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第8話『穢れた街と、ひとときの逃避行』


「リオ、荷物はこれで全部?」


アメリアが問いかけると、リオは大きく頷いた。


「うん。最低限の生活道具と、少しの食料。それから……」


リオは、アメリアの手を取る。指先は少し冷たくて、震えていた。


「アメリア、お前が一番大切だ」


「……私も、あなたさえいれば他に何もいらない」


穏やかな日々は、そう長くは続かなかった。


リオの屋敷での生活が板についてきた頃――王都から密偵らしき男がこの町に現れた、という報せが届いたのだ。


『アメリア=ロズベルク、まだ生きているらしい。捕らえ次第、処刑せよ』


そんな極秘命令が、貴族派の生き残りから出されたという。

それをいち早く察知したのは、リオだった。


「アメリア、街を出よう。」


「……逃げるの?」


「違う。守るんだ。お前と俺の、この関係を」


その一言で、アメリアの胸が震えた。

“守られる”ことが、こんなにも嬉しくて、切ないなんて。


街を出る朝、アメリアはかつての名残を一つだけ残した。

亡き母の形見のブローチを、暖炉の上にそっと置いたのだ。


「さようなら、アメリア=ロズベルク。私は今日から、ただの“アメリア”になるわ」


リオはその様子を無言で見守りながら、アメリアの手を取る。

指を絡め、口づけを落とし、静かに囁く。


「俺がそばにいる限り、お前のすべてを抱きしめていく」


そしてふたりは、誰にも見送られず、小さな馬車に乗り込んだ。


行き先は、南の果てにある忘れられた街・ノワール。


かつて魔獣の襲撃で廃墟となったが、今は流民や孤児たちが身を寄せ合うようにして生きている、名もなき町らしい。


「……本当に、ここに住むの?」


「一時的に、な。表の貴族が手を出せるような場所じゃない。だが治安は悪い。俺が守る」


「ふふ、頼もしいわね。……まるで、逃避行みたい」


アメリアは笑った。でも、その笑みの奥には不安があった。


“彼と一緒なら、どこまでも行ける”――そう信じていたけれど、知らない街、知らない人々。

そして、かつてのように自分を狙う敵。


それらが再び“彼との関係”を壊してしまうかもしれないという、目に見えない恐怖があった。


(でも……私は逃げない。リオの隣にいると決めたから)


揺れる馬車の中、アメリアはそっとリオの肩に頭を預けた。


「リオ、お願い。今夜も、そばにいてね」


「当たり前だろ。……一晩中、抱きしめててやる」


彼のその言葉に、アメリアの胸の奥がぽうっと温かくなる。


たとえこの愛が歪んでいても――

それが、ふたりの選んだ“正解”なら。


ーーーー


ノワールの街は、まるで時間が止まったかのようだった。


瓦礫が積み上がった建物、泥にまみれた路地裏。

物乞いの子どもたちが寒さに震え、遠くでは喧嘩の声と鈍い打撃音が響く。


「ここが……リオの言っていた“忘れられた街”?」


「そうみたい。どうみても安全じゃない……。でも、俺たちの気配を消すにはちょうどいい」


街の外れにある廃屋に、ふたりは身を寄せた。

簡素なベッドと暖炉だけがある、小さな部屋。


「こんなところでも、あなたとなら……」


アメリアは小さな声で呟き、リオに寄り添う。


「……ごめんな。お前に、こんな思いまでさせて」


「謝らないで。私は逃げたんじゃない。あなたと一緒に、“選んだ”のよ」


リオは、アメリアの頬に触れる。その眼差しは深く、どこか切なげだった。


「俺は、お前を“所有”したいと思ったことはない。でも……今は違う」


「え……?」


「誰にも渡したくない。お前が誰かを見つめるだけでも、俺は――嫉妬する」


その言葉に、アメリアの心臓が跳ねた。


「リオ……私、あなたのものになりたい。証明して、私があなただけの女だって」


「……アメリア」


リオは彼女の細い肩を抱き寄せ、そっと唇を重ねた。


それは、優しくて、それでいて激しい、所有のようなキス。


その夜、ふたりは焚き火の明かりだけを頼りに、互いを確かめ合った。

重ねられる肌と肌、息が混ざり合うたび、愛という名の鎖は強く結ばれていく。


「リオ……もっと、私を好きにして」


「お前が欲しい。心も体も、全部……」


言葉を交わすたび、アメリアの瞳は潤み、リオの手は彼女の背を慈しむように撫でた。


ただの庇護ではなく、ただの恋情でもない。

依存と執着の狭間で、それでも“愛”と呼ばずにいられない感情が、ふたりを包み込んでいく。


そして朝。


アメリアは、リオの腕の中で目を覚ました。

体に残る熱と、彼の匂いが心地よい。


「おはよう、リオ」


「……おう、よく眠れたか?」


「うん。あなたに抱かれて、やっと生きてるって思えたの」


彼女のその言葉に、リオはほんの少しだけ、苦笑した。


「アメリア。……お前、俺よりずっと危ういよ」


「そうよ? でも、だからぴったりでしょ? あなたと私は、“お互い壊れてる”んだから」


その言葉に、リオは何も返せなかった。

ただ彼女の髪を撫でながら、心の奥で小さな不安が芽生えていくのを感じていた。


――この関係は、本当に愛なのだろうか?

それとも、ただの依存という名の檻なのか。



リオが食料の買い出しに出かけたその隙――

アメリアは、一人きりで廃屋に残されていた。


「……大丈夫、すぐ戻るって言ってたもの」


そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥に不安が広がっていく。


(もし、あの人がもう戻ってこなかったら?

 私、また“ひとり”になってしまうの?)


暖炉の火が少し弱くなり、アメリアは毛布を羽織って窓の外を見つめた。


そのとき、軋む足音。

それは、リオのそれとは明らかに違う――鈍く、乱暴な音。


「誰……?」


扉が、ノックもなく開かれた。


「へぇ、こんなところに女一人とは。いい隠れ家だなぁ、お嬢さん」


現れたのは、粗野な格好の男たち。三人。

いかにもこの街の“ならず者”といった風体だった。


「……出ていって」


震える声で、アメリアは言った。


「怖がらなくていいぜ。俺たち、ちょっと話したいだけさ。なぁ?」


男のひとりが、にやりと笑いながら近づいてくる。


「リオ……助けて……リオ……!」


口に出しても、彼はいない。 足がすくみ、声も掠れ、息すらままならなくなる。


(だめ……このままじゃ、また“あの日”みたいに――)


ガタン!


突如、扉が開かれる音が響いた。


「アメリア!!」


その声は――リオだった。


「てめぇら……よくも俺の女に触れたな」


彼の顔は冷え切っていた。

笑みなど一片もなく、まるで氷の刃そのもの。


「ひ、一人で何ができるって――ぐっ!」

「《箒術:影掃き(ステルススイープ)》」


リオは誰にも気づかれない程のスピードで接近し、箒を、まるで塵を掃くかの如くフルスイングする。


次の瞬間、男の一人が呻き声を上げて壁に叩きつけられた。


「ゴミをしっかり掃くのは家政夫の鉄則だ!」


リオは無駄なく、冷徹に動いく。

呆気にとられる相手を容赦なく叩き潰す。


二人目も、三人目も、声すら出せず崩れ落ちた。


「次、アメリアの前に立ったら――殺す」


それだけ言って、彼は彼らを追い払った。


扉を閉めたあと、静寂が訪れる。

その中でアメリアは、ぽろぽろと涙を零した。


「リオ……怖かったの……」


「遅くなって、すまなかった」


「ううん……でも、来てくれた。あなたは、いつも、私を――」


アメリアは彼の胸にすがり、言葉を詰まらせる。

リオはその細い背を抱きしめ、何度も頭にキスを落とした。


「お前が震えてると、俺の心まで震える。……これが愛じゃないなら、他に何がある」


「リオ……私、あなたがいなきゃ、本当に生きていけないの」


「だったら、死ぬまで一緒にいよう」


そう言ったリオの声は、真実よりも真実だった。


愛は、時に人を弱くする。

だがこの二人にとって、互いは“鎖”ではなく、“鎧”だった。


だから――依存していてもいい。

この世界の何よりも、ただ強く、ただ確かに。


ふたりの狂気と愛が、静かに交錯する夜だった。



◆次回予告

第9話『楽園の底で、芽吹く狂愛』

『楽園の底で、芽吹く狂愛』


ふたりの絆は、依存の果てに何を生むのか。

幸せに見えた夜、その裏で静かに忍び寄る“異物”の影――。

愛の楽園は、やがて試される。

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