婚約解消ですか、協力しましょう
※2月18日 エティエンヌのセリフを少し直しました。彼はへたれで、大それたことはできません。
― すまない、婚約を解消してくれ
― なぜですか
― ほかに好きな人ができたんだ
― ひどい!
― 君にはすまないと思うのだが、婚約を解消してもらえないだろうか
― イヤです
― 僕では君を幸せにできない
― そんな!
何やら不穏な会話が聞こえてきて、私は耳をすませた。
いつも昼食を食べている中庭のベンチがふさがっていたので、奥の庭園まで来てみた。すると、伸び放題の植栽の向こうから、不自然な会話が聞こえてきた。
― ごめん、どうしても別れたいんだ
― ほかに好きな方がいらっしゃるのね
― 君のことが嫌いなわけじゃない
どういうこと? さっきから同じような内容なんだけど、話が進んでいかない。何組もいるわけではない、だって声が同じだもの。なんなら、女性の声も男の裏声に聞こえなくもない。
私はよその貴族のごたごたに巻き込まれるのは御免だが、この違和感を放っておくことができなかった。
なぜなら、男の声に聞き覚えがあったから。
私は鬱陶しく伸びたギンバイカの枝をかき分けて、声の主を見定めようとした。会話はなおも続いている。
― 本当にごめん、君とは結婚できない
― なぜですの、私に至らないところがあったら直します
― 君のせいではないんだ。僕の気持ちの問題なんだ
― では私の気持ちはどうなりますの
やっぱりだ。聞き覚えのある声は、幼馴染のエティエンヌだった。
エティエンヌは隣の領地の嫡男で、子供の頃はよくうちの領主館に遊びに来ていた。同い年だが気の弱い子で、顔が可愛くて女の子のようだった。
貴族らしく華やかでヒラヒラしたブラウスを着せられていたうえに、泣き虫でよく私に庇われていたので、うちの領地の悪童たちからは、可愛さ余って意地悪したくなるお姫様のように扱われていた。中には本当に女の子だと思っている子もいた。
しかし、エティエンヌは王立学園に入学してからぐんぐんと背が伸び、ふっくらした丸顔からすっきりした輪郭になった。顔立ちは元々整っていたので、今ではすれ違いざまについ振り返りたくなるような美男子に成長した。女生徒からの人気も高い。子爵家の子息なのに、伯爵家の令嬢たちも熱を上げているという。
子供の頃を知っている私からすれば、ふーん、エティがねえ、という感じだが。
そのエティが、どうしてこんな奥まった庭で、婚約解消の一人芝居をしているのか。もしや本当に芝居の台本でも考えているのか。いや、聞いている限り才能はなさそうだし、あり得ないだろう。
訳が分からないのと興味本位で、私はエティの独り舞台の鑑賞を続けた。
― 申し訳ない、どうしても君とは結婚できない
― そんなことお父様がお許しにならないわ
― 伯爵様には誠心誠意謝る、違約金も払う、だからお願いだ
おや、なんだか話が具体的になってきた。相手は伯爵家の令嬢か。まあ、子爵家にお迎えしても、何かと気苦労がありそうね。
これはどうやら、伯爵令嬢から見初められて、資金援助とか断りづらい提案があって婚約が結ばれたとみた。で、エティにはほかに思う人がいると。うん、可哀そう。だけどそれが貴族ってものでしょう?
でもなあ、そこにエティの幸せがないのはやっぱりイヤだなと思う。結婚後しくしく泣かれても、昔みたいに慰めたり守ったりしてあげられないし。
それに、エティのところが財政難だなんて聞いたことがない。むしろガラス工場の成功で潤ってるって話だ。円筒形のワインボトルは、生産が追い付かないくらい人気らしいし。
とすると、あちらのお嬢様の我が儘がまかり通ってしまったって感じなのかな。少しだけ同情する。
などということをツラツラ考えていたら、ギンバイカの向こうの声の調子が変わった。
「だから、僕が結婚したいのは、強気で、好奇心旺盛で、面倒見が良くて、一生ついて行きたいと思わせてくれる女性なんだ」
やたらとキリリとした調子の声になった。
それに対する女役のセリフが続かない。一人芝居は止めたのだろうか。飽きたのか、虚しくなったのか、セリフが思いつかないのか。
仕方ないなあ。幼馴染のよしみだ。相手役をやってあげよう。
私はギンバイカの茂みからエティの前に出て、
「まあ、なぜ、今さらそんな酷いことをおっしゃいますの? それなら婚約が決まってすぐに言ってくだされば良かったのに。私、お友達にもたくさん祝福されてしまいましたわ」
そう言って、よよと泣き崩れた。
「ミリー」
エティエンヌが目を丸くして私を見た。
「続けなさいよ。相手役をしてあげるから。練習してるんでしょう? 自分の想定内のやり取りなんて、実際には役に立たないわよ。さあ、伯爵令嬢の涙の訴えにどう返事するの?」
「いや、あの、ミリー?」
「ほら、相手はミリーじゃないでしょう。そのお嬢さんは、友達にも婚約を言いふらしてしまって、今さら解消されたなんて恥ずかしくて言えないって言ってるのよ。どうするの、これ。貴族令嬢にとっては致命的だわ。ゴメンじゃすまないって分かってる?」
「ミリー」
エティエンヌの目に、みるみる涙が浮かんだ。
「ちょっと! エティエンヌが泣いてどうするのよ」
「だって、僕の思いが通じないから」
「誰に」
「ミリーに」
「はい? 何を言っているのか分からないんだけど?」
エティが背を丸めてメソメソしているのを見ると、昔、悪童たちにからかわれて泣いていた頃を思い出す。
『やーい、お姫さま。女の騎士さまに守られてやんの』
『かわいいねえー、お姫さま』
青い瞳からポロポロと流れる涙は、私から見ても綺麗だった。見たくなるのも分かる。
だからと言って、王立学園で女生徒に絶大な人気を誇る今のエティエンヌの、こんな姿を人様に晒すわけにはいかない。
私はエティの手首を掴んで、庭のさらに奥に進んだ。
「どこ行くの?」
くぐもった涙声でエティが聞く。
「泣いてるところを見られるわけにいかないでしょう」
「なんで」
「私が泣かしたと思われたら困る」
「じゃあ、責任とってよ」
その理不尽な言い草に、私は足を止めた。
「やっぱり止めた。相手するんじゃなかった。婚約解消はエティエンヌが勝手にやればいい。さっきみたいに一人二役で研鑽を積んでね」
私はエティを掴んでいた手を離し、一人で校舎に戻ることにした。
「待って、ミリー」
エティが慌てて引き止めようとした。
「ミリーって呼ぶのもやめて。私ももうエティとは呼んでいないでしょう?」
心の中では呼んでいるけど。エティエンヌは長すぎるから。
「ごめん、カミーユ。おいて行かないで」
ああ、もう。
私は力ないエティの声に弱い。さんざん面倒を見てきたから、習い性になっているのかもしれない。
「じゃあ、最初っから説明して。なんで一人であんなことしてたの? そもそも婚約が決まってたの?」
◇ ◇
そうしてあれこれ順を追って話を聞いて分かったのは、エティの親と、ある伯爵様が意気投合して、子供同士の婚約を決めてしまったということ。エティには事後報告だ。
これは貴族としては普通のことで、子供は親の決定に従う。希望を聞いたり相性を見たりすることはあるが、最終的に親が決める。ロマンスで家は栄えないからだ。
「で、確認なんだけど、エティエンヌは、まだそのお相手に会ったことがないのね?」
コクリ。
「この婚約は、伯爵家のお嬢様の我が儘でねじ込まれたものでもないと」
コクリ。
「じゃあ、なんで、あちらがエティエンヌにベタ惚れな前提で練習してるわけ?」
「え?」
「え、じゃないわよ。学園で持て囃されて思い上がってるんでしょう。みっともないわよ」
エティがグズッと鼻を鳴らした。
「だって・・・。じゃあ、カミーユはどうするの」
「どうって?」
「将来だよ。結婚相手は決まっているの?」
「まさか。兄が二人いて、姉もいる。末っ子の私なんて持参金の用意もできないから、いずれ平民と結婚するんじゃないかな。それか一生独身か。入学ギリギリまで領地で育って、貴族のマナーもなってないし、貴族籍に未練はないわ。今だって学園に友達はいないし」
「でもカミーユは賢いじゃないか」
「まあね、領地で事務官になるのもいいかなって思ってる。領主館で一部屋借りて住まうくらいは許してくれると思うし。持参金の代わりだって交渉するの」
「そう。僕とはもう道が交わらないんだね」
俯いてエティが言う。
「しっかりしなさいよ。相手の伯爵令嬢だって、もしかしたらエティエンヌの希望する、『強気で、好奇心旺盛で、面倒見が良くて、一生ついて行きたいと思わせてくれる女性』かもしれないじゃない」
「それ、カミーユのことだよ。藪の向こうから覗いているのが見えたから、カミーユに聞かせるつもりで言ったんだ」
それは私もエティの説明の途中で気付いたけどね。でも、無理だ。エティの婚約が決まる前ならいざ知らず、現状ではどうにもならない。私も手を貸すつもりはないし。
「とりあえず、相手に会ってみたら? 伯爵家のお嬢様なら強気かもしれないし、エティエンヌのことを気に入って、喜んで面倒見てくれるかもしれないし」
せいぜい頑張りなさいよ、と声をかけて、私は一足先に戻ろうとした。
すると、後ろからガバリと抱きつかれた。羽交い絞めに近い。
「ちょっと! なにするのよ」
「ごめん、このまま大人しくしてて。二人でこうして抱き合っているところを見られれば、婚約は解消されて、カミーユと結婚しろって言ってくれるかもしれないから」
このエティの言葉に、瞬時に血が沸騰した。私は、いつも以上の力が湧いてエティの拘束をほどき、振り向きざまに、すべらかな頬を平手で打った。
「ばかにしないでよ。貴族の人生なんだと思ってるの。そんな覚悟のないやつはお断り。もう顔も見せるな」
私は、失望と怒りと悲しみと、色んな感情がないまぜになって泣けてきた。
「ミリー、ごめん」
私はエティエンヌを無視して走り出した。悔し涙が止まらない。こんな顔では午後の授業に出られない。そう思った私は、寮の部屋に戻ってベッドにもぐった。
エティエンヌが許せない。エティのバカ。見損なった。あんな男に育てた覚えはない。
私は自分が軽んじられたこと、エティが一瞬とは言え家名に傷つける選択をしようとしたことに腹が立った。もっとやり様はあるだろうに。エティはバカだ。
私は泣いたまま、着替えもせずに眠り込んでしまった。
◇ ◇
翌朝の私の顔は最悪だった。
腫れぼったい顔で教室に行くと、ヒソヒソと私を見て何か囁いている。泣いた顔だと分かっただろうか。物語を捏造して楽しんでいるのかもしれない。
あっちでも、こっちでも。
気にしない振りで席につくと、前に人が立った。
「カミーユ様、昨日エティエンヌ様と何をお話されていたのかしら」
「泣いたということは、告白でもして振られたの?」
エティエンヌと別れた後を見られたらしい。
「爵位が上だからって、人の心は好きにできませんわよ。田舎貴族のあなたなど、相手にされるわけがないでしょう」
「エティエンヌ様に話しかけるなら、フランソワーズ様に許しを得てからにしてくださいませんこと」
真横にも後ろにも令嬢が立ちふさがった。何この包囲網。
「ご心配なく。皆さまのエティエンヌ様には、もう顔を見せるな、とお伝えしておきましたから大丈夫ですわ」
「何ですって!」
「どういうこと」
「ではなぜ泣いていらしたの」
ギャンギャンと四方から声が飛んだ。
「そういうことは、フランソワーズ様にお許しを得て、エティエンヌ様に直接お訊ねになればよろしいのに」
こんな言い方をすれば、火に油を注ぐようなものだと分かっているのに止められない。ああ、もう面倒くさい。恨むからね、エティエンヌ。
私が思いの外にたじろがないので、令嬢たちは次の言葉に詰まっている。緊張が高まる。扇が飛んできてもおかしくない。
すると、ガタガタと机にぶつかりながら、エティエンヌが私たちの教室に入ってきた。妙に上気した顔で、まっすぐ私のところに向かって来る。頬には私が打った跡がある。痛々しさに目を逸らす。
「ごめん、ミリー」
エティエンヌからいきなりの謝罪だ。
「やめて、その呼び方。恨まれるのは私なんだから」
「ごめん、カミーユ」
エティは言い直して、しょんぼりと肩を落とした。周りは驚愕している。
「どういうこと」
「ミリ―って愛称よね。それほど親しいの?」
彼女たちの中で私は、みんなのエティエンヌ様に抜け駆けした勘違い女でしかなかったから、エティの態度に戸惑っているのだ。
あああ、もう本当に面倒くさい。私はまたエティの手首を掴んで教室から連れ出した。
ちょっと、どういうことよ、などという声を背中に聞いて、私はエティと中庭に降りた。
「なんなのエティエンヌ。クラスでの私の居場所をなくしたいの?」
「違うんだ。カミーユ、僕と結婚してください」
「寝ぼけているなら叩いて起こしてあげようか」
そう言われてもエティエンヌは嬉しそうだ。
「婚約相手、カミーユだった!」
「どうして!? そんなの聞いてないわよ。だいたい意気投合した伯爵って父のことなの? うちとエティのとこは、昔から懇意にしていたじゃないの。今さらそんな言い方する?」
私は驚きすぎて、近くのベンチにへたり込んだ。
それから私は、並んで腰掛けたエティから、事の次第を聞かされた。
エティエンヌの父親である子爵は、頼りない嫡男にしっかりした相手と結婚させたかった。豊かな財政に目を付けられて縁談はいくつも来ている。しかし、あからさまに資金援助目当てだったり、息子の容姿に憧れた娘の希望だったり、乗り気のしないものばかりだった。
一方我が家は、古いばかりのいわゆる由緒正しい伯爵家だ。貧乏子だくさんの例にもれず、カツカツでやっている。優秀な次女のカミーユを貴族に嫁入りさせることができない。本人は気にしていないようだが、親心としては複雑だ。
それなら、うちのエティエンヌのところに来てくれないか。領地の経営についても頼りになりそうだから、持参金もいらないぞ。どうだ。
と言われて父は二つ返事で応じたらしい。聞いてない。
「当事者の私が聞かされてないって、どういうこと?」
「おじさんが言うには、あの子は貴族としての矜持があるから、親の決定には従うし、領民のために努力を惜しまない娘です、って誇らしげに言い切ったらしいよ。理解してるよね、カミーユのこと」
「だからって、婚約が決まったらすぐ教えてよ・・・」
私は驚きすぎたので、しばし頭の中を整理した。
「ちょっと待って。エティエンヌも、相手が私だって知らなかったの?」
「うん、僕がカミーユを好きなのを知ってて、内緒で対面させて驚かすつもりだったらしい」
「それで私にも内緒にしてたんだ」
なんだ。
そうか。
私は、ホッとしたのか、がっかりしたのか、自分の気持ちが分からなかった。
「さてと、教室に戻らないと」
私がベンチから立ち上がると、エティエンヌも慌てて続いた。
「ミリー、僕と結婚してくれるよね」
「そうだね。貴族の人生だしね。いいよ」
「ありがとう、ミリー」
「結婚前に、その根性叩き直すからそのつもりでね」
私はままならないものを感じながらも、子爵家に嫁いだら、ガラス工業をもっと発展させたり、ワインボトルのつながりで美味しいワインを探したりするのもいいなと思い始めていた。
正直、昨日のエティエンヌには腹が立ったし今でも許していないけれど、そういうことも全部呑み込んで、自分の信じる貴族であろうと思う。
エティは私の後ろからご機嫌でついてくる。そんなところは子供の頃と変わってなくて、可愛いと思わなくもない。
だがそれよりも、今から教室に戻った時のご令嬢たちの反応が煩わしそうで、私はやっぱりエティを恨まずにいられないのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




