫。話したいことって?』


「えっと、実は、借金のことなんだけど───」



長い発信音のあと、ようやく電話に出た黒石は、明らかに暗い声をしていた。

おめでとうは言ってくれても、お祝いをしようとは誘ってくれなかった。


少し前までなら、連絡イコール次の予定を相談していたのに。

こちらのスケジュールを確認もしなかったということは、黒石の方が都合がつかないのだろうか。


内心がっかりしつつ、忙しいのであれば日を改めてと、この時は報告だけで電話を切った。



「("また今度"……、って。

前もそう言って、結局ワタシから連絡してばっかなんだよな。)」



けれど、その次も、その次の次も。

電話をかけてもメッセージを送っても、前向きな返事が返ってくることはなかった。

次第に、応答さえしてもらえない日が続くようになっていった。



「(このまま待ってるだけじゃ、駄目な気がする。

てか、受け身でいるのが、そもそもらしくない(・・・・・)んだよ、ワタシは。)」



もしかして、避けられているのだろうか。

嫌われるようなことを、私はやらかしてしまったのか。


仮にそうだとして、正直に言い合える仲にはなったはずだ。

黒石の性格を考えても、当てこすりで避けられている可能性は極低い。


やむを得ない事情。

嫌じゃないのに避ける理由って、一体なんだ。

我慢できなくなった私は、これから行くとメッセージで伝えた上で、初めて自分の意思で、黒石の自宅を訪ねてみることにした。


そこで私は、衝撃的な場面に遭遇した。






「(なんだ、あれ。)」




黒石のアパートに着いた直後。

私の視界に飛び込んできたのは、二人の女性が言い争う姿だった。


片や黒石、片や見知らぬ年配女性。

私が現場に到着した頃には、既に口論の真っ最中だった。



「───埒が明かないわ。

お前の気持ちがどうあれ、こっちはこっちで進めさせてもらいますからね!」



やがて、吐き捨てるように怒鳴った年配女性が、立腹した様子で現場を立ち去った後。

玄関先に残された黒石が、へなへなと膝から崩れ落ちていったのが見えた。


思わず駆け寄った私は、大きな声で黒石の名前を呼んだ。

はっと顔を上げた黒石は、掠れた声で私の名前を呼び返した。

寒さで赤く染まった彼女の頬には、いつかとは違う透明な涙が伝っていた。



「大丈夫?怪我してない?

何があったの?さっきのひと誰?なんの話してたの?」



動揺のあまり、私は矢継ぎ早に質問を投げかけた。

黒石は首を振ると、ぐっと拳を握り締めて答えた。



「……母親。

あのひと、わたしの母親なの。」



母親。

一番に候補に上がって然るべき、けれども先程の様子からは結び付かなかった存在。


私は瞬時に、こう悟った。

黒石の母親の存在は、きっと私たち(・・・)の将来にも、影を落とすに違いないと。




**


久々に部屋へ上げてくれた黒石は、"やむを得ない事情"の真相について話してくれた。


先程、実の母親だという女性と、なにを言い争っていたのか。

加えて、私のことを避けていた理由が、どこに起因するものだったのかを。




「───まず先に、謝らせてほしい。

何度も連絡くれたのに、あしらうようなことしてごめん。

でも、尾田さんを嫌いになったとか、そんなんじゃなくて───」


「わかってる。なにか事情があったんでしょ?

謝んなくていいから、どうしてそんなことになったのか、できる範囲でいいから、話して。」


「……わかった。」




まず、母親と言い争っていた件について。


実は黒石は、数ヶ月前から縁談を持ち掛けられていたらしい。

ここのところは特に、機会を設けられる頻度が高かったとのこと。


しかし、黒石自身に結婚願望はなく。

形だけのデートをした相手はいても、交際や婚約に至った人は誰もいなかったそうだ。


結果、堪忍袋の緒を切らした母親が、ああして直談判にやって来た。


当初は説得をするつもりだったとして、難航の末に口論になってしまったのかもしれない。

あの激しい剣幕は、冷静な話し合い(・・・・)をしているようには、私には見えなかったから。




「うちの親は、とにかく世間体命って感じの人たちで。

学生時代の寄り道くらいは許すけど、年頃になったら決まった相手と籍を入れてもらうって、随分前から聞かされてたの。」


「わたし自身、それでもいいやって、少し前までは思ってた。

あの人たちの決定を覆すことは、まず出来ないし。いつもこっちが諦めることで、なあなあで進んできた人生だったから。」


「でも、最近になって。

知らない男性ひとの妻になるのは、やっぱり怖いっていうか、いろいろ不満が出てきて。

この人はこの人はって、次から次に男の人の写真持ってこられるのが、うんざりするようになってきてさ。」


「しまいには、わたしは誰とも結婚しないって、啖呵まで切っちゃったのよ。」




まだ二十歳そこそこの女性が、親のすすめで縁談なんて。

普通の人が聞けば、きっと首を傾げる話じゃないかと思う。


あいにくと、黒石の家庭は普通・・じゃない。

一般人には縁のない文化やしきたりであっても、黒石の家庭ではそれなりに当て嵌まってしまう。


何故なら、父親が元地方議員で、母親が現教職員。

おまけに黒石の勤め先は、父親の采配によって決められたもの。

エリートの血筋であるのは勿論のこと、黒石個人の立場など張りぼてに等しいのだ。


故に。

自分たちの顔を立てるためにも、いいとこのボンボンに娘を嫁がせたい両親と。

せめて伴侶くらいは自分で選びたい黒石とで反発が起こり、壮絶な親子喧嘩に発展しまったというわけだ。




「それで、怒ったお母さんが殴り込みにきたと?」


「他にもいくつか理由はあるけど、大体はそう。

で、どうしても嫌だって言うなら、ふさわしい相手を自分で連れて来なさいって。」


「お母さんたちも納得できる彼氏がいるなら、そっちと結婚してもいいよってこと?」


「そんな相手いるわけないって、分かった上で言ってるんだよ。

いたとしても、難癖つけて認めないに決まってるし。」


「………。」


「やー、まさかこのタイミングで、死刑宣告食らっちゃうとはね。

せっかく、尾田さんの人生が、これから始まるって時に……。

わたしの方で躓いて、何やってんだか。」




私は、黒石がどういう環境で生まれ育ったのか、よく知らない。

黒石のお父さんお母さんがどういう人なのかも、世間が評価する分の認識しかない。


ただ、黒石の顔つきと口ぶりが、話の内容以上に物語っている。

少なくとも、愛し愛された親子関係ではないことは、私にも分かる。




「さっきのやり取りについては、とりあえず分かった。や、本当はよく分かんないんだけど。

もひとつ、肝心の……。黒石がワタシのこと、避けてた件だけど───」


「………。」


「黒石?」


「ごめん。尾田さんは、なにも悪くないの。本当だよ。

ただその……。今の話聞けば、なんとなく、分かると思うけど……。

うちの親、偏見とか差別とか、平気でする人だから。自分たちが信じるもの以外は間違いだって、本気で思ってるとこあるから、だから───」


「ワタシのこと、なにか言われた?」


「……うん。」




次に、黒石が私を避けていた件について。

こちらもまた、黒石の両親が端を発したものだった。




『───お前、知ってるか?』


『なに?』


『噂。黒石さんの。』


『噂?

……ああ、親父さんのコネで、うちに入ったとかいうやつ?』


『それもなんだけどさ。

最近になってまた、ヤバそうなのが上がってきてんだよ。』


『なに?』


『俺じゃなくて、税務の仁科が見たって話なんだけど。

こないだの連休に黒石さんが、遊園地遊び来てたらしくて。そん時に連れてた相手が、意外や意外!』


『だれ、彼氏?』


『違う違う。

友達かは知んねーけど、めちゃめちゃガラの悪そうなギャル!つかヤンキー?

とにかく、黒石さんには全然似合わないタイプの女だったらしいんだよ。』


『へー。

てか、遊ぶ相手いたんだ。』


『で、あの手のヤカラ連れてるってことは、実は黒石さんも遊んで(・・・)んじゃねーかって、お局たちが騒ぎ始めて。』


『うーわ、お気の毒。

行き遅れのババアは露骨に若い子の足引っ張りたがるからなー。』


『な。

俺の見立てでは、昔のいじめっ子に今でもパシリにされてるって線が濃厚だと思うんだけど───。』




"品行方正で大人しい、あの黒石さんが、ガラの悪そうなギャルとつるんでいるらしい"。


黒石の勤め先である市役所にて、俄に出回り始めたという噂。

どこからか私の情報が漏れ、水面下で拡散されてしまったようだった。


それは更なる噂を呼び、黒石を孤立無援に追いやった。



"ウブそうな顔をして、裏では男を手玉に取っているらしい"。


"過去に積み重ねた補導歴を、父親の権力を使って揉み消したらしい"。


"表沙汰にしていない精神疾患を抱えているせいで、友達らしい友達が殆どいないらしい"。


私の存在は事実にせよ、そこから派生した悪評は事実無根。

誰かが意図して脚色し、黒石を貶めようとしているのは明らかだった。




「(似ている。

中学の時の、ワタシの状況と。)」




先程の話にあったように、黒石は父親のコネで就職した。

父親の名前が轟くうちは、どうしても七光りのイメージが付き纏う。

たとえ黒石の本意じゃなくても、黒石が清廉で優秀な努力家であってもだ。


中には、そんな黒石をひがむ輩もいるだろう。

そいつらこそが、事実に絡めた悪評を広め、黒石を貶めようとしている犯人。

降って湧いた私の情報は、打ってつけのスクープだったに違いない。




「わたしは別に、周りの人にどう噂されようが構わなかった。

元から仲いい人いなかったし、尾田さんの魅力は、わたしだけが知ってればいいって思ってたし。」


「どうも。」


「でも、わたしは良くても、両親には面白くなかったみたいでね?

……あんなの、ぜんぶ作り話なのに。勝手に鵜呑みにして、勝手に怒って。

なんでそんな子と付き合ってるのって、しょっちゅう、咎められるようになった。」


「……だから、遠ざけようとしてたんだね。」


「ごめん。

ちゃんと訳を話してからのがいいって、頭では分かってたんだけど。

こんなの、どう説明すればいいか、分かんなくてさ。

どう言ったところで、尾田さんを傷付けることになりそうだったし。

だからせめて、両親とのいざこざに決着つけてからって、思って……。

今日までずるずる、黙ってた。」


「そっか。」


「ごめん、ぜんぶ、ヘタクソで。

どうせこうなるなら、やっぱり、最初に話しとけば良かったね。

……ほんとに、わたしって、さいあく。」




黒石なりに、私を守ろうとしてくれたんだろう。

心ない人たちの悪意に晒されて、私が傷付くことのないように。


ちょっと前まで、虫も殺せない女の子だったはずなのに。

今では自ら矢面に立ち、私に火の粉が及ばないよう戦ってくれている。


黒石の成長ぶりには、驚かされてばかりだ。

私のためを慮ってくれたのも、純粋に嬉しい。



「(最悪なのは、ワタシだろ。)」



けれど。

分かりきっていたこととはいえ、世間の目から見れば、私と黒石は釣り合わない二人なんだと。

最初に友達と数えてもらえない関係が、不釣り合いな組み合わせに後ろ指をさす世の中が、寂しかった。




「話は、わかった。

教えてくれてありがとう。」


「ううん。こっちこそ、聴いてくれてありがとう。

気分の悪い話ばっかりで、ごめんね。」


「いいよ。黒石が悪いわけじゃないし。

ただ、ワタシのことは置いとくとして……。お見合いの件は、どうするつもりなの?

誰か連れてかないと相手、強制的に決められちゃうんでしょ?」


「うん……。

なんとか、してみるよ。」


「彼氏はいないにしても、男友達とかは?

急場しのぎでも、口裏合わせてくれそうな人いないの?」


「それは、難しい、かな。

男友達どころか、同性でも友達って呼べる人、ほぼいないし。

ましてやこんな、面倒くさいことに付き合ってくれる相手なんて……。」


「………。」


「大丈夫だよ。

難しくても、根気強く、向き合っていけば、なんとか。回避してみせるから。

尾田さんとはまた、しばらく会えなくなっちゃうけど……。」


「事情が分かってれば、ワタシも大丈夫だよ。待つ。」


「うん。だから、それまで。我慢して、頑張るね。」




中学の時の黒石も、こんな気持ちだったのかな。

青白い顔で無理やりに笑う笑顔を見て、私は泣きそうになった。




***


黒石と距離を置いてから、一ヶ月が経った。

準備を整えた私は、ある行動(・・・・)を起こした。


時刻はもうじき、正午を迎える頃。

向かう先は、街中にある市役所。


言わずもがな、ここは黒石の勤め先だ。

当の黒石にとっては、四面楚歌を具現化した場所でもある。




「───すいません。

福祉課の黒石さんに用があって来たんですけど。」



待合所をうろついていた職員の一人に声をかける。

誰だコイツとばかりに凝視されても、こちらはあくまでスマートに、お行儀よく。


間もなく昼休憩の時間に入ると、先程の職員から呼び出されたらしい黒石が、私の前に現れた。


黒石は、まるで幽霊か怪物にでも遭遇したかのように、驚いた顔で私を見た。

黒石にしては珍しい類の反応だったので、私は思わず笑ってしまった。




「ど、どう……っ!?なんっ、なんで!?

髪っ……、ていうか、服!あと眉毛!」



驚かれるのも無理はない。

今の私は、黒石の知る私とは、全く異なる姿をとっているのだから。



「急に来てごめん。

どうしても、最初に見せたかったからさ。

ハロワ行く前に、寄っちゃった。」




中途半端にグラデーションができていたプリン頭は、いわゆる烏の濡れ羽のように真っ黒く染め直して。

アイメイクは控えめに、眉毛はしっかりめに描いて、コンタクトは色なしディファイン抜きのやつにして。

服装もヘソ出しミニスカルックから、清楚っぽいコンサバ系に全取っ替えして。


とにかく私は、大々的にイメチェンをした。


やり直す(・・・・)ために。

ここにいる連中に、黒石の友達はただの馬鹿じゃないってことを、教えてやるために。




「ハロワ、って……。

あ、そっか。新しい勤め先、探すって言ってたもんね。

これから行くの?」


「うん。

力仕事でもなんでも、ちょっとでも時給いいとこ探すつもり。」


「そう、なんだ。そっか……。

頑張ってね。前の格好も好きだったけど、今の方が、正統派美人って感じで、いいと思うよ。」




いつもと変わらない口調で、いつもと変わらない笑顔で、親身な言葉をかけてくれる黒石。


でも、今の私には分かる。

周囲から集まる奇異の視線に、内心では萎縮してしまっていること。

地味なパンプスの内側では、細い指先がギュッと丸まっていることを。




「黒石。

ワタシ、変わるから。」


「え?」


「人間は、中身が一番大事なんだから、外身なんか気にしなくていいじゃんって、今までは思ってたけど。

世の中には、黒石みたいな、心で見てくれる人ばっかりじゃない。

どうしたって、見た目からしか入れない人もいるし、中にはそこで完結させちゃう人もいる。

根は真面目でも、ヤンキー丸出しの見た目してる奴は、ソッコー面接で落とされちゃうようにね。

だから───」




耳を澄ますと、聞こえてくる。

雑踏に紛れた雑音が、嫌でも耳に入ってくる。


黒石さんと喋っているのは誰か。友達か、姉か妹か。

いや、あの顔は確か、渦中にいる女ではないか、と。




「見かけで判断する人たちにも、分かってもらえるように。

一回ぜんぶリセットして、周りに染まってみることにしたの。

ワタシのせいで、黒石まで馬鹿みたいに思われんのは、ぜったいヤだもん。」




それでいい。

もっと見ろ、私を。


あいつこそが、噂の悪い友達だと。

黒石さんには不釣り合いな相手だと。

もっと大きな声で、もっと大袈裟に騒ぎ立てろ。


誰になにを言われようと、私たちは誰も傷付けていない。

私たちを構成するものは、なにも恥ずかしいものではない。


何度でも騒ぎ立てるというなら、何度だって証明しに来てやる。

私たちを繋ぐ糸は、お前たちの悪意で断ち切れるほど、ヤワじゃないんだよ。




「どう?

これだったら、前よりは、恥ずかしくない、でしょ?」




私個人は、人より劣っているかもしれない。

ただの馬鹿じゃなくても馬鹿だし、気は短いし度量も小さいし。

通りすがりに後ろ指をさされても文句を言えない痴態を演じて、今日まで生きてかもしれない。


でも、今の私は違う。

こんな私と堂々と歩いてくれる黒石に、もう肩身の狭い思いはさせたくない。




「……もう。またそんなこと言って。

尾田さんのこと恥ずかしいなんて、わたし、一度でも言ったことあった?」




ねえ、黒石。

私、本当に、あんたには感謝してるんだよ。

借金のこともそうだけど、あんたみたいな人間もいるんだって、教えてもらったから。


ずっと、いらない存在なんだって思ってた私に、あんたは意味を与えてくれた。

それがどんなに、尊いものだったか、ありえない奇跡だったか。

語って聞かせても、あんたはきっと、私の方がすごいとしか言わないんだろうね。




「もしかして、前の方が良かった?」


「どっちも素敵だよ。

自分の好きに正直な尾田さんも、わたしのために自分を変えようってしてくれる尾田さんも。

どっちも素敵。どっちも嬉しいよ。」


「じゃあ、さ。」


「うん?」


「今度、ごはんとか、食べ行かない?」


「え?」




黒石、私はね。

神様なんかじゃないんだよ。

いつも自分のことで手一杯で、人に優しくしてる余裕もなくて。

一人じゃ真っすぐ歩けなくて、転ぶ度にこんな人生なんかって不貞腐れて。


あの時助けに入ったのだって、気まぐれだったんだよ。

あんたじゃなくても、気に入らなかったら止めてた。

あんたでも、気が乗らなかったら止めてなかった。


ぜんぶ偶然だったの。

ぜんぜん特別なことじゃなかったんだよ。




「待つとかなんとか言っといて、アレだけど……。

やっぱ、何日も会えないのは、寂しくて、さ。

ごはんじゃなくても、スキマ時間の5分10分だけでも───」


「行こう、ごはん。」


「うわ、急に詰め寄るな。」


「お寿司にする?焼き肉にする?

あ、たまにはウナギとか、フグとかもいいね。」


「そんな豪勢じゃなくていいって。

黒石と一緒なら、ワタシはなんだっていいんだよ。」


「……うん。わたしも。」


「ゆっくりお喋りしたいし、カフェもいいかな。

前によく、色んなとこ巡ったよね。」


「そうだったね。

クリーム系ばっか頼んじゃって、途中ですっごいお腹壊したり。」


「あったね〜。」




だから。

あの日が特別になったのは、あんたのおかげ。


あんたが死ぬ気で、私を探しに来てくれたおかげ。

こんなに目まぐるしい世界で、それでも私に会いたいって、走ってきてくれたおかげ。

取るに足らない私の名前を、何年も覚えていてくれたおかげ。




「ごめん、呼ばれちゃった。」


「こっちこそごめん。忙しいのに。」


「いいよ。

来てくれて嬉しかった。面接、頑張ってね。」


「ありがと。黒石もね。」 


「また───」


「うん。」


「また、連絡するから。」


「……うん。待ってる。」




ねえ、黒石。

私はあんたに、なにをしてあげられるだろう。

あんたの世界の登場人物で居続けるためには、私はどう生きていくべきだろう。




「約束ね。」




気付けば、黒石以外の声は聞こえなくなっていた。




***



「───そんで?

変わったってのは、どこらへんが?」


「全部だよ、ぜ・ん・ぶ!

あのあとすぐ質問攻めにあってさ、捌くのホント大変だったー。」




黒石の潔白が証明された。

私の突撃がよほど効いたのか、今度は噂を流していた奴らが肩身の狭い状況にあるとのこと。




「質問攻めって、たとえば?」


「さっき話してたのは誰だったー、とか。もしかしてあの子が噂の友達ー、とか。いろいろ。

だからこの際、ぜーんぶ白状して、証明してやったわけさ!」


「というと?」


「仁科さんが前に見かけた、不良っぽい友達っていうのは、確かに彼女のことで、でも彼女は、不良なんかじゃないってこと!

真面目で優しくて可愛くて、わたしの一番の友達なんだってこと!」


「……フーン。」


「あ、照れた?照れたね?

やだー、わかりやすいんだからー。ウフフ。」


「うるっさい。こっち見んな。」




意地悪な態度で接してくる人は殆どいなくなり、黒石自身の業務も正当に評価してもらえるようになり。

今ではお昼を一緒に食べてくれる相手まで出来た、と。


何もかも私のおかげのように黒石は言うが、実際は黒石の努力が実を結んだのだ。

このまま黒石には平和な日々を過ごしてほしいし、黒石を貶めようとしていた奴らには反省してほしい。




「そっちは?

例の件、どうなったの?」


「……今はまだ、下っ端のバイト扱いだけど。

一年働いたら正社員にしてくれる、ってとこに決めた。」


「どこどこ!?」


「駅前の、"ISOLDEイゾルデ"ってアパレル。」


「えっ……。ISOLDEって、あのISOLDE!?

わたしもたまに行ってるよ!安くてオシャレな服いっぱい置いてるし!」


「あ、マジ?実はワタシもでさ。

印象いいかなって思って、全身ISOLDEコーデにしてったら、面接の人にセンスいいですねって褒められたんだよね。

だからこんなクソみたいな経歴でも、受け入れてもらえたのかもしんない。」


「すごいすごいよ!おめでとう!!よかったね!!」


「あんがと。」


「でもそっかー。これからは、あそこ行けば尾田さんに会えるのかー。

今度から入り用の時は、ISOLDEオンリーで済ませようかな。」


「あんまし通われると恥ずいからヤメテ……。」




一方、私はというと。

全国的にもちょっと有名なアパレルブランドで、アルバイトとして雇ってもらえることが決まった。

ハイグレードな服からプチプラな小物まで幅広く扱う、客を選ばないオープンな服屋だ。


といっても、私には特別な資格も、昼職での接客経験もない。

正社員になるためには、前述の通り、一年間のアルバイトを義務付けられた。

そこは仕方ないと思うし、期間中にも業績次第で賃金を上げてくれるそうなので、むしろ重畳といえるだろう。



私も黒石も、仕事の面では良い風が吹いている。

逆を言うと、仕事以外の面が、なかなか上手くいってくれない。


目下一番の関門である、黒石の政略結婚問題が、まだ解決していないのだ。




「メッセージで言ってたけど、お見合い。またセッティングされたんでしょ?いつ?」


「二十日後……。」


「キャンセル効くまでは?」


「明々後日まで……。」


「……突破口は?」


「じぇんじぇん見つかんにゃい……。」




玄関先で母親と口論して以来、多少は譲歩してもらえたようだが、さすがに限界というわけらしい。


先日、お見合いの席が再びセッティングされた。

しかも今度のお相手は、今までの誰より高学歴かつ高収入。

お見合いの打診も、向こうから是非にの形で進められたとのこと。


つまり、この縁談に応じたら最後。

やっぱりやめておきますと、後になって断るのは、非常に難しくなってしまう。




「なんならワタシの男友達、派遣しようか?

ご両親のお眼鏡に適いそうなヤツは、さすがにいないけど……。」


「うーん……。

ありがたいけど、やめとく。

うちの親、そういうとこだけ妙に鋭かったりするから。

誰かに合わせてもらっても、すぐバレちゃうと思う。」


「でも、キャンセルの条件は、誰か連れてくことなんでしょ?」


「うーん。うーん。

……こうなったら、そのへんの猫でも捕まえて、わたし人間は愛せないのー、とかって一蹴すれば───」


「絶対失敗するからやめとけそれは。」




目前に迫った大本命。

猶予は残り三日足らず。

突破口は見付からないまま、じりじりと背水の陣へ。


どうしたものか。

代役を立てるにしても、相応しい人材は私にも黒石にも当てがない。

最悪、出張彼氏的なサービスから引っ張ってくるって手もあるけど。

黒石のことをよく知らない他人に任せても、あの怖そうなお母さんに詰められたら、即時アウトな気がする。


どうせ選ぶなら、黒石のことをよく知っていて、黒石と親しい空気感を出すことができて、それきり新しい見合い相手を勧められずに済みそうな、決定的な抑止要素のある人物を。




「……ねえ、黒石。」


「なに?」


「最悪、そのへんの野良猫でもいいんだよね?」


「へ……。あ、うん。

さすがにそれは冗談だけど、そのくらいぶっ飛んだ相手でもわたしは───」


「だったらさ、」




「───ワタシを仮の恋人にすんのって、どう?」



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