ハロルド
縦穴の入り口にロープがきちんと束ねられて置かれている。
これは事故ではない。
スリサズは、魔法で降りるのとどちらが早いかとっさに考え、ロープを掴んでいったん洞窟の外に出て、ロープの端を手頃な木の幹に縛りつけ、そのロープを伝って洞窟の底へと降りた。
床には一面に透明な砂利が敷き詰められている。
古くなって力を失った、炎の魔石の残骸だ。
スリサズは自分の服の中から魔石を取り出した。
こちらはまだ新しく、石の中心が燃えるようにオレンジ色に光っている。
それをハロルドの服の中、太い血管の集まる腋の下と股の間に押し込む。
「ハロルド、しっかりして! ハロルド!」
背負い袋から取り出したカップに、壁を流れる湧き水を溜め、湯沸し用の、豆粒のように小さいが濃い赤色をした魔石を放り込む。
一瞬で湯気が上がる。
しかし意識のない状態で飲ますのは危険なので何度も呼びかける。
ハロルドがスリサズの手を握った。
「……ポーラ……」
「スリサズよ。覚えてる? 六年前に花畑村で一緒に遊んだの」
手袋越しでもハロルドの手が冷え切っているのが感じられる。
早く暖めてやりたいが、ここで急にマッサージなどすれば、体の末端の冷えた血液が心臓に一気に流れることになり、ショックで心臓が止まる恐れがある。
軽度の低体温症でガタガタ震えているのであれば、どんな方法でもとにかく早く暖めれば良い。
寒さで体が震えるのは、その動きで自ら熱を作り出すため。
ハロルドはそんな力もないほどの深刻な状態。
もどかしいが時間をかけて、体の中心からゆっくりと温まるのを待つしかない。
ともあれようやくハロルドの意識が戻ってきたので、ハロルドの背中を抱いて上半身を起こさせ、カップを口もとに持っていってお湯を飲ませる。
どうやら大丈夫そうだが、発見がもう少し遅ければ危なかった。
「ねえハロルド、何があったの? 怪我はしていないみたいだし、上からただ落っこちたってわけじゃないのよね?」
「……山道を歩いていたら……突然、変な男に襲われて……ナイフを突きつけられて……洞窟に連れ込まれて、ロープを下りろって……」
「男?」
「……たぶん……女の人にしては背が高かったから……」
「顔は?」
「……わからない……仮面をつけてた……それに声もまったく出さなかった……何が目的なのか……さっぱり……」
「どんな仮面?」
「……南方風の……儀式で使うような……」
(民芸品ね)
スリサズは心の中でつぶやいた。
男物のコート。
背が高く見えるブーツ。
謎の仮面。
その全て、熊に食われた少女の遺品にあった。
「……そいつが……僕をここに閉じ込めて……そいつ、最初のうちは毎日ここに来ていた……穴の上から覗いて……僕の様子を見て……食べ物も……でも、ある日パタリと来なくなった……」
穴の上でコロンが吠えた。
「……そうだ……コロン……コロンが助けてくれたんだ……あの男が来なくなってから、コロンが食べ物を運んでくれた……」
スリサズの六年前の記憶では、コロンはポーラに良く懐いていた。
おそらくコロンはポーラが洞窟に食料を運ぶのを見ていたのだろう。
ポーラの真似をしていれば、ポーラにまた逢えると思っていたのかもしれない。