創作する他者を呪いたくなった時に読め
たまにはネガティブでも、吐き出してみる。
web小説を諦めた、と言いながら作品を出し、他者のweb小説行動へと思い込んで貶したりご高説タレまくってる人がいる。
もしかしたら、自分の内側にあるものが、信じられなくなったのかもしれない。
その気持ちは、少しわかる気もする。
私にも、自分の作品は広く他者にと求心するようなものではない、かもしれない……と思う時期は、正直なところ波としてある。
たくさんの人が挑戦して、たくさんの他者へと波及する想いや作品は、その挑戦してるたくさんの人とくらぶればほんの一握りだ。
それを才能と呼ぶのなら、そうなのかも知れず、その観点から見れば自分の才能はちっぽけとも見れる。
そんなちっぽけ、なんになる?
なんてのは脳裏によぎるのも仕方ない。
誰もが、人生という名の地図など生まれた時は白紙だ。
一歩一歩踏みしめながら、来た道をなぞった結果、線が生まれいでているに過ぎない。
ただ、こうも言えるのではないか、とは、いただいた言葉という星のきらめきで、感じてもいる。
「そのちっぽけでも、出会い次第で得難い経験になるのだ」と。
私は一度絵筆の方を折った人間なので、はなから自分の才能とやらには懐疑的だった。
作品を載せて、一人読んでポイントを入れたり感想をくれたらば良い方だろう、とさえ思っていた。
だけど、人間とは業が深いもので、書いて作品を世に放ち完結させてみれば、もっともっとという心持ちは湯水の如くだ。
枯れない泉とでも言っていい。
けれど同時。
『次期王妃な悪女はひたむかない』を書き、1000ポイント以上を目標に書いたとはいえ、実際にポイントやブクマが増えていったりランキングの端っこにのぼった時。
とてつもない恐怖をも感じた。
これは、この進む道筋は「常に存在するもの、ではない」という……その道が出現したという畏怖にも似た怖さ。
それでも自分を信じ、読者の方を信じ、また相手が期待しているであろう作品の最大値を選り分け書き分け進み頂上へと、ただひたすら頂上へと、例え転げ落ちたとしてもまた一歩、目指す場所へ足をうごかすだけの胆力と共にあらねばならぬ道。
背中には一人、また一人と乗せながら。
それでもなんてことない顔をして足を踏み出さねば、到達できない頂がある。
そんなイメージが頭の中に浮かんで、身震いをした。
冒頭で紹介した事例というか雰囲気には、大抵「これだからテンプレは〜」「テンプレという簡単な〜」という文言がついていることが多い。
テンプレをあげない唐揚げか何かと勘違いしていやしないだろうか。
大抵、洗練されたテンプレート(題材※転生、令嬢、トラック転生、パンをくわえて角でぶつかるラブコメ等 骨組※不遇な主人公が実は凄い才能を持っていて最後には世界を救う、空から女の子が降ってきて古の王族の末裔で最後には世界を救う等)の数々は、先人が培ってきた叡智のもと、編み出され使われ続けているものが多い。
これは仕事だの仕組みだの、大抵のものは当てはまる――と私は勝手に思っている。
結果、確かにシンプルでわかりやすく、その分たくさんの人が一目で見ていいなと思ったり、スッと内容がわかり齟齬がないようにできていたりする。
その労力、たくさんの人に同時にほぼ同じ内容を理解していただくのが、どれほど大変で困難でウルトラCであるか。
シンプルでわかりやすく、だからこそ表層を見るだけの人には、その凄さが目に見えないのかも知れない。
どうか、知っていただきたい。
日常当たり前に使っているもの、見知ったもの、シンプルなものは、簡単に作られているだろうか?
え? 簡単そうに見える?
……そういうこともあるね。
そんな感じで、私が説明するに、やはりこなれておらず余計なことを書きすぎるきらいがあるから伝わりにくい。
そこを、伝えられる人は存在する。
だからこそ、プロとなる。
私はなろうでの創作を通じて、そんな世の仕組みと共に、他者の凄さをまた、改めて実感した。
だからプロになれるはずない。
とは、思っていないけれど。
まぁほぼ無理、とは、感じている。
それでも私が書くのは。
私のちっぽけな言葉が誰かの小さなきっかけになったと、そっと教えてくれた言葉がまた、私のよるべない創作の道の明かりとなり。
誰かが読みポイントを入れブクマをしてくれたおかげで、次の話に期待する気持ちへの畏怖を知り。
今思うのは、たといちっぽけだろうとも、怖かろうとも。
ならなぜ書く? と自問した時に、それでも書いてみようという想いが尽きないだけ……である。
一人に届いて反応があった、もう一人くらい、もう一人くらい。
存外、誰しもがそんな瑣末でも、暖かな、気持ちを持ち寄ったその結果が文字という線を何か特別なものに変えているのでは。
と、思ったり。
だから誰に届けようとしているか、とか、自分のために書いている、とか、そういうのをひっくるめて。
自分も他人も、他者の言葉も、自分の言葉も。
相入れないものは相入れないままに。
ただ自分と、それとなく関わろうとしてくれる人を中心に、ふっと文字や言葉を綴ればいいんじゃないかな。
綴りたくないなって思えば、すっと辞めていってもいいんじゃないかな、とも。
誰もあなたに強要はしないよ。
嫌いになる前に離れて、そっと、やりたくなれば書けばいい。
書かないことは負けでもない。
webっていうのはきっと、そういう場所だから。




