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日々つれづれなることを、書け! 2  作者: 三屋城 衣智子


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13/21

批評の練習

 数日前? Xにて批評とかレビューが話題にあがっていました。


 また、知り合いの方が140字小説を書いたり、批評について語っていたりもし。

 そしてまぁ、無粋なのであまりやりたくないというか、するのもなぁとも思ったのですが、その方の作品(出典元は以下後書き欄参照※1)についた批評の小野道風のくだり「3.ここがこの人の最大の特徴ですが、『意外性』がない。

「天才が努力してないことに悩む」という構図は、ある意味では使い古されたテーマであり(例えば小野道風のカエルのエピソードなどが有名)」(後書き欄参照※2)に、どうにも引っかかりを覚えてしまったのと、レビューや批評の練習をしたいと思っていたのもあって。

 つい、自分でも作品に対して批評もどきを書きました。


 お蔵入りさせるつもりだったのですが、生来の貧乏性。

 作品作者ご本人に許可を取って、良いよと言ってもらえたので掲載します。


 ちな、及第点は取れていた模様です。

 レビューとか、結構恐々書いていたというか、伝わってるかな? 大丈夫かな? と、思っていたので……伝わったと言ってもらえたのは結構、いやかなり嬉しかったです。

 なお※2における批評については無許可で行われたものなので、その姿勢に敬意をはらいまたそれを倣って、引用の用法を守った上で、許可取り等特になく行わせていただきます。

 ではいってみよー!☆


 引用ここから―― ―― ―― ―― ――


 彼は剣の天才だ。誰から習ってもないのに霊妙なる太刀筋を振るい、生涯無敗。剣聖と称えられた。


 なのに剣を辞めるという。

「私の知る他の剣士とは、技を受け継ぎ、敗北に涙し、研鑽を積む者だ。何の努力もしてない私が剣聖を名乗るのは心苦しい」

 無敗の男も、遂には自分自身に勝てなかった


 引用ここまで―― ―― ―― ―― ――はまさん #140字小説を書いてます@hamathunder




 この作品は周りがその実力を目の当たりにし、その人物を天才と称した、天才の物語です。

 彼は生涯とあるように、その一生を剣に捧げ恐らくはその才で他者を助け続けたのでしょう。

 けれど晩年、多分ずっと自分の中で燻っていた思いから、剣を置いてしまいました。

 どれほど他者からの賞賛を浴びていても、その個人が納得しなければその才は存在していられない、ということの示唆にも感じます。

 皮肉なことです、天才本人は自分の能力を他人と同じようには信じられなかったのです。


 欲を言えば、というか私がつい詰め込みすぎるから、でもあるかと思いますが……。

 主人公に一日中剣を振るってた設定入れると、努力も加味されてたのに本人は無自覚、そこまでの才を人はあっさりと捨ててしまう時があるのか、という驚きとか努力への認知対比が更に生まれたかなぁと愚考しました。


 さて小野道風の蛙のお話ではありますが、ここは掲載されたサイトの力を借ります(後書きURL参照※3)。

 このお話は目指す書が遠く感じ、投げ出したくなったというか実際に投げ出していたところ、カエルの努力を目の当たりにして……という内容です。


 道風もその時代、周りから天才と言われていた? ようですが、カエルのお話の場合は、本人が目指すものが常人ならざる領域だった(予測)ので、推測ではありますけれども本人が本人を(目指す高みにくらぶれば)凡才と思っていたのではないか。

 とさえ思うエピソードとなっています。


 どれだけ他者が持て囃しても、本人の目指す場所がとんでもねー場所だと、天才だって天才なりに悩むというか、筆を折りたくなるほどクサクサするのでしょうね。

 同じ天才エピでも、切り取り場所や悩みが違えば、多彩な景色が見える、そんなそれぞれのお話だと思いました。


 そして小野道風、「天才が努力してないことに悩む」にあるようなチョチョイとやれる人ではないことがこのカエルのエピソードにちゃんと書いてあります。

 「ある日、一生懸命に字を書いていた道風は、」この部分です。

 一生懸命に書いているのですね。

 ひょいとやっているわけではない。

 はまさん(敬称略していいよ、とご本人におっしゃっていただいているので、呼び捨て状態に見えますが、そうではないのでご安心を)の描いた涼しい顔をしてこなした剣聖とは、ちょっと事情が違います。


 一つ訂正です。

 「道風(とうふう)が、まだ書道の達人と呼ばれる前のお話し」なので、天才と呼ばれた時期とは違った点は、うっかり読んだ文章忘れて引用してしまって、申し訳ございませんでした。


 ただ、「道風が壁に投げつけた字は、とても素晴らしい字でした。」とあるので、この時点で既に才能は現れていたと推測しています。

 他人にその才は見出されていた、のではないかという。

 けれど本人はその状態に満足できなかった。

 そんな感じでしょうか。


 それを踏まえると。

 努力してその能力を自分の望み通りに開花させていった道風。

 その恐らくは類まれな身体能力から、本人が認知するような努力無く、霊妙なる太刀筋を開花させた剣聖。

 同じ才と呼ぶものでも、成り立ちが違い、またカエルのエピソードと剣を置くエピソードにおいて、努力すること、能力を発揮することへの見え方が違うのがわかるかと思います。


 道風は才能があったが本人が満足するような力を発揮できていないと感じ、さらに努力を重ねて自分の望む力を出せるようになった。

 剣聖は才能があり周りが満足するような力を発揮し本人も生涯その力を使ったが、実は自分の力自体心苦しく思っており、晩年努力していないことを恥じてその力を封じてしまった。


 同じ才能でも、捉え方や見え方、何を努力とするかで変わってしまう。

 私はスルリとやってのける人にも、そのスルリとやってのけるまでの習いがあるので、それを努力とは呼ばないとしても「やり続ける努力」なんてのも、世の中にはあると考えているタイプです。


 人間は、どうしても個体差があるので。

 違いを認めながら、多様な努力を認め合いながら。

 存在しあっていたいなと、改めて、作品を読み、批評を書いてみて感じました。


 以上、愚考を交えての、批評の練習でした。

参考サイト:作品※1→はまさん #140字小説を書いてます氏X https://x.com/hamathunder/status/1909824400909910378(参照:2025.4.11)

      批評※2→ 堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥

氏X https://x.com/kadas_blue/status/1909832560269836651 (参照:2025.4.11)

      サイト※3→『福娘童話集 きょうの日本民話』小野道風とカエル http://hukumusume.com/douwa/pc/minwa/01/26d.html (参照:2025.4.11)

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