No.2
三曲目を歌い終わり、ひろゆきさんに礼をする。
ひろゆきさんはいつまでも拍手をやめない。
「ヒロシみたいに才能があればなぁ。」
ヒロシとは俺の名前。
「いや、何言ってるんすか。ひろゆきさんみたいになりたいって俺しょっちゅう思いますよ。」
ひろゆきさんは俺がこの町に引っ越してはじめて深夜の商店街に出た時に出会った人だ。
今俺が歌っている場所。この場所でひろゆきさんは歌っていた。さっき俺は自分の音楽に才能があると信じていた。
と過去形で述べた理由。それはひろゆきさんとの出会いにあった――
親父の葬式には何百人もの人が来てくれた。
喪服を着た人達が、亡くなった親父の前で深く瞳を閉じて、手を合わせる。
親父という身近な存在――俺はこんなに親父が色んな人から愛されている事を今まで知らなかった。
親父の墓の前に立つ時、親父が最期に言ったあの言葉が俺の頭をよぎる――
「お前は大バカ者だ。」
はじめてひろゆきさんを見た時――それは俺が精神的に酷く病んでる時であった。
ひろゆきさんが大声で声を嗄らして歌っていたあの曲――
今でも覚えている。
長渕剛の
「乾杯」。
衝撃的だった・・・
あの頃はただひろゆきさんの歌っている
「乾杯」に酔いしれるだけで全てを忘れる事ができた。
あの衝撃は何だったんだろうか?
今歳を重ねた俺が導き出した答え。
音楽に対する姿勢――それが俺とは全く違う所にあるのではないだろうか。
さっき俺は
「乾杯」を
「歌っている」と表現したが、実はそんな容易いくくりでは表現しきれない‘何か’があったのだ。
それが‘才能’というものではないだろうか?
普段は優しくて気さくなひろゆきさんが歌っている時は、俺にはない力を感じる。その力が何なのかは今でも分からない。
そんなひろゆきさんが歌っていると、道行く人は必ず足を止める。
そして俺と同じようにひろゆきさんの奏でる歌に酔いしれる――
気さくなひろゆきさんとは同じストリート仲間という事もあり、すぐに仲良くなった。
何気ない日常を面白おかしく語るひろゆきさんに、俺の心も随分と助けられたようだ。
しかし、そんなひろゆきさんに一度だけ聞いてはいけない事を聞いた事がある。今でも後悔している。
それ以来、俺とひろゆきさんの間には見えない深い溝ができてしまった。
いつもの夜の商店街の何気ない会話――
「ひろゆきさんが歌いだすと、一気にお客さんが集まって。本当に凄いなぁ。」
「まぁ暇つぶしじゃね?」
「いえいえ、あれはひろゆきさんのオーラが引き寄せてるんですよ。」
「ったく、何言ってんだか。」
「嬉しくないんですか?」
「そんな事はないよ。すっごく嬉しいよ。」
ひろゆきさんは素敵な笑顔でこっちを振り向く。
「・・・その、ひろゆきさん?」
「ん? 何だよヒロシ、勿体振った顔して。」
「一つ聞いていいですか?」
「あ〜何?」
「その・・・なんでひろゆきさんはデビューの話とか来ないんですか?」
「・・・。」
「いや・・。その・・・いつもお客さんたくさん来てるし、この町でも結構有名じゃないですか? そろそろそういう話が来てもおかしくない・・」
「ヒロシ。」
「え・・・。何ですか?」
「デビューって簡単にいうけどな、俺みたいな人間じゃ到底掴む事のできない絵空事なんだよ。」
「そんな・・・。」
「ヒロシ・・・。 俺はもう歳を取り過ぎた。色んな世界も知ってしまったし、今俺が歌を歌っている理由なんてたいしたことないんだよ。それに、デビューなんて考えた事、俺は一度もない。」
「ひろゆき・・・さん・・」
寂しそうな顔でひろゆきさんは言った。あの顔はきっと僕には言えない何かがある・・・
そんな気がした。
「でもな・・。 ヒロシはまだ諦めんなよ。」
「え・・・?」
「お前は若いし、夢もロマンもある。 お前の場合、やっぱりプロの歌手になる事なんだろ?」
「は、はい。」
「お前には音楽の才能がある。人を引き寄せる力もな。だから、頑張れよ!」
そう言ってひろゆきさんは静かに歩き出す。
「あ・・・ひろゆきさん、僕頑張ります!」
俺は大きな声でそう叫んだ――
それ以来、ひろゆきさんがこの商店街で歌っている姿を見た事は一度もない。
ギターケースだけ持って俺の歌を何曲か聞いた後、トボトボと歩きだし、夜の暗闇へと姿を消す。
その寂しげな背中だけが、俺の脳裏に焼き付いている――