3F列車 駅
6時56分。この列車で下川まで行くという人をちょっとだけ待って、1分遅れで発車。キハ40系は唸りを上げて、ゆっくりと名寄の駅を後にした。すぐに宗谷本線の線路と別れて、名寄本線は単線の線路を進んでいく。次の駅は中名寄だ。
駅が近づいてくるにつれて、雪の深さはまし、風景は鉄道がとおるには勿体ないくらいの風景に変わって行く。これが特定地方交通線のほとんどの路線の現実である。周りには人家がほとんど確認できない。そうなってしばらくする人キハ40系は原則を始めた。そろそろ駅なのだろうか。2重窓になっているキハ40系の内側の窓を上に押し上げて、窓に顔をつけてみた。北海道の冬の厳しさが窓を通じて顔に伝わってくる。
「中名寄。中名寄です。切符は乗務員が回収いたします。」
アナウンスがあった。私はここで降りるわけではないから、問題はない。そのアナウンスがあってすぐに列車は鈍い音を立てて止まった。外を見ると東海道本線沿線では絶対に見られない駅がそこにはあった。何ともお粗末な駅である。駅はホームと呼べるものがあるだけで、そこにあるのは駅の看板表だけである。その看板表は左が名寄。右が上名寄。そして、当駅が中名寄と書いてあるだけ。客の動きは全くなかった。ドアは開きすらしなかった。
閉まったままのドア・・・。いくらなんでも駅に着いたらドアを開けるのがふつうだろうと思うかもしれないが、それは大都会の普通であって、ローカル線の普通ではない。ローカル線にはローカル線なりのやり方というものがあるのだということを思った。中名寄を発車するときにホームを確認したが、ホームは20メートルもないと思った。恐らく、客扱いは進行方向前方のドアだけで行っている証拠だろう・・・。
次の駅は上名寄。上名寄は少し設備がいい。もともと上名寄は列車を交換できるほどの駅であったが、今はそのあとがほんの少しだけ残っているだけである。ここで列車の中に乗車していた15人ぐらいのうち3人が下車した。そして、進行方向後ろのドアから4人の客を乗せて、車内は16人となって発車。次の矢文でも少しの乗客の変化。下車客が2人。岐阜橋は下車3人。乗客は減る一方だった。下川まで揺られていたのは私を含めて11人。
下川ではポイントを越えて、名寄に向かうホームに入った。私が列車から降りると30人ぐらいの学生がどっと乗り込んだ。1両のディーゼルカーは黒い制服を着た学生でいっぱいになった。車内を学生でいっぱいにした列車はすぐに名寄に引き返していった。
このときの名寄本線に車掌が乗務していたのかはわかりません。