MD2-005「ランド迷宮初層-2」
ダンジョン
いくつもの欲望と、望みと、
そして多くの歓喜と悲しみが同居しているであろう場所。
そう親の話を聞いただけの僕でさえ、
それを目の前にすると感じる。
ダンジョンは異質な別世界なのだと。
「このダンジョン、ランド迷宮はそう深くないダンジョンよ。
でも、1つ大きな特徴があるの」
「それは?」
僕とフローラさんがいるのは、外からの穴はくぐったとはいえ、
まだダンジョンと呼ぶには微妙な場所。
外からの灯りも感じられるし、安心感もある。
だからこそ話も出来るといえるのだけれども。
「月に1回、この入り口が閉まったかと思うと、
次に開いたとき、ダンジョンの構造が変わっているのよ」
(構造が変わる? ということは地図が役に立たないぐらいということだろうか?)
僕の疑問が顔に出ていたのか、
フローラさんは懐から2枚の紙を取り出す。
開くとちょうど全体が見えるほどの大きさの物だ。
それが2枚手渡され、どうにかして続けて2枚を見ていくと地図のようだった。
入ってすぐであろう場所は同じようだが、その先がかなり違う。
大筋のルートは同じように見えるが、周りは確実に別の場所だ。
少なくとも、自分にはそう見えた。
「面白いでしょ。これ、先月と今月のこの地下1階の地図なのよ。
最初の階層ですら、これだけ違うの」
僕はその言葉に背筋が寒くなった。
冒険というものは、恐らくではあるが出来る限りの準備と、
いざという時の逃げる手段などを備えて初めて成り立つものだ。
勿論、当たってみなければわからない冒険、というものもあるだろうが
命がけで日々を過ごす冒険者にとっては見えない未来という物は恐怖でしかないだろう。
『だからこそ、お前の親御さんたちは引退を決意したんだろうな』
僕はファクトじいちゃんの言葉に心で頷く。
友人の頼みという物が無ければ、両親は今も
勝手知ったる場所での冒険と狩り以外、危険を冒す行為を行わずに
確実な生き方をしていたであろうと思われた。
毎晩僕達3人と過ごすのが何より楽しいと口癖のように言っていたのだから。
だからこそ、不思議であった。
「月に1回は変わるとなると、中に探索し続けたままの冒険者というのもいるのでは?」
「ええ、可能性はあるわね。一応、ダンジョン自ら数日前から予告のように
予兆が出るのよ。それを見逃さなければ容易に脱出できるわ」
稀に中にいたままの冒険者は、戻ってきたり戻ってこなかったりするらしい。
僕はその言葉に無言ではあるが、感じ入った表情をしていたのだろう。
フローラさんは何かに納得したかのように頷くと、僕の背中を叩いた。
「さ、始めましょ。その予兆にさえ気を付ければ
ここは駆け出しでも戻ってこれるぐらいの冒険の余裕はあるわ」
深くへと不用意に潜れば知らないけどね、と
からかうようにいってくるフローラさんだが目は笑っていない。
それだけありうるのだろう。
初心者が調子に乗って突き進むということが。
ここに来るまで、僕は冒険者やダンジョンには
ある種、あこがれに近い感想を持っていた。
親がお金を稼いだ手段でもあるし、華やかな話も聞いてきたからだ。
しかし、同時に僕は冒険者や冒険という物に親がいなくなった原因であるという
憎しみのような感情を抱いていたであろうことも確かだった。
それらをひっくるめて、僕の今を支配していたのは、
未知への恐怖と、未知を知ることへの……興奮。
『俺から言えるのは1つ。ファルク、お前がダンジョンに挑むのは何のためだ?』
「今の僕の目的は……探し物を見つけるための強さだ」
つぶやくように言い、僕は一歩を踏み出す。
フローラさんは静かに、僕の後をついてきていた。
入って洞窟のような道を進み、最初に出会ったのは、ゴブリンだった。
店の半分ほどの空間。
その隅で、何かの食事をしていたのだろうか、
薄汚れ、体を洗うなんてことはしたことがないであろう姿で
うずくまっていたゴブリンが僕を見るや飛びかかってきた。
耳に届く奇声と、魔法の灯りに照らされた鋭い爪の光。
「はっ、はっ」
その後のことは記憶にはあまりない。
気が付けば僕は腰に下げていた長剣を抜き放ち、
数歩踏み出した状態でゴブリンの首を体から飛ばすように切り裂いていた。
不思議と、血が噴き出すような様子はない。
興奮からか、荒くなった呼吸を整えるように息を大きく吐き、
物言わぬ姿となったゴブリンを見る。
「一撃、ね。なかなかやるじゃない」
「ありがとうございます。……フローラさん、これ、なんですか?」
称賛であろう言葉を背に、僕は目についた不思議な物体を
剣先でつついて問いかける。
剣先にあるのは、ゴブリンの指の形をしてはいるが
肉というより石に見える、濁った何か。
「魔水晶。聞いたことは無い?」
「あるようなないような。魔道具の話に出て来てましたっけ」
親や冒険者達の話を思い出すようにしながら僕は心当たりを口にする。
「そうね。身近な物だとそれかしら」
フローラさんはそういって、どこに装備していたのか、
使いやすそうなナイフを手にしゃがみこみ、
ゴブリンの指の形をした先端分を切り取った。
仕舞っておいて、というので小袋に入れる。
思ったよりも軽く、本当に袋に入ったのか不安になるほどだった。
「ダンジョンと、外に生きている怪物、モンスターの違いはこれね。
お金になるから詳しい説明は後にするとして、皮や牙を取る時間が無くても、
モンスターを倒したらそこだけは集めなさい。
あと、この部分が大きいほど、厄介ってことは覚えておいて」
そうして僕は促され、先を進むことになる。
自然にできたと考えるには広すぎる洞窟。
僕は覚えることが出来た数少ない魔法である灯りの魔法を行使し、
暗い道を進む。
いくつかの分かれ道を過ぎた後、ふと気配を感じて
僕は光を前方へと伸ばし、やや後悔した。
「なんで何匹もいるんだよ」
通路の中に、複数のゴブリンがいたのだった。
どのゴブリンも粗末な武器らしきものを手にし、
僕へと奇声を上げて襲い掛かってきた。
『武器を振るう時はその次の動きを意識しろ。斬って終わりじゃない、
次を斬るための切り方を覚えるんだ』
頭に響く助言と共に、僕の腕がわずかではあるが、
そうするのが自然であると思えるような動きを行い、
ゴブリンの追撃を阻害する。
倒したゴブリンを確認し、魔水晶のある個体であれば
その場所を切り取り、小袋に仕舞う。
その間、フローラさんはこちらを見るだけで
剣を抜くようなことは無かった。
もっとも、後ろからの奇襲がない当たり、
見落としがちな後ろへの警戒を行ってくれていることになるのだろう。
その後のダンジョン探索は幸いにもというべきか、僕が対処できそうな相手にしか遭遇せず、
ここがどういう場所か、雄弁に語っていた。
が、ここで思う。
(じゃあなんでフローラさんみたいな人がいるんだ?)
『答えが近いようだな。次の角の先の…たぶん扉は開けるな。
正確には、準備せずに開けるんじゃない』
声を聞きながらの曲がり角。
警戒をしながらそこを曲がった先で目に入る謎の扉の姿。
「あら、小ボスね。運がいいじゃない。この扉、気が付くとできてるし、
気が付くと消えてるのよ。不思議な物よね」
僕の背中にそんなフローラさんの声がかかる。
(小と付くとはいえ、ボスとなれば強敵、ってことか)
「ここは私がやるわ。そんなんじゃ戦えないでしょ」
言われて初めて気が付いた。
(震えている。くそっ、なんだよっ)
『向こうの気配を感じてるんだ。恥じることは無いさ、怖さは、生きる上で重要だ』
握った剣が妙に揺れていると思ったら、僕の……剣を握った手が震えていたのだ。
何とも言葉にできない、扉の向こうから感じる嫌な気配にだろう。
顔をしかめ、悔しい気持ちを心で考えながらも
ご先祖様に言われ、少しだが心が軽くなる。
「はい、お願いします」
よく考えれば今日は初日なのだ。
既に数刻、突入から経過しており
少なくない数のゴブリンを相手にしてきていた。
それでいいじゃないか、と僕は自分に言い聞かせ、
フローラさんと入れ替わる。
「大丈夫。キミならここにたどり着けると思うよ」
どこか陽気につぶやいたフローラさんが
無遠慮に開いた扉の先にいたのもゴブリン。
ただし、右腕全体が魔水晶だった。
やや赤く、さらに道中より透明な気がする。
(あれが強い個体、か)
『そうなるんだろうな。この階層にいていいのか?と思うぐらいだ』
頭の声が終わるかどうかという時に
フローラさんとゴブリンは動き出す。
粗末ながらも防具を身につけた様子のゴブリンは
僕が倒した相手とは明らかに違う動きをした。
しかし、どこかゆったりとした動作でフローラさんは
そのゴブリンの攻撃を受け止める。
「大丈夫、だよな?」
受け止めたフローラさんの長剣が立てる音が、
如何に相手が僕の倒してきたゴブリンと違うかを証明している。
そんな攻撃を繰り出すゴブリンに内心恐怖し、
僕は心配事を口にする。
戦いは続いていく。
力一杯と思えるゴブリンの攻撃を、
フローラさんは受け流し、あるいは回避する。
唐突に、僕は気が付いた。
フローラさんがわざわざ、自分の動きを見せているのだと。
僕がそれに気が付き、見学の姿勢を変えたことに気が付いたのだろうか。
フローラさんの顔に笑みが浮かび、
勝負はあっという間に終わった。
ゴブリンの攻撃、力一杯突き出された右腕に絡まるように
フローラさんの体がゴブリンに肉薄し、その背中を長剣が貫いた。
突っ込んでくるゴブリンの勢いをも利用した、ある種のカウンターであった。
「さ、帰りましょ」
先ほどまで別次元の戦いをしていたというのに、
フローラさんはひどく陽気な声で提案してくる。
その右手には、切り取ったばかりのゴブリンの腕型の魔水晶。
「こういったことがちょこちょこあるからここは儲けに良いのよねえ」
笑顔での告白を聞きながら、僕は頭の中で
先ほどのフローラさんの攻撃を思い浮かべていた。
近い目標と大きな目標を再確認し、
僕は気合を入れなおす。
もっとも、歩き出してすぐに、もう帰ろうかという時なのに
気合を入れてどうするのか、と恥ずかしさに顔が赤くなるのがわかる。
「外に出ればわかんないわよ、きっと」
僕のそんな状態はお見通しなのか、
からかうようなフローラさんの言葉に
僕はようやく顔を上げる。
「あ……出口だ」
良いところも悪いところも
色々と自覚させられた僕のダンジョン初体験は
夕暮れの街の光景で終わりとなるのだった。
一人探索はもうちょっと先、です。