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行き止まりの壁に啼くのは蝉

作者: 植物系男子

 蝉が啼くのは求愛行動らしい。あれだけ堂々と愛を叫べたらどれだけ楽か、と。


 彼が山田と知り合ったのは随分と昔の事だ。

 幼い頃、母の友人に連れられてきた隣家に住む女の子は顔を赤くするばっかりで、話の受け答えもままならなかった。月日が流れ、幾度と顔を合わす内に山田も自分の言葉を話し始めた。当時の彼は山田が心を開く事を自慢に思った、彼女は重度の人見知りであったから。


 物心が着いて初めて、山田と自分との間に年の差を実感した。田山は2つ程幼い。山田と自分が同じ学級になれない、と当たり前の事を実感する度に心の部品を1つ持ってかれたみたいだった。それとこの頃から山田の「にいちゃん」と言う言葉の響きが変にもどかしかった。


 その原因に気付いたのが中学2年の夏だ。思春期の訪れと共に蓋を開いたみたいに現れたが、感情に名前が付いても山田との関係は依然として変わらなかった。既に縮まっている距離を憎くさえ思った、手の打ちようが分からず頭を抱えた。だが、悪友の語る下衆な事を彼は軽蔑さえしていた。


 重たい腰を動かす契機は高校2年の、これまた夏だった。母の何気なく言った「美里ちゃんも大人になったねぇ、すっかり可愛らしくなっちゃって」の一言が彼の不安を煽ったからだ。田山に想いを寄せる男は幾らでもいる、うかうかしてられない、と決意を固めて、次の日平然を装って山田をプールに誘う。無邪気に「にいちゃん、本当?」と笑う何も警戒しない姿に彼は罪悪の意識を覚えた。後ろめたかった。


 2人で遊ぶのは、いつもと勝手が違う。中三で幼さが残るとはいえ大人に近づく山田にドキマギする。格好良い所を見せようと張り切って泳いで足をつるのだから消えてしまいたい。休んでいると、飲み物を買うと売店に行く山田が少年と話す所を見てしまった。彼女が笑みをこぼす度に不安が募る。あれは友達であろうか、彼氏かもしれない。想像は決して良い方向に傾かず、戻ってきた山田と目を合わせるのが怖くて話す事も出来ないで今日を終えた。隣を歩く彼女が今までで一番に遠く感じる、彼女がポツリポツリ語る言葉に適当に相槌を打って、その実「心を開くのに数年かかったのに……俺が先に好きになったのに……」と言葉が堂々巡りしていた。


 別れ際、山田の眼が潤んでいるように思えた。その事に少し満足感を得つつも、言い知れない嫌悪感が彼を包んだ。自分が今、家族を殺してまで恋人を手に入れようとしている事に気付く。恋に行き止まりがあるなら、それはここじゃないかと思える。恋人になる前に家族となってしまうと、そこには道がない。有るのは壁。その壁を壊すという事は、それは、つまり

「今まで積み重ねた物を壊すというのか、山田の気も知らないで」

 自分が悪友のソレに染まっているように思えた。自然と山田と顔を会わせるのも億劫になり、カーテンを閉じて過ごすようになった。

 閉めた窓からも聞こえる蝉の声が煩わしい。



 月日が流れて、ドアを叩く音が転がった。続けて、

「にいちゃん居るの?」

 と、山田の声がする。扉越しに聞こえた「にいちゃん」の響きはとても遠い物に感じられた。しかし、扉を開けないで

「うん」

 と、だけ応える。扉を背に座った。

「にいちゃん、好きな人いる?」

 山田は不意に聞いてきた。好きな女の子に聞かれると、何を言っても「君だ、君が好きだ」と言っている気がしてならない。何も応えずに居た。それでも構わず、

「私達、家族みたいだよね、小さい頃からずっと一緒だし。学校も2人で行くし、みんなに『本当の兄弟なの?』って聞かれたよね。私が男の子にからかわれた時も、にいちゃんさ『俺の妹に手出すな』って、あの時は格好良かったな、とても嬉しかったの……」

 山田は話を続けた。どんな意図が含まれているのか、この話が何処に行き着くのか、彼には思い浮かばない。ただ、話を扉越しに黙って聞いている。じりり、じりり、と蝉の啼く声が聞こえる。そうして、微かに扉が震えているのに気が付いた。山田の声に泣き声を押し殺す音が混ざる。山田は泣いていた。

「私、『俺の妹』って呼ばれて嬉しかったけど、それ以上に悲しかった。ねぇ、私変なの、おにいちゃんが家族みたいなのに。それだけで幸せなのに。全然足りない。獣みたいなの、おにいちゃん好き。独り占めしたい」

 山田が自分であるのに彼は気付いた。山田も、縮まった距離に、家族になってしまった事に、苦しんでいた。不甲斐ない、と思った。山田にばかり重荷を背負わせて、こんな事まで言わせて。


 立ち上がって、扉を開けた。涙まみれの汚い顔が現れた。それをゆっくり抱いた。山田は抵抗しなかった。

 じりり、じりり、蝉の啼く声が聞こえる。蝉に成れたらな、と思った。

 暑い夏が続く。

僕も蝉になりたいです

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