2F列車 少ない列車
朝。太陽が東の空を赤く染めはじめる時間。私は北海道名寄にいた。名寄という地名にゆかりがあるわけでも無い私は何をしにここにきているのか。その目的はただただ存続の危うい名寄本線を全線走破することが目的で来たのである。
名寄には鉄道駅として名寄、上名寄、中名寄、西名寄という駅がある。名寄以外の単語が変わっていて紛らわしいが、このうち名寄本線にはその名の通りなのかこのうち3駅。西名寄を除いてすべての駅がある。今私がいる名寄駅は宗谷本線()、深名線()が出入りしている。どちらの線も運行される列車の少ない路線の一つである。このように運行される列車の少ない路線を地方交通線と呼ぶ。これは鉄道用語に近いので、一般的な言い方に変えるとローカル線ということになる。だが、名寄本線は地方交通線としての地位は高くない。彼らはもうすぐ、廃止の運命にあるのだ。今、名寄本線沿線の自治体が動き、名寄本線を第3セクター化して存続させようという話が持ち上がっているが、それでどうなるのかはわからない・・・。
興部・紋別方面と古い字で書かれ、だんだんはげてきている時刻表を見てみよう。興部方面には5時51分の始発、6時55分、8時05分、12時10分、14時45分、17時15分、18時53分、そして旭川から来た20時42分発の列車が設定されているだけである。そのほとんどは名寄本線の終点遠軽まで足を延ばすが、6時55分発の列車のみ下川止まりである。本線と名乗っておきながら、ここまで列車本数の少ない路線はほかにもある。釧網本線はそのいい例だと思うが、釧網本線は全線通じて、特定地方交通線に指定されることはなかった。貨物列車は運行されておらず、線内を走行する急行列車の設定もない。かつての本線としての役割を果たしていた時代の面影は線路の形が残すのみである。
私は名寄本線の列車が発車するホームに向かった。0番乗り場とはほとんどの駅で見ることができないものである。その0番乗り場に停車していたのは朱色一色をまとったディーゼルカー。車体に書いてある番号はキハ40。これから国鉄が作り上げたどこでも走ることが可能なディーゼルカーであることはよく分かる。雪が真っ白に降り積もっている校内を眺めて、私はこの朱色のディーゼルカーに乗り込んだ。この車両がいざなってくれるのは下川まで。オホーツク海に浮かぶ流氷にはまだまだ足を延ばさなくてはならない。
永島宗一手記。
彼の旅は青春18切符によるもの。青春18切符は国鉄末期から発売されていました。ですが、特急などの優等列車が乗車できないというのは変わりありません。
このときは今は特急しか走っていない区間にも大量に普通列車が走っていましたから、結構融通が効いたかもしれませんね。