マッドジンクス 2
「───志帆さん!また来ちゃいました!」
「いらっしゃい。
今日はお連れ様は?」
「私だけです!
デカいのは邪魔なんで置いてきました!」
「あらあら。
フフッ、何名様でも大歓迎だよ。空いてる席へどうぞ。」
初めてフロムニキータを訪ねて以来、私は三日と空けず志帆さんに会いに行くようになった。
時に司を伴うこともあったが、ほとんどは自分一人で。
「───エッ、34!?」
「まあまあオバサンでしょ?」
「てっきり、私と同じくらいかと……。」
「お上手ね。
音ちゃんは20何歳?」
「に、25です。」
「なら9個下だね。」
「身長は!?私は168です!」
「大きいね。私は170ジャスト。」
「また負けた……っ。」
「勝ち負けの問題?」
いつ訪ねても、志帆さんは温かく迎えてくれた。
私の質問に何でも答えてくれて、私の知らないことを何でも教えてくれた。
「───飲食店?」
「前身がイタリアンレストランだったそうでね。
そのご主人が店を畳もうって時期と、私が物件を探してた時期が、たまたま被ったってわけ。」
「はー、どうりで。
最初来た時、なんかイタリアンのお店っぽいなって思ったんですよ。」
「お客さん皆、そう言うね。
たまに、こっち系のバーだって知らずに入ってきちゃう人もいるよ。」
「レストランだった頃と、どのへんが違うんですか?」
「造り自体は大体一緒。
バーにしては厨房が広すぎたから、いらない分をカウンターに割いて……。
あとは壁紙貼り直したのと、棚とかテーブル持ち込んだくらいか。」
「そんなに弄らなかったんですね。」
「弄れなかった、かな。まるっと改装できるほど余裕なかったし。
ここに決めたのも、安かったってのが一番の理由。」
「なんだっていいですよ。
志帆さんがいるなら、どんなサバンナもオアシスです。」
「はは、詩人みたいだ。」
まずは、お店の成り立ちについて。
フロムニキータは、元はイタリアンレストランだった建物を改装したバーであるらしい。
レストランは地元民の間で隠れ家的に知られていたが、ご主人が高齢となったため已むなく廃業。
同時期に志帆さんが独立を計画し、共通項の不動産屋からレストランのことを教わった。
立地はあまり良くないが、築年数の割に外観は損なわれていない。
レストランにしては狭いという欠点も、バーにすると考えればむしろ都合が良い。
なにより、商業ビルの一角に構えるより、一城ごと設けてしまった方が、多くの人に認知してもらえる。
即決に近い形で志帆さんはテナント契約し、晴れて"イタリアンレストランみたいなビアンバー"は誕生した。
厨房を縮小したり、壁紙や家具を入れ替えたりなどの差分を除けば、レストランだった名残が強いと志帆さんは言う。
「───あの楯みたいのって、なんの記念なんですか?」
「あー……、あれか。
昔あった大会の、参加賞みたいなもんだよ。」
「大会って?」
「バーテンの腕を競う大会。」
「バーテンの!
前にテレビで観たことあります!」
「それはきっと、NBA主催のやつだね。」
「NBA……?
バスケの───、なわけないですよね。」
「こっちのNBAは、日本バーテンダー教会のこと。
その教会が毎年主催する、公式の技能大会があるんだけど……。
私は、そっちには出てないんだ。残念ながら。」
「なにか理由が?」
「バーテンって一口に言っても、私は教会に属さないアマチュアだからね。
この楯は、メーカー主催のコンペに出た時の。」
「いろいろ制約とかあるんすね……。
ちなみに、何位だったんですか?コンペでは。」
「……137人中、」
「うん。」
「………4位。」
「めっちゃスゴイじゃないすか!どこが参加賞!」
「参加賞だよこんなの。代名詞になるって言われて、仕方なく飾ってるだけだし……。」
「じゅうぶん代名詞ですよ!
もっとガンガンアピールしていきましょう!」
「本人より熱いじゃないか。」
次に、独立までの歴史について。
フロムニキータを立ち上げる以前の志帆さんは、札幌にあるラウンジの従業員であったらしい。
当時からバーテンダーとしての評価は高く、技能を競うアマチュア大会では惜しくも表彰台を逃したとのこと。
それだけの実績があって何故、プロを名乗らないのか。
名乗るための資格を取らないのかは、私には分からない。
まあ、志帆さんクラスなら集客に困らなそうだし、出されるお酒もちゃんと美味しいし、さしたる問題じゃないのだろう。
「───ほう、副業。」
「ぶっちゃけると、副業なんて言い方すんのも、おこがましいくらいなんですけどね。
私としては、賃金の発生する趣味みたいなもんです。」
「本業は?何してるの?」
「車とかバイク関連のお店で働かせてもらってます。」
「言われてみれば、ぽい感じするね。
車好きなんだ?」
「車もですけど、バイクのが性に合ってますかね。
志帆さんは?免許持ってるんですか?」
「持ってるよ。
普通と大型二輪と中型。」
「中型!?
ってことは、マイクロバスは───」
「乗れるね。」
「な、なんでまた。」
「んー。なんかの役に立つかなって。」
「予想外すぎる……。」
「───かわいい名前だよね。」
「え?」
「"音々"ちゃん。
美人じゃないと許されない感じ。」
「あー、イメージ的に?
志帆さんこそ、綺麗な良い名前だと思いますよ。」
「名前はね。
個人的には、あんまりしっくりきてないけど。」
「それなんですけど、中性寄りの女って、女っぽい名前のやつ多くありません?
"よし子"ーとか、"よし恵"ーとか、一発で女ってバレちゃう系の。」
「業界あるあるだね。
むしろフェム寄りの方が、"アキラ"とか"ジュン"とか、男女共にいける名前だったり。」
「なんなんすかねー、この食い違い。」
「お姉様タイプのゲイさん達も、キャラクターと食い違った、男らしい名前が多いって聞くね。
調べてみたら結構、因果関係ありそうだ。」
「司なんかスゲエっすよ。"靖子"。」
「ンフフッ。
───あ、笑っちゃいけないね。」
「いいっすよ別に。名前自体は良い名前だって、本人も認めてますし。
ただやっぱり、キャラクターと合わねえってだけで。」
「ジレンマも込みの我々さ。」
「ですかねぇ。」
「───ほら、あの人なんてケンチキ持って来てますよ。クッセーのに。」
「お酒はともかく、おつまみは種類出してあげらんないからね。仕方ないよ。」
「だからって、わざわざ"持ち込み可"なんてお触れ出さんでも……。」
「そういうカラオケだってあるでしょう?
お酒だけでも十分採算とれてるし、いいんだよ。心配ご無用。」
「この"ボナセーラ"は?」
「"カチャトーラ"ね。それは手作り。」
「おおー、手作り!」
「したのを、さっきチンした。」
「そういやチーンって聞こえたな……。
手作りのは全部、開店前に用意するんですか?」
「そう。あとは既製品。
スーパーで買ってきたものもあれば、知り合いの飲食店で頼んだものもある。」
「じゃあボナセーラは志帆さん大当りってわけっすね!覚えとこ。」
「カチャトーラね。」
他にも、互いの趣味や経歴の話、懐かしい学生時代の話。
過去にやらかした失敗談まで、色々な話をした。
「───おかえり、音ちゃん。いつもの席、空いてるよ。」
知れば知るほど、志帆さんは魅力的な女性だった。
知れば知るほど、志帆さんの人柄に惹かれていった。
気の迷いかもしれない、なんて懸念は杞憂に終わり。
私の志帆さんに対する想いは、段々と恋心へ、着実に愛情へと、昇華していった。
「───志帆さん。
そろそろ真剣に、お付き合いしませんか。」
「また言ってる~。」
「ヤケクソでしょもう。」
「ヤケクソじゃない。私はずっと本気だ。」
「ありがとう。
"友達の延長"としてなら、いつでもお相手するよ。」
ただ。
どんなに仲良くなっても、志帆さんが語ってくれない話題が、一つだけあった。
"本命の恋人を作らない"という、噂の真相についてだ。
「だーから言ってんじゃん。志帆さん本気にさせんのなんか無理だって。」
「みんなが噂してるだけで、実際は違うと思いたかったんですよ……。」
「ざーんねん。」
「来る者拒まず、去る者追わずが、志帆さんのモットーだから。
いよいよになる前に目覚ました方が身のためよー?」
「志帆さん抜きなら、キミめちゃくちゃ需要あるんだし、もっと周りに意識向けてみたら?
あそこに座ってる子なんかホラ、狩人みたいな顔してこっち見てるよ。」
「そうしたいのは山々ですが、今の私は志帆さん以外考えらんないんです……。」
「こりゃ重症だ。」
嘘か真か、有るか無しかの二択には答えてくれるのに。
理由や原因を掘り下げようとすると、途端にシャットダウンされてしまう。
古い付き合いだという人達ですらお手上げなら、いくら親睦を深めようと私に勝算はない。
「───気持ちは嬉しいけど、私なんかに血迷うのは、やめておいた方がいいよ。」
遊び相手は受け入れて、真剣交際の相手は拒む。
どうして。
なんのために。
さっさと暴いてしまいたい反面、タイミングを外して嫌われたくない。
「また来ます。」
「待ってる。」
ジレンマを抱えつつも、フロムニキータに通うことは、志帆さんに会いに行くことは、やめられなかった。
***
 
志帆さんと出会って一ヶ月ほどが経過した、5月某日。
今日が定休日と知りながら、私は仕事帰りにフロムニキータへ立ち寄った。
「(あれ……?)」
定休日にも拘わらず、店内は仄かに明るかった。
カーテン越しの窓から、人影も見受けられる。
表にはCLOSEDの看板がかかっているし、ゲリラ的に営業するならSNSに連絡があるはずだ。
泥棒がわざわざ電気を付けて盗みに入ったとも思えない。
人影の正体は十中八九、志帆さんだろう。
明日の仕込みでもしているのか、たまたま忘れ物を取りに来たタイミングとか?
いずれにせよ、今日は会えないと諦めていた志帆さんが、そこにいるのだ。
偶然のラッキーを喜びつつ、正面玄関から堂々とお邪魔する。
「───あれっ、音ちゃん?」
いつものようにカウンターに立った志帆さんは、暗がりでキープボトルの整理をしていた。
「すいません。
通り掛かったもんで、つい。」
「そこ、鍵してなかった?」
「なかったですよ?」
「あ、そっか。
さっき表の掃除したから……。」
「やっぱお邪魔でした?」
「そんなことないよ。
せっかくだし、ちょっと話そう。」
「いいんですか?」
「片手間で良ければね。おいで。」
「ヤッター……!」
お取り込み中ながら、志帆さんは私を招いてくれた。
名実ともに志帆さんを独占できる、またとない機会。
ひょっこり立ち寄った甲斐があった。
私がスキップをして近付くと、志帆さんは可笑しそうに笑った。
「ここもお掃除ですか?」
「最後にね。」
「他は済んだ後?」
「表とホールと、厨房もちょっとね。」
定休日という名の、お掃除日和だったらしい。
残すはカウンターだけのようだが、一人でこの空間を処理するのは骨が折れたことだろう。
「ごめんね暗くて。
ホールの電気も点けようか?」
「いーっすよそんな勿体ない。
志帆さんの顔見えればジューブン。」
「お仕事帰り?」
「ピンポン。」
「例のホストみたいなやつ?」
「そっちは今日はお休みなんで、本業の方です。」
「そうなんだ。お疲れ様。」
「エヘヘー。あざまーす。」
二日ぶりの志帆さんを摂取。
相変わらずのマイナスイオンが、五臓六腑に染み渡る。
私ばかりが得をするのは忍びないので、押しかけてしまった詫びくらいはさせてもらいたい。
「ね、志帆さん。」
「うん?」
「ご迷惑じゃなければ、私も手伝っていいですか?」
「これ?
構わないけど、お仕事帰りなんでしょ?」
「志帆さんに会ったら、疲れどっか行っちゃいました。」
「優しいね。
お言葉に甘えちゃおうかしら?」
駄目元で掃除の手伝いを申し出ると、意外にも快諾された。
私が志帆さんの立場だったら、私みたいな輩は自分のテリトリーに入れたくない。
優しいのは志帆さんの方だ。
「じゃあー、棚のボトル、一回ぜんぶ出しちゃって。
それから、棚とボトルで分担しようか。」
「私どっちやればいいです?」
「ボトルは私がやるから、君は棚を布巾で拭く係。」
「一日係長っすね。
水拭きですか乾拭きですか?」
「アルコールで磨いた後に、乾拭きもお願いしていい?」
「ガッテンデース。」
手分けして作業に当たり、棚もボトルもピカピカに。
ついでに厨房の換気扇を洗ったり、期間限定メニューのポップを作ったりもして、気付けば深夜10時を回っていた。
「───いやー、すごいよ音ちゃん!
こんなの作る才能もあったんだね!」
「うちの店───、本業の方ね。
男所帯なんで、こういう細かいのは殆ど私担当なんですよ。
おかげで慣れました。」
「素晴らしい特技だよ。
ちょっと手伝ってもらうつもりが、なんだかんだ色々やらせちゃって……。
拘束してごめんね。」
「いえいえ!どうせ暇ですし!楽しかったです!」
私の働きぶりを、志帆さんは大いに喜んでくれた。
スケジュールの関係から後回しにしていた部分もあったようなので、少しでも志帆さんの負担を減らせたなら良かった。
「待ってて、今バイト代───」
「いらないいらない。
私が好きでやったんですから。」
「でも、本当に助かったし、ありがとうの一言じゃ割に合わないよ。」
私としては、志帆さんと過ごせた思い出こそプライスレス。
対して志帆さんは、手ぶらで帰すわけにはいかないと食い下がった。
何かしらの対価を受け取らない限り、収めてくれなそうだ。
「なら、今度来た時、また私に合ったカクテル作ってください。
こないだの、フロリダ?も美味しかったですけど、別のやつ。」
ならば折衷案、もとい妥協案。
次回を約束することを対価とさせてもらおう。
「それくらい、お安い御用だけど……。」
志帆さんは尚も腑に落ちない様子で、しぶしぶ飲み込んでくれた。
「音ちゃん。」
「はーい?」
「この後って、なにか予定ある?」
「ないですよ。まっすぐ帰ります。」
「バイク?」
「今日は天気良かったんで、お散歩ついでに徒歩出勤しました。」
「ちょっとくらいなら飲めるんだね?」
「え……。
もしかして、今作ってくれるんですか?せっかく掃除したのに?」
「せめて一杯くらいサービスさせてもらえないと、私の気が済まないよ。
もちろん、無理にとは言わないけど。」
「ヴェ、うう嬉しいです!
アッ、もしっ、シュ、志帆さんも、一緒に飲んでくれたり、とか……?」
「いいよ。すぐ準備する。」
飲み込んだものと思いきや、今度は志帆さんから約束の前倒しを提案してきた。
二人きりで酌み交わせるなんて、棚から牡丹餅ならぬ、棚から金塊並の幸運だ。
すごくない?
たまたま徒歩出勤して、なんとなく店に立ち寄った過去の私、えらくない?
「ちょっとタンマ!」
準備のため厨房へ引っ込もうとする志帆さんを、慌てて引き止める。
せめて一杯くらいはと、志帆さんは言った。
どのみち一杯は提供されるなら、過程にちょい足ししても構わないはず。
「おまけにもう一個、サービスしてもらってもいいですか。」
「もちろん。高いおつまみでも開け───」
「お酒作るとこ。近くで、見てみたいです。」
フロムニキータに通い始めて一ヶ月。
未だ私は、"バーテンダー樫村志帆"を知らない。
飲食店のオーナーとして、良き話し相手の側面しか、志帆さんは見せてくれないのだ。
"───志帆さんって、カウンターと厨房と分けて使ってますよね。
なんか理由とかあるんですか?"
"さあね~。
ワタシも前に聴いたことあるけど、恥ずかしいからー、としか答えてくれなかったよ。"
"恥ずかしい?"
"あそこの楯。
なんでもっと分かりやすいとこ置かないのかって話、したんでしょ?
それと関係あんじゃない?"
"大した実績がないから、人前でやるのは恥ずかしい……?"
"かなーって。他に思い付かないし。"
"ラウンジに勤めてた頃は、普通にバーテンやってたんですよね?
なんで今になって……。"
"そんな気になるなら、本人に直接聴いてみなよ。
ま、どうせはぐらかされて終わるだろうけどね───。"
バーテンダーといえば、お客さんの前でお酒作ってナンボだ。
あの水筒みたいな茶筒みたいなのでシャカシャカやって、グラスに注いでフルーツなんたら添えたりして、へいお待ちってやるパフォーマンスまで含めての職業だ。
少なくとも、私はそう認識している。
ところが志帆さんは、注文を承ると先程のように引っ込んでしまう。
そしてカウンターへ戻ってきた頃には、注文通りの品が出来上がっている。
一から自分で手作りしているなら、専門店で修業経験があるというなら、なぜ隠すのか。
私たちも志帆さんがシャカシャカやる姿を見てみたいと、常連客の総意があるのに。
「あー……。
つまりシェイクの方を見たいのね?」
「シェイクってシャカシャカやるやつですか?」
「そう。」
「シェイク以外にもやり方あるんですか?」
「ステアね。
単に合わせたり、掻き混ぜるだけで作る場合もあるよ。」
「へー、知らなかった。
どうせならシャカシャカがいいですけど、見せてもらえるんなら何でもいいです!」
「んー。」
「サービスしないと気が済まないんですよね?ね!?
もう一声!オナシャス!」
不躾を承知で、私は前のめりに頼み込んだ。
志帆さんは"わかったよ"と頷くと、厨房から道具と材料を持って来てくれた。
「プロっぽーい!」
「道具はね。」
「名前は?名前は?」
「シェイカー、ストレーナー、アイスペール、ダブルジガー、マドラー、トング。」
「焼肉?」
「こっちのは氷用。」
必要の一式がカウンターに並べられる。
これらのアイテムが、志帆さんの魔法にかかるのか。
「どんなの作ってくれるんすか?」
「ナイショ。」
「エエー!」
「二種類作るから、好きな方を後で選んで。」
「二種類も!?」
「"何でもいいけど見たい"、でしょ?」
「ふとっぱゃ……。」
なんということでしょう。
私のリクエストにお応えして、シェイクとステアの両方を披露してくれるそうな。
「まずはステアね。」
「ハーイ!」
私のせいで前座扱いになってしまったステアだが、この時点で志帆さんの色気が大爆発だった。
氷を運ぶ繊細な手つき、グラスに注ぐ伏し目がちな眼差し。
だ、抱かれてる。
間接的に私これ、志帆さんに抱かれてる。
「やり辛いなぁ。」
ガンギマリで鼻息を荒げる私に、志帆さんは困ったように笑った。
可愛い!100点!
美しい!100点!
エロい!300点!
鼻血!出てない!ヨシ!
「次がシェイクね。」
「ワクワク!」
いよいよ本命のシェイク。
計算され尽くした材料がシェイカーに投入され、志帆さんが腕を高く振り上げる。
「(はわわ。)」
しゃ、シャカシャカや。
おっさんバーテンバージョンでしか見たことないシャカシャカ。
シャカシャカする度に揺れる毛先、腕の血管、顎から首にかけてのライン。
もはや全年齢のAV!
鼻血出てない!ご馳走様です!
「できました。」
はっと我に返ると、グラスが二つ、目の前に置かれていた。
夢の時間は一瞬にして永遠のようだった。疲れた。
「こちらがブラッドハウンド、こちらがギムレットになります。」
ゴブレットグラスにストローが刺さっているのが、ブラッドハウンド。
カクテルグラスにカットライムが添えられているのが、ギムレット。
赤くトロッとしたブラッドハウンドは濃厚そうで、白くサラッとしたギムレットは淡泊そうな印象だ。
「むはー、イイニオイっすねぇ……。」
「くだもの使ってるからね。どっちがいい?」
「なやむー……。飲みやすいのは?」
「ブラッドハウンドかな。苺すき?」
「すきです!」
「決まり。」
悩んだ末、私はブラッドハウンドを。お付き合いの志帆さんは、ギムレットを頂くことに。
中身が零れないよう乾杯して、それぞれに口をつける。
「ウマーイ!」
「よかった。こっちのも一口どう?」
「間接キッスいただきまー!」
「お酒の方を味わってほしいな。」
ブラッドハウンドは苺の甘味と旨味が、ギムレットはライムの酸味と苦味が後を引く、万人受けの美味しさだった。
とりわけブラッドハウンドはデザート感覚で頂けてしまうので、調子こいてガバスカ飲むと強かに酔いそうだった。
「(いや待てよ。)」
酔った方が都合がいい、のかもしれない。
既に充分噛み締めているが、今日の私は大変ツイている。
多少の我がまま程度なら、志帆さんも聞き入れてくれる姿勢だ。
この流れに乗じれば、普段は撥ね付けられてしまう要求も、うっかり通ったりするのではないか。
「志帆さん。」
「ん?」
「私と付き合ってくれませんか。」
グラスを傾ける志帆さんの手が止まる。
交際を申し込むのも、はや十回を数える。
「君も本当に、気が長いよね。」
「そりゃあ本気ですから。」
「せっかくモテるんだから、こんな色物に執心しなくたって良いのに。」
「志帆さんは色物じゃありません。
志帆さん以外にモテたって嬉しくありません。」
「盲目的~。」
おつまみ代わりのポッキーを袋ごと差し出される。
抜き取った一本を直ぐには食べず、ブラッドハウンドで冷やす。
「志帆さん。」
「ん?」
「いいかげん、教えてくれませんか、本当のこと。」
「本当のことって?」
「恋人を作らない理由です。」
「んー。」
志帆さんがポッキーを二本同時に咥える。
ばつの悪いことがあると、彼女はこうして惚けたフリをする。
「振り向いてくれる気がないのに、ちゃんとフってくれないのは、私がお客さんだからですか?
私が良い金ヅルだから、思わせぶりなことして、ずるずる通わせてやろうって魂胆なんですか?違いますよね?」
「………。」
「やめといた方がいいとか、もっと相応しい人を選べとか。
そんな綺麗事ではぐらかされて、納得できるわけないでしょう。」
「……そうだね。」
「こう見えて、引き際くらいは弁えられます。
どうしてもお前じゃ無理だって言われて、それでも縋るほど愚かじゃありません。
だから、言って。教えてください。
あなたは何を考えているのか、私のことを、どう思ってるのか。」
志帆さんは暫く沈黙してから、カウンター内のハイスツールに腰掛けた。
「恋人になると、駄目なんだよね。」
「なにがですか?」
「遊び相手は何ともないのに、恋人関係になると、たちまち崩れる。
みんな不幸になってしまうんだよ。」
"不幸になる"。
志帆さんを好き過ぎるあまり頭がおかしくなるとか、志帆さんに尽くしたい一心で破産するとかって意味だろうか。
志帆さんは"違う"と否定して、ぼんやりと続けた。
「もっと明確に、運気が下がっていくの。
最初は、烏にフンを落とされたとか、お気に入りの靴でガムを踏んでしまったとか、その程度。
それが段々エスカレートしていって、変なヤツに粘着されたり、逆に一番の友達に裏切られたり……。
私との交際期間が延びるほどに大きく、取り返しのつかない不幸へと繋がっていくんだよ。」
「思い過ごし、じゃないんですか?
たまたまそういう、アンラッキーな人と出会っちゃっただけで───」
「三人。」
「え?」
「さすがに、三人も立て続けにアンラッキーが起きたら、思い過ごしでは済まないでしょ?」
志帆さんの笑顔が悲しげに歪む。
どうやら、私を思い切らせるための方便ではないらしい。
過去にお付き合いをした一人か二人がそういう人だった、なら悪い偶然と言えただろう。
しかし三人、それも立て続けとなれば、どう解釈しても無下にはできない。
相手ではなく自分に問題があるのでは、と疑ってかかるのは当然だ。
「もしかして、これまでの恋人さん、全員なんですか。」
「残念ながら。」
なるほど。
志帆さんが恋をしたがらない理由が、ようやく分かった。
想い人が、自分のせいで不幸になる。
いっそ、想い人のせいで自分が不幸になる方が、まだ耐えられたかもしれない。
きっと志帆さんは、相手の未来を尊重して、別れる選択をしてきたんだ。
想えばこそ、愛すればこそ、自分抜きでも幸せになってほしかった。
私にも似た経験があるから、その気持ちは察するに余りある。
「だから、私のことも不幸にしたくなくて、付き合えないと。」
「君は前途有望な若人だもの。
仮に、何事もなくお付き合いできたとして、私はどんどん老いていくし、色んなものを失っていく。
やっぱり恋人は、年頃の近い、健康な相手を選ぶべきだ。末永く、仲良くやっていくためにもね。」
けれど、やっぱり。
私だから駄目じゃないなら、私は嫌だ。
「うん。納得いきません。」
「……話聞いてた?」
「聴きました。ちゃんと分かりました。
けど私も同じように不幸になるとは限りませんし、ご存じの通り私は厚かましいです。
神経ゴン太で生命線もクッキリ。ちょっとやそっとのアンラッキーで参るような女じゃないんです。」
「だとしても万が一の───」
「私が志帆さんに出会えた確率は、億が一のラッキーなんです。
たとえ火の中水の中、茨の道であろうとも、先に志帆さんがいると分かっていれば、私は手足を失くしても前へ進みますよ。」
「噺家の人?」
「それでも、どうしても万が一が怖いと言うなら───」
冷やしておいた自分のポッキーを志帆さんに差し出す。
志帆さんは不思議そうに目を丸めつつも、差し出された先端を前歯で咥えた。
「試してみましょう。
本当に志帆さんが原因なのか、実は相手の問題だったのか。
あるいは、恋人の定義に曰くがあるのか。
どんな形なら平穏無事に済むのか、私と実験しましょう。
どうせ上手くいかないからって、ずっと一人きりでいるなんて、寂しいじゃないですか。」
志帆さんは私を否定しない。
やんわり遠ざけるばかりで、はっきり拒みはしない。
好きとまではいかなくても、生理的に無理なレベルまでは、疎まれてもいないはずだ。
だったら、押して押して押しまくる。
志帆さんの不安を拭い去り、真っさらな状態になってから、改めて私と向き合ってもらう。
その上で愛せないと言われたなら、今度こそ断念する。
たとえ志帆さんが改心するだけ、私が一肌脱ぐだけに終わっても構わない。
私が志帆さんと付き合いたいの前に、志帆さんを孤独から掬い上げたい。
私的な欲望は二の次だ。
「どうしてそこまでするの?」
「あなたを好きだから。」
「私は好きになれないと思うよ?」
「でも嫌いじゃないんですよね?」
「後悔するよ?」
「戦わずに負けたらね。」
「こんなにしつこい子は初めてだよ。」
「初めてついでに、最初で最後の四人目になってやりますよ。」
志帆さんは咥えたポッキーを一口齧ると、残りをギムレットに刺した。
「ちょっとでもキミに異変が起きたら、即やめるからね。」
「バカは風邪ひかないんで。」
二度目の乾杯。
私と志帆さんの、"制約マシマシ恋人ごっこ"が、幕を開けた。




