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女の記憶

ついに辿りついた「女」の記憶に、「俺」と「男」は狂っていく。


※暴力・残酷な表現があります。

 謝罪の日の記憶から、一際細い筋が伸びている。その筋の他端に惹きつけられる気がして、今度は俺が男の手を引いていく。記憶の深遠部は暗く、手を放したらはぐれてしまいそうだ。筋の先にたどり着いた。他とは異なる冷たい光を放っている。病室だ。ベッドの中の女と傍の椅子に座った男が話している。


「さっき話した記憶だ。」


男が言う。俺は息ができないので返事をせず、コクリとうなずく。


「しょうちゃんが手を下す必要は無いよー。アレはー、私が殺したから。アレの奥さんもそろそろ死ぬよ!子孫もみ~んな死ぬんだ。私が殺しといたから。」


記憶の中の女が無邪気に言う。それまで怒っていた男は困惑してどういう意味か問うが、女は同じセリフを繰り返すのみで詳しく話そうとしない。

 事件についての記憶は、この記憶とリンクを持っているはずだ。俺と男は光の筋を辿って他の記憶を覗く。警察の聴取、家族との再会、そして、あの日の記憶をついに見つけた。


「これだ…。」


夜闇を背景に俺の顔が見える。鼻が曲がり、鼻と口から血が流れる酷い顔。物のように運ばれて、冷たく固いフローリングに放り投げられる。父が涎をポタポタ垂らしながら近づいてきて…。俺も男も直視できずに、記憶から一旦離れた。男は怒りに、俺は恐怖に全身を震わせる。俺の家での記憶と太いリンクを持つ記憶を辿る。そして、一番端の記憶へ行きついた。俺と男は互いにうなずきあい、記憶へと近づいた。




 家族ぐるみの付き合いがあった妹の親友が行方不明になった。私はあの子を小さいころから知っていて、妹のように思っていたので、心配で仕方がない。もう2日が経ったというのに、警察も手掛かりは掴めていないようだ。というか、あまり一生懸命に捜査していないと思う。受験勉強に疲れた受験生が家出でもしたのだろうと思われている気がする。あの子はそんな子じゃないのに。


 大学からの帰りに彼女の帰宅ルートを歩いてみる。街灯はあるけど、数は少なく全体的に暗い。空き家や公園があり、人通りが少ないこんな道では、襲われても他の人に気付いてもらえないだろう。少し怖くなって足早に暗い通りから立ち去ることにした。明日明るい時間に来て、何か手がかりが無いか素人ながらに探してみよう。見通しの悪い角を右に曲がりながら、そう思った。


 頭が痛い。自分の置かれた状況がつかめず焦点が定まるまでじっと瞬きだけをしていた。赤いセロファンが雑に巻きつけられた蛍光灯と、木目の天井。どこかのアパートのようだ。椅子に縛りつけられていることに気付くのに時間はかからなかった。口には痛いぐらいきつく布のようなもので猿轡がされていて、声が出せない。背もたれに預けていた頭を起こして周囲を見回す。段ボールで塞がれた窓から外を見ることもできず、時間も分からない。私が縛り付けられている椅子はキッチンの真ん中に置かれていて、隣の和室の方へ向けられている。和室にはSMの道具と思われるものがたくさんと、荒縄で縛られた裸の女の子が転がっていた。女の子はこちらに背を向けて倒れているので、顔は見えない。

 「んーっ!んーっ!」とうめいて女の子の気を引こうと試みる。女の子は芋虫のようにもぞもぞと動き、ゴロンと体の向きを変えた。あの子だった。全身いたるところに鞭や火傷の傷が刻まれ、一部の傷口は炎症を起こしている。その傷口の上だろうとお構いなしに、黒のフェルトペンで文字が書かれている。『雌豚2号』『調教済み』そして腹のあたりから矢印が伸びていて、指し示す部分が視界に入った瞬間、私は吐き気をもよおした。一瞬でも見ていられないほど痛めつけられたそこは、今も辱められている最中だった。あの子は目から滝のように涙を流して、猿轡の向こうで私の名を呼び続ける。


 どれくらい経ったか、そんなに長くは無かったと思う。鍵を開ける音が乱暴に響き、左にある玄関が開いた。目があった瞬間、丸々と肥えた中年の男は気持ち悪く笑った。男が入ってきた瞬間、あの子の体が恐怖に硬直する。男はあの子を一回足蹴にしてから、私の前に立った。


「今日から俺がご主人様だ。わかったか?雌豚」


分かるわけがない。じっと男の眼鏡の奥を睨み付けていたら、突然頭の右側を殴られた。私は椅子ごと左に倒れる。全身を締め上げる荒縄が転倒の衝撃を全身に伝え、あまりの痛さにくぐもった叫び声をあげた。乱暴に男は私を起こし、何度も同じことを繰り返した。頭がぐらぐらして反応が悪くなった私に飽きたのか、男はまた私の前に立った。


「まぁいい。お前の調教は後だ。雌豚3号。」


 男は私の目の前で服を全て脱ぎ、あの子を弄び始めた。



 ここからの女の記憶は見るに堪えなかった。毎晩父が現れては二人の玩具を好きなだけいたぶる。あらゆる責め苦を味わった女の頭の中には、妹の親友に何もしてやれない悔しさと、父への殺意が溢れていく。徐々に弱っていく妹の親友の姿に焦りも感じていた。

 そして女が連れてこられて3日目。父が家族にまで手を出したあの日。俺たちの求めていた答えがこの日にあった。



 次に、アイツがやってきたら殺そう。昏睡から覚めた私は決意した。これ以上の屈辱には耐えられない。私も、あの子も。私は椅子に縛り付けられたままだったが、残った力を振り絞って椅子ごと跳ねた。縄が肌に食い込み、皮膚が裂けて血を滲ませても私は跳ねた。痛みなどとうに感じなくなっていた。ただひたすら、昨日からぐったりと動かないあの子の傍へ跳ねていく。そして最後に椅子ごと倒れてあの子と頭を並べる。良かった。まだ生きている。倒れた拍子に私の口を塞いでいた布が緩んだ。もがいてもがいて布から逃れる。(多分)3日ぶりに解放された口で、あの子の猿轡を外してあげた。あの子は目をうっすらと開ける。


「アイツを殺して、ここから逃げよう。もう大丈夫!」


喉がカラカラで掠れた声で励ます。あの子は笑った。それを確認してから、あの子の首から胸に打たれた縄に食いつく。口の中に鉄の味が広がる。それでも、私は太い縄を食い千切り続ける。


「……ア…ケ…ミ……お…姉……ちゃ…ん………あ…り……が………と……………」


異常に痙攣して脱力したあの子に驚き、まさか、と顔に視線を向けた。あの子は、口から多量の血を溢れさせて絶命した。自ら舌を噛みきったのだ。私はまばたきをすることも忘れて穏やかな顔で息絶えたあの子を凝視し続けた。


「…け、られなかった………助け…られなかった!あ……あ…ぁあああああっっ!!!!」


 この時、私の中で何かが切れた。獣のような叫び声をあげて男を呪った。ただ殺すだけでは足りない。生きながら地獄を味わった私たちの恨みを晴らすには、殺すだけでは足りない!血の涙を流しながら、私はあの子の亡骸の口から溢れる血を啜った。あの子の苦しみを吸い取るように、ただひたすら血を啜った。



 互いに最後に息継ぎをしてからしばらく経つが、苦しさなんて忘れて俺と男は女の変貌に見入っていた。女の髪は血を啜るほどに紅く変わっていく。先ほどまで痛いほど伝わってきていた女の気持ちや思いが全く分からなくなった。感じなくなったのではない。感じても、それがどんな感情なのか理解できないのだ。女は人であることを止めてしまったのだと思った。人間には理解できない何か、お化けや妖怪を信じているわけではないが、悪霊や鬼の類になってしまったのだ、と。


 夕方、部屋に来た父は女が勝手に移動して2番目の玩具の傍にいることに腹を立て、女に近づく。父は若い女なら誰でも良かったのだろう。おそらく散々痛めつけた女の顔を覚えてもいない。だから、女の異変に気付く訳も無かった。乱暴に横倒しになった椅子ごと女を仰向けにさせた瞬間、父の右腕を女が噛んだ。2番目の玩具と自分の血にまみれた歯牙で、深々と腕に喰いついた。自分が女たちに与えた痛みに比べたら大したこと無いだろうに、父は情けない悲鳴をあげる。女の顔を何度も左手で殴って放させた父は傷口を押さて尻餅をついた。


「何しやがるんだ!この雌豚ァ!!」


痛みが怒りに変わり、すぐ立ち上がって女を蹴り飛ばそうとする。が、父の体は寸でのところで静止した。突如顔面蒼白になり、膝がガクガクと震え、冷や汗を全身の毛穴から噴出させている。女は高笑いする。


「どうしたのー?ほら、どうしたのか言ってごらんよー!」


現在の女と同じ、幼い話し方で父を嘲笑う。それでも父はその場でブルブル震えるだけで、口もきけない様子だ。


「アンタ言ってたよねぇ?『痛みや苦しみが至上の快楽になる』ーとかなんとかさぁ!気持ちぃ?ねぇ、私たちの痛みや苦しみ、ぜーんぶあげたんだよ?気持ちぃの?ねぇ、答えなさいよ!」


狂っている。この女は狂っている!痛みを父にあげた?何を言っているんだ!全然分からない。それに、女の記憶から意味の分からない感情が流れ込み、頭が痛くなる。もうこれ以上、この記憶を見続けることは不可能だった。男も同じことを感じたらしい。窒息寸前の心に鞭を打って、全速力で謝罪の日の記憶まで逃げる。女の高笑いがいつまでも耳の中で響く。恐怖のあまりこちらまで狂ってしまいそうだ。



 謝罪の日の記憶に飛び込んでしばらく、俺たちは会話もせずにただひたすら乱れた息を整えていた。長時間、息継ぎができなかったことよりも、女の記憶から流れ込む理解不能な感情によるダメージが大きく、俺たちはしゃべる事さえできないほど疲弊しきっていた。ようやく男が胸を押さえながら声を出した。


「アケミは…何を……」


知りたくて仕方なかった事実は、さらなる混乱と恐怖を押し付けてきた。女は父に何をしたのか?物理的には噛みついただけだが、それ以上の何かを女は成したのだ。呪い、とでも言うべき何かを。


「…どうしますか?私は…もう、これ以上見る勇気が無い…はっきり言って、怖いです。」


俺は素直にギブアップを宣言した。男は血の気の引いた青い顔をしている。いつもの笑みは見る影もない。


「僕も同感です。戻りましょう。」


本能的に俺も男も、あれ以上女の感情に晒されてはならないと感じていた。あれは人智を超えた感情だ。ちっぽけな存在である人間が触れていいものではない。

 記憶の海へ戻ろうと振り返ると、いつの間にか紅い竜がいた。「犬がいた」と言うのと同じ感覚で「竜がいた」なんて言ってしまう俺も中々に狂い始めているようだ。紅い竜のサイズはせいぜい鷲ぐらいだ。だが、物語やゲームにしか出てこない竜の存在に俺は固まる。竜は燃え盛る炎のような瞳でこちらを見つめていた。笑っている、と思う。


「アケミ…」


思わず男の顔を凝視してしまった。これがあの女だというのか?


「もう帰ってしまうのですか?」


喋り方も彼女っぽくない。竜が人間の言葉をしゃべっている、なんて所にはもはや驚かなくなっている自分がいる。男は竜を腕の中に誘い込み、滑らかな鱗を愛おしげに撫でてやる。


「最後まで見ずに、帰ってしまうのですか?」

「あぁ。せっかく見せてくれたのに、ごめんよ。」


細長い喉の奥で竜は笑う。いや、嘲笑う。艶めかしく口の先を男の首筋に這わせる姿は、獲物の喉仏に喰らいつき、命を絶とうとする捕食者のようだ。


「貴方たちが望むなら、私がアレに何をしたか、教えてあげましょうか?それが、本当に知りたかった事なのではないのですか?」


男は俺を見た。確かに俺たちは謎の真相を突き止めていない。だが、知れば知るほど恐ろしいものに呑まれてしまいそうで怖い。俺は男から目をそらし、記憶の中の母に視線を移した。健気に謝罪の機会を乞う生前の母。まだ心が壊れていない妹。俺は、今と変わらない。俺だけ、女に何もされていない。何故俺だけ…?不気味だ。不気味すぎる。


「俺の家族に何をした?俺に何もしないのは何故だ?お前は何なんだ!?」


竜は笑う。父に噛みついた後と同じ笑い方で。身を捩って笑い転げる。抑えきれない怒りを覚えて、男の腕の中の竜の首を掴む。


「止めるんだ!菊池くん!」

「答えろ!何故俺の家族を壊したんだ!?」


制止など聞かず、乱暴に竜を振り回す。それでも竜は笑い続ける。怖い、怖い、怖い!竜を殺せば、女を殺せばこの恐怖から逃れられるかもしれない。俺が今まで抱えてきた苦しみの元凶はコイツで、コイツが消えれば地獄から抜け出せる。そんな気がして一心不乱に振り回す。振り回す程に視界が眩み、いつしか意識は途切れていた。



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