おもしれーオンナ 5
予定した通り、"コロちゃんと一緒に帰る"は達成された。
しかし、"コロちゃんと一緒に買い物をする"は達成されなかった。
なんなら、"コロちゃんと二人で思い思いに過ごす"自体が頓挫した。
改めるまでもなく、わたしのせいだ。
「───うう、うええ。」
「あらら、また波きちゃった。」
あの後、わたしはコロちゃんに、男たちは騒ぎを聞き付けた警備員さんに、それぞれ取り押さえられた。
聴取はわたし達と男達とで分けて行われ、わたし達には"塚原さん"というご婦人が付いた。
「ごめんね、ほんとにごめんね、」
「もう何度も聞いたってば。」
いくら男たちの言動がお粗末でも、いきなり掴み掛かっていい理由にはならない。
最悪、警察沙汰になるかもしれないと、わたしは覚悟していた。
ところが塚原さんは、通報しないどころか、怒りも呆れもしなかった。
わたしの言い分に黙って耳を傾け、こんな大事に発展させてすまないと、逆に頭を下げてくれた。
「でも、わたしのせいでまた、今の会社にも居られなくなったりしたら───」
「大丈夫だって。
なんとかするって、塚原さんも約束してくれたでしょ。」
「でも、でも。
コロちゃん我慢してたのに、部外者のわたしがイノシシみたいに突っ込んだりして───」
「私は助かったし、嬉しかったよ。
それに、トロちゃんは部外者じゃないよ。」
男たちは、セクハラ・パワハラの常習犯だった。
彼らの被害に遭ったとされる女性社員は、同じ部署内でも複数名に上るという。
にも拘わらず、今まではあまり問題視されてこなかった。
わたしが掴み掛かったほうの男が役員の息子だとかで、決定的な証拠がない限りは厳罰に処せないと。
いわゆる忖度が発動して、被害者は泣き寝入りを余儀なくされていたらしい。
「でも───」
「"でも"禁止。ね?
むしろトロちゃんのおかげで、やっとお縄にしてやれたんだから。
大手柄。ね?」
「う、」
「スマホ、手帳型のケースで良かったね。」
「うううううう、」
「お願いだから泣きやんで~。」
そして今回。
わたしの起こした騒ぎが、決定的な証拠となった。
おかげで現行犯にしてやれたと、塚原さんは申し訳なさそうに、誇らしそうに笑っていた。
「───収まった?」
「やっとこ……。」
とはいえ、わたしが暴走してしまった事実は変わらない。
こうして自宅に帰ってこられた今も、自己嫌悪で胸がいっぱい。
足元には、使用済み鼻水ティッシュがいっぱい。
「目、だいぶ腫れちゃったね。」
「ん……。」
「今さら遅いかもだけど、冷やした方がいいかもね。」
「む……。」
「座ってて。キッチン借りるね。」
わたしをソファーに残して、コロちゃんがキッチンに立つ。
わたしは鼻水ティッシュをゴミ箱に放り込み、コロちゃんの後ろ姿を眺めた。
「これ、こないだのコロッケの残りじゃない。
さすがにもう捨てなきゃ駄目だよ。」
「すいません……。」
「ペットボトルも、また一口だけ残してる。
どうせ飲まないでしょ、まとめて捨てちゃうよ。」
「すいません……。」
割と平気そう、だな。
わたしがコロちゃんの立場だったら、ショックで物も言えない状況だろうに。
悲劇のヒロインを気取るでも、空元気を出すでもなく。
何事もなかったように、いつも通りに。
強いな。
やっぱり、わたしなんかとは違うんだな。
「───まずは水分補給。と、冷やす用の保冷剤ね。
私のハンカチだけど、洗濯してあるから、我慢してね。」
「ありがとう。」
ソファーに戻ってきたコロちゃんは、水の入ったコップと、ハンカチに包まれた保冷剤をわたしに手渡した。
わたしが水をコップ半分ほどまで飲むと、隣に座ったコロちゃんも自分のコップで水を一口飲んだ。
「お腹すいたね。」
「うん。」
「用意するの面倒になっちゃったし、ピザでも取ろうか。」
「そうだね。」
"こってりが良いかな、さっぱりが良いかな"。
妙に大きな声で、コロちゃんが呟く。
独り言なのか、質問なのか。
たぶん、深くはない両方の意味で。
「今日、みたいなことさ。前からあったんだよね……?」
ぽつり。
ピザに関する返事を保留にして、わたしは普通に小さな声で呟いた。
独り言と、質問と、どっちに取られてもいいように。
「うん。」
コロちゃんは、わたしが質問をしたほうに返事をした。
わたしは、空になったコップをテーブルに置いた。
「それって、今の会社入ってから?」
「え?」
「前いた会社でも、結構そういうの、あったりしたの?」
「……ちゃんと話してなかった、か。」
コロちゃんも、飲みかけのコップをテーブルに置く。
三ヶ月間守られた暗黙の了解が、破られる。
「もう、予想ついてると思うけど。
前の会社辞めた理由も、それなんだよね。」
前にお勤めだった会社で、コロちゃんはある程度まで、自分のセクシャリティを公表していた。
トラブルに巻き込まれたら対処してもらうため、そもそものトラブル発生を防ぐために。
もちろん社員全員ではなく、上層部や人事に携わる人間に限って。
公表する内容も、戸籍等の必要事項に絞ってだ。
それが、結果として悪手だった。
どこからかコロちゃんの個人情報が漏れてしまい、入社半年に満たずして、コロちゃんのセクシャリティは周知となった。
更に良くないことに、公表範囲を限定したのが、平社員の反発を招いた。
"犯罪者でもなしに、有り体を通達すれば良かったではないか"。
"元男性と知っていたなら、もっと距離感を弁えて接したのに"。
コロちゃんは、特別待遇を求めていなかった。
みんなと同じ仕事をして、みんなと同じ給金をもらう。
並の生活基準を維持できれば、それ以上を望まなかった。
それさえもを、周りは許さなかった。
自分たちより楽をしているくせに、自分たちと同等の扱いを受けるのは納得いかないだの。
自分たちは交ぜてもらえない女性専用のコミュニティーに、あいつだけ出入りを許されているのが気に食わないだのと。
事の発端となった上層部も収拾に努めず、燃料を追加。
そういうプライベートな話は本人に聞いてくれと、全ての責任をコロちゃんになすり付けた。
幸い、露骨に虐められることはなかった。
みんな酷いよねと、寄り添ってくれる味方も中にはいた。
所詮は、やっかみに過ぎなかったのかもしれない。
放っておけば、自然と収まる事態だったかもしれない。
だとしても、コロちゃんは傷付いた。
収まるのを待てないくらい、限界を越えていた。
あの忍耐強いコロちゃんが、たった一年で参ってしまうほどだ。
よっぽどだったのが、ありありと目に浮かぶ。
「仕事自体には差し障りないって言っても、居心地も雰囲気も悪いしで、仕事どころじゃなくってさ。
いっそ辞めちゃおうか、転職するならどこがいいかって悩んでた時に、さっきの。
塚原さんがね、声かけてくれて。」
「あ、前から知り合いだったんだ?」
「うん。
塚原さんもちょうど、別の会社に移る時期だったから、良かったら貴女も一緒に来る?って。」
「捨てる神あれば拾う神ありと。」
「言い得て妙だね。」
転機はすぐに訪れた。
先程、わたし達の聴取に付いてくれた塚原未知さん。
彼女は前の会社でもコロちゃんの上司で、入社当時からコロちゃんを支えてくれた恩人だった。
そんな塚原さんが、槍の雨に降られるコロちゃんを見過ごすはずはなく。
もし会社を辞めるつもりなら、私と一緒に出ていかないかと誘ってくれた。
進退をどうしようか、コロちゃんが悩んでいた矢先のことだ。
"昨年から引き抜きを持ち掛けられていて、受けた場合には、そちらで重要なポストが待っている。"
"古巣への恩義ゆえに長らく躊躇っていたが、今回の件で躊躇う理由がなくなった。"
"貴女さえ良ければ、私と来てくれないか。
新天地で、私の右腕になってくれないか。"
最も信頼できる人が、転職先を斡旋してくれる。
まさに"鴨が葱を背負って来た"好条件に、コロちゃんは飛び付いた。
その僅か一ヶ月後。
コロちゃんと塚原さんは、前の会社を揃って退社。
新天地、すなわち今の会社へと移籍した。
過去の教訓を生かして、こちらではコロちゃんのセクシャリティを分け隔てなく公表。
前の会社と比べて働きやすくなった反面、絡んでくる輩も顕著になったというわけだ。
「どうりで、ただの上司・部下の雰囲気じゃないと思った。」
「前いた会社でも、塚原さんが率先して戦って、守ってくれたからね。
こんな言い方すると失礼だけど、私にとっては第二のお母さんみたいな感じ。」
「いい関係だね。
新しいとこまで連れてくくらいだし、塚原さんこそ、そーとーコロちゃん好きなんじゃない?」
「もう一枠ねじ込むの大変だったとは言ってた。」
「やっぱそうだって。」
なるほどな。
塚原さんの申し訳なさそうな、誇らしそうな笑顔は、こういう背景があったからなんだな。
謎が解けてスッキリして、でもまだモヤモヤが残って、手放しに喜べない。
せめて四面楚歌でなかったのは良い。
良いこと、なんだけど。
「───私ね、ずっと、ちょっとだけ、トロちゃんが羨ましいって、思ってた。」
コロちゃんがソファーの上で三角座りをする。
「うらやましい、って、どこが?」
今までの流れと、切り口が違うな。
わたしは首を傾げつつ、右目に当てていた保冷剤を左目に移した。
「トロちゃんは自分のこと、特に自分の体のこと、不都合で嫌いだって、よく言うけど。
でもそれは、私に言わせれば、喉から手が出るほど欲しいものだったから。」
「………。」
「だから、痴漢されたり、付き纏われたりが、酷いことで、嫌なことだっていうのは分かるけど。
性的な目で見られるって意味では、むしろ誇るべきっていうか、人から羨ましがられるものなんだから、もっと堂々としていいのにって。」
コロちゃんの声がみるみる萎んでいき、コロちゃんの肩がみるみる狭くなっていく。
「こっそり、ずっと、思ってた。」
膝を抱えたコロちゃんはとうとう、わたしと目も合わせなくなった。
「自分も女になって、やっと分かった。
性的に見られたり、揶揄されたりするのって、悪意があるかどうかじゃなく、全部すごく嫌だ。」
「………。」
「まるで、それ以外に何もないって言われてるみたいで、そう思い込まされるみたいで。
ホモみたいとか、女男って嘲笑われてた頃よりずっと、精神的に、くるものがある。」
まるでバリアを張るように、コロちゃんは抱えた膝に顔を埋めた。
わたしは保冷剤を手放し、隙間からでもコロちゃんの顔を覗き込もうとした。
目の腫れが引いていないせいだろうか。
視界がぼやけて、なんだか、コロちゃんが蜃気楼みたいだ。
「だから、ごめんね。
大変だねって口だけ言って、羨ましいとか、実は思ってて。」
コロちゃんだって、強くないんだ。
強い人なんて、この世のどこにもいないんだ。
ただ、方法を知っているか。
知らなければ立ち回れずに泣くハメになり、知っていれば泣いても自力で立ち直れる。
ただ、強く見えるか弱く見えるかだけ。
生まれながらの強者も弱者も、どこにもいないんだ。
「愚かで、ごめんね。」
わたしにとっての方法は、コロちゃんの存在そのものだった。
どんなに辛いことがあっても、コロちゃんに会えば帳消しにできた。
聞いてくれて、触ってくれて、怒って笑って泣いてくれて。
なんてことないご飯を一緒に食べてくれて、朝は来るって一緒に眠ってくれる。
だから、わたしは耐えられた。
世の中捨てたもんじゃないって、コロちゃんが教えてくれたから。
「コロちゃん。」
「………。」
「ごめん。抱っこするね。」
「え?」
コロちゃんが反応する前に、わたしはコロちゃんを横から抱きしめた。
わたしの短い腕では、とても抱えきれないけれど。
それでも包み込むように、全身と全霊を使って抱きしめた。
「コロちゃんは愚かじゃないよ。」
「トロちゃん?」
「言いかた変えると、わたしも愚かだよ。
大体みんな、人間は愚かだよ。」
コロちゃんの頭に顎をのせる。
シャンプーと、汗と、皮脂の混じった匂い。
男性だった頃とそんなに変わらない、コロちゃんの匂い。
「コロちゃんの抱えてる辛いが、どれだけ辛いかは、わたしには分からないけど。
どういう意味の辛いなのかは、わたしにも分かるよ。
心臓のあたり、引き裂かれるみたいで、痛いのが分かるよ。」
「………。」
「その痛いのを、わたしはずっと、コロちゃんに癒してもらってた。
コロちゃんがいてくれたおかげで、痛いのも辛いのも過去になったし、経験にできた。」
「そうなの?」
「そうなの。」
わたしの回した腕に、コロちゃんの手がそっと触れる。
懐かしい。
匂いも、温もりも。
得も言われぬこの空気に、わたしはどれほど救われてきたか。
「だからわたしも、コロちゃんにとってのそれになりたい。
コロちゃんのそれには及ばなくても、ちょっとでもコロちゃんを癒せる何かになりたい。」
先のないわたしでは、コロちゃんの方法にはなってあげられない。
でも、"捨てたもんじゃない"の端くれになら、今からでもきっとなれる。
怖い人がいれば優しい人もいて、悲しいことがあれば楽しいこともあるってこと。
コロちゃんが、わたしに教えてくれた。
今度はわたしが、コロちゃんに返したい。
「言って、なんでも。
コロちゃんのために、わたしに出来ることなら、わたしはなんでもするよ。
最後くらい、なんでもさせてよ。」
たとえ、二度と会えないとしても。
あなたとの思い出が、今のわたしを支えてくれるように。
わたしの足掻きが、あなたのこれからへの、餞になりますように。
「本当に、なんでもいいの?」
「いいよ。痛いこと以外なら、だけど。」
「そんなことしないよ。」
「ならいいよ。
ある?わたしにしてほしいこと。」
「……本当に、なんでもいいんだよね?」
「どうぞ。」
「じゃあ───」
コロちゃんが顔を上げる。
鼻と鼻がくっつきそうな至近距離で、わたしに臆面もなく言う。
「一緒にお風呂入ってくれる?」
わたしの喉から、死にかけの蚊みたいな音が鳴った。
**
「───入るよー?」
「………ドゾー。」
"ガチャ"。
ドアの開く音、閉まる音。
「すぐ済むから。」
"ペタペタ"は、裸足でバスマットを歩く音。
"スリスリ"は、充てがっていたタオルを外す音。
"サラサラ"は、控えめな勢いのシャワーが、ゆっくりと流れていく音。
「そんなそっぽ向かなくても。」
「ダッテ……。」
リビングにいた時は、あくまで精神的に、だったかもしれない。
ここでは加えて物理的に、嫌というほど鮮明に聞こえてしまう。
コロちゃんの声も、コロちゃんから発せられる音も。
嫌というほど鮮明で、妙に扇情的に感じられる。
「お邪魔しても?」
「……ドゾー。」
「ふふ、さっきとおんなじ。おとなり失礼しまーす。」
一言断ったコロちゃんが、わたしの隣に来る。
狭いバスタブの中で、成人女性が二人。
逃げ場は殆どないけれど、わたしは出来る限り、コロちゃんから距離をとった。
「こっち、向いてくれないの?」
「ダッテ……。」
「"だってだって"ばっかり。直視したくない?」
「したくないてか、しちゃいけないような……。」
「いけなかったら誘ってないよ。」
コロちゃんとお風呂に入るのは、今回が初めてじゃない。
男性だった頃も、女性になってからも、機会はあった。
ただ、女性になってからの機会は、先日の一度だけ。
それも、広くて大きい、他のお客さんもいる大衆浴場でだ。
同じ裸の付き合いといえど、浴場と浴室では随分な差がある。
今回が初めてじゃないからと開き直るには、意味合いが違いすぎるのだ。
「というか、見てほしい。だから誘った。」
「み、てほしいって、なんで。」
「そのまんまだよ。
今の私を、ちゃんと、見てほしい。」
どうしても、とコロちゃんが食い下がる。
なんでもする、と大見得を切った手前、わたしはそれを無下にできない。
渋々と、コロちゃんと向かい合う。
そこにはコロちゃんの姿があって、コロちゃんの輪郭が湯に浮かんでいた。
「どう?」
白い肌、華奢な肩、お椀型に膨らんだ胸。
とても、綺麗だ。
もともとの美形も相俟って、まるでお人形さんだ。
「きれい。すごく。」
「具体的に?」
「具体的……。
まず、肌が綺麗。陶器みたいな、ゆで卵みたいな。」
「それから?」
「体も……。
ほっそりしてるけど引き締まってて、ザ・モデル体型って感じ。」
「うん。」
「肌も体型も、元から綺麗で、モデル顔負けだったけど、更に磨きがかかってる。
並の努力ではこうならないし、保てない。
スタンディングオベーションもの。」
「"オベーションもの"。」
わたしの拙い称賛に、コロちゃんはくすくすと笑った。
その割に、あんまり嬉しそうではなかった。
「正直ね、いま褒めてくれたとこ、ぜんぶ自覚してる。」
「おお……。」
「でもそれは、こんなのは、後付けでどうとでも出来る。
肌も体型も、努力次第で綺麗になれるし、性器に至っては完全に作り物。」
「それは……、」
「なのに足りない。
ぱっと見は完璧なのに、ぱっと見ただけじゃ分かりにくい致命的な欠陥が、私にはある。
なんだと思う?子供が産める産めないの前提以外で。」
強いて言うなら、妊娠が叶わないことか。
と思ったら、先んじて候補を封じられてしまった。
わたしは分からないと降参した。
「性的な魅力がないことだよ。」
「え、あるでしょ十分。」
「美醜と魅力は必ずしもイコールじゃないよ。
さっき、第一声に君が、綺麗だって言ったのが良い証拠。
それって悪く言えば、綺麗なだけってことなんだよ。」
説明されても、わたしは今いちピンと来なかった。
コロちゃんは例として、わたしを指差した。
「トロちゃんはある。性的な魅力。」
「乳の質量?」
「それもだけど、もっと全体的な、こう……。
包容力っていうのかな。下心を抜きにしても、思わず触りたくなるような、そんな魅力。」
「母性?」
「も、あるかもしれない。
そういうのがさ、羨ましくて、憧れで。
女の人の好きなとこだなって、この前まで思ってたの。」
"でも違った"。
そう言ってコロちゃんは、自分の顔に湯を引っ掛けた。
「この三ヶ月、トロちゃんと過ごしてみて分かった。
トロちゃんって実は結構ズボラだし、ガサツだし、馬鹿だし変だ。」
「す、すいません。」
「なのに、ちっとも不快じゃない。」
「え?」
「ズボラでガサツで、馬鹿で変なのに、それが面白くって、楽しくて。
付き合ってた頃の可愛い君は、作った君で。
僕のために作ってくれてたんだってのが、また嬉しくて。」
引っ掛けた湯か、垂れた汗か、溢れた涙か。
透明な雫が、コロちゃんの頬を伝う。
「そういうの全部引っくるめて、これが魅力ってことなんだって。
やっと分かって、気付いた。
僕が憧れてたのは、女の人じゃなくて、君なんだってこと。
僕が、君に、触りたかったんだってこと。」
瞳に帯びた熱で、涙だと分かった。
気付いたらわたしも、もらい泣きをしていた。
「なんでもしてくれるってやつ、まだ有効?」
「はぇ?」
「まだお願いしたいことあるんだけど、いい?」
「い───、よ。いいよ。なに?」
このままだと逆上せてしまいそうだ。
鼻をすすり、涙をぬぐい、二人ともに水分の節約をする。
「トロちゃんのおかげで、色んなこと学ばせてもらった。
前より女らしさみたいなの、分かった気するし、ちょっとは身に付いた気もする。」
「ちょっとじゃないよ。もう教えることないよ。」
「そう。もう教わることないの。
もう、一緒にいる理由、なくなっちゃったの。」
「うん。」
「でも私、これで終わりにしたくないの。」
コロちゃんがこちらににじり寄ってくる。
わたしは反射的に後ずさろうとして、バスタブの壁に阻まれた。
「本当の、今のトロちゃんを知って私、本当の、今の私、また、好きになっちゃったの。」
「どゆことれす?」
「好きだ。」
コロちゃんの素の唇が、たった三文字の呪文を唱える。
追い詰められたわたしは、そのたった三文字でトドメを刺された。
「好きなんだ、君が。
昔も今も、やっぱり、何度でも、好きだ。
君じゃなきゃ、駄目なんだ。」
ああ、予感がする。
女性になりたいんだと告白された、あの日と同じ。
人生が変わる。
この先の未来が大きく動く、分岐点に今、立っている。
そんな予感がする。
「これからも、友達とかじゃなくて、君を。
六花を、好きでいさせて、ほしいんだ。」
実は強情だってことを、初めて知った。
意外と臆病だってことを、初めて知った。
本気の泣き顔は子供みたいだってとこを、初めて見た。
「わたしも」
カワイイわたしは作り物のわたしだったんだと、あなたが気付いたように。
カッコイイあなたも作り物のあなただったんだと、わたしも気付いた。
「わたしも、この時間が永遠に続けばいいって、思ってた。」
コロちゃん。
わたしを、好きになってくれますか。
男でも女でもなく、ただの門戸六花を、欲しいと思ってくれますか。
「一緒にいたい。
わたしも、ずっと好きだよ。」
餞を贈らなくて、いいですか。