おもしれーオンナ1
*あらすじ
門戸六花には自慢の彼氏がいる。
優しくて、格好良くて、そこらの男とは一味違う特別な人。
そんな彼と何度とないデートの折、待ち合わせ場所に現れたのは、美しい女性だった。
女性の正体は女装をした彼で、困惑する六花に彼は言った。
自分は、女になりたいのだと。
彼氏と久しぶりの街ブラデート。
目一杯おめかしして駅前で待ち合わせていたら、少し遅れると謝罪の連絡があった。
いつも15分前には先回りしている彼なのに、珍しいこともあるもんだな。
もしかして体調を崩して、でも久しぶりのデートだからって、中止を言い出せないのかな。
心配しながら引き続き待っていたら、約束のきっかり10分後に彼は現れた。
現れた瞬間に、どうして今日に限って遅刻をしたのか、理由が分かった。
「お待たせ。」
女装をしている。彼が、女の格好をしている。
それも、文化祭のノリとかでやっちゃうような、なんちゃってのレベルじゃない。
たぶん下ろしたてのワンピースを着て、たぶん流行りを勉強したウィッグを被って、たぶん今日が初めてではないメイクを施している。
なにより仕種が、完全に女性のそれだ。
歩き方も、語尾の抜け方も、瞬きや息遣いのひとつを取っても。
女装じゃない。単なる装いなんかじゃない。
全身全霊で女になりたいと意識しなければ表せない、女性性のそれだった。
「ごめん。びっくりしたよね。」
ドッキリとかサプライズとか、可能性はいくつか浮かんだ。
いくつか浮かんで、いつもの彼と照らし合わせて、ぜんぶ違う気がした。
「とりあえず、二人になれるとこ、行こっか。」
二人きりになりたい。
とっさに口を衝いたのは、下心丸出しのおじさんみたいな台詞だけ。
せめて平静なフリを。
とっさに判断できたのは、自分の動揺を悟られてはいけないということだけだった。
**
予定にあったウインドウショッピングは、急きょ取り止め。
二人きりになれる場所として、わたし達は最寄りのカラオケ店へと移動した。
「なんか歌う?」
「いい。」
「そう。」
個室に入ってからも、わたしはなかなか本題を切り出せなかった。
暗めに設定したライトや、端っこが破けたソファーや、モニターの中でなんか喋ってる知らないバンドマンたち。
カラオケならではの空間を前に、あの日あの時は楽しかったの思い出ばかりが、走馬灯のように流れて消えていった。
「そっちから聞きにくいだろうから、僕から言うね。」
そこは普通に僕なんだな。
意を決してというよりは、どこか観念した様子で、彼は話し始めた。
「なんで急にこんな、女の人の格好をしてるのか。」
「うん。」
「君にとっては急かもしれないけど、僕にとっては実は、急じゃあないんだ。」
この先の展開が読めない。
違う。読める。読みたくない。
この先に彼が何を言うのか、わたしには分かる。
この先の私達がどうなっていくのか、わたしには分かる。
「本当は僕は、僕じゃないんだ。」
読めないんじゃないの。読みたくないの。
読んだ先のビジョンが、現実になってほしくないの。
「生まれついた性別は男のものだけど、それは生物学上ってだけで、僕自身の気持ちは違うんだ。」
「うん。」
「僕は、本当は、」
「うん。」
「女性に、なりたいんだ。」
なりたかったと、過去形ではなく。
なりたいと、現在進行形なのは、つまり。
つまり、そういうことなんだ。
「いつからなのか、聞いていい?」
「いつから……。」
「わたしと付き合う前から?
もっとずっと、子供の頃から?」
「子供の頃、から、違和感みたいなのはあったけど。
はっきりと自覚をしたのは、割と最近かな。」
「わたしのせいとか───」
「それはない。せいとかは有り得ない。
君が悪いとかは、そういうのでは絶対にないから。」
きっと彼は、一生分の勇気を振り絞って今、ここにいる。
他にも色々、ずる賢い手段をとろうと思えば出来たはずなのに、わたしに正直でいることを選んでくれている。
「酷なことを言うようだけど。
君にはむしろ、感謝してるんだ。」
「感謝?」
「僕に、本当はどんな自分になりたいかって、気付かせてくれたこと。」
「今の、その姿の自分が、なりたかった自分?」
「……本当の本当は、体もぜんぶ、」
「体もぜんぶ、女になりたい?」
「そう。」
だから、泣くな。
彼が必死に、涙を堪えて、話してくれているんだから。
ただの私が、ただ泣くな。
「じゃあ、女として、男の人と付き合ってみたい?」
「……なくは、ない。」
当たっちゃった。
外れてほしかったビジョンが、現実になっちゃった。
「信じてほしいんだけど、君を好きな気持ちは嘘じゃないよ。
ずっと、本心で、君を好きだよ。」
「うん。」
「でも、君が好きになってくれたのは、僕の方の僕で。
どうしたって、今までどおりの関係じゃいられないってことも、分かってる。」
「うん。」
「そういうのも全部ひっくるめて、覚悟の上で、話した。」
「うん。」
本当はもっと、たくさん、言いたいことも聞きたいこともあった。
後生だからドッキリであってくれと、何度も願った。
でも、何を言っても何を聞いても、何度願ったとしても。
もう、かつてのコロちゃんは居ないし、かつてのトロちゃんには戻れない。
もう、あの日あの時の楽しかった思い出は、思い出にしかならないんだ。
「今日はもう、バイバイした方がいい?」
「ごめん。」
「先出る?後がいい?」
「あと。」
「わかった。
お金、ここ置いとくね。」
二人分の料金をテーブルに置いた彼が、席を立つ。
ふわりと香ったのは、女物の、フローラル系の香水だった。
「コロちゃん、」
「うん?」
「話してくれて、ありがとう。」
「……うん。
聞いてくれて、ありがとう。」
彼が個室を出ていく。
モニターの中のバンドマンが、新曲のおすすめポイントを教えてくれている。
「牛丼でも食べて帰るかぁ。」
受付をした時に店員さんに渡された、サービス向上のためのアンケート用紙。
"何名様でいらっしゃいましたか"の項目には、女性二人と書いておいた。
***
性別適合手術を受ける計画を立てたこと。
それに伴って、戸籍も変えるつもりでいること。
身も心も女性になった暁には、女性としてのあれこれを、一通りやってみたいこと。
カラオケでのカミングアウトを経た後も、わたし達は話し合いを重ねた。
せめて傷が浅く済むように、互いが飲み込めるギリギリの消去法を探して。
「───さすがに、情報量多い、よね。」
「さすがに。」
「小出しにした方がいい?」
「いい。
どっちにしたって、どうにかなるものじゃないし。」
「そうだね。」
彼は、何かを言うたびに、"ごめんね"と付け足した。
騙していてごめん、裏切ってごめん、山口五郎のままでいてあげられなくて、ごめん。
「大学は?どうするの?」
「卒業までは男で通すよ。」
「まだ一年あるよ?その間ずっと辛抱するの?」
「見通しが立っちゃえば平気。
それに、手術も、戸籍の変更も、一朝一夕で片つくことじゃないからね。
この一年は、下準備の期間にするつもり。」
「そっか。
しっかり、計画してるんだね。」
「ごめん。」
「謝んなくていいってば。」
「うん。ごめん。」
謝るのは、わたしを切り捨ててでも通さねばならない信念がある証拠。
わたしが情に訴えたところで、左右されるものではないことを意味していた。
「僕は、恋人の関係じゃなくなっても、トロちゃんとは繋がっていたいよ。
一対一の、対等な、人間として。」
最終的な結論は、恋人関係の解消。
これきり会えなくなるわけじゃないけど、キスもエッチももうしない。
手を繋いで歩くこともない。
平たく言うなれば、"お友達に戻りましょう"、というやつだ。
「───最近あんま彼氏といないよね。喧嘩でもした?」
「喧嘩っていうか……。」
「え、もしかして別れの危機?」
「危機っていうか……。」
「うっそなんで!?めっちゃ仲良かったじゃん!」
「公認のカップルだったのに!」
「コラ!傷心の乙女に追い撃ちをかけるな!」
「あんたが一番声でかい!」
当然、悲しかった。
引き止められるものなら、そうしたかった。
「(公認の、カップル)」
反面、カミングアウト自体は、すんなり受け入れられた。
どうしてだろうと考えて、そういえば過去に幾つものヒントが散りばめられていたことを、段々と思い出した。
"───トロちゃんってアダ名はさ、どこから来たもんなの?"
"由来?"
"お寿司のトロが好きとか?"
"違う違う。や、トロは好きだけどね?
中学ん時の友達が付けてくれたやつで、普通に本名もじっただけ。"
"でも本名……?"
"門戸六花って、ゆっくり言ってみて。"
"もんとろ……。
───あ、トロ。"
"そゆこと。"
"なるほど。かわいい響きだよね。
本名の方はなんか、苗字と合わすと四字熟語みたいに聞こえるけど。"
"よく言われるー。"
"でもいいなー、一発で誰か特定できるしさー。
僕もなんか、欲しいなぁ。"
"みんなからは、ぐっさんとかって呼ばれてなかった?"
"んー。まあ、それもアダ名っちゃあアダ名だけどね。
山口姓って大体ぐっさん呼びだから、ぐっさん単体だと、どの山口なのか混乱する時あったりして。"
"あー、大学けっこう山口多いもんね。
この際だし、わたしが新しく付けたげよっか?"
"いいの?"
"センスないけどね。どんなのがいい?"
"そうだなぁ。
せっかくだし、お揃いっぽいのだと嬉しいかな。"
"お揃いかぁ。だったら───。"
"山口五郎"。
いかにも日本男児な名前が好きじゃないって、付き合いたての頃ぼやいてた。
"キャラクター"云々とかって彼は説明してたけど、実際の主語は"ジェンダー"だったわけか。
"───えー!予想外!"
"でしょ?いいリアクションをありがとう。"
"でもなんで急に女装?
去年フツーに吸血鬼てか、カッコイイ系だったじゃん?"
"去年がカッコイイ系だったからだよ。
毎度同じ系統じゃつまんないでしょ?"
"謎な思いきりー!
えっえっ、じゃどうする?本格的にやる?化粧とか。"
"その方が面白そうだよね。"
"わたしやったげる!"
"えー?不安だなぁ。"
"なんでー!"
"だってトロちゃん、自分がまず化粧っ気ないじゃん。"
"そう見えるような化粧なの!ナチュラルメイクはパンダメイクより高等テクニックなの!"
"熱量。"
"ね、ね、絶対うまくやるからやらして!ね!
コロちゃん素材いいから、そこらの女よりバチクソ美人なるよ!"
"そこまで言うなら、お願いしてみようかな?"
交際二年目のハロウィン。
今年はどんな仮装にしようかって、彼が選んだのはナース服だった。
私がポリスだからミニスカ合わせって茶化してたけど、普通に着てみたかったのかもしれない。
"───どした?元気ない。"
"ンムー……。"
"なんだよぉ、なんかあるだろぉ、その顔はぁ。"
"……あのさ。"
"うん。"
"ちょっとウザいこと言ってもいい?"
"いいよ。なに?"
"前にさ、友達の買い物付き合ってあげたって話さ、してたじゃん。"
"うん。"
"それさ、全然いんだけどさ。"
"うん。"
"できれば二人きりはやめて欲しいっていうかさ。"
"うん。"
"コロちゃんが誰と遊ぶかは、コロちゃんの自由にしていいんだけど。
次からはなんていうか、女の子相手の時はせめて、グループ行動とかにして欲しいっていうか。"
"ふふっ。"
"なんでわらうのー!"
"一生懸命、言葉えらんでるなって。"
男友達より女友達のが多かった。
他の女と二人きりで遊ばないでって私がしょげたら、トロちゃんの心配することはしないよって笑った。
弁えるって意味じゃなく、事実いらない心配だったみたいだ。
"ほんと、トロちゃんは可愛いなぁ。"
そっか。
ちょっとずつでも、彼はサインを出してくれていたんだ。
だからわたしは、突然のカミングアウトだったにも拘わらず、突然さを感じなかったんだ。
"僕が女の子だったら、トロちゃんみたいになりたいな。"
嫌、だったのかな。
"───コロちゃんって不思議だよねぇ。"
"唐突だねぇ。"
"いつもたまに思う。"
"どっち?"
"わたし、男の人関連でいい思い出ないからさ。警戒から入っちゃうのがデフォなんだけど。"
"前も言ってたね。"
"コロちゃんからは、男特有の嫌な感じが全くしないっていうかさ。
初めて会った時からなんか、この人は違うって思ったんだよね。自然と。"
"それって僕が男らしさに欠けるってこと?"
"あ、や、悪い意味じゃないよ?
優しいなーとか、知的だなーとか、そういう。"
"わかってるよ。
ちょっと意地悪しただけ。"
手を繋ぐのも、キスするのも。
自慢の彼氏ですって、わたしが皆に自慢するのも。
"───いつまで触ってるんですかー。お金とりますよー。"
"だって超スベスベなんだもーん。
女のわたしよりピチピチとか許せねー。"
"努力の賜物さ。"
"いつからなんだっけ?大学入ってから?"
"脱毛は大学からだけど、肌の手入れ自体は高校からやってたよ。"
"意識タッケー!"
"そう?今時は普通でしょ。
化粧水くらいだったら、男でも皆やってるし。"
"脱毛までは、まだ少数派だって。"
"ツルスベの男はお嫌いですか?"
"コロちゃんならツルスベでもボーボーでもアリ寄りのアリです!"
エッチだって、心と体の二律背反で、相当しんどかったはず。
わたしのためにって無理して、裏で精力剤飲んでくれてた、とか。
"山口くん。"
ずっと、気付かなかった。
違う。気付いてた。気付かないフリをしていた。
もしかして彼は、女の子になりたいのかもしれない。
彼が出してくれていたサインを、わたしはちゃんと拾っていたくせに。
"五郎くん。"
騙されていたなんて、裏切られたなんて、思うわけない。
こんな形になってしまったのは、わたしのせい。
彼に、わたしの理想とする男性像を演じさせてしまったせい。
"コロちゃん。"
わたしの無意識の言動が、どれほど彼を傷付けてきたか。
かつての思い出の数々は、彼の犠牲の上に成り立っていた。
「───なんだかんだ、あっという間だったね。」
「うん。」
大好きなコロちゃん。
わたしの一等賞だったコロちゃん。
たとえ女性に生まれ変わっても、わたしはあなたを嫌いになったりしない。
嫌いなのは、わたしが、わたしを。
「連絡するから。」
「そう。」
熱が冷めたとか、他に好きな人が出来たとか。
ありきたりな理由ならまだしも、彼氏が女になる未来は、やっぱり受け入れられなかった。
「またね。」
「バイバイ。」
ごめんね。
お友達には、やっぱり戻れない。




