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第一話 霞と貘

ここではない、とある世界の片隅に、それはそれは奇妙な図書館がありました。

その図書館が貸し出しているのは、ニンゲンの夢。

ニンゲンは「見たい」と願う夢を見るために、この図書館に夢を見せてくれる『本』を借りに訪れるのです。

図書館の館長は、「夢を喰らって生きる」と云われる妖怪、「貘」。しかし、この貘は夢を食べるだけではなく、夢に干渉することもできるのです。

この物語は、そこで働くニンゲンと、一匹の妖怪が織り成す、不思議な不思議なお話し……



「また延滞ですか」

はぁ、と一人の少年が深い溜息を吐く。少年は忌々しげに、パソコンの画面を見詰めていた。モニターにはズラリと本の名前、そして延滞者のリストが隙間なく並んでいる。

少年ーー(かすみ)は苛立ちを隠さず、大きな音を立ててキーボードを乱暴に叩いた。

「今日は日曜日だからね。二度寝しているニンゲンが多いんだよ。だから、夢の続きを見ようと『本』を延滞してしまうんだ」

(せわ)しなくパソコンを操作する霞の隣で、この図書館の館長である青年ーー(ばく)は、優雅に茶を啜りながら、にこやかにそう言い聞かせた。

貘の金糸のような髪は、窓から差し込む朝日に照らされ、キラキラと輝きを放っている。その姿は幻想的でもあり、また奇妙な柔らかさを醸し出していた。

「全く、督促状を何枚も書く俺の身にもなって下さいよ」

本日2度目の溜息。それは言うまでもなく、仕事をしない館長に向けてのものだった。

「ああ、督促状を書かなくても大丈夫だよ。眠りから醒めれば、直ぐに戻ってくる」

「いや、そうじゃなくて。お茶を飲んでいる暇があったら手伝え、と言っているんです」

キーボードを叩く手を止めた霞は、横目で貘を睨んだ。

貘は霞からさっと視線を逸らす。拒絶の証だ。

ーーこの面倒くさがり屋め。

霞の舌打ちが、閑散とした館内に響き渡った。

このように館長であるはずの貘が、霞に仕事を押しつけるのは日常茶飯事である。

「貘さん、手伝って下さい」

「だから、督促状は書かなくても大丈夫だと……」

「この前もそう言って、すぐに本が戻ってきましたか?」

霞の眉間に深い皺が寄った。ばつが悪いとでも思ったのだろうか、貘はかくんとうなだれる。

「すぐには戻ってこなかったけれど……」

「返却されたのはそれから2週間後、でしたよね」

じとっとした視線が貘に纏わりつく。「蛇に睨まれた蛙」とはこのことだろうか。しかし、蛙は何とか眼前の蛇から逃れようと足掻いた。

「でっでも! 戻ってきたから結果オーライじゃないか!」

「戻ってきたのは126冊中53冊です。残りの73冊は未だに返却されていません」

うっと呻き声を上げ、貘は言葉に詰まった。

更に追い撃ちをかけるように、霞は言葉を続ける。

「それに……この前、貘さんが仕入れてきた本ーー『悪夢』に分類される本ですよね? 悪夢の本の貸借は基本的に禁止されているはずですが。これは一体どういうことでしょう?」

貘の視線が右へ、左へと落ち着きなく、キョロキョロと動いた。


悪夢、と称される本が貸借禁止なのには、勿論理由がある。

通常の『夢』の本は、個人でコントロールをすることが可能だ。例えば、「この夢はもうここまででいい。これ以上は見たくない」と願えば、夢の途中でも、その世界から抜け出すことができる。

しかし、悪夢の本に至ってはそうにはいかない。本が持つ負のエネルギーが、夢を見ているニンゲンに纏わりつき、コントロールを不可能にさせるのだ。悪夢を見るニンゲンは、「見たくない」と強く願っても夢の中から抜け出せなくなってしまう。ーーただ、『夢』を自在に操り、干渉することができる貘を除けば。


「貘さん、俺は昨日、久しぶりに悪夢を見ました」

びくり、と貘の肩が震えた。

「大量の蜘蛛に囲まれる夢をみたんです。……俺が蜘蛛を大の苦手としていること、知っているのは貘さんだけなんですよ」

じめじめとした霞の声は、蛇の様に地を這う。

そして、とどめの一声。

「俺にたちの悪い悪戯をするために、悪夢の本を仕入れたんですよね?」

お手上げ、とでも言うように、貘はぽりぽりと頬を掻いた。

「……だって霞君、この前私が楽しみにとっておいたプリン、食べちゃったから……」

「仕返しに悪夢を見せた、と?」

こくりと幼い子供のように、貘は頷いた。

本日、3度目の溜息。

「……子供(ガキ)ですかアンタは。あの後、ちゃんとプリン買ってあげたじゃないですか。どれだけ引きずっているんですか」

「溢れんばかりの蜘蛛に怯える霞君は、最高に面白かったよ」

「最低です。アンタ、本当に最低です」

開き直った様にそう言い放った貘に対し、霞は心底げんなりとした。

突如、 霞の脳裏に昨日の悪夢が蘇る。


自分を取り囲む幾多の蜘蛛。大きいのも、小さいのも、種類も豊富だ。右を見ても、左を見ても、逃げ場などない。その内の一匹がベタつく糸を垂らし、自分の頬に降りてきて……


ここまで思いだして、ぶるぶると霞は(こうべ)を振った。

ーーああ、吐き気がする。

「……お願いしますから、二度としないで下さい。幾ら夢に干渉できて、悪夢を止めさせることができる貘さんでも、アレだけは……本当に……」

許せません、と蚊の鳴くような声で恨みがましく霞は呟いた。その顔は心なしか、青白いように見える。

貘はそんな霞の姿を見て、額に手をあてた。

流石にやり過ぎただろうか。

「ごめんごめん、もうしないよ」

苦笑いを浮かべて、霞の薄い肩に手を置いた。

だが、霞はそっぽを向いて、視線をモニターに移す。

「絶対に許せません」

ーーこれは面倒なことになってしまった。

「じゃあ、どうしたら許してくれる?」

「貘さんが仕事してくれたら許します」

「いやだね!」

そう言い放った貘の顔は、いっそ清々しい程に輝いていた。



カタカタとキーボードを叩く音が館内に響いている。

舌打ちをしながらパソコンを操る霞の隣では、未だに茶を嗜む貘の姿があった。手伝う気は皆無の様である。

「あれ……?」

延滞者リストのとある部分に、霞の目が止まった。


本のタイトル:おくりもの

ジャンル:童話

貸出日:白木蓮の年 宵の月


「白木蓮の年っていったら……えーっと……」

「5年前、だね」

いつの間にかモニターを覗き込んでいた貘が、ぽつりと呟いた。

5年前の本が今もなお、返却されていない。

何故、今まで気がつかなかったのだろう。

「貘さん、これって……」

貘に目配せをすると、彼は無言で頷いた。どうやら、考えていることは同じ様だ。

「『借りパク』ってヤツだろうね。……霞君、出かけるよ」

「いってらっしゃい」

「何言ってるの。君も一緒に本を取り返しに行くんだよ」

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