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日々つれづれなることを、書け! 2  作者: 三屋城 衣智子


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26/28

私が昔手にしていた物語の効能と、令和現代の同等物としてのツール類について

 最近、こんなポストを見かけた。


引用はじめ――――――――――


集英社オレンジ文庫@orangebunko

·

【アンケート企画スタート!】

コバルト文庫創刊50周年を記念して、大アンケートを実施!


あなたの好きだった

①コバルト文庫

②コバルトのキャラ

③コバルトの名ゼリフ(名文)


を、指定ハッシュタグをつけてポストしてください。

詳細は当ポストの画像をチェック!

しめきりは2026年2月28日です。


引用おわり――――――――――集英社オレンジ文庫 X公式アカウント https://x.com/orangebunko/status/2014624284883448149(参照:2026.3.2)


 推しのちょーシリーズをプッシュしたくて、文庫本をひっくり返して中をパラパラ読んで。

 結婚の時に『ちょー美女と野獣』以外断腸の思いで手放してしまっていて買い戻し的に手に入れたシリーズが、まだ全巻ではなかったから、ネットの海にも名言を探し。

 ていたらこんな言葉を見つけた。(本はからくも入手済みだったので現物も確認済み)


引用はじめ――――――――――


「……親が子供のために、出来る事なんか……自分が幸せになって……人生は生きるのに足るもんだと、思ってもらう事以外に、あんまないと思うけど……」


引用おわり――――――――――『ちょー囚われの王子』野梨原花南 P174 ダイヤモンドの言葉より(参照:2026.3.2)


  X(旧Twitter)では、ハッシュタグで送り損ねてしまったのだが、これを読んでハッとした。

 何故なら、これは私が曲がりなりにも親でございとするようになってずっと、信条としてきたことだったからだ。




 振り返れば、子ども時分には随分と物語に助けてもらったように思う。

 鍵っ子故の一人時間の寂しさ。

 現実の不可抗力的な理不尽さの傷。

 親の正しさからくる自分の思いの迷子。


 それらにそっと寄り添ったり、または知らない世界を旅した結果違うものごとの見方を知ったりというのは、実に幼い私を慰めた。


 接することのできるもう一人の外的な大人、と言っても過言ではない。


 特に……とはいえもう記憶も朧げではあるけれど……ちょーシリーズに出会った頃は、親の超特大の不幸からくる正しさで頬をぐりぐりされていた頃合い(比喩)で。

 衝突しては「何故そんなことを言うんだ、あなたよりもっときょうだいの方が辛い状態だし世界にはもっと大変な人がいるのに(だからあなたは前向きでなければならない)」等、よく言われていた。

 ヤングケアラーなどという言葉がある前な上、ネットなんてものもない時代。

 よそのご家庭を知る由もなく、他家の内情も薄ぼんやりと自分のと同じようなものなんだろう、と、子どもの無邪気さで「これが当たり前だ」と思っていたけれど、どこかでずっと苦しくもあった。


 自分がきょうだいのために在るような感覚。


 親には手をかけてもらってもいた。

 それなのに。

 なんとなし、自分はきょうだいのためがなければ、世界に必要のない存在ではなかろうかと怪しむ心も芽生えていた。


 奥底の不安がずっと付き纏っていて。

 私はいつもどこかで心細く、そして何故か悲しくて、イライラしていた。




 いつだったか、母方の叔母さんから録音も出来るというラジカセを譲ってもらった。

 ラジオなどが録音できるとお気に入りで、よく使って大事にしていて。

 けれど母に何かで叱られ、押し問答になった挙句に癇癪を起こしてむしゃくしゃし、八つ当たりで階下へと、階段の上から放り投げてしまった。


 自分で自分にショックを受けた。


 人からもらった贈り物を、こんなにも無残に扱ってしまう自分が、信じられなかった。

 けれど、癇癪はそれからも止まらなかった。

 今思うと、一種の母親への試し行動だったのだろう。


 それでも一応その一件は戒めとなり、癇癪といっても壊さない程度、という感じには落ち着いていった。(例えば鞄を窓に割れない程度に放る、というふうに)


 ただどうしても、不可抗力の理不尽だったため母も不安定で……当時何があったのか何を考えていたのかも本人が今は忘れたまま……ふらりと家から姿が消え父が探し回り、自殺したんじゃないかと背筋の凍る思いをした夕方があった。


 その後なんとか受容したのか諦めの境地か。

 いつの間にかきょうだいが増え、自分との扱いのギャップに気づき遅まきの反抗期に特段反抗らしき反抗をせず。

 けれどただ母に褒めてもらいたいがためだけに頑張っていた、勉強をやめた。


 成績は転げ落ち、自身も自分の扱い方がよくわからないまま数学のテストで八点という赤点も赤点、一桁というとんでもないものを取ったりもした。

 なお、追試で九十点台を叩き出し、やればできるんだから手を抜くな! とよくわからない叱られ方をしたのは、今思えば先生によって理解した上で叱責してもらえたのだからいい思い出なのかもしれない。


 それくらいには、自分自身への投資だとかやる気だとかが微塵も身につけられなく、迷子のようなものだった。




 そういう自我が複雑骨折したような状態の中、ちょーシリーズは巻数が重ねられ、私も大きくなっていった。


 上記の引用の言葉では、そんなことをたとい物語の中だろうと書いてくれるような大人がいることに、当時びっくりしたような気がする。

 他にも、他者への優しい眼差しは、出てくる登場人物たちにそれぞれあって。


 そういう登場人物を描ける大人がいる、という事実に、私は確かに勇気付けられていた。


 何せ、それ以外で他の大人を知れるといったら、親戚の集まりくらいしか昔はなかったのだ。

 何故かというと今とは随分と違って、遠くの人との通信方法は手紙か電話。

 それだって相手と自分の持つ住所だの番号だのを知らせあわなければ、始めることすらできなかった。

 だから昔の子どもの世界の範囲は、多分ほんの数メートルほどだったんじゃないか、と思うほど狭かったと思う。


 そんな環境の中で、本とりわけ小説というのは実に色々な、時に少し哲学チックなことをエピソードを交えて優しくわかりやすく提示してくれるものだったんじゃないだろうか。

 と振り返ってみて、感じている。




 それも今は昔。


 令和になり、ツールは増えた。

 いつの間にかインターネットの時代となり、今はスマートフォンが一人一台とも言われるほどに普及。

 いつでもどこでも誰でも、不特定多数と気軽に話したり、誰かの考えを読んだり、聞いたりすることも気軽にできるようになった。

 X(旧Twitter)等のSNSにはいつでも人が溢れ、声をかけるのも手紙などとは違い比較的容易になっている。

 個人の体験談へもアクセスしやすくなり、また人によっては動画で配信、リアルタイムでやり取りできる仕組みなどもあるようだ。


 先日NHKで『ドキュメント20min. 未来で過去の話をしよう すとぷり 莉犬』https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-YN5YRJ9KP6/ep/VPV4RGZGQ2という番組を視聴した。


引用はじめ――――――――――


YouTube個人チャンネル登録者数220万人超のすとぷり・莉犬さん。リスナーが口を揃えていう彼の魅力は“言葉の強さ”だ。ただ、27歳になった莉犬さんはことしを活動の“終わり”の年にしようと考えていた。幼いころから苦しんできた家族とのあつれき、自身の性別への違和感。逃れようと入っていったインターネットの世界。居場所を見つけた一方で、押し寄せる心ない言葉。リスナーと共に歩む、莉犬さんの素顔に迫る。


引用おわり――――――――――『ドキュメント20min.』 未来で過去の話をしよう すとぷり 莉犬 https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-YN5YRJ9KP6/ep/VPV4RGZGQ2 (参照:2026.3.2)


 すとぷり、というのはすとろべりーぷりんすの略でグループ名。

 日本のエンターテインメントグループであり、基本的にライブと握手会以外ではいわゆるVtuber、3Dモデルのガワを着て活動する、配信者という側面もある。

 2.5次元アイドル? のようなものらしい。

 莉犬氏、というのはそのグループの一員の名前である。


 彼もまた、インターネットで居場所を見つけた一人であり。

 恐らくはファンの中にもまた、その配信によってなんらか効能を得ている人は、いるのではないかと推察される。


 いろいろな手段で人との繋がりを簡単に得ることができるようになった分、もしかしたら物語が必要な場面も、少しずつ変わり始めているのかもしれない。


 昔を知る人間としては、それについて少し寂しい気持ちがあるのも事実だ。


 だけれどそれ以上に、もしも昔の私のような心もとない気持ちが、昔よりもいろんな手段で解消できたり、ひとときやり過ごしてそれから対処できるようになったり、なんらか楽になったりしているのなら。

 今あるそういった種々様々なツールや手段たちもまた、昔私が手にしていた物語の効能と何ら変わりなく、誰かを助けているし。

 誰かにとって凄く必要で大切なことなんだろう、と思う。


 「世界が君を歓迎している」


 そう書いて物語が締められた、あの時確かにお話は終わりを迎えた、けれど私の心が前を向いた。

 もしかしたら私も世界に歓迎してもらえているのかもしれない、という可能性の芽を信じた。


 そういう思いが。

 令和の今。

 リアルででも、インターネットででも、ノンフィクションでもフィクションでも、誰かと誰かが会話する瞬間に、誰かが手渡した言葉が誰かに染みる瞬間に、誰かの紡ぎ出した物語が誰かにそっと寄り添う瞬間に。

 どうかトードリアの絢爛の春のように、誰かにおとずれていてほしいと願ってやまない。

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