第11話「それでも君に、“幸せ”を選ばせたい」
冷え切った空気の中、リオはゆっくりと箒を構え直した。アメリアはその背中に隠れるようにして立ち、震える指でリオの服の端を掴んでいる。
「……一撃で仕留められると思ったのに。ちょっとだけ、面白くなってきた」
フェリスク=ユーベルは口元を歪め、再び杖を振る。
「“氷の結界”」
瞬間、辺りの空間が一気に凍りつく。逃げ道を塞ぐように氷壁が形成され、彼らは完全に閉じ込められた。
――逃げられない。ここで決着をつけろ、と。
「アメリア。逃げろ、って言っても、どうせ逃げないだろ?」
「……うん。私は……あなたと、最後まで一緒にいる」
リオは微笑んだ。
「じゃあ、俺も“いつも通り”にやるよ。家の中を掃除するみたいに、目の前の“ゴミ”を、綺麗にするだけだ」
フェリスクの顔が歪む。
「貴様……俺を誰だと思って……!」
「知ってるよ。アメリアを傷つけた“過去”の象徴だ」
リオの箒が振るわれる。今度は柄の中に仕込まれた香草の束が弾け、霧のような芳香が広がる。
「“掃除術・香薫結界”。空気中の魔力をかき乱す、防御結界だ。少しは……掃除らしく見える?」
氷槍が再び飛ぶ。しかし、香りの結界が軌道を逸らし、刃はリオに届かない。
「アメリアの心を、自分の所有物みたいに言うな!」
叫びと同時にリオは間合いを詰め、フェリスクの杖を払う。
互いの武器がぶつかり、火花が散る。
その後ろで、アメリアはただ、リオの背中を見つめていた。
氷の結界が空間を支配する中、リオは冷たい床を蹴って前に出た。フェリスクの正面へと踏み込む。
「まだ来るか。愚か者が……!」
氷槍が三本、リオの胸を狙って飛ぶ。瞬時に、リオは金属製の鍋蓋を盾のように構えた。
「“調理術・熱遮鍋蓋”!」
鍋蓋が淡く光を放ち、氷の槍を弾く。
しかし、一本の氷の槍が盾の死角を抜けて、刃のような冷気が肌を撫でる。
次の瞬間、ズキリと遅れて届く痛み。
「……っ!」
切り裂かれた腕から、細い紅の線が浮かび上がり、じわじわと染み広がっていく。
(威力が段違いだ……魔力を込めてるな)
フェリスクがすかさず次の魔法を構えた。
「“氷縛陣”!」
リオの足元から氷の鎖が這い上がる。その動きを読んだリオは素早く小瓶を取り出し、床に投げつけた。
「“調理術・塩氷融解”!塩は氷が溶けるのを速くする。」
学生時代に習った知識が脳裏を過ぎり、咄嗟に塩を振り撒く。
次第に氷の鎖が、じんわりと水溜りを作っていく。
そして、動きが緩くなったその瞬間。リオは跳躍して鎖をかわした。
「……ふん、そんなもの、時間稼ぎにしかならん」
フェリスクが杖を振ると、氷剣がその手に生成される。魔力が収束し、空気が一層冷たくなった。
「直接切り裂いてやる。貴様の“偽善”ごと……!」
「偽善だと?」
リオは手にした箒の柄を立てた。そしてポーチから取り出したのは──木製のまな板。
「“調理術・衝撃吸収”」
氷剣が振り下ろされる直前、まな板が衝撃を吸収し、リオは箒でカウンターを打ち込んだ。
「“掃除術・反転払拭”!」
箒の一撃がフェリスクの肩を打ち、彼の体がバランスを崩す。その一瞬を逃さず、リオはさらにもう一本の道具を手に取る。
「“裁縫術・針雨縫糸”!」
糸巻きから飛び出した針が、周囲の空間に張り巡らされるように舞う。フェリスクが氷壁を作るが、数本は肩や袖を穿ち、動きに制限がかかる。
「ふざけやがって、小賢しい……っ!」
「ふざけてなんかいない。剣も魔法も使えない俺が、神にもらった家政夫スキル。これが俺の戦い方だ。」
「まあ、半分魔法みたいなもの……だがな!」
リオは一気に距離を詰め、箒を振るった。が、フェリスクの杖が咄嗟にそれを受け止める。
「貴様みたいな異端者にアメリアは不釣合いだ、今すぐ返せ」
「元令嬢だからか?それならお門違いだ。アメリアはロズベルクの姓を捨てた。今は令嬢でもなんでもない、ただの、普通の一人の女の子だ」
「戯言を……!」
フェリスクが怒りの魔力で氷塊を飛ばす。それをリオは身をひねって回避し、すかさず反撃。
「“掃除術・|反射洗浄”!」
磨き上げた銀のプレートに魔力が反射し、フェリスクの攻撃を跳ね返す。氷塊が彼の肩に直撃し、呻きが漏れた。
「が……っ、なぜ……ここまで……!」
「俺は、彼女が笑って側にいてくれればそれでいい。でも、お前は“自分の所有物”としてしか見ていない」
氷の結界が軋みを上げる。魔力が尽きかけている証だ。
フェリスクがよろける。その姿に、リオは静かに歩み寄った。
「もう終わりにしよう。俺は“掃除”が好きなんだ。だから──この部屋の“汚れ”も、残さず落とす」
最後に、リオは掃除用のクロスを投げつけた。
「“掃除術・魔力吸収布”。お前の穢れた魔力を全部拭き取ってやるよ」
クロスがフェリスクの胸元に張り付き、魔力が吸い取られていく。
「ぐ……ぁ……」
やがて氷の結界が完全に崩れ、静寂が戻る。フェリスクは魔力の消失により崩れ落ち、意識を手放した。
その背後で、アメリアが小さく嗚咽を漏らす。
リオは振り返らず、ただ呟いた。
「終わったよ、アメリア。これでようやく、君は──君自身の道を選べる」
リオは膝に手をつき、深く息を吐いた。戦いの余波で全身が鈍く痛み、額から汗が滴る。けれど、その表情に迷いはなかった。
「リオ……!」
駆け寄ったアメリアの声に、彼はようやく顔を上げる。そこに浮かぶのは、弱々しい笑みだった。
「ごめん。ちょっと、張り切りすぎたみたいだ」
「バカ……! 血が……腕、すごく……!」
アメリアは震える手でリオの袖をめくる。裂けた布の奥、傷口からにじむ赤。だが彼女の魔力を込めた手がふれた瞬間、それはゆっくりと治癒の光に包まれた。
「私は……私は、ただ見てるだけだった。あなたが戦って、傷ついて、あんなに……」
「いいんだ。君が“ここにいた”だけで、俺は勝つことが出来た。守るものが無ければ負けていたかもしれない」
リオは真っ直ぐにアメリアを見つめた。その瞳の奥にあるのは、決して憐れみや同情などではない。強く、優しく、彼女の存在を肯定する光。
「フェリスクは……?」
「フードを被ったやつらに、抱えられて──」
言葉を遮るように、鐘の音が鳴る。
アメリアは静かに瞳を伏せ、鐘の音の余韻が残る中、そっと口を開く。
「私……あの人のことを、ずっと見ないふりをしてた。愛されてるって信じたくて、都合の悪いことから目を背けて……でも、本当は、最初から気づいてたのかもしれない」
「うん。」
リオの声は穏やかだった。
「……私は、変われると思う? もう“誰かに愛されなきゃ生きられない”私じゃなくて……?」
「誰かに必要とされたいって泣きながらも、必死に自分を変えようとしているんだね。──きっと、君ならできる」
沈黙の中、アメリアはそっとリオの手を取った。
その手は温かく、どこか懐かしい安心感を宿していた。
「……ありがとう、リオ。私も……あなたのために、変わりたい」
ふたりの手の間に、確かに何かが生まれ始めていた。まだ脆く、名もない絆。でもそれは、確かに新しい“始まり”の形だった。
◆次回予告
第12話『零れ落ちた罪と、揺れる瞳の行方』
アメリアは、自分の愛が誰のためにあったのかを問う。
リオは、居場所をくれた彼女のために、もう一歩踏み出すことを決意する。
そして王都から届く、ある一通の招待状。
それは新たな舞台、新たな敵、新たな感情への“招待状”でもあった。
──信じたい。けれど、信じていいのか分からない。