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日々つれづれなることを、書け! 2  作者: 三屋城 衣智子


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私が「なろう系」を馬鹿にしないほうがいいと思う理由

 よく言論の槍玉に上がっているなろう系。


 実は私自身、作品に接したことがあるビッグタイトルは『薬屋のひとりごと』(アニメ)、『シャングリラ・フロンティア』(アニメ)、『転生したらスライムだった件』(子どもがアニメ見てる、結果コミックは購入した、というだけで本編あまり知らず、映画『蒼海の涙』をじっくり観たくらい)だけで、あとはウン年ほど前に令嬢ものを授乳の(かたわ)ら検索して漁って読んでたくらいだったりします。


 そう、なろう系、ほとんど接してません。


 ここでの「なろう系」は、定義としては「主としてwebに掲載された作品」くらいの意味で取っておいてください。

 その意味では令嬢ものはタイトル忘れど(当時は登録してませんでした、読み専)なろう系としてよく摂取してた、と言えるかもしれません。


 が。

 私は元々児童文学生まれ漫画育ち。

 その何十倍もの市場に出回っていた作品を読んでしており、含有量としてはそちらの方が多い。

 読んでいた分、好みもあって、実はなろうに登録してテンプレ論争とか質?(文章にだったか物語の構造にだったかはもう忘れてしまいました)への懸念(けねん)論争に触れ、感化され。

 いっときテンプレ批判にも罹患(りかん)しました(文章の質評価を読者側からできる機能をつけるべき、みたいな)。




 そんな時に、とあるエッセイか何かを目にする機会がありました。


 初めて読んで初めて書くのはそんなにダメなのか。


 確かそんなふうな内容だったかと思います。

 なろう系を読んで、自分も書いてみたくなり書いた、けれどもなんだかなろう系を貶す人が多い。

 悲しい気持ちになるよなぁというのと、何よりその吐露によって私は私が初めて描いた漫画のことを思い出しました。

 憧れた漫画のこと、そういうふうに描いてみたくなって描いたノート。

 それを友人に回し読みしてもらっていた日のこと。


 非常に(つたな)かっただろうと思います、何せ、初めて描いたものだったので。

 けれど誰も馬鹿にも貶しもしなかった。

 友達が描いた、初めて描いた、プロではない、そういうことを、言語化していなくとも子ども心にわかっていたのだと思います。


 なろう系も、とっつきやすさから、読む人書く人の間口が大きいのでしょう。

 そして昔はなかったけれど、読んでもらう場が現在ではインターネットに存在している。


 違うのは、友人は口さがなくないけれど、ネットの人にはいろんな人がいるということ。

 背景や、相手を(おもんばか)れる人ばかりではないということ。




 そういう場を選んだのはお前だろ、覚悟しとけ。

 と思う人もいるかもしれません。


 けど昔を思い返せば、大人から馬鹿にされていたのは漫画でした。

 いつでも何かが、誰かによって下に認定され貶されます。

 心に安寧をもたらしやすいからですかね。

 何か下を作って貶していると、自分はそれより上だと思えるのだと思います。

 私にもそういう心持ちがないわけではありません、その誘惑に、必死にあらがっているだけです。

 人間って割とそういうもんです。


 でも、そういうもんだからって誰彼構わず馬鹿にしてていいのでしょうか?

 特に最近はSNS(X、旧Twitter)の台頭で、褒めも貶しも自動で流れていってしまいます。


 流れていく、で思い出しましたが。

 SNSの仕組みをよくわからないまま使っている人もいるようで。

 こうしてなろうなど、個人のホームページに近い構造の場所で作品にして置き訪れた人しか目にしないのと、どうも同等と捉えている人がいる。

 そうして呟いて、読んだ方が悪い! という考えになっているのを見ることがあります。

 が、その呟き、桃太郎の入った桃の(ごと)くどんぶらこどんぶらこと流れていってますよ。


 気づいてない人がいらっしゃったら、ぜひ、全世界へと流れていってることを意識してもらえたらなぁ、なんて思います。


 話が横にそれてしまったので戻します。

 昔下に置かれていたのは漫画であった、と書きました。

 今はどうでしょうか?

 漫画は市民権を得て、もう馬鹿にされていませんよね。

 作品の質に文句を言う人はいますが、鑑賞していて大人がそんなものを読むだなんてという視線がくるような雰囲気はなくなっているかと思います。

 どうでしょうか。


 先人の努力の甲斐、出版社の波及努力、色々あったかと思います。

 けれど人はいつでも何かを探します。

 漫画を貶せなくなった分、もしかしてなろう系がそのポジションへ引っ張り出されてしまったのではないか、と私は怪しんでいます。




 そして本題、なろう系を馬鹿にしない方がいいと思う理由。

 これはSNSの構造となろう系がまず貶しありきだった、という事情が密接だったんではないか、ととあるエッセイなどを読んで仮説が立ちまして。

 それで、なろう系を「特にSNS(X、旧Twitter)上では」馬鹿にしない方がいいんじゃないか、と考えたわけです。

 順を追って説明します。

 馬鹿にする人の一部に前々から「なろう系が非なろう系を馬鹿にしたから返しているだけ」という主張があったのはご存じでしょうか?

 それはふてぇやろうだな、そう思いますよね、それが事実なら私もそう思います。


 ただ、時系列として押さえておきたいのは、非なろう系作品はそれこそ個人のホームページ全盛期から存在していて、特段荒れていたという話が出ていない。

 なろう系の方が物語の派生としては後であるという点です。

 そしてなろう作者の人から漏れ伝わる話によると、馬鹿にされていた、馬鹿にされていたから言い返した、という言い方になっている。

 本当になろう系作者が先に非なろう系作者を貶したのが始まりなのでしょうか?

 それは、どういった理由で?


 なろうエッセイでよく書かれている、なろう系への批判は色々あった、というのは確かに作品として批判されたり、時に一部口汚さ込みの作品が上がっていたのは目にしました。

 貶されておらず批判されていれば、どの作品も論として存在を認めるべきと考えます。

 それに対する反論も、作品として上がり貶されてない以上は、論としてそこに存在することを認めるべきと考えます。

 そして全部を読んでいないにしても、エッセイにいた頃に読んだもので、批判をこえ貶し腐しといった罵詈雑言に近しいものはなかったように記憶しています。

 ならばなぜ、非なろう系が貶された、となったのか。


 それはSNSの功罪の罪の部分ではないか。

 呟きの流れていったものを、お互いが見てしまったのでは、不幸にも。

 とかちょっと仮説とも言えない仮説ですが、今日はっと考えついたので、つらつらと書いてしまいました。

 ちなみに小説家になろうの始まりが2004年、X(旧Twitter)の日本でのサービス開始が2008年です。

 私が考えた構造はこう。


 なろう系批判が上がった(中には貶しも)

 ↓

 非なろう系勢へ言い返す(中には貶しへの貶しも)←SNSでこの発言を先に見た人が出る

 ↓

 エンドレス←SNSでどっちかを先に見てそれが先という刷り込み始まる

 ↓

 なろう系と非なろう系という謎組織があるように見える(本当は無い)




 実際。

 過去SNSにおいて、奴隷描写を作品に必要な素材と見ずに「作者が他人をそう思ってるから書けるんだろ」的に書いたのを見たことがありました。

 運悪く作者さんに見つかって、なんでそんな悲しいことを言うんだそんな訳ない、的に返されたのを発端に、誰彼ともなく批判が飛んでいっていたのも見ました。

 徒党を組んでいなくとも、SNSとみに呟きは全世界へと流れていく性質のものなので誰の元へも無秩序にたくさん届いてしまったんだと思います。

 結果、その場でその方は謝罪したようですが、後年「なろう系作家とそのファンダムに攻撃された」との認識となっていました。

 作品はフィクションですが、発言というのは生身です。

 兎角作品についての批判ならば受け取る人も多いですが、人へのレッテルは批判とはまた別種です。

 そしてツールの性質をわかった上で使用しなければ、そういったすれ違いやら不要な(いさか)いもまた知らず増えるものなんだろうな、と思います。


 主張があるなら作品で。

 作者ならそうしろ。


 小説作者界隈でよくなされる言説かと思います。

 なぜ推奨されるか、というと。

 恐らくは作品としてそこに存在し、また批判もそこに対して行えばよく、不用意に第三者の目に触れない優しさを持ち合わせられるからかもしれないな。

 と、なんとなくそういうことも思いました。


 馬鹿にする、というのはなぜ馬鹿馬鹿しいのかをきちんと論立てて説明できなければ、結局(あらそ)いの元です。

 悪口というか暴言というか、そういう類のものだからです。

 全世界公開のSNS上の呟きでそういったことをしてしまうと、その一つの呟きにつきたくさんの批判非難、ないし同等かそれ以上の悪口がくることもあるのだと思います。


 建設的じゃ全然ない。

 それでもやりたいなら自由ですが、返ってきた発言たちにまたクサクサするくらいなら。

 馬鹿にしない方が、その馬鹿にして仕返されて……をする時間で他のことができると思うので。

 私は馬鹿にするの勿体無いなと思いましたし、だからこそ思ったことをこうして作品にしていこうかなこれからも、と考える次第です。


 まとまりがないエッセイになりましたが、以上です☆

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