夏
夢雲テディは八月生まれである。
Vtuberとしてデビューして、初めての誕生日。ちょうど金曜日というタイミングもあり、翌日は休みの人間も多い。ファンたちはワクワクと、誕生日配信は何をするのかをSNSで話していた。
俺はアンチなので、その輪には入らない。ファンのアカウントは鍵付きリストに入れて見ている。監視ではない。夢雲テディの情報が入ってくるのが一番早いからだ。
『来月、僕の誕生日当日の生配信なんですけど、ゲームの実況生配信をしようと思います!』
ゲーム配信は、鉄板コンテンツだ。
まずそもそも、人気のゲームというだけで普段の視聴者以外に裾野が広がる。そこから火がついて登録者数をガンガン伸ばしていく配信者は大勢いる。
【超楽しみ】
【絶対予定あける】
【ゲーム配信好きな友達にも宣伝するわ】
【何やるのー?】
など、夢雲テディのオタクたちは好意的に受け取っている。
が、繰り返すが俺はアンチである。
【あんたこないだもサザンクロス愛華とのコラボ配信のとき、黙ってたじゃん。向いてないよゲーム配信】
サザンクロス愛華というのもまた、Vtuberである。勝ち気な言動に反するザコいポンコツ度合いのギャップがいい、とは友人の火野談。
夢雲テディは、不器用だ。ひとつの物事に集中すると、他がおろそかになる。
謎ときパズルゲームもレーシングゲームも、夢中になって本人は楽しんでいるのかもしれないが、それが美少女アバターを通すとこちらには伝わってこない。
ゲーマーというわけでもない素人だし、プレイングで魅了するわけでもない。そんな彼女をフォローするサザンクロス愛華が不憫だった。
俺のコメントが目に入ったらしい夢雲テディは、「うっ」と、ぐうの音も出ない。
『そう・・・・・・ですよね。愛華ちゃんにはすごく迷惑かけちゃったし。僕、ゲーム得意じゃないし』
素直に反省する夢雲テディは可愛らしく、俺以外の連中からは、
【そんなことないよ~】
【Uじろさんほんと鬼】
【正論は優しさじゃないんだよ】
と、彼女への励ましと俺への駄目出しが繰り出される。
いやだって、こいつ別にゲームが好きってわけじゃないじゃん? 誕生日配信なら、自分の好きなことやれってんだよ。
さて、大学は夏休みである。休暇中に〆切を設けられた鬼畜なレポート以外はすべてやっつけて、モラトリアムを謳歌する時期だ。
「夏といえば、海っしょ!」
オタク=インドアというイメージの真逆を行く、行動派オタクの火野に懇願され、海水浴に来ている。
去年までなら「水着なんて着られるかよ」と、まるで女子みたいなことを言って拒絶していた。
だってこの美少女顔!
パーカーを着ていたらチャラついた連中にナンパされ、「はあ?」と凄んでみせたら「なんだ男かよ」と悪態をつかれる。じゃあ普通に上半身裸でいろって話だが、筋肉がなくて恥ずかしいから、パーカーは手放せなかった。
しかし現在、俺はトレーニング中である。ジムに通ううちに顔見知りが増え、言葉を交わすこともある。俺なんかよりもずっと長く鍛えていて、めちゃくちゃ格好良い人たちは、俺が全然筋肉がつかなくて落ち込んでいると、アドバイスをくれる。
「隠していたら、筋肉が育たないよ。もっと見せていかないと」
と。
そういえば、俺は長袖のジャージを着ていることが多い(せいぜいそれを脱いでも半袖のTシャツだ)が、周りの人たちを見ていると、半袖短パン、なんならタンクトップでトレーニングしている人が多かった。
日陰の筋肉は育たない、という意味じゃなくて、自分の目できちんと身体の動きを確認できる服を着ろ、という意味だということにようやく気がついた。
教えてくれているときの熊井はお仕着せのユニフォームだが、自分自身のトレーニングをしに訪れたときにはやっぱり、多少露出が増えるらしい。
俺はまだ、この目で見たことないんだけど、仲良くなった人がそう言っていた。
それから半袖ハーフパンツでトレーニングをするようになり、少しずつ腹筋に筋が浮かんできた、ような気がする。
恥ずかしがってたら駄目だよな、ということで、今年は多少自信をもって海水浴へとやってきたのだった。
「うーん。やっぱり水着の女の子っていいよね! 目の保養!」
「そんなこったろうと思ってたよ」
陽キャだがナンパ野郎ではない火野は、水着ギャルを眺めているだけで楽しそうである。泳ぎに来たんじゃねえのかよ、と言えば、「俺泳げないもん」だと。
「何しに海来た!」
「バカンス~」
フ~! じゃねぇ。
芋を洗うとはまさにこのこと、と混雑する海水浴場、どうにか作ったパラソルの下の陣地から、火野は動こうとしない。バカンスもくそもないだろこの状況。
仕方がないので、俺は暑いし、海に入ろうとひとりで移動。本当に俺、何しに来たんだよ。
青い空に青い海、ギラギラ照りつける太陽の光にそぐわない大きな溜息をつく俺の目に入るのは、波打ち際で女の子を取り囲んでいる、三人組の男たち。
「うわぁ」
小さいけれど、思わず声が出た。女の子ふたりは、遠目で見ても乗り気ではない。思わせぶりな態度じゃなく、完璧に拒絶しているのがわかる。
火野がああいうナンパ野郎じゃなくてよかったと心から思った。
そりゃ俺だって、海だし? 多少は開放的な気分になって、可愛い女の子とひと夏の恋を・・・・・・なんて、妄想しないでもない。
けれど、その気のない女の子を無理矢理誘おうと必死になっているのは、客観的に見てめちゃくちゃダサい。
近くを通りかかる人たちはいるが、関わりたくないと目も合わせずに行ってしまう。いい加減に制止しないと、男たちは力と数にものを言わせて、女の子を無理矢理連れていくかも。
それはさすがに夢見が悪いな、と思って足を踏み出した。この顔にこの身長じゃ、助けには力不足なのはわかっている。けど、俺があいつらを怒らせて気を引いている間に、女の子たちが逃げられたら、それでいい。
おい、の「お」の字を言いかけたところで、女の子の手首を掴もうとしていた男の手を、逆にぐっと握りしめる人間の影。でかくて、上に着ているTシャツがパツパツの背中は、見覚えがあった。
・・・・・・っていうか、どう見ても熊井じゃん。
え、この人、ひとりで海来るような人だっけ?
熊井が無表情でおっかない顔をしているのは、嫌というほど知っている。ちょーっと飲み会続きで羽目を外した次の日、むくんだ顔のままジムに行った日には、無言で睨まれる。前夜に何を食べ、何を飲んだのか洗いざらい吐くまで、トレーニングをさせてもらえない。
彼の風貌は、無言のプレッシャーを与える。男たちは熊井の顔を見た瞬間に、「あ・・・・・・すんませんでした~」と、ぺこぺこしながら逃げていった。
それだけじゃなくて、助けられた側の女の子まで、「あはは」と、愛想笑いを浮かべて去って行った。
あ、あまりにも不憫。
熊井が誠実で優しい男なのを俺は知っているが、初対面の人は外見で判断するしかない。特に彼は、ガタイがよく、お喋りというものをしないから、勘違いされがちだ。
哀れに思った俺は、呆然と立ち尽くす熊井に近づいた。
「熊井さん」
くるんと振り返った彼の目が揺れた。
「こんにちは。ひとりですか?」
レジャー目的の海水浴にひとりで来る男ではない気がすると、案の定、首を横に振った。ツレがいるそうだ。
「俺は友達、ほら、あのジムに一緒に体験した奴と一緒に来たんですよ」
うんうん頷いて話を聞いてくれるところ、真面目なんだよなあ。
「熊井さんは、彼女と?」
ぼん、と音がしそうなほど、彼の顔がゆだった。
え、熱中症? 倒れたりしないでくれよ。こんな筋肉ダルマ、俺は救護スペースまで運ぶ自信がないんだから。
「じゃ、友達? ふたりで?」
こくんと頷く熊井は、夏の海の下でも相変わらずだった。
なんとなく、そのまま「じゃあ」と別れるのは名残惜しかった。しょんぼりと肩を落としていた熊井を見てしまっていたからだろう。
「あの、お友達さんさえよければ、一緒に遊びませんか?」
気づけばそう、誘っていた。
熊井を伴って火野のところへ戻る。海に入りに行くと言ったのに、まったく濡れていない俺の肌を見て、火野は目を丸くしたが、背後に立つ大男を見上げて、だいたいの事情は察したらしい。
「あれ? 久しぶりです。熊井さん、でしたっけ?」
こくりと頷く。こんなに無口で、彼はどうやって生きてきたんだろう。学校の学芸会とか、就職の面接だとか。
就職・・・・・・ウッ、と自分に当てはめて考えてしまってちょっと憂鬱になる。来年は就活だ。この時期には内定が出ていればいいけれど。
俺の些細な連想ゲームによる感傷を、火野はエスパーじゃないから感知しない。
久々の再会とはいえ、物怖じしない態度で熊井とぐいぐい距離を詰める。
面白くない。
「いや~、ジムのユニフォームのときも思ってましたけれど、すっげぇいい身体してますよねえ。触っていいですか?」
曖昧に頷く熊井の腕を、肩を、それから胸を、躊躇なく触れていくのが、面白くない。
べりり、と引き剥がすと、「何怒ってんの?」と、火野にあきれられた。
うるせーしらねーを繰り返していると、「夏月、お待たせ~」と、のんびりした声がかけられた。
「うっ」
と、呻いたのは俺か、それとも火野か。
やってきた熊井の友達は、あまりにもまばゆいオーラを放つ、イケメンであった。
俺だってまあまあ見た目には自信があるけれど、そこはほら、美少女フェイスを自他ともに認められている。イケメンとは口が裂けても言えないから、目の前にいる男のあまりの顔のよさに怯んだ。
男は羽田健斗と名乗った。熊井の幼なじみだという。
ふたりが並び立つ姿は、圧巻だった。羽田のイケメンオーラもそうだが、熊井だって渋い顔の良スタイルだ。好きな人は好き、という玄人好みな感じがする。
対戦相手(?)のこちらは、フツメンオタクと女顔のチビである。即座に負けました! と降参したくなる。
卑屈になりそうな俺たちだったが、羽田がその顔に似合わずオタクであると判明してからは、早かった。あっという間に火野と距離を詰め、お前らは長年の友達か? というほど仲良くなっている。
俺は隣で羽田や火野に、家から持参したクーラーボックスから取り出したドリンクを手渡す熊井を見つめる。
つか、夏月って名前なんだ。ふーん。夏生まれなんかな。もう誕生日、来たのかな。
ジムでトレーナーとしてついてもらっているだけで、俺はなぁんにも、熊井のことを知らないんだな、と思った。
ぼんやりしていると、俺にもペットボトルが差し出される。
「?」
他のがいい? とばかりに首を傾げられ、俺は苦笑して、「ありがとうございます」と受け取った。
・・・・・・うん、なんで中身、プロテインなのかなぁ・・・・・・?
「ねぇ、君たちさえよければ、今度これ、一緒に行かないかい?」
一日を泳いで食べて、大いに海を楽しんだ俺たちは、駅で電車を待っていた。くたくたの身体をベンチに寄りかからせていると、まだまだ元気な羽田が、新たな誘いをかけてきた。
「なんですか?」
彼の持つチケットは、真っ黒だった。おどろおどろしい幽霊画が描いてあって、イベント名を読む。
「『宇宙最恐お化け屋敷』・・・・・・?」
隣の県のテーマパークで、毎年夏限定でオープンするお化け屋敷の入場券であった。あまりの恐ろしさにギブアップする来場者が後を絶たないという評判で、前売りチケットは毎年ソールドアウトする。
それにしても馬鹿みたいなタイトルである。スケールがでかければでかいほどいいってもんじゃないだろうに。
「ちょうど四枚、仕事関係でもらったんだけど、行ってくれる人がいなくてさ」
「俺らと、熊井さんと羽田さんで?」
男四人でお化け屋敷・・・・・・。
羽田はウィンクして、「絶対面白いだろ?」と言う。
火野はすでに「行きたい行きたい!」とはしゃいでいて、熊井はいつも通り静か・・・・・・ん?
「熊井さん、大丈夫ですか?」
真一文字に引き結ばれた厚ぼったい唇が、心なしか震えている。顔も青い気がする。
話しかけられたことに驚いた様子で、目をパチパチする。意外と目は大きいし、まつげが長い。そこだけ見れば、可愛らしいかもしれない。
「お疲れですか?」
うーん、と考える素振りで傾げる首は、俺の倍くらい太い。うん、なのか、ううん、なのかわかりにくい。
「ああ、夏月はお化け屋敷とか苦手だから、一緒に行きたくないなあ、って思ってるだけだよ」
いつからの付き合いなのか、羽田は熊井のことなら何でもわかっています、と代弁した。
「怖いの嫌いなんですか?」
ふるふると首を横に振るが、やっぱり顔色は悪かった。
いたずら心が芽生える。俺にはちゃんと、「お化け怖いです」という彼の感情が伝わっている。でも気づかないフリをする。
にっこり笑う。自分の笑顔が人の目にどう映るのか、俺はよーく知っているのだ。
動きを止めた熊井は、そっと視線を逸らした。でかくてごついのに、妙に可愛いひと。
「熊井さんが行くなら、俺も行こうかな」
「行こうぜ行こうぜ~。チケットもったいないしさ!」
行く気満々の火野、「だってよ?」という顔で熊井を振り返る羽田。 熊井は唇を硬く閉ざしていたと思ったら、深々と溜息をついた。
いくらでも予定を合わせられる大学生とはいえ、アルバイトのシフトの都合もある。トークアプリで四人のグループを作り、ようやく約束のお化け屋敷にいけたのは、八月の半ば頃だった。
ジムで働いている熊井は、独身の若者ということもあってか、土日祝日休みではない。羽田は何をしているのかと問えば、なんだと思う~? と、質問で返されてしまった。
平日に遊園地までドライブできるのだから、彼もまた、平日に休みを取りやすい職種なんだろう。もしくはフリーランスかも。結局羽田は教えてくれなかった。
遊園地までは、高速を使って二時間。レンタカーの運転は、行きは羽田で帰りは熊井。一応免許は持っているけど、俺も火野も、ペーパーだ。高速道路なんて走れない。
ガソリン代を多めに払うことにして、ドライブ中の飲み物やお菓子の類いはふたりで出した。買いすぎだろ、と羽田は笑った。熊井は好きなおやつがあったらしく、「お前ほんとう、それ好きだね」と羽田があきれていた。覚えておこう、となんとなく思った。
そして到着した遊園地。お化け屋敷チケットは、フリーパスも兼ねている。他の遊具も乗り放題だが、まずは目的を達成しようと羽田、火野と三人で話をしていた。熊井はその間も黙ったまま。
「グッパーで分かれようぜ」
提案したのは火野で。
・・・・・・それで、こんなことになっているわけだが。
「ちょ、熊井さん、痛い、痛いって」
馬鹿でかい男が腕をぎゅうぎゅうと締めつけてくる。馬鹿力にも程がある。お化け屋敷のおどろおどろしい雰囲気よりも、いつか腕がもげるんじゃないかという恐怖が勝つ。たくましくも弾力のある胸板が押しつけられ、これがもしも女の子だったらなぁ・・・・・・と、悲しくもなった。
熊井は目を開けることができない。見えない方が怖くないか? と俺なんかは思うんだけど、人によるらしい。おどろおどろしい効果音や、先を歩く人たちの(大抵は甲高い女の子の)悲鳴の度、熊井はびくんと肩を震わせる。
そろそろと彼の重みを感じながら歩く。いっそのこと、行列の間の脱出口から出せばよかった。いやそれだと、前方でぎゃあぎゃあ喚いて、雰囲気を台無しにしている羽田&火野と三人で行動しなければならないのか。
それはそれで、嫌だな。
多少の重さは我慢しよう。一応、亀みたいだけど歩みは止めていないし。
「熊井さん、次右行くからね」
返事はない。脅かしてくるお化けやゾンビでも、もうちょっと喋るぞ。 日本、いや、宇宙一怖いと自称するお化け屋敷は、五感をフルに使って、恐怖を感じられるようにできている。味覚除く。もしかしたら口で息をしたら、味がするかもしれない。臭いはなんだか、いいとも悪いとも言えない。変に甘さが鼻につく感じだ。
右に曲がったところで、突然風のギミックに襲われた。
「わっ」
という俺の小さな叫びよりも先に、「きゃあっ」という悲鳴が、すぐ近く、本当に、めちゃくちゃすぐ近くから聞こえた。
・・・・・・うん、いや、勘違い。違う違う。俺より後ろに並んでいたのは、女子だけのグループだったから、そっちから聞こえる声に違いない。
「熊井さん、あとちょっとだから、頑張れ!」
ジムでトレーニングしているときとは逆だ。もっとも熊井は喋らないから、拳を握って応援してくれるだけなんだけど。無表情だけど、そのときだけはほっぺが赤くなるし、俺が頑張ってノルマをこなしたら、少しだけ嬉しそうな顔をする。
あー、よくない。ほんと、よくない。
「ひぃん」
俺も目を閉じて、声だけ聞いときたい。声だけなら、なんか知んないけど、俺の好きな美少女の悲鳴が聞こえるんだ。
お化け屋敷をようやく出られて、眩しすぎる夏の日差しに目を細める。
「外ですよ。熊井さん、だいじょ・・・・・・うわ」
気遣って声をかける。最後にうっかりドン引きしたのは、俺の腕に残る痕である。どんだけの力で締め上げられていたんだ。なんかちょっと、鬱血してないか?
爆笑のまま先へ先へとどんどん進んでいってしまったふたりは、「ようやく来たか」と、ソフトクリームを食べている。
「あのさぁ」
文句のひとつを言おうとしたら、「金本も買えばいいじゃん」と火野が悪びれもせずに店の方を指さすものだから、毒気を抜かれて溜息ひとつ。
「行こ、熊井さん」
まだ若干震える脚で、熊井は俺の後ろをついてくる。
ソフトクリームは冷たくて甘くて、それを食べ終わる頃には、熊井も普通の状態に戻っていた。耳だけは赤いのは、おそらく日焼けしたんだろうと思う。
お化け屋敷以外のアトラクションも大いに楽しみ――特に火野と羽田は。熊井はお化けも苦手だが、絶叫マシーンも苦手だった。遊園地に誘い甲斐のない――、いよいよ土産を買って帰ろうという頃。
それぞれ職場や学校、家、そのほかいろいろ買うべき相手がいるだろうからと、三十分後に出入り口で待ち合わせをすることになった。
と言っても、俺はせいぜいバイト先くらいだ。ひとり暮らしだし、実家の帰省もとうに済ませた。
だからさっさと買って、試食で美味かったやつを自分用に買うか悩んで、結局買わずに、ふらふらと雑貨のあたりを見ていた。
テーマパークのマスコットキャラの耳がついたカチューシャがあれこれと売られていて、火野とかこういうの好きそうなのに、やらなかったな、と今日一日を振り返った。
特に用事もないので、本当にただ時間を潰していただけ。
「あ」
だったんだけどさ。
帰り道、運転席に熊井が座る。お化け屋敷はあんだけ怖がっていたのに、今はもう、すん、とした顔をしている。
高速道路はもはや見るべき風景もなく、はしゃぎすぎて疲れたふたりは、後部座席で眠っていた。俺は助手席で、黙ってタイミングを見計らっている。
火野と羽田に見つかれば、絶対に冷やかされる。眠っている今がチャンスだけど、運転に集中していつも以上に怖い顔をしている熊井の邪魔をしたくない。
うーん、と唸って考えていると、隣から水のペットボトルが差し出された。
え、別に喉渇いてないんだけど・・・・・・と、ちらり見上げると、前を向いたまま、少し眉が下がった心配顔。
ああ、具合悪いと思われたのか。
「大丈夫です。でも、水ありがとうございます」
一口飲むと、彼の唇が少しだけ持ち上がった。
さて、高速を下りるとレンタカーの返却所までまっしぐら。そこで解散することになったのだが、一眠りして元気になった火野たちは、まだまだ遊び足りないからと、カラオケに繰り出そうと相談している。
熊井と俺にも誘いがかかったけれど、「俺明日バイトだから」と断った。喋らないのがデフォルトの熊井は、明日も休みであってもカラオケは苦行だろうな、と想像する。
結局ふたりと分かれ、駅に向かう。
チャンスである。
「あの、熊井さん」
「?」
突然立ち止まった俺に、熊井が首を傾げる。
ポケットの中に手を入れると、ぐちゃぐちゃになった紙の小袋。
ああ、なんでポケットに入れた! 俺の馬鹿!
もう仕方がないので、そのまま熊井に渡す。
「これ。今日一日、たぶん熊井さんが一番大変だったと思うから、ご褒美? 的な?」
自分でも衝動買いした理由がよくわからない。ただ、テーマパークのマスコットである、クマのキャラクターのぬいぐるみのキーホルダーである。小さいけどよくできていて、可愛らしい。
包みを開けた熊井は、ふるふると震えている。え? 嫌だった? いやでもこの人、結構可愛いもん好きなんだよな。名札にもシール貼ってあるしさ。
「嫌だったら他の誰かにあげてもいいから」
ごにょごにょ続けた俺の手を、熊井はぎゅっと握った。力加減ができていない馬鹿力に、いででで、と悲鳴を上げる。
ありがとう。
相変わらず声を出そうとしないけれど、たぶんこの手に感じる痛みは、きっとそう言っているんだろうと思うことにした。
新アバターお披露目と銘打たれたサムネを前に、すでに盛り上がっているコメント欄。まさか誕生日生配信よりも前に、こんな重大な発表があるなんて。
誰かが髪型を変えると予想すれば、それはクマちゃんのアイデンティティだから変えるわけない! と、即座にツッコミが入る。
夢雲テディのアバターが変わって、自分と似ても似つかない感じになったら、俺はアンチをやめられるんだろうか。
そんなことを考えつつ、缶チューハイを傾けながら配信スタートを待つ。
『こんくま~。夢雲テディですっ』
何やらいつもよりテンションが高い。新アバターお披露目に、本人も舞い上がっているんだろう。だいたいこういうときやらかすんだ、こいつ。
【おちつけ】
端的に突っ込んだだけなのに、【出た】【アンチの皮を被った保護者】となぜか俺にコメントを飛ばす連中。
「いいからこいつのこと見とけよ・・・・・・っと」
【後方彼氏面すな】
【誰もお前のことなんか見てない】
【↑見てんじゃねぇか】
相変わらずコメント欄はカオスだ。まぁまぁ、と夢雲テディが仲裁に入るのもいつも通り。
『ということで、今日はみんなに新アバターをお見せしたいと思います』
今はまだ、元のアバターを使っている。
ちょっと待っててね、と言われて、コメント欄は律儀に流れが止まった。俺も茶々を入れるのはやめておく。
調整、確認が済んで、
『お待たせしました~』
と言って出てきた夢雲テディは、特に目立った変化はなかった。女の子とも男の娘とも言える、俺に似たアバターだ。これにはコメント欄も困惑しきりである。間違い探しか?
どこが変わったの? という率直な疑問に、夢雲テディはもじもじと身体を揺らした。
『あのね、実はですねぇ・・・・・・じゃーん!』
抱え上げたのは、イメージカラーと同じ、黄色いクマのぬいぐるみだった。
『無理を言って、クマちゃんをつくってもらったんです。実は動くんですよ、この子』
沈黙するコメント欄。え? それだけ? っていうのが聞こえてくる。 画面を見ている夢雲テディは、こんなにも無反応になるとは想像していなかったようで、「えっ、え? だ、駄目でしたか・・・・・・?」と、表情を頼りなげに眉を下げていた。
するとそこは強火のオタクが揃っているコメント欄。
【可愛い最高!】【そのクマちゃんの名前決まってるの?】などなど、怒濤の盛り上がりを見せ始める。
俺はアンチコメントをすることも、スパチャを送ることもできなかった。
だってそのクマは、あのテーマパークのマスコットと、少しだけ、ほんのわずかに、大部分の人間にはわからない程度にアレンジされているけれど、似ていた。
・・・・・・余談だが、八月の末に行われた夢雲テディの誕生日生配信は、ホラーゲームだった。なるほどこれなら黙ることはない。
きゃあきゃあと悲鳴を上げるポンコツに、俺は思う存分、【下手くそ! 金ならやるからやめちまえ!】という罵倒コメントとともに、赤スパを投げたのだった。