マッドジンクス 7
いつかこんな日が来たらいいなと思ってます。
本命の恋人を作らない。
何故なら自分は、愛した人を不幸にしてしまうから。
長らく志帆を蝕んだ、呪いにも似たジンクス。
その正体は、愛した人を不幸にするものではなく、志帆自身が不幸になるものだった。
「───志帆さん、これ。
ハンカチ敷くから、ここ座って。」
「それじゃあハンカチが汚れちゃうじゃない。」
「いーのいーの。
どうせ安モンだし、ズボンも古着だから。」
「ありがとう。お言葉に甘えて。」
高校の保健医、老舗酒蔵の跡取り娘、駆け出しのコピーライター。
志帆を愛し、志帆に愛された、3人の女たち。
彼女らは元より薄命の身だった。
どこで何をしていても、若くして亡くなる運命にあった。
つまり志帆は、誰も殺してなどいない。
死期の迫った彼女らの方が、自ずと志帆の前に集まっていたのだ。
「にしても、静かだねー。
腐っても飲み屋街だってのに、こんな閑散とするかね?」
「まぁ、平日だからね。」
「札幌では、この時間でもぜんぜん活気あったっしょ?」
「まぁ、都会だからね。」
「都会かぁ。
札幌と比べると、旭川なんて田舎だよなぁ。」
「そう言わずにさ。
田舎の割に、お客さん来てくれてるじゃない。」
4人目となる音々もまた、当初は薄命の身だった。
志帆と出会っていなければ、26歳で死んでいたはずだった。
では何故、音々だけは生き残ったのか。
薄命の身だから志帆と出会ったのに、志帆と出会ったおかげで夭折を免れたのは、何故だったのか。
「それなんだけどさ。
最近やけに、若いコの出入り多くない?
今風な、テンション高めの。」
「それは君のせいだね。」
「え、なんで。」
「君の作るお料理があんまり美味しいから、普通に飲食店としても来てくれる子が増えたんだよ。」
「ふーん。
もうメシ屋としては看板出してねーのに。」
交際を始めるにあたり、志帆は音々に宣告した。
自分のかつての恋人たちが、揃って夭折していることを。
自分と恋仲になれば、彼女たちと同じ末路を辿るかもしれないことを。
これが、ひとつめの楔となった。
「だった頃は、ほんと死ぬかと思ったな。色んな意味で。」
「バーでアルコール封じられんのとか、オーケストラに楽器なしで演奏しろって言ってるようなもんだしね。」
「まったくさ。
……仮に、お店が潰れたとしても、命が助かっただけ、感謝しなくちゃなんだろうけど。」
志帆からの宣告を受け、音々は自らの死について考えるようになった。
まだ年若く、健康で、人間関係に恵まれていて、日常生活にも困っていない。
そんな自分が早死をする可能性があるとしたら、それはどんな形でだろうと。
「地獄でしたね。
医療従事者は死に物狂いで働かされて、なのに死人は毎日出て。」
「自殺も含めてね。」
「自分達はなんともなくて良かったーって、言っていいのかなって、未だに思います。」
「ずっと言ってるね、それ。」
「そうだっけ?」
「うん。この話すると必ず。」
「そっか。
実際、ずっと思ってることだからな。」
故にこそ音々は、ちょっとしたトラブルにも敏感になった。
今までは気に留めることのなかった掠り傷にも、細心の注意を払うようになった。
つまり音々は、自らの意識を改めることで、自らに迫る危機を回避した。
志帆の放った楔が、音々の運命を変える一助となったのだ。
「私も。
いや、みんなじゃないかな。なんとか生き延びた、世界中のみんな。」
「でしょうかね。」
「そうだよ、きっと。」
「……志帆さん。」
「うん?」
「志帆さんは───」
「うん。」
ふたつめの楔は、音々の方が放った言葉。
志帆の呪いの正体は、志帆自身が不幸になるものである。
励ましのつもりで掛けた言葉は、実は芯を食っていた。
その言葉を、音々はひたむきに信じ続けた。
志帆に拒まれ、突き放されて、一度は縁が切れてしまった後も。
自分の言葉を証明する術を、探し続けた。
どうすれば志帆を解き放ってやれるかを、毎日毎晩考え続けた。
「ううん。やっぱいい。」
「なんだ?なにか疚しいこと考えたな?」
「そんなんじゃないって。」
「……私は、感じ入ることは勿論、たくさんあるけど。
今は、君がいてくれて良かった、の一言に尽きるよ。色んな意味で。」
「おっ、褒められてる?」
「君がいなかったら、どうなってたか。」
「別になんにもしてないよ?」
「したよ。よく手伝いに来てくれたでしょ。」
「あれは……。私が寂しくて、会いたかっただけだもん。
ほなまた一年後!なんつって、啖呵切ったくせにな。」
「会ってくれるだけで、生きててくれるだけで、力になったよ。すごく。」
「ス……、ッそーお?
ふへへ。照れるにゃあ。」
そして二人は再会した。
件の証明をするために、音々が志帆に会いに行った。
「ふふ。ぜんぶ懐かしい。
まだなんか、夢見てるみたいだ。」
「私も。
やっぱマスクない方が空気おいしー。」
「ほんとだねぇ。───あ、」
「なに?」
「さっきの話。
若いお客さん増えた理由、もう一個あった。」
「なに?」
「腐女子。」
「腐女子?ビアンの腐女子?」
「も、いるけど、ストレートの腐女子。」
「なんでまた。
そっちもお料理目当て?」
「私たちが目当て、らしいよ?
傍から見たら、耽美系BLみあって目の保養なんですよ~って、昨日来てた子たちに言われた。」
「あー……。
もしかして窓際の席の?」
「あたり。」
「どうりで。
私と志帆さん喋るたんびに急に静かになるから、メンチ切られてんのかと思った。」
「好意的な方で良かったね。」
「だったらホストクラブ行けばって話だけどな。」
「男性相手は流石に気が引けるんでしょう。」
音々にとっては賭けだった。
事故から生還したことも、病気を根治させられたことも。
たまたま運が巡っただけで、ずっと回避し続けられる保証はない。
更に一年後でも、取り返しのつかない事態が起きたら。
自分の証明は失敗するどころか、今度こそ志帆をジンクスの底に沈めてしまう。
自分は死ぬかもしれないし、志帆を死ぬまで不幸でいさせるかもしれない。
「ところでさ、」
「うん?」
「なにか、話したいことあったんじゃないの?」
「話してるよ?」
「や、こういう世間話も楽しいけど───」
「冗談。
前置きはここまでにします。」
「"from/NiKiTa"……。
お店の名前じゃん。なに、フライヤー?」
「ううん。手紙。」
「手紙?なんの?」
「私から、みんなへの。」
「……だから三つぶん?」
「そう。
向こうは有難迷惑かもしれないけど、一応ね。
報告くらいはしようかなって。」
「前にお墓参り行ったのに?」
「その時はほら、まだ受け付け始まってなかったから。正式にってことで。」
覚悟の上で、会いに行った。
必ず生き抜いてみせるから、ちゃんと私を見てほしい。
額面通り、命賭けの告白だった。
「そっか。
どうやって届ける?」
「燃やす。」
「ここで?今?」
「今。」
「大丈夫?通報されたりしないかな。」
「平気でしょ。
たった三通だし、煙もそんなに出ないだろうし。」
「お店に燃え移ったりとか。」
「まさか。そうならないために外にいるの。
消火用のお水も、ちゃんと準備してある。」
「どこ?」
「ん。ペットボトル買っといた。」
「万端ね。」
「よし。じゃ、やるか。」
「ライター貸す?」
「自分のある。見てて。」
「おー……。
紙がしっかり燃えるとこって、案外見たことないかも。」
「さようなら1050円。」
「ちょっとイイやつにしたのね。」
「あちち。えい。」
「蟻さん来ないでね~。」
「コンクリートは強しだね。」
「……燃えたね。綺麗に。」
「そうだね。お水かけとくか。」
「カス拾う。」
「熱くない?」
「あったかい。」
「持って帰って捨てよう。ちょうだい。」
「ん。なんか呆気なかったね。」
「うん。すぐ消えちゃった。」
志帆は音々の命を救おうとした。
音々は志帆を孤独から掬いあげようとした。
志帆が過去を偲ばなければ、音々の命は救えなかった。
音々が未来を望まなければ、志帆は孤独に潰えていた。
志帆と音々。
互いの打った楔が、互いを不幸から守ったのだ。
「さっき、報告って言ってたけど。具体的に、なんて書いたの?」
「知りたい?」
「………やっぱいい。」
「聞いていいよ。前向きな内容だから。」
「どんな?」
「パートナーのおかげで毎日元気に、幸せにやってるから、心配しないでって。」
「謝るのは、もうやめた?」
「さすがにね。
いい加減にしなさいって、君が言ったんだろ?」
「そうだよ。
くっだらねえジンクスにいつまでも縛られやがって、お三人もきっと呆れてるよ。」
「だといいな。」
「……たまに思い出してあげてさ、話をしよう。
こんなことがあって、あんなことがあって、今の私達がいるんだって。
誰が良いとか悪いとかじゃなくて、覚えていてあげよう。
それだけで、きっと充分なはずだから。」
「だと、いいな。」
「私も志帆さんのおかげで?つまんねージンクスからやっっっと解放されたわけだし!
イチ思い出として堂々と消化してやるわ!ヌハハ!」
「音ちゃんのは、どんなだっけ?」
「ナイショ~。」
「なんだよ意地悪いなぁ。」
「志帆さん。」
「ん?」
「私、長生きしますから。」
「……うん。」
「志帆さんも、長生きしてくださいね。」
「できるかな。」
「できます。します。そうさせます。
私の手料理を毎日食べて、私のマッサージを毎日受けてるからには、簡単にリタイアなんかさせませんよ。」
「過保護な奥さんだ。」
「えっ、私が奥さんなの?」
「イヤ?」
「嫌じゃないけど……。
できれば旦那がいいな。」
「じゃあダブル旦那でBLだ。」
「公式になっちまったな。」
二人は知らない。
志帆の呪いが実在したことを。
音々が死ぬ運命にあったことを。
知らない方がいいかもしれない。
かつての3人の運命も、変えられる可能性があったことは、明らかにすべきではないかもしれない。
「そろそろ帰ろっか。」
「ですね。」
「いっしょお風呂入る?」
「エッー……!!!いいの!?」
「いつもお世話になってるお礼。
明日も休みだし、上がったら好きなカクテル作ってあげるよ。」
「お風呂だけでもご褒美なのに!?」
「なにがいい?」
「アウ、う~ん……。
そう言われると意外と……、」
「決めらんないなら、ダイキリにしようか。
家にある材料で作れる。」
「ダイキリ───、ってカクテル言葉なんだっけ?」
「ナイショ。」
「あっ、仕返しされた。」
「音々ちゃん。」
「え……。」
「好きだよ。」
「い、ま……。
私のこと音々、って……、」
「さぁ?」
「ハ!?
ちょ、もっかい!今のもっかい!」
「さ~ぁ?」
「とぼけんなババア!」
「口の悪い子には応えてあげなーい。」
「すいません嘘です!いくつになっても志帆さんは美しいですから!」
「ババアは訂正してくれないの?」
「ちがっ、ちょ……。
もー!揚げ足ばっかり取るなってばぁ!」
ただ、忘れない。
かつての3人も、確かに生きていたことを。
かつての3人も、志帆は愛していたことを。
自分たちの幸福は、目には見えない何かや誰かによって、支えられている。
志帆も音々も、深く胸に刻みつけて、これからの日々を生きていく。
「志帆さーん!」
「ほら行くよ、音々。」
令和某年、某月某日。
かつての3人へ、弔いの手紙を送った本日。
樫村志帆と小田切音々は、晴れてふうふになりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。




