グラセン中心街セトリ
「ここ、は?」
薄暗い部屋に移転して、雰囲気で公爵邸でない事がすぐに分かった。
シェイド様は私を出窓のヌックに下ろし、上がアーチ型の大きな両開きの窓をあけた。
グラセンの街並みが目の前に見えて、思わず声を上げる。
「わぁ、綺麗……」
「ここはグラセンの中心街セトリの宿だ。ほら、あそこにさっきまでいた教会が見えるだろ」
街のメインストリートが窓から真っ直ぐ見えて、この宿(というより高級ホテル)がメインストリートの最端に建っていることがわかる。つるりとした青い煉瓦の街並みが、夕日に映えて美しい。
奥の方に、教会を認めて頷く。
「勝手に中に入って大丈夫なんですか?」
「ここは俺が買い上げてあるから大丈夫だ。公爵邸はお前をかまいたい奴が多すぎる。薬をとって来るから待ってろ」
シェイド様はそう言って額にキスを落として部屋を出て行った。
雨上がりの湿った匂いがして気持ちがいい。
あまり雨が降っていた記憶はないのに、いつもグラセンは湿った地面の匂いがする。
私の好きな匂い。
出窓の広いヌックはクッション敷きになっていて、ふわふわして心地いい。
きっとこの景色が売りのホテルなんだろう。
部屋の中は貴族用のリゾートホテルといった様相で、格式ある公爵邸の雰囲気とはまた違い、優雅だけれどリラックス感のあるインテリアになっている。
軽いノックとともにシェイド様が部屋に戻り、その後ろに中年のホテルマン風な男性がいて、水差しと救急箱をのせたワゴンを引いている。
「お嬢様のお支度に、メイドをお付けいたしますか?」
「いや、信用あるものにしか触らせられない。俺がやるから、いい」
「畏まりました。温かいお飲み物と、軽食をお持ち致しましょう」
「頼む」
ホテルマン風の男性が去ると、シェイド様は私を背中側から抱き込む様に座り、後ろから怪我の手当てをしてくれた。
「っ……もう、ベールはしなくていい」
傷の消毒をしながらボソリと言う。
この人は私が少しでも怪我をするとすごく辛そうにする。
「いいんですか?」
「リリが怪我をするのは、堪える」
「見た目ほど酷い怪我じゃないですよ?」
「俺が弱かっただけだ。リリを他の男に見せたくなかった」
傷にテープのような物を巻くと、ズキズキとした鈍い痛みも感じなくなった。
窓から入る柔らかい風がカーテンを揺らす。
「いい匂い……グラセンの風は、いつも雨上がりの匂いがして好き」
「ああ、それはグラセンが水と土の都だからだな。天然の湧き水を使った噴水やら魔道具やらが至る所にあるし、この青いレンガは領地で取れる青土から作る。そのレンガが噴水と魔道具の水でぬれるから、雨上がりみたいな匂いがするんだろ」
「とっても綺麗……」
夕やけにキラキラ光る青い煉瓦の街並みは絵本の中から飛び出た様で神秘的ですらある。
「どうして、ここに?」
デートがなかった事、拗ねてると思われたかな。そうじゃないのに。
「話がしたかった。傷つけて、悪かった」
「私が、わがままだったんです」
「そうじゃない。リリはもっと我儘になっていい」
「はは、セフィロス様にも、同じ事を言われました」
「………………」
「シェイド様は、私が魔熱の患者さんを治すの、お嫌ですよね?」
シェイド様は何も言ってくれない。
後ろから回された腕がただ暖かい。
「喜んでないの、気付いてました。そのせいで、ただでさえお忙しいのに、もっと大変になってしまったから…… セフィロス様は私の辛い気持ちを少しでも軽くするためにって動いて下さったんです。私は…………私の事でシェイド様やみんなが大変になるのが、嫌だったんです」
「リリ……」
「セフィロスさまが取り仕切って下さって、他領の主教会に行くことになるんですよね?」
「ああ、リリのおかげで助かった。聖教会と対立せずに済んだし、他領の不満も抑えられる」
「セフィロス様のおかげです。やっぱり私は何も言えなかったんです。それなのに、気がついて下さって……」
「……………………はあ、嫉妬する権利はねぇな、俺には」
「嫉妬?」
「何でもねえ。俺が全部悪い。公爵邸にリリがいる事が幸せすぎて浮かれてた。リリの力に喜んでないわけじゃない。俺から離れていく様で、焦っただけだよ。俺は……いつかリリの目が覚めて、俺から離れていくのがずっと怖かった。だから無意識にリリを閉じ込めて隠そうとしたんだ。俺が全部悪い。俺はリリの気持ちを信じなきゃいけなかったし、リリが誰に惚れられようと、俺が守ればいいだけだった」
「シェイド様以外は好きじゃない」
「…………お前はそういう奴なのに、俺が馬鹿だったな」
「私も、辛い事、ちゃんと言える様にしたいです。我慢して、我慢することが目的になって、頑張っている気になって……」
「……俺も同じだ。苦手な事から目を背けてきた」
「シェイド様は、苦手なことなんてないでしょう?」
「………………俺は、リリへの手紙から逃げて来たからな」
「お手紙?」
「ああ。急に何も書けなくなる。愛してるって言葉しか浮かばなくなって、他の言葉が出てこない。——傷つけて、悪かった」
「もしかして、お手紙が苦手だからプレゼントもクローゼットの中にどんどん勝手に入れてく方式なんですか?」
「…………………………」
図星だった様で黙った彼が愛おしく、クスクスと笑ってしまう。
「じゃあ、愛してるって毎回書いてくれますか?」
「~~~~~っ!?……それで、イイナラ……」
「それがいいです。嬉しいです。マリアンさんが、羨ましかったの」
「……………………アレとは何でもない」
私の肩におでこを付けて、後ろからギュウギュウ抱きしめてきて、くすぐったい。
「じゃあ、こっからは、喧嘩ね?」
「……?」
「マリアンさんみたいな、金髪が好きでした?」
「~~~ッッッ、勘弁してクダサイ……ソンナワケないデス……」
「綺麗な人でしたし、いいにおいでしたね?」
「えーっと………………リリさん?」
「シェイド様って側室とれたんですね?知りませんでした」
「リリ、ちょっとこっち向け」
顎をクイっと上げられてキスされる。
魔力をのせているのか、心地いい温かさが身体をめぐる。
「魔力のせるの、ズルい。何でも許しそうになる……」
「はっ!あの女は失神してたぞ」
「……キスで?」
「んなわけあるか、こうするだけだよ」
そう言ってシェイドさまは指先でおでこに触れる。
おでこからじんわりあったかい魔力が流れて、ポカポカする。
「これだけでできるんですか?」
「できる」
「じゃあ、いつものキスは……」
「……………直接体内に流すのは効率がいい……」
「抱きしめるのは?」
「……………………」
「ふふふ、聞かなかった事にしてあげます」
「…………」
「喧嘩、やっぱり難しいですねぇ」
「俺の妖精は、やっぱ小悪魔だ……」




