6F列車 支線
紋別の外に出て街を歩く。戻って来たのは11時30分ごろになってからだった。遠軽行き普通が設定されている。この遠軽行き普通に乗って途中の中湧別まで揺られる。
中湧別で降りて、天井につられている駅名看板を見てみると遠軽方面は次駅が北湧となっているが、紋別方面は川西と四号線と二つになっている。そして、かなり読みづらいが、芭露(平仮名)という文字が書かれていることも確認した。中湧別も接続のあった駅。ここは名寄本線の中でも利用の多い駅の一つである。
さて、ここまで乗ってきたキハ22系2両編成を降りて、私は改札に向かうことにした。改札には駅員が立っている。
「はい。ありがとうございます。」
駅員は笑顔で私の切符を受け取った。切符は中湧別までしか買っていなかった。この先は湧別からの切符で遠軽まで行くことにしよう。
さて、まずは湧別駅まで行かなくてはならない。駅の看板でいえば次駅が四号線となっていた路線に向かうことになる。これは名寄本線の支線である。ここから湧別までを結んでいる路線だが、このとき湧別まで行く列車は2往復のみである。今12時30分をまわろうとしているころだが、列車がない。列車は16時にならないと湧別まで行かないのだ。そこまで待っている気にもならないが、ここは歩いていくというのも一つの手かもしれない。
私は中湧別から湧別へ向かっていく線路沿いを歩いた。さすがに中湧別に近い場所ではすぐ隣を歩くわけにはいかない。しばらく歩いたところで湧別支線に合流した。私はそこから線路の中を歩いていくことにした。さすがにそういうことにうるさくなった時代である。だから、私の真似だけは絶対にやめてほしい。もちろん。こういうことをするのは私も最後だと思っている。
ゆっくりゆっくり歩いて四号線。四号線もホームがあるだけの駅。またゆっくりゆっくり歩いて湧別。湧別の近くに来たら、線路から外れた。
湧別の駅に16時20分ごろ戻ってきた。来た列車はキハ22系の単行。この列車で歩いてきた道を中湧別まで戻る。中湧別から遠軽まで直通する列車だ。このままキハ22系に揺られて、遠軽に着いたのは17時04分。1日で乗ってきたが、この路線が廃止されてしまうというのがもったいない気がする。どんな形でも・・・。未来に残ってほしい。
文中で彼のしていることは犯罪ですので、絶対に真似しないでください。
名寄本線は遠軽・名寄から徐々に延伸開業させていた名寄東線と名寄西線を延伸開業・統合して、開業した路線です(開業当時は名寄線)。全線開業後支線となる渚滑線の開業により、名寄本線と改称。以来オホーツク海側を走り続けてきました。しかし、国鉄第2次特定地方交通線に指定。1989年その生涯を終えた。現在名寄本線の遺構はほとんど残されていない。