第1話「処刑台に咲く最後の薔薇」
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死の匂いは、甘ったるく、どこか懐かしい。
高くそびえる断頭台。その最上部に、ひとりの少女が立っていた。
金細工のように繊細なブロンドの髪は乱れ、頬をつたう涙の跡は乾いていたが、瞳にはまだ微かな熱が残っていた。
「……こんな終わり方、あまりにも滑稽じゃない?」
誰に向けるでもなく、アメリア・ロズベルグはかすれた声で呟いた。
名門ロズベルグ公爵家の嫡令嬢。王太子の婚約者。王城の薔薇と呼ばれ、すべてを持つと羨まれていた少女――そんな称号は、もはや過去の幻でしかない。
彼女の足元には、観衆がいた。
貴族も、市民も、兵も、すべてが好奇の目で見上げている。
「元婚約者である王太子フェリクス殿下への毒殺未遂、および王城への反逆罪により――」
「被告人アメリア・ロズベルグに、死刑を言い渡す」
判決は既に下っていた。
真実はどうあれ、もはや誰も耳を傾けようとはしない。
(いいのよ。わたしは、もう、誰からも愛されないのだから)
その思考に、一切の迷いはなかった。
何よりも愛されたかった。なのに、愛した相手に最も憎まれ、捨てられた。
――ならば、いっそ。
「さようなら。誰もわたしを必要としなかった、この世界」
刃が振り下ろされようとしたその瞬間だった。
――ズドン!
耳をつんざく爆音と共に、処刑台が爆ぜた。
「きゃああああああああっ!?」「な、何だ今のは――!?」
木片が飛び、煙が上がる。その中心に、何かが……落ちていた。
「……いてて……あー、まさか本当に天から落ちるとは思わなかった……」
崩れかけた処刑台の中心。
煙の中から、ひとりの青年がゆっくりと立ち上がった。
黒髪に、ぼさついた前髪。地味なシャツにエプロン――異様に浮いたその姿は、まるで厨房から逃げ出してきたような格好だった。
「誰、あれ……!?」「処刑台に……落ちてきた?」
騒然とする群衆の中で、彼は周囲などまるで意に介していないように、ただひとり、アメリアの方へと向かって歩み寄る。
「……君、名前は?」
刃が振り下ろされる寸前だった彼女を、目を細めて見つめるその声は、驚くほど穏やかだった。
「……な、何を……?」
アメリアは混乱していた。頭がついていかない。
誰かが処刑を止めた? なぜ? どうして彼は……私の前に立っているの?
その時、不意に、彼が微笑んだ。
「君、すごく疲れてる顔してる。……よかったら、俺んとこ来る?」
まるで雨宿りを誘うような、やわらかな声だった。
「は……?」
「君みたいな子を放っておけないって、そう思った。それだけだよ」
その言葉は、あまりにも唐突で、現実離れしていた。
処刑寸前の貴族令嬢と、空から落ちてきた地味な男。
この状況を理解できる者など、一人としていなかった。
けれど――
(……ああ、そうか)
アメリアは思い出していた。
自分を、心から必要だと言ってくれた人など、いままで誰一人いなかったことを。
けれど、この目の前の男だけは。
初対面なのに。私の過去も、罪も、傷も何も知らないはずなのに。
それでも――この人は、私を『ここから連れ出そうとしている』。
「……わたしを……拾う、の?」
「うん」
彼の返事は、あまりにもあっさりとしていた。
「名前を、聞いても……?」
「リオ。家政夫してる。転生者だけど、まあそこはどうでもいいかな」
「…………」
“転生者”というワードにざわめく処刑台の下。
だが、アメリアの耳にはそれすらもうつろにしか届かない。
まるで、意識がゆっくりと溶けていくような感覚。
(もしこれが夢なら……どうか、目が覚めないで)
彼女は微笑んだ。生まれて初めて、心の底から。
「衛兵、なにをしている! 捕らえろ!」 「転生者だと!? なぜ奴がここに……っ!」
ざわめきが怒号へと変わる。
騎士たちが剣を抜き、リオとアメリアへと迫るその瞬間。
リオは、淡々とつぶやいた。
「《生活支援スキル:調理道具召喚》」
次の瞬間、彼の足元に現れたのは――巨大なフライパンだった。
「……え?」
アメリアが思わず声を漏らす。その間にもリオは迷いなくそれを手に取り、
迫り来る兵士たちに向かって、涼しい顔で言い放つ。
「すまんね。俺、争いごとは好きじゃないんだけど――」
――ガンッ!
一閃。
鉄製のフライパンが放たれたその軌道は、まるで神の投擲。
騎士の兜ごとぶっ飛ばされ、男は白目を剥いて倒れた。
「!?」
「まさか、料理スキルで……!」
「《生活支援スキル:万能調理器》――回転、加速、爆発!」
次々と飛び出す日常系スキルの応用技。
投擲された調理器具が兵士を薙ぎ払い、煙と破片が処刑台を覆う。
「す、すごい……何なの、あなた……!」
「ただの家政夫。――でも、守りたい人のためなら、けっこう強いよ?」
そう言って、リオはアメリアの手をとった。
「さ、行こう。君はここで死ぬべきじゃない」
アメリアの手は冷たく、細く、そして震えていた。
けれど、それを包むリオの掌は――不思議なくらいに、あたたかかった。
「……いいの?」
「うん」
「……わたしを、連れていってくれるの?」
「もちろん。だって君――泣きそうな顔してたから」
誰もが見放した少女を、たったひとりで救いに来た男。
その背に乗せられたアメリアの胸の奥で、何かが、静かに息を吹き返していく。
(この人だけは、私を見てくれた。必要だと言ってくれた)
(だったら――)
空を駆ける逃避行が始まる。
騎士団を振り切り、燃え落ちる処刑台の煙の中、ふたりの影が闇に溶けて消えていった。
逃亡から半日後――。
ふたりは人里離れた森の中、小さな古びた小屋にたどり着いた。
屋根は苔むしていたが、リオの手際であっという間に清掃され、暖かな灯がともる。
「こっち、ベッド。まあボロいけど、マシにはした」
「食事は……今日は簡単にシチューで」
そう言って差し出された木椀。
煮込まれた根菜の香りに、アメリアの鼻がふるえた。
(ああ……なんて、やさしい匂い)
ずっと、こんな温もりを知らなかった。
気高く、美しく、完璧であれと育てられた貴族の生活。
愛してほしいと願うほど、期待され、監視され、縛られた日々。
だからこそ、心が壊れた。
愛情に飢えて、王太子に縋った。
必要とされたくて、必死だった。狂っていたかもしれない。
「……ねえ、リオ」
「なに?」
「わたし、……愛されたいだけだったの」
言葉が漏れた瞬間、涙がひとしずく、シチューの中に落ちた。
「誰でもいいわけじゃない。でも、たった一人にさえ、必要とされなかったのよ」
「――今は?」
リオが静かに訊ねた。
その声は、怒りも、憐れみも、責めもなかった。ただまっすぐで、やさしかった。
アメリアは、すがるようにリオを見つめる。
「あなたは……わたしを、必要としてくれるの?」
「うん」
即答だった。
「俺、君に出会うためにここに来たのかもなって、ちょっと思ってる」
「料理して、掃除して、洗濯して、君を笑わせて――そうやって生きたいって思ってる」
アメリアの頬を、またひとつ、涙がつたった。
それは絶望ではなく、ようやく手にした、初めての“安らぎ”だった。
彼に拾われたあの日。処刑台の上から落ちたのは、きっと“地獄”じゃない。
――あれは、わたしにとって、再生の始まりだったのだ。
その夜、アメリアはベッドの中で、彼の着ていたエプロンの端を指先で握ったまま、静かに眠りについた。
まるで、泣き疲れた子供のように。
◆次回予告
第2話「家政夫と令嬢の同居生活、始まりは依存の香り」
――逃亡先で始まる不器用な同居。
料理、掃除、洗濯、そして――心の修復。
でも“愛”と“依存”の境界線は、いつだって曖昧で……?