2.聖女が王都を飛び出しやさぐれるまでの異世界めいた顛末など。(上)
やさぐれ聖女ファリィは迷宮都市の安宿で薄い毛布にくるまりながら、久々に昔の夢を見た。
ある意味幸せだった、それでも嫌で仕方がなかった、ファリィが本物の聖女だった頃を懐かしむような当時の夢。
あれはもう3年も前になる。
まだ17歳だったファリィは従軍回復士として、2年間もの長きに渡る東方戦線での任務を終え、疲れ果てた状態で王都へ戻ってきたばかりだった。
ろくに衣装も変えさせてもらえぬまま、玉座の間に引っ立てられるように連れてこられたファリィを待ち受けていたのは、茶番みたいな断罪劇だった。
東方戦線は辛うじて王国の勝利という結果で有利な条件での講和を結ぶに至ったが、そもそも短期で決着がつくはずの戦争が2年近くも長引いたのは聖女がその力を抑えていたからだと将軍たちから非難の声が上がり、これが国王の耳に入ったのだ。
いたずらに兵たちの怪我が続き、これが癒されもせず放置されたため充分な継戦能力が損なわれたという理屈のようである。
「将どもはかように申しているが、実のところはどうなのだ?」
平伏するファリィの頭上から、玉座に陣取る国王らしきオッサンの声が聞こえてくる。
ファリィは顔を上げることが出来ないから、思ったより甲高いこの声の持ち主が国王かどうかは分かりかねたが、なんとなく口調から王様が喋ってんだろうなーと大理石の床を睨みつつもしょーもない事を思いついてしまう。
実際のところ、聖女ファリィは力を抑えてはいた。というのも、ファリィが本気を出せば病床に倒れている兵士たちの一兵卒に至るまで、いつでもすぐに回復することが出来たのだが、将軍を始めとする騎士団幹部たちがこれを嫌がったのだ。
彼らは特に高位のものを率先して治療に当たるように指示したし、末端の従士などは基本的にほったらかしであった。
ファリィとしては騎士団の指揮系統については良く分からぬから、言われた通り言われた相手のみの回復をしていただけだが、結果として前線を戦う兵士たちをいたずらに消耗させたというのであれば、きっとそれはその通りなのだろう。
しかしてファリィは思うのだ。聖女なんてものはただの役割であり、これをいかに使うかは国が考えるべきで、戦争ともなれば王国が任命した将軍がその責を負うべきなのだ。
もしこの場で聖女に責任を取らせようというのであれば、そもそも始めに言ってくれさえすれば、糞の役にも立たない将軍のいう事など無視して好きなだけ女神の奇跡を振るう準備がファリィにはあったのだから。
むしろ戦場のナイチンゲールよろしく酷使されるんだろうなーと覚悟して行ったのである。
そしたらそんな事はいっさいなく、むしろラクチンだったので拍子抜けしたものだった。
まあその代り、愛人などを連れ込んで夜にハッスルする将軍に精力増強の術を掛けたり、そこらの村娘を捕まえてきて滅茶苦茶にした後の回復に付き合わされたりと、別の意味で疲れる仕事の連続ではあったのだが。
ところで今さらながら、名誉職とされる聖女は立場としては一般市民と何ら変わりがない。
だから国王に対して直答は決して許されない。今ファリィは王に問いを受けているが、このまま答えるわけにはいかない。だから側付きのものにファリィの近くに来てもらって言伝をしないと会話が成立しない。
だがファリィの側に寄ってくるものは誰もいない。
なんかこれ嵌められたっぽいなー。
そんな感想を抱きつつもただ平伏したまま黙るしかないファリィを前にして、国王は言葉を続ける。
「あい分かった。特に反論もないようだ。聖女に二心あり。よって罰を与える。
とはいえ曲がりなりにもこのものは聖女だ。宰相よ、なにかよい罰はないか?」
なんか勝手に話が進んだんですけどーっ!? やめてほしいんですけどー!!
ファリィは心の中で抗議の声を上げたが、当然口には出来ないので誰にも伝わらぬまま状況が進行してゆく。
国王とは違うっぽいべつのオッサンの声。
「このものは自らの力をいたずらに抑え、栄光ある王国騎士団に無用な損害を与えました。よってその賠償として、このものは王国そのものの扱いとし、その力をあまねく王国のために厳しく使ってゆくものがよいかと存じます。」
「うむ。ではそのようにせよ。」
大仰な声で頷いた様子の国王っぽいおっさん(声のみ)。
ああ、なんと馬鹿げた茶番であろうか。
もともとファリィは教会の所属である。それが第二王子との婚約を経る中で、教会勢力が王宮に食い込むための先兵としての役割を期待されていた。
だがこれを面白く思わなかった王侯貴族が、難癖付けて聖女を直接支配下に置きたいと良からぬ目論見を企てた結果がこれなのだろう。
恐らくこうなる前に教会側と王国側でなにがしかの話し合いが持たれたものとは思われるが、ともかくこれはすでに定められた決定事項なのだという事情だけは窺い知れた。
まさに茶番である。
するとここで、割って入る第三の声があった。
「お待ちいただきたい、陛下!」
あっ、この声は知っているぞ。ファリィの形ばかりの婚約者、第二王子殿下だ。
ファリィは12歳の時にこの殿下と婚約を結んだが、正直会うのは年に一度あるかないか。赤の他人に毛の生えたような遠い知り合いのお兄ちゃん的立ち位置なので、ファリィとしてみれば声を覚えていただけでも褒めてほしいくらいである。
まあそもそも国王に直訴できる立場の人間なんて限られてるから、消去法的に思い出しただけなんだけれどね。
「陛下! このような罪人まがいの平民の女と婚約しているというだけで虫唾が走ります! どうか婚約の破棄を願い出たい!
なに、わたくしめには丁度つり合いの良い相手もございます。侯爵令嬢のマリア嬢が先日教会より聖女認定を受けた件は皆さまもご周知のとおり。
マリア嬢は幼少のみぎりよりよく知る相手でもございますし、聖女としての素質は素晴らしいものであると教会よりお墨付きもいただいている。
誰と誰を結び合わせるが一番よいか、王家と王国の繁栄のためにも一考頂きたい!」
えーマリア嬢。知らんな。ていうかファリィはこの国の貴族の娘どもとそれなりに顔を合わせる機会もあったのだが、そいつがマジモンの聖女であれば同じ聖女同士見ればすぐにでもわかるはずである。だがファリィがこの国の貴族の娘に聖女の力を感じたものなど一人もいない。
雨後の筍のように、ファリィが従軍している二年の間にどっかから生えてきた新種の嬢なのか?
まあ恐らくは教会との手打ちの中の一環で出てきたナゾ嬢なのだろうとは推測される。
「ふうむ。」とこれは国王っぽいオッサン。「尚早ではないか?」などと宣う。
どうやらこの一幕は当初の予定にないやり取りのようで、少々イラついているようにも思える。
空気の読めないっぽい第二王子がこれに噛みつく。
「罪人まがいの平民と縁故があるというだけで虫唾が走るのです! せめて婚約の破棄だけでもご一考を!」
虫唾が走る。すごい言葉だなぁとファリィは思わず感心してしまう。
一呼吸おいて、王様らしき人が返事する。
「ふむ。マルムの言わんとすることにも一理ある。
よかろう。そなたと聖女との婚約はこれを破棄する。」
「有難きお言葉!」ははーっとばかりに声を上げる第二王子。なんかめっちゃ嬉しそうだ。そんなに嫌だったんか、聖女との婚約。
そもそもあたしら、嫌いになれるほど顔合わせもしなかったよね? 名前もよく分からない遠縁の親戚くらいの距離だったよね? それがなんでそんなに喜べるかなー? こいつなんかしょーもない第三者にそそのかされてる感じがするなー。ある事ない事吹き込まれて、どっかの誰かのコマ扱いられちゃってる気配がするなー。
ファリィがそんな感想を抱いている間にも、話はどんどん進んでゆく。
なんか大臣ぽい人の声が鳴り響く。
「ではこれより聖女の扱いは王国預かりとし、差配については追って沙汰を申し付ける。
それまで聖女は牢に捉えておけ。衛兵! 連れて行け!」
あーやってらんねぇな。
聖女ファリィは何もかもが馬鹿らしくなった。
こいつらはアホだ。どうしようもないくらいにアホだ。
聖女の強大な力を個人のものとせず、国家という大きな組織で運用してゆく。その姿勢にこそ個の力に対する群への効率が期待されているというのに、どいつもこいつも『聖女』という能力を私的に利用することしか考えていない。
個人に対しては個人として対応すればよい。
オメーらが自分の好きにしてぇなら、あたしも好きにやらせてもらうわ。
聖女ファリィは自分でも気付かぬうちにすっくと立ち上がっていた。
不敬だのなんだのというお約束など無視して、真っすぐに正面にいるオッサンを見据えていた。
玉座の上に大股開きでふんぞり返る小太りのオッサンは、なるほど若いころはそれなりに美男子だったのかもしれないが、すっかりハゲ散らかして見る影もない、ゴテゴテ衣装のただのオッサンだった。
思えば聖女ファリィがちゃんと王様の顔を見るのなんて、これが初めてだ。
こいつが国王なのかー。ファリィは何の感慨も覚えなかった。
隣に立つ金髪碧眼のお兄ちゃんは、こいつがさっきまでの婚約者の第二王子だろう。2年ほど会っていなかったが見てくれだけ立派で脳味噌空っぽそうなアホ面にはなんとなく覚えがある。
国王と並んでいる様などは、この親にしてこの子あり、と思わず納得してしまう説得力があった。もちろん悪い意味で。
「王を前に不敬であるぞ!」となんか脇に控えた大臣ぽい人が叫んだ。
あーあーもうそういうのいいですから。聖女ファリィはご指摘を無視する。
そんで代わりに言ってやる。
「あたし、聖女辞めます!」
こいつらはアレだ。家に押しかけてくる押し売りと同じ類の存在なのだ。
ふとんだか光回線だか、とにかく訳の分からないものを押し売ろうとしてくる奴らに対し、断るのに理由はいらないのだ。
「これこれこういう理由でぇ」とかヘンに事情を説明しようとすると、途端に言葉尻に喰いついてくるのだ。だからただただこちらの意志だけを伝えればよいのだ。
「聖女辞めます!」
「そのような勝手が許されると思っているのか!」
「辞めます!」
「貴様は自分を何様だと考えている!」
「聖女やってらんないので辞めます!」
「貴様の力は国のものだぞ!」
「やってらんないので辞めます!」
「ええい!」大臣らしきオッサンが声を荒げた。「このものをひっ捕らえよ!」
その一言をきっかけに、わちゃわちゃと屈強な衛兵たちが駆け寄ってくる。
ばちぃんっ!
男たちは弾かれるようにして全員が放射線状に吹っ飛んだ。中には遠くまで飛び過ぎて貴族どもの立ち並ぶあたりにまで突っ込んだ奴もいる。
一瞬遅れて「ぎゃっ!」だの「痛い痛いっ!」だの悲鳴や叫び声がそこかしこに鳴り響く。
聖女ファリィは人間相手に初めて試す結界の加護の思いのほかの強さにちょっとびっくりした。
見れば弾き飛ばされたもののうちの何人かは明らかに不自然に折れ曲がった手足を抑え叫んだりのたうち回っているし、中には身体をぶつけて血を流しているものもいる。
ファリィは「ふへぇっ」とヘンな声で感心してしまう。
聖女のちからって癒したり防いだりするものばかりだと思ってたけど、攻撃に転化する能力もあったのだなあ、と。
だが自分はもう聖女を辞める気満々なので、傷ついた人間を助けようなどという発想は一切浮かんでこない。
「き、貴様あっ!」あーなんかこないだまで東部戦線で一緒だった将軍の人とかがツッコんできた。あんたらの愛人やら娼婦の女の人達、オメーらの扱いが酷くて怪我だらけだったから、毎回治すのアホらしかったよ。まったく2年間あたしなにしてたんだろ。
ファリィは私怨を込めて結界の力を強くしてやると、将軍様たちものすごい勢いで吹っ飛んでいった。
あっ! そのうちの一人が玉座方面に飛んで、アホ面第二王子を巻き込んで王様にぶつかっていったよ!
ばちこーんっ! いい音してこれはストライクと思わず声を上げたくなる最高の結果です。
いやー聖女の結界、マジで攻撃魔法ですわ。殺傷能力半端ねぇ。
ファリィはなんだかすごく満足してしまったので、最後に大きく深呼吸する。そして己が心の赴くまま、聖なる力を込めて大きく声を張り上げる。
――あたし! 聖女を辞めます!
聖なるお告げ。
聖力を籠めて聖女の口から語られる真言。
女神の神託をあまねく世界に伝えるため、万人の心に直接意味を届ける、広範囲テレパシィ言語。
ファリィは聖女の力に目覚めた最初からその能力を理解はしていたけれど、使い道が思いつかずほったらかしになっている奇跡の技が山ほどある。聖なるお告げなんてその最たるもので、今まで必要ないと思っていたから試したことすら一度もない。
けどなんか、今はまさにこの能力を使うぴったりなタイミングだとそう思いついた。
強大な聖力を乗せて発せられたそのお告げは、王国のみならず世界中に向けて発せられ、あらゆる種族、あらゆる言語、あらゆる知性ある存在へあまねく伝えられたそうである。
この時のファリィは知らなかったのだが、随分あとになってヤクザの親分から聞かされてとても恥ずかしい思いをしたのは少し後の話。
なお、この言葉を聞いたヤクザの親分たちほとんどのものはこう思ったそうである。
『あたし』って誰? 『辞める』以前にそもそも『聖女』なんていたの?
ファリィの存在は教会の中でも王国の一部勢力のみが秘匿していたようで、世界にはほとんどその存在が知られていなかったようなのである。
このあたりの事情が後のファリィに面倒を呼び込むのだが、まあこれはこの時のファリィには関係のない話。
ともかくこれでなんかすっごくスッキリしたファリィはひっくり返った玉座の上で泡ふいてる王様等々などには一瞥もくれず振り返ると、出口に向かって意気揚々と大股で歩き出す。
誰もファリィを止めるものなどいない。
玉座の間の入口部分、今は閉じられたその大扉の前で、近衛兵が緊張した様子で構えた槍を突き出してくる。なんかちょっとビビってる。まああれだけ派手に吹っ飛ばされて怪我してる様子見せつけられたら、屈強な兵隊さんでもビビるか。
けどまあ知りません。ファリィはえいやっと聖なる力を込めると、ばぁんっ! 弾けるように扉が吹っ飛びました。近衛兵さんも一緒に吹き飛びました。
なんか聖なる結界ってガチ攻撃魔法だわ。結界という名の暴力だわ。割と人も殺せる殺傷兵器だわ。
そのまま同じノリでどんどん出口方面へと足を進めるファリィ。
近寄ってくる騎士団なんかはバンバン弾き飛ばして、城の入口に鎮座する城門も吹き飛ばして、貴族どもの住まう第一街区、裕福な市民の住む第二街区、一般市民の住まう第三街区と次々と門をくぐり、ついには王都の外門の外までやってくる。
道中、大勢の市民が詰めかけて沿道を埋め尽くしていたが、聖女ファリィはにこやかに微笑みながら手を振ったりしつつ、「あたし聖女辞めまーす!」などと言いふらして回った。
しかして市民の反応はファリィの目から見てもちょっとよく分からない感じだった。
考えてみればファリィは幼き頃は教会に匿われ、10を過ぎた頃には王城や貴族どもの屋敷を馬車で往復するばかりで、挙句ここ2年ほどは東部国境地帯の後方司令部に缶詰になっていたので、一般市民との触れ合いなどほとんどない。
ファリィが知らない人々なのだから、彼らもファリィのことなど良く知らないのではないかと、なんとなくそんな事情が伺い知れる。
っていうか王都にはこんなに大勢の人が住んでいたんだねぇ。
ファリィは初めて見るボロ着をまとった大勢の人々に関心すら覚えたのだが、どのみちファリィは聖女辞めて逃げ出す心積もりなのでこの人たちとは二度と縁がない。
幼き日に田舎の寒村で聖女の素質が見い出され、貧乏農家の4女が数回の出生ロンダリングを経て枢機卿の隠し子となり、王国女神教会の大聖堂最奥部が主たる生活の場であったファリィは驚くほどこの世界の庶民と関わりのない17年であった。
せめて例えば福祉事業だとか慈善活動とかで聖女自ら市民街に下りる機会があれば感じ方も違ったのであろうが、あいにくと政治活動に夢中の教会上層部は喜捨をくれる高位貴族へのゴマすりが関心事であったので、ファリィはそういった人々としか付き合いがない。
だから今大通りの両脇を埋め尽くす観衆には何の思い入れも持てない。
このまま逃げ出して、結局最後まで縁のない人々であるというのは少々物悲しい気もしたのだが、そんなささやかな感傷も城門をくぐって王都の外へ出てしまえばあっという間に吹き飛んでしまう。
巨大な王都は3つの城門をくぐった先にも家々が続いているのだが、幅の広い大きな道をてくてく歩いていると次第にまばらとなり、道はあっという間に貧相となり、初夏の日差しに揺れる青々とした麦畑などもちらほらするようになり、それから割とすぐに雑木林なども点在するのどかな農村地帯へと突入した。
振り返ると王城や城壁はまだ見えていて、ファリィはそこまで大して離れていない距離感にあれれっとなってしまう。
ファリィは日本人として東京に長く暮らしていた前世があるから、王都を少し歩いただけですぐに田舎へと変化してゆく様に『随分と狭いんだなぁ』と奇妙な感慨を覚える。
王都の城門をくぐって速足で1時間も歩けばもうド田舎なんである。
とはいえこれはファリィがニホン人だった前世の記憶によるものだが、東京だってほんの明治の初めごろまではそんなものだったのだ。江戸城から4~50分も西に歩けば内藤新宿の辺りはもうド田舎だったのだ。それが文明が未発達な異世界の王国ともなれば何をいわんやといったところである。
それで、土を踏み固めた田舎道となった街道で、後ろを遠巻きについてくる騎士団の連中がそろそろウザいなと感じるようになったファリィは、えいやっと雑木林の中に飛び込んでしまう。
そのままホイホイと林の中を駆け足で進むと、後ろから騎士団のオッサンどもの騒ぐ声が聞こえて、でもあっという間にぐんぐんと遠くへ離れてゆく。
これもちょっとした聖女の奇跡。身体能力を向上させ、力を強化する加護を自らの身体に振りかければ、騎士をも振り払う素晴らしい肉体を得ることが出来る。
戦争の時もこの奇跡を用いることが出来ればファリィが彼らに貢献する機会も色々あったろうに、将軍たちはファリィの使い道をろくに考えなかったから無駄になってしまった。
そんなファリィの聖なる強化術は今回初披露。戦に望む騎士様の為でなく、ファリィを捕まえに来た騎士どもから逃げるために使っているあたりが物悲しくもあるが、まあともかく加護は強力で、 ひょいひょいっと足を交互に動かすだけで流れるように林の中を駆け抜け、あっという間に彼らが見えないところまで来てしまう。
ファリィはなんだか楽しくなってきてしまった。
異世界に来てからは限られた場所を行き来するくらいしかなかったが、日本では子供のころは結構な田舎に住んでいたので、ちょっとした山に入って遊ぶようなことはよくしていた。あの時こんな身体強化の魔法があればもっともっと楽しかったに違いない。
あの頃の童心が蘇ってしまったファリィは調子に乗ってものすごい勢いで野山を駆け進み、気が付くと。
自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
おまけに腹も空いてきた。
ふと見上げればお日様がゆっくりと西の山へと近づいており、どう見てもこれあと数時間で夜じゃね? って感じがする。そしてファリィがいるのはひとけもないうっそうとした森の中。
あれこれヤバくね?
ファリィはここに来て初めて、自分の置かれている状況がとてもマズイものであるような漠然とした不安を覚えた。
後になって思い返してみれば頭悪すぎとしかいいようがないのだが、ともかくファリィはようやっと現状を顧みる機会を得たのだ。
ノリとか勢いとかで城を飛び出して、あたしこれからどうすりゃいいんだ?
だがファリィの問いに応えてくれるものは誰もいない。
得も言われぬ焦燥感がせりあがってくる中、ファリィが聞いた事もない鳴き声を奏でる鳥が「ピーヨピーヨ」とさえずっている。
後から思えばこれが聖女ファリィが身をやつすに至るまでのケチのつけ始めであった。