表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

『北川古書店』 【7】山口家の古書買取依頼で弾む心

•古書店に持ち込まれた、思いがけない買取依頼。千冊を超える書籍の調査に向かった雅人たちは、山口夫人との出会いを通して、人と本が紡ぐ時間の重みを知ることになります。若い三人の心が少しずつ動き始める、そんな春の日の一篇です。

【7】山口家の古書買取依頼で弾む心

金曜日の午後二時、白髪の品のある和服姿の女性が北山古書店に入って来た。

「いらっしゃいませ」

「本を買い取っていただけるのですか?」

「はい、買取らせていただきますが」

「少しあるのですが、引き取りに来ていただけませんか?」

「何冊くらいでしょう?」

「書斎などに一千冊ほどでしょうか」

「内容を調査させていただいてもよろしいですか」

「ご都合の良い時に、ぜひ来てください」

「では、明日伺ってもよろしいでしょうか?」

「お待ちしております」

「ご住所を教えていただけますか?」

女性は「新十条四丁目」と住所を書き、山口と名前を添え、電話番号も記してくれた。

「明日、伺う時間を改めてご連絡いたします」

「よろしくお願いいたします」

丁寧に頭を下げ、彼女は静かに帰っていった。

雅人はすぐに綾乃に電話をかけた。

「綾乃さん、明日二時間ほど空いてない? 古書の買取調査に行くんだけど、リスト作成を手伝ってくれないかな」

「二時からなら大丈夫です。場所は?」

「新十条四丁目の山口さんって方。知ってる?」

「駅へ行く途中の古いお宅ですね」

「じゃあ、午後三時に伺うと山口さんに連絡しておくよ」

「明日、よろしくお願いします」

続いて、叔父にもLINEを送ると、まもなく電話がかかってきた。

「おじさん、新十条の山口さんってご存知ですか」

「ああ、都議を何期も務められた方だよ。一度落選して、その後まもなく亡くなられた。子供はいなかったはず。今は奥さんが一人で住んでいると思う。本もかなりあるはずだから、まずリストを作って、それから価格を決めよう。出来たら送ってくれ」

「一葉日記を買ってくれた前沢綾乃さんと一緒に行く予定です」

「前沢さん、文学部だったよね。良いと思うよ。よろしく頼む」

「今の話で、急に元気が出たよ」と、叔父は明るい声で言った。

その日の夕方五時半、和美が来た。

「難問を持ってきた?」

「たくさん持ってきました。お願いします!」

機嫌よく勉強が始まり、四十五分ほどで終了した。

「明日はお休みにするよ。本の買取調査に行くんだけど、手伝ってくれる?」

「わかった!」

そう言って、和美も上機嫌で帰っていった。


土曜日午後二時、雅人は山口家の前で二人を待っていた。

石積みの塀の上には、丁寧に刈り込まれたツゲの低木が巡らされ、家の背後からは大きなクスノキが屋 根の上まで伸びている。

「雅人さん、お待たせ!」

ジーンズにTシャツ姿の綾乃と和美がやって来た。雅人も同じような装いで、三人は石畳の道を玄関へと 向かった。道の脇には赤と白のツツジの大輪が咲き、庭の木々もよく手入れされていた。

ドアホンを押して「北山古書店です」と名乗り、「お入りください」と返事があった。

木製の分厚い引き戸を開けると、着物姿の山口さんが玄関で迎えてくれた。

「どうぞお入りください。書斎はこちらです」

玄関の隣が、書斎兼応接間になっていた。二十畳ほどの広い部屋に応接セットと大きな机があり、そ の後ろには油絵の肖像画が飾られている。

本棚は廊下沿いの壁にぎっしりと並び、お茶を出してくださった。

「あの油絵は主人です。都議会議長就任の記念に描いていただきました」

「ご立派なお方だったのですね」

「ありがとうございます」

「お庭に花木が多いですね」と綾乃が尋ねた。

「私の希望で植えました。今が一番きれいな季節です」

「あの岩の横に白スミレが咲いていますね」

「私の好きな野草です」

山口さんは嬉しそうに話した。

「今日は花の話ができて嬉しい日です」

和美は静かに耳を傾けていた。

「書籍のリストを作りたいのですが、最初は写真を撮らせていただき、後日リストを確認し、価格をご提示する形でよろしいでしょうか?」

「本棚の上などを調べるために、脚立をお借りしてもよろしいですか?」

「奥の部屋にございます。どうぞ」

案内された奥の物置には段ボール箱が五つほど積まれていた。

「開けてもよろしいですか?」

「どうぞご覧ください」

箱の中身を確認しながら、スマホで撮影した。脚立を持って書斎に戻ると、調査が始まった。

雅人は高い位置の棚をスマホで撮影し、綾乃と和美は手の届く範囲をデジカメで記録する。明治・大正・昭和の文学全集や図鑑が整然と並び、女性陣は手際よく発売日も写し込んでいった。

奥の部屋には、山口さんお気に入りの本が並んでいた。その傍らには小型のオーディオ装置があり、SP・LP・CDのプレイヤーとレコードコレクションが多数あった。これもすべて撮影した。

一時間ほどで撮影は終わった。

「ご立派なお住まいですね。お一人でお住まいですか?」

「古いだけの家で、シロアリの被害もあります。修繕が大変なんです」

「この家に一人でいると、不安もございますの」

「貴重な収集本ばかりですね。後日、金額をご提示させていただきます」

「主人と祖父が集めた本です。お金ではありません。必要な方に届けてください」

「お若くて熱心な方々に来ていただけて、お話できて嬉しいです」

「レコードも引き取ってください」

「ありがとうございます」

書斎での会話は尽きなかった。

「ご主人は長く都議をされていたのですね」

「はい。選挙運動が長くなり、多くの方にご負担をかけました。年を重ねた後に落選し、後援会も親戚も減ってしまいました」

「奥様が一番ご苦労されたのでは」

「そう言っていただけると、救われます」

心を許した会話に、時が経つのを忘れた。

「お若い方とお話できて、楽しい時間でした」

「必要があれば、いつでもいらしてください」

「本日はありがとうございました」

「こちらこそ、お話を伺い、お近づきになれて良い経験になりました」

三人は深く礼をして、山口家を後にした。

 山口家を退出した三人は、奥様の丁寧な対応と穏やかな話に心を洗われた気持ちで、古書店へ向かって歩いていた。


•この回では、若者たちが初めて本格的な古書調査に挑みます。効率化された作業の中にも、山口夫人との対話を通して育まれる信頼と心の交流が描かれています。古書を通して結ばれる新しい人間関係が、今後の展開にどんな彩りを加えるのか──続きをぜひお楽しみください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ