蒼い糸 2
思いがけず結ばれた、私と真咲さんとの縁。
いつものように真咲さんの自宅に招かれることがあれば、吉原さんや井春さんに偽って夜の街に繰り出したり。
時には昼間から逍遥して、人気の喫茶店を巡ったり、レジャー施設で遊んだり。
暇を見つけては、私たちは逢瀬を重ねた。
無論、どこでどうしていても、経過分のギャランティーは発生しているのだけど。
「───真咲さんのも美味しそうだね。どんな味?」
「思ってたより甘すぎなくて、食べやすいよ。
ユリアちゃんのは?」
「なんか奥の方にザクザクしたのが入ってんだけど、なにか分かんない。コーンフレークかな?」
「一口もらってもいい?」
「いいよ。
そっちのも、ちょっともらっていい?」
「いいよー。いっぱい食べて。」
「やったー、イタダキマース。
……あ。けっこう甘酸っぱ───!」
「えっ、なに!?どうしたの!?」
「底のほう、酸っぱいソース溜まってた……。」
「あー、はは。
甘いので舌慣れちゃってると、余計だよね。」
「ブウゥー……。」
「あはは、おばあちゃんになっちゃった。」
「───あ、ねえ!最初あれ乗ろうよ!」
「ええー。絶対あとでグロッキーなるやつじゃん。
真咲ちゃん絶叫系すきなの?」
「ううん全然。」
「じゃあなんで。」
「こんな時でもないと乗る機会ないなって思って。」
「エエー?
遊園地きたら、まずメリーゴーランドとか無難なのから攻める方が───」
「あれぇ?お客様のリクエストには応えてくれないんですかぁ?」
「コノヤロ。
てか追加のリクエストはルール違反なんですけどぉー。」
「じゃあオプション料、倍払うよ。」
「冗談にマジで返さないでほしいんですけど……。」
「どうしてもイヤ?」
「……ランチ、好きなの選ばせてくれるなら。」
「お安い御用!」
「───ユリアちゃーん。こっち向いてー。」
「なに?あ───」
「イエーイ、不意打ちゲットー。」
「写真?SNSにでも上げんの?」
「わたしSNSは一切やってないよー。」
「じゃあ何用?」
「今日という日を形に残しておきたかっただけ。いけない?」
「……いいけど。
真咲って、たまにホストみたいなこと言うよね。」
「えっ、どこが?」
「そういうなんか、褒め言葉とか、自分の気持ちの、表現の仕方?が……。
ストレートすぎてちょっと、反応に困るというか……。」
「そんなつもりはないんだけど……。
ホストってもっと、主語おおきく言ったりするものじゃないの?」
「たとえば?」
「"キミが愛してくれるなら、世界を敵に回したって構わない"。」
「いや構うだろ。誰が愛すんだよ世界中から敵対されてる男。」
「ノってよそこはぁー!」
楽しかった。
本当に、楽しかった。
たまに身分を忘れてしまうくらい、真咲さんと過ごす時間は、なにもかもが新しくて綺麗だった。
いつからか、自分でも思い出せなくなるほど自然に、"真咲さん"が"真咲ちゃん"になって、"真咲ちゃん"が"真咲"になって。
呼び名が変わっていくごとに縮まっていく距離が、呼び名が変わっても変わらない彼女の笑顔が、嬉しくて幸福だった。
「───いらっしゃい。今日は何をしようか?」
そんな日々を繰り返すうちに、ある思いが私の中で芽生えていった。
真咲が太客になってくれたおかげで、負債額は一気に減った。
真咲がリフレッシュさせてくれるおかげで、ストレスもかなり和らいだ。
おかげさまで、昼間に出ていたコンビニのアルバイトも、無理なくシフトを増やせるようになった。
"完済してやり直す"が、夢のまた夢ではなくなったのだ。
だから、いつか。
借金が全部なくなって、真咲が私を友達と認めてくれる日がきたら。
今まで私に投資してくれた分、今度はまともに働くことで、少しずつでも返していきたいと。
今度こそ対等な立場として、純粋な友情を育みたいと、思うようになった。
「ユリアちゃん。
来月もまた、一緒に遊んでくれる?」
「もちろん。
真咲が会いたいって言ってくれるなら、来月も再来月も、その先もずっと。
どこへだって、ワタシは飛んでいくよ。」
デリヘル嬢と客の関係を抜けたら、私たちは生まれ変われる。
この時までは揺るがなく、そう信じていた。
***
真咲と縁を結んで、はや半年。
いつものように彼女の自宅に招かれた私は、急きょ留守番をさせられることになった。
彼女のスマホ宛てに電話がかかってきて、その電話が長引きそうだと断られたからだ。
お役所仕事の連絡か、身内の訃報でも入ったのか。
なんにせよ、私のことは気にせず、家の中で話してくれていいのに。
そう思いつつも、真咲が酷く深刻な様子だったので、私は大人しく引き受けた。
「───しゃーなし。
これはこれで、いつもはできない体験ってことで。」
そして、出ていった真咲を待っている間。
"適当に漫画でも読んでいて"と言われたので、言われた通りにしていた時だった。
本棚の下段に、あるものが下敷きになっているのが、ふと目に入った。
「図鑑……?漫画ではないよな。よいしょ───」
同じタイトルの少年漫画が巻数ごとに並んでいる下に、ひとつだけ横向きで仕舞われた分厚い本。
気になって引っ張り出してみると、中学校の卒業アルバムだった。
「うわー、懐かしい。
ちゃんと取っといてるの偉いなぁ。
ワタシなんか、とっくの昔に捨てちゃいましたよ、と。」
なんだ、ただのアルバムか。
やましいものでないなら、隠すように仕舞わなくても、漫画の横に堂々と並べればいいのに。
ぼんやりと独り言を呟きながら、私は何気なくアルバムを開いた。
これが後に、真咲の嘘が崩れるきっかけとなった。
「えーと真咲ー、黒石真咲ー……。あったあった、これだー。
へー、意外とぽっちゃりしてたんだなー。
髪型もなんかモッサリで、見るからにマジメちゃんって感じの……、地味な………。」
真咲。
黒石真咲。
あれ。なんだろう、この感じ。
もう随分と聞き慣れた、言い慣れた名前のはずなのに、なにか。
今までにはなかった、引っ掛かりのような何かが、初めて沸き起こったのを感じる。
なんだこの、もやもやとした感覚は。
私はどこかで、大切な何かを、落としてきてしまったのだろうか。
「黒石、クロイシ、くろいし───」
次のページ、また次のページ。
誰かに操られるかのように、指先だけが独りでに動くかのように、夢中でアルバムを捲っていく。
やがて、私は気付いた。
ここに収められた風景は、私の思い出の中にもある。
この中学校は、かつての私が過ごした学び舎と、同じであると。
「(忘れてた、ずっと。
忘れたいって思ってたら、いつの間にか、本当に───)」
こいつも、こいつも。
この先生も、この用務員さんも。
全員知ってる。全部覚えてる。
今の今まで忘れていたけど、たった今思い出した。
つまり私は、私と真咲は、同級生だったのか?
でも、真咲はそんなこと、一言も言っていなかった。
真咲も私を覚えていなくて、偶然に再会しただけ?
だとしたら都合が良すぎだし、それに。
私と彼女の間には、ただの同級生では終わらない、特別な出来事があったような。
"尾田さんって、本当はすごく、優しい人なんだね"。
丸みを帯びた白い頬。涙に濡れた大きな瞳。
"尾田さん"と、慣れない口ぶりで私を呼ぶ、脆さと儚さが如実に表れた声。
そうだ。
あの日、彼女は、私は。
はっとした瞬間、当時の出来事が走馬灯のごとく脳裏を駆けていった。
「───なに、してるの。」
程なく戻ってきた真咲は、真っ青な顔で私と、私の手中にあるアルバムとを見た。
その顔は、取り返しのつかないことをしてしまった、とでも言いたげだった。
「ごめん。黒石。
勝手にこういうことすんの、良くないけど、見ちゃった。」
「……わたしのこと、嫌いになった?」
「ううん。
でも、本当のこと話してくれないと、真咲のやること全部、二度と信じられないかもしれない。」
「………そう、だよね。」
「だから、話して。
どうして、こうなったのか。
こんな形で、再会することになったのか。」
真咲は少し黙って、暫く迷ってから、わかったと頷いた。
**
中学の頃、私と黒石は同級生だった。
とはいえ小学校は別々で、中学校でもクラスが別れていたので、互いの認識は辛うじて名字を知っている程度だったと思う。
そんな私たちの繋がりを、少しだけ変える出来事が、中二の始めに起こった。
『───ちょい、そこの。』
『えっ?……あ、わた、し?』
『これ、落としたけど。』
『あ……。
すいません、ありが───』
『おいクロイシぃー、早くしろよぉー。』
『……すいません。
これ、拾ってくれてありがとう。』
『……いいけど。』
当時、黒石はクラスの女子数名から、陰湿なイジメを受けていた。
相手は黒石と同じ小学校出身で、今風な見た目と言葉遣いで目立っていた子たちだった。
詳しい動機は定かでないが、自分たちに同調しない黒石が気に食わなかったのだろう。
ノーを言えない代わりにイエスとも言わない、道理や常識にもとる行為には絶対に手を貸さないのが、黒石のスタンスだったから。
『───ねえクロイシぃ。お願いがあるんだけど。』
『……なんですか。』
『あんたの後ろの席のさぁ、フフッ。どもりくん居んじゃん。
あいつにさぁ、ちょっと告白してきてよ。』
『……告白って、なんのですか。』
『決まってんじゃん。愛の告白だよ。』
『なんでですか。』
『おもしれーから。』
『普通にカップル成立ー、ってなっても、お前らなら普通にお似合いだからいいんじゃん?
むしろキューピットになったげたウチらに感謝しろし。』
『結婚式呼ばれたらどーする?』
『いや誰も来ないしょ。オタク二人でケーキ入刀〜。』
『結婚式で二人だけはヤバいわ。』
『できません。』
『は?』
『わたし個人ならともかく、他の人も巻き込むのは、できないです。』
『……あー。
要するに、うちらのお願いを無視するわけだ。』
『無視とかじゃなくて───』
『ひどいなー、一人ぼっちでカワイソーなキモデブに、あんなに優しくしてやったのにねー?』
『どもりくんが嫌なら、他の男子だったらいいんだ?』
『うーわ、ただのイケメン好きじゃん。』
『みなさーん、ここにめっちゃイケメン好きの人がいまーす。』
『カッコ良ければ誰でもオッケーだそうでーす。』
『そんなこと───』
『コワーイ、うちらのこと殺そうとしてるー!』
『殺されるー、逃げろー!』
『キャハハハハ!』
学級行事などでグループ分けをする際には、全員で口裏を合わせて仲間外れにしたり。
わざと本人にも聞こえる大声で悪口を触れ回ったり、根も葉も無い噂を立てて悪印象を植え付けたり。
その陰湿さは、中学生のやることとは思えないほど残酷だったという。
『───イジメじゃねーの、あれ?』
『え?』
『さっきの。なんか騒いでたけど。
明らか友達同士の会話じゃないっしょ。』
『あー……。
いいんじゃない?別に。いつものことだし。』
『いつもやってんの?』
『そういうノリの人たちなんだよ。』
『……ノリとかのレベルじゃないと思うけど。』
『いいんだって。なんだかんだ、よく一緒にいるもん。
本当にイジメなら、先生に言うとか避けるとか、あるでしょ。大丈夫だよ。』
『………。』
私はずっと黒石とは違うクラスだったので、黒石がいじめられていること自体を知らなかった。
知っていた側の人たちも、誰も黒石を庇ってやろうとはしなかった。
黒石に落ち度がないってことは、いじめてる奴らが難癖をつけてるだけってことは、みんな分かっていたはずなのに。
学級委員長も、隣の席の子も。
担任の先生も、生活指導の先生も。
黒石が泣きも怒りもしないのをいいことに、みんな当たり前にノータッチでいた。
あの頃の黒石は、学校という狭い世界で、いつも一人ぼっちの女の子だった。
『───ダッセェーんだよ、おまえら。』
後先のことは考えていなかった。
強引に割って入れば、自分にも矛先が向くかもしれないとか。
こんなやり方では、却って火に油を注ぐだけじゃないかとか。
ある程度の予想はできても、この手足を止める理由には足りなかった。
『自分らのが上だと思って、そんなことやってんだろうけど、逆だよ。
一人いじめんのに四人も群れてる時点で、お前らのが弱いしゴミなの、分かる?
雑魚は雑魚らしく、身内だけでお遊戯会してろってんだ。』
だから。
例の現場を目撃した瞬間には、突撃してしまっていたんだ。
4対1という不利にあっても、本人に助けを求められたわけじゃなくても。
奴らの怒声と高笑いが、あまりに耳に障ったので、ついカッとなってしまったんだ。
『大丈夫?』
『だ、───じゃ、なくて。
わたしじゃなくて、尾田さんが……!』
『あれ、知ってんのワタシの名前?』
『知ってる、けど、そうじゃなくて顔!切れてる!』
『平気だよ、こんくらい。ほっときゃ治る。』
『でも……!』
『あんたこそ、怪我は?』
『あ、わ、わたしは、色々言われたり、だけだから……』
『そう。
じゃ、気つけて帰んなね。』
『まっ、まって!』
『なに?』
『なん、なん、で、助けてくれた、の。』
『別に。たまたま。』
『たまたまって……。
そんなことしても、尾田さんには何も、得ないのに……。』
『……一応言っとくけどさ。』
『はい?』
『あんたが弱いとか、悪いとかじゃないからね。
あいつらが100パー、ゲボのカスってだけだから。
あんたが自分のこと責めたりすんのは、ぜんぶ無駄なことだから、やめなね。』
『………尾田さんって、』
あれ以来、私は黒石同様にイジメのターゲットとなった。
ついでに、特に関係のなかったクラスメイトからも、こぞって無視をされるようになった。
たぶん奴らが、私が孤立するように仕向けたんだろう。
少なくとも以前までは、みんな普通に接してくれていたわけだし。
『(いいんだ、これで。
ああいうのは、どうせ全部はなくならない。
どうせ誰かは当たるなら、弱いヤツより強いヤツが引き受けた方がいい。
黒石より、ワタシでいいんだ。)』
私はやっぱり、どうとも思わなかった。
口が悪ければ態度も悪い、髪も平気で茶色に染めている自分のようなヤンキーは、もともと好かれるタイプでないと承知していた。
それに。
奴らの言葉を真に受けるってことは、他のみんなも相当アホなんだなって、早々に見切りを付けてしまったから。
というか、無視される度にシカトしてんじゃねーよって威圧してたし、リンチされる時にも必ずやり返してた覚えがある。
傍から見たら、どっちがイジメっ子か分からないくらいに。
『───そういや聞いた?
2組の尾田、転校するらしいよ。』
『あー、なんか聞いたかも。』
『東京行くんでしょ?お父さんの仕事だっけ?』
『いーなー、東京ー。あたしも東京で暮らしたーい。』
『お前はどうせ、芸能人に会いたいー、とか、オシャレな服ほしー、とかだろ?』
『いいじゃんなんでもー!』
『オレは嫌だけどな、東京。人多いし。田舎すぎても嫌だけど。』
『けっきょく文句言うヤツー。』
『でも良かったやん。
あいつ友達いなかったし、なんか怖かったし。』
『な。
ウチ別に、そういう系の学校じゃなかったのにな。』
『あんな昭和のヤンキーみたいなやつは、最初からウチにはいらなかったってことだ。』
『お前ひっでーな!
前に体育で怪我した時、保健室まで一緒来てくれたつってたじゃん!』
『あんなんでイメージ良くなるわけないやん。
せっかくならもっと可愛くて優しい子に手当てされたかったー。』
『恩を仇で返すヤツー!』
ところが。
卒業まで戦ってやるぞと息巻いていた手前、中二の終わりで転校するハメになってしまった。
父の仕事の都合で、本社のある東京へ栄転することが決まったからだ。
ちなみに、この栄転こそが、父の破滅の始まりだったのだけど。
そこは今は問題じゃないから、割愛とする。
『元気でやれよ、黒石。』
こうして、私と黒石の縁は結ばれ、切れたのだった。
デリヘル嬢と、その客として、不自然な再会を果たすまでは。
**
「───ずっと、あの時のお礼を言いたかったの。
尾田さんが注意を引いてくれたおかげで、わたしが絡まれることは殆どなくなったし、なにより……。
尾田さんみたいなカッコイイ人が、わたしの味方になってくれたことが、それだけで凄く、嬉しかったから。」
「でも結局、勇気、出なくて。
まごまごしてる内に、尾田さんの転校が決まっちゃって。
連絡先知らなかったから、環境が変わったら、なにも分からなくなっちゃって。」
「このままずっと、ありがとうもごめんねも言えないまま、二度と会えないのかなって後悔してたら。
このあいだ、地元に帰省した時に、今の尾田さんがどこにいるか知ってるよって人と、たまたま会って。
大人になった尾田さんが、わたしのすぐ近くにいるってことを、知ったの。」
今から二年ほど前のこと。
暮れに帰省した折、中学のクラスメイトと再会した黒石は、そのクラスメイトから私の現状を又聞きしたそうだ。
今は札幌に住んでいること、相変わらず派手な見た目をしていること。
噂によると、親の借金を肩代わりさせられて、返済に追われているらしいこと。
現住所だけならともかく、借金の件まで把握しているヤツがいたとは驚きだが、まあいい。
こっちの親戚か誰かが口を滑らせて、知らず知らずと噂を広げてしまったに違いない。
妙なのは、黒石の行動の方だ。
へえそうなんだで済むところを食い下がった黒石は、今度こそ私に会いに行く決心をしたのだという。
自分を助けてくれたヒーローと憧れていた人物が、身売りで稼ぐような卑しい生き物に成り下がっているなどとは、夢にも思わずに。
「ただ、こうらしいよ、ああらしいよって、噂を知ってる人はいても、尾田さんと直に関わりがあるって人は、誰もいなくて。
だからわたしは、そこからは一人で、自分の力で、尾田さんを探すことにしたの。
同じ街に住んでるなら、いつかはどこかでぶつかるだろうって、信じて。」
「逆を言えば、同じ街に住んでるってことくらいしか、情報も共通点もなかったのに。
我ながら無鉄砲で、ほんと、笑っちゃうんだけど。」
「そんな時にね、最初に情報をくれたのとは、また別の同級生と会ってね。
深夜のすすきので、尾田さんに似た人を見かけたことがあるって、教えてもらったの。
そこは、キャバクラとかバーとか、いわゆる水商売のお店がたくさんあるところで……。
もしかしたらって、そういう系統のお店を、片っ端から漁ってみたの。」
「それで、最後に。
きゃらめるしんどろーむに、行き着いたの。」
私の居所を探り始めた黒石は、同じく札幌在住だという別の同級生から、私に関する新情報を教えてもらった。
"仕事帰りに同僚とキャバクラ街を回っていたら、尾田晴子に面影のよく似た女が、キャバクラ街の更に奥へ向かって歩いていった"、と。
たぶん、私が事務所に出向いた時に擦れ違ったんだろう。
接点のなかった相手にさえ感付かれるとは、私はよほど印象に残りやすい見た目をしているらしい。
ヤンキーからギャルにマイナーチェンジしただけで、フォルムは当時と殆ど変わっていないので、当然といえば当然かもしれない。
そこで黒石は、借金の件も鑑みた上で、若い女が高収入を得られそうな職業について深堀りしていった。
そして最後に、辿り着いてしまった。
きゃらめるしんどろーむ公式サイトにて、ひときわガラの悪い笑みを携えた、尾田晴子の写真に。
「最初、ユリアちゃんの写真を見た時、他人の空似だと思った。
目元の辺りが近い気がしたけど、わたしが知ってるのは、あくまで中学生の尾田さんだから。」
「でも、左目の泣き黒子と、耳の形が、あの頃のまんまで。
髪型が、お化粧の仕方が変わっても、顔つきが、名前が違ってても、やっぱりこの人は尾田さんなんだなって、思った。」
キャバクラでもガールズバーでもなく、よりにもよってデリヘルを生業に選ぶだなんて。
ショックのあまり、黒石は暫く身動きをとれなかったという。
けれど、一瞬の動揺が確固な決心まで揺らがせることはなかった。
「あんなに強くて、気高かった人が、わたしを救ってくれたヒーローが、今はこんなことになってるなんて、って。
正直言って、すごくショックだったし、可哀相で悲しかった。」
「だからこそ、余計に、会いたくなった。
今の尾田さんに、今のわたしが、お礼を言いに行きたいって、思ったの。」
デリヘルとは。性風俗とは。
きゃらめるしんどろーむのユリアとは。
徹底的に調べ上げた黒石は、ユリアを自分のもとへ呼び寄せる計画を立てた。
同級生との再会としてではなく、あくまで私の売り買いとして。
「そうならそうと、言ってくれれば良かったのに。
最初に名乗ってくれれば───、いや。そもそも普通に連絡くれれば、普通に、会えたのに。
なんで、あんなやり方したの。なんでわざわざ、あんな嘘ついてまで───」
「嘘じゃないよ。
人付き合いが苦手なのも、話し相手が欲しかったのも本当。
ただ、全部を白状するのは、まだ早いなって……。」
「じゃあ……。
じゃあ、最初にぜんぶ言わなかったのは、どうして?
逆にいつなら、言ってくれるつもりだったの?」
「……尾田さんの借金が、なくなったら。」
ベッドに隣り合わせで二人。
私が少し姿勢をずらすと、心とスプリングが軋む音がした。
「大きな借金がある人が、そういう仕事をするのは、お金を稼ぐために仕方なくなんだなって、考えなくても分かった。
だから、少しでもその助けになりたくて、知らないお客さんとして、ユリアちゃんとしての尾田さんに、恩返ししようって決めたの。」
「……間接的に貢いでやろう、ってこと?」
「だって、正直に自分の正体明かして、返済の足しにって札束渡しても、尾田さんは絶対、受け取ってくれなかったでしょう?
……もっと他に、賢いやり方もあったのかもしれないけど。
わたしの頭では、あれが、最短で最善の方法だった。」
「なんで、そこまで、」
「こっちの台詞だよ。
あの頃、わたし達、ほとんど話したこともなかったのに、尾田さんは身を呈して守ってくれた。
一度だけじゃない。
それからもずっと、率先して喧嘩買って、わたしの方に目がいかなくなるようにって、庇い続けてくれた。」
「………。」
「尾田さんだって、みんなから無視されたり、蹴られたりするの、辛くないはずなかったのに。
わたしのせいでこうなったとは、一度も言わなかった。
むしろ、全然へっちゃらみたいな顔して、いつも堂々としてた。
目元はしょっちゅう赤くしてたのに、いつも、大したことないみたいに、学校来てた。」
そう言うと黒石は、静かに顔を上げて、隣に座る私を見た。
「わたし、いじめを止めてもらった時に、言ったんだよ。
尾田さんって、本当はすごく優しい人なんだねって。
まずは、ありがとうって言うつもりだったのに。気付いたら、そっちが先に出ちゃってた。
そしたら尾田さん、なんて答えたと思う?」
「……ごめん。覚えてない。
なんて言ったの?そん時のワタシ。」
"バーカ。
ほんとに優しい人ってのは、あんたみたいなのを言うんだよ。"
次の瞬間、黒石の目から大粒の涙が溢れだした。
ぼろぼろと滴り落ちたそれは、真っ白なシーツに一つ二つと染みを作っていった。
その顔が、あの時の黒石の顔と、おんなじで。
どんなに背が伸びても、大人っぽくなっても、黒石の中身はあの頃のまんまなんだって、分かった。
「あの頃、わたし、本気で死のうかなって思ってた。
毎日なんにも楽しくないし、こんなに辛いことが続くなら、もう全部やめちゃおうかなって。」
「そんな時に、尾田さんが、助けに来てくれたの。
たった一人で、わたしのために、戦ってくれたの。」
「たった一人でも、味方になってくれる人がいるんだって、本当に本当に嬉しかった。
尾田さんはわたしの、命の恩人で、ヒーローで、神様だった。」
「ずっと、ちゃんと、お礼を言いたかった。
助けてくれて、ありがとう。騙すようなことして、ごめんね。」
「できれば、もう少しだけ。あともう少しだけでいいから。
わたしに、騙されたままでいて。
クリスマスの延長を、もう少しだけ、させて、尾田さん。」
震える声でしゃくり上げながら、最後には顔を覆って俯きながら、黒石は私に想いの丈を吐き出した。
そうしたら自然と、私は手を伸ばしていて。
黒石の強張った背中を、宝物みたいに抱き締めてしまっていた。
「いいよ。
黒石がそうしたいって言うなら、ワタシはなんでもいい。
そんな風にワタシのこと、思ってくれる人がいたなんて、知らなかった。」
あの頃の私たちは、学び舎という狭い箱庭が、この世界の全てだった。
一度でもそこから外れたら、人生すべてが終わるんだと思っていた。
でも、当時は命を絶とうとすらしていた少女が。
今ではこんなに綺麗になって、立派になっている。
あの頃の恩返しがしたいと、強く私の手を握っている。
もう、あの頃の私じゃないのに。
もう、黒石がヒーローだって言ってくれた手は、こんなに汚れてしまったのに。
なのに黒石は、その手を愛おしそうに撫でながら、何度もこう言うのだ。
この手が、一人の人間を救った手なのだと。
この手に、自分はずっと触れたかったのだと。
「話してくれてありがとう、黒石。
ワタシ、あのとき庇ったこと、後悔したこと一回もないよ。」
もっと早くに再会していれば。
父の転勤が決まっていなければ。
悔しい思いもあるけれど、今となっては構わない。
黒石と違って、すっかり落ちぶれてしまった私でも。
頑張って綺麗になって、立派になって強くなって、顔を上げて歩けるようになったなら。
あの時みたいに、考えるよりも先に、黒石に近付いていいだろうか。
黒石と並んで立つために、今からでも、努力をしてみていいだろうか。
心の中でそう問い掛けると、黒石はまるで返事をするように、小さく頷いた。