第2話 フルゲンスの地にて
fulgens。「光り輝く」という意味のラテン語である。植物が多少好きなので、アネモネの学名だったことから意味を知っていた。まあ異世界でなんで同音なだけでラテン語とは意味が違うかもしれないけど。とにかくここはその名前とは裏腹に非常に残酷で厳格な身分社会が敷かれていた。俺は農奴の夫婦のもとに転生したらしく、両親は安定供給が可能な穀物を税として納めながら、そのなかでも粗雑な素材のパンや野菜のスープなどを主食としており、「これのどこがファンタジーやねん。」と赤子ながら憤慨した。
「フータツ、ご飯をお食べ」
俺は前の世界の俗名、福勢達也の業界用語みたいな名づけをされていた。これ神が人間の無意識を操作して決めてるん?もしそうならもうちょっとなんとかならなかった?そう思いながら、母の乳房に吸い付く。俺は消化器官も未発達な無力な赤子ゆえ、恥ずかしながら母乳に吸い付くしか生きるすべがない。母は日々の過重労働でとてもやつれ老け込み、お世辞にも美しいとは言えない外見をしていたが、厳しい環境のなか子供に無条件の愛情を注ぐその精神を、俺は美しいと感じていた。同時に、栄養不良の母親から、命を搾り取るように母乳をいただくのは非常に残酷なことだと思えた。
それゆえに、最初俺はこの世界で食料を摂らず死のうと目論んだ。「母親のため」という道徳的判断で死ぬ、それもたしかに心の片隅にあったものの「この過酷な世界で、戦闘特化のスキルを持ち戦いに身を投じる運命にひるんだ」というのが本当のところだろう。「だろう」という推量形なのは、人間は美辞麗句を本気で信じ込むことで自分を騙すことが出来るからだ。俺は本当に母親が可哀想に思っていたし、ひるんでいるという感覚はなかった。しかし俺は会ったばかりの人間に対して「自分が死んでも生きてほしい」などという聖人ばりの気概を持てる人間ではないことに思い至った。「ほんのりと自覚しているが、本当の理解には及んでいない」という神の言葉の意味を噛みしめているような気分だった。
また、農奴という立場で延々と搾取され続ける生活をする母にとって、俺という存在は生きる意味そのものだった。母乳を摂らない俺を心配し、自らを顧みず寝ずに世話をされるに至り流石に俺は音を上げ食事を摂った。「この世界で生きるのが怖い」という曖昧な恐怖より、「目の前の人が俺のせいで衰弱していく」というリアルな恐怖のほうが勝ったのだ。さながら長期投資をしているのに目の前の乱高下にビビって狼狽売りをしてしまう株初心者のような動きをしてしまった。そのような凡人がゆえに、母の命の一部を吸い取りながらのうのうと生き延びている。今、生後半年である。すごいな、前の人生より目の前で起こる出来事が重すぎて、幼児である今のほうがちゃんと人生に対して考えちゃってる。
ところで、この世界を神は「魔法と権力闘争の地」と称していた。だけど、俺の両親は魔法を使えなかった。少なくとも俺がいる環境では地球の時間を巻き戻したような世界観で生きている人しかいない。ただし、一点明確に「それっぽい」ことがあった。それは、農地と農奴を縛り付ける「契約」に魔法が用いられていたことだ。農奴の生活は朝5時からはじまる。畑に行く時間に遅れた場合、魔法による「警告」がはじまるのだ。物騒な警告音とともにこの世界の言葉で書かれた、恐らくは警告文が表示される。今の俺には意味が理解できないが雰囲気的に「テメエ契約破るならぶち殺すぞ」みたいなことが書かれてそうである。実際にこれをスルーしてサボったらどうなるか。他の農奴がうっかり寝坊したところ人体発火して消し炭になっていたらしい。
これから推察するに、「魔法と権力には密接な関りがある」のだろう。おそらく魔法が使えないものが奴隷身分となる、あるいは契約や呪いに類するもので力を抑えられている可能性がある。よくよく考えれば、奴隷が魔法という強大な力を有していたら、ここまで虐げられる存在にはならない気がする。核兵器ほどの力がなくても、「両方の戦力が拮抗、あるいはやや劣っていても痛手を負わせられる程度の状態」なら抑止力が働いてある程度対等になりそう、ということは軍事に明るくない俺でも想像できる。現実はあまりにもな対応をすれば一揆が起こるが、ここまで一方的な力の差がある場合それも起こりづらいだろう。つまり、ここは権力者の地盤が揺るぎづらく、立場が固定されやすい。農奴は累代過酷な農奴。なんとも厳しい世界に来てしまったものである。
しかし俺にはそれを覆しえるスキルがあった。「怪力無双」。農民には便利そうなスキルである。めちゃくちゃ耕せそう。ほんで神様がくれた最強スキルだから恐らく膂力で魔法にも対抗出来ちゃったりするんだろうな。ただ、この半年間、俺には悩みの種があった。
「スキルってどうやって発動すんの?」
そう、発動できないんよ。手をかざして念じれば定番のウィンドウは開く。スキルの欄にたしかに「怪力無双」と記載されている。でも発動条件がわからん。恥を忍んで「スキル怪力無双!」とか叫んでみたりするも、「ういう ああうーー」と喃語を発することしかできない。これもしかして、ちゃんと発声できる年になるまでスキルが使えない?赤ちゃんってたしか一年くらいで喋るようになるんだっけ。それまでに両親が亡くなったりしたら俺終わりなんじゃないか。死が身近すぎるので、マジでありえるんだよな。
「辺境伯家の遣いが徴税に来たぞ」
畑仕事に行っていた父が母に伝える。徴税と言っても、農奴は貨幣を持たない。生産物を貢租として納めるが、なんと割合にして4割を献上しなければならない。そのため我々は最低限の食料で生活していかなければならなかった。俺のスキルが発揮できればこんな奴らぶっ飛ばしてやるのに。
「やあやあ、ご機嫌麗しゅう。貧困層のみなさまに置かれましてはお障りなくお過ごしかね?君たちが頑張って働かないと我々もおまんまの食い下げだからね。まあ代わりはいくらでもいるが。」
嫌味な遣いである。ここまで強く出られるのも魔法が使えるからだろう。普通、一揆を恐れてもう少し丁寧になる。現実にこんな悪代官みたいな管理職がなかなかいないのも、部下が一致団結すればめちゃくちゃ困るからだ。まあ会社自体が漆黒であれば「もう人生どうにもならん奴」のなかから「嫌味に耐えられる奴」を選別する蟲毒を作るために悪態をつくやつもいると思うが。
「ん?そこの赤子――スキル持ちだな」
スキル持ってるのってバレるんだ。魔法が使える人間――というより「農民と直接会い監視出来る人間」、つまり遣いにはステータス開示スキルを持つ人材が選ばれるのかな。しかし、わざわざこのスキルを持つ人間を派遣しているということはつまり――
「まさか!?うちの子がそんな――」
母が悲痛な声を上げる
「スキル持ち農奴は廃棄する決まりだ。」
冷徹に、遣いはそう言い放った。やっぱりな――。