A81EP2:傷心の観測手
大聖堂の地下に広がるアナグマだけの秘密都市は、存在を知らせるだけで、中身は変わらず安住の地としている。不信感の払拭のためにと見学の交渉をしても多くは聞き入れないし、ノモズも交渉術の使い先を外部へ向けた。アナグマは居場所がなかった者の居場所だ。名も見せたがらない連中をはじめ、多くは改めて踏み躙られる恐怖に震えている。強い者の都合で彼らを踏み躙ればアナグマの存在そのものが揺らぐ。それらの事情を押し出し、当分の各行動を公開まで譲歩して、どうにか聖域は守った。
アナグマの多くは各地の復興作業に加わった。規格外のロストテクノロジーが全域への総攻撃をしかけた結果が同日に集中した怪我人と損壊だ。医療も建築も十分ではあるが、同日に捌ける数には限りがあり、日を跨げば寒い夜と雨が人々を襲う。アナグマが最後まで助ける手を貸す。交渉材料のために。
この災禍の源は一人と一基だ。もし敵が真っ当に数を揃えていたらと考えると誰もが身を震わせる。それをたったの一日で静めたのは、各地からの溢れ者たちを束ね上げるために多大な労力を費やし、巨人として活動した成果だ。アナグマはこれからも溢れ者の個々に合わせた環境を用意し続ける。困難を肩代わりする実績と意思も交渉材料になる。
ユノアが隠れ住める理由も積み上げてきたすべての過去を地盤にしている。地下都市の隠し通路の奥深く、間違いでは辿り着けない一室で、目を閉じて物思いに耽る。ベッドがひとつと、机と、手記。申し訳程度の着替えを机の半分に置き、死刑囚も同然の暮らしをしている。時間と空間はたっぷりあるので、たまに息抜きとして体操やパントマイムをしながら、紙に図や文字を並べ続ける。疲れたら眠る。食事の時間に合わせて周期を構築した。
静かな部屋に足音が近づく。間隔から身長を知り、大小から重心を知り、付随する音から持ち物を知る。食事でない理由で人が来るのは久しぶりだ。体を起こす必要はない。かけ布団から頭を出すだけで、体を壁に向けたままで待つ。能力の再確認に便利だから、扉が開いて一番に口を開く。
「ノモズ、左手にバスケット、中身は球状の複数、屋外から荷物を取る他はまっすぐ来た、食後、今は昼。パーティで誰かが興味深い話をしたから私を頼りにきた。どう?」
「すべて正解です。流石ですね」
ユノアは顔を壁に向けたままで、ノモズが歩み寄ると足を丸めて座る場所にした。椅子がない部屋だ。尻を沈ませて、バスケットを膝に置き、手はその上で重ねる。要件から話す。
「どこまで手を回しましたか。カラスノ合衆国の記者は何事もなかったように私を受け入れました。その後で秘書たちも私が戻る日を楽しみにしていると。どう考えてもおかしいでしょう」
「そうかもね。元々おかしい人たちだもの」
「とぼけないでください」
「じゃあ答えるけど。何も手を回してない。それが『どう考えてもおかしい』結果になった理由。詳しく?」
「お願いします」
「浸透していた諜報部は元より何もしてない。特ダネを見つけたのは近くの現地人で、出世欲を見せたのも不正に手を染めたのもすべて現地人だけ。彼らから見たアナグマは、出身地が違うだけの気さくな同僚で、移民との違いは何もない」
髪が口に落ちた分を払う。ノモズなら話を飲み込める。ユノアは待つ。脚の重ね方を入れ替えて催促する。
「アナグマに都合のいい世論へたどり着く情報を見つけやすくする助けをしていた、人は自分で発見した内容の価値を高く見積もる、ですか」
「その通り」
「ですがそれだけでは、私を受け入れる理由が抜けていませんか?」
「十分でしょう。元々おかしい人たちだもの」
「とぼけたつもりと思いましたが、本心ですか」
「まあね」
「嘘ですね。もしくは、囮にしている」
ノモズが顔を覗き込むので、腕と枕で隠した。そこへ片手を伸ばせば、ユノアはその手首を掴む。バスケットを膝に乗せたままで続きはない。
「ユノアさんは様子がおかしいですよ。この部屋を選ぶ前、おそらくは最後の爆発で倒れた時から。本当に頭を打ちましたか」
「よく見てる。逆だよ。打たれなかったから」
次の言葉を探す。
「落ち込んでるんだ」
隠すのはやめた。ノモズには通じない。
「キノちゃんが決意を語り、皆がそれを聞く」
最後の審判で。
「泣いていたでしょう。たぶん全員が。だけど私は、泣けなかった。堪えたんじゃない。キノちゃんは勇気を振り絞ったのに、熱いものを抱えてるのに、わかるはずなのに私は、どこか冷めて聞いてた。大事な仲間をくだらない存在と同じに見てた」
ユノアは手を見る。乾いたままだ。
「私はアナグマに来てから長いけど、初めてだよ。自分が怪物になった気分だった。だからこの部屋を選んだ。これまでの全てで本当によかったのか、変えるならどこがいいのか、探し直す」
掛け布団で首と口周りを覆う。言葉はすべて出した。返事を待つが、すぐには来ないし、来ると思ってもいない。お互いに半端な気休めはしない。ノモズは口の中でつぶやく。怪物。何か引っかかった様子で記憶を探る。
ノモズは多くの報告を受け取ってきた。遠方での出来事は書面で、身近な出来事は口頭で。特に仲が良い数人からは些細な話も通っている。誰かが困りそうな予兆を聞いたらさりげなく助け舟を出す。習慣になるほど教えてくれる数も増えた。
怪物とは、キノコから聞いていた。考えが繋がった。
「キメラさんがやつれているのは把握していますか。いつまで続けるのでしょう」
「まだ知らせないで。おおよそ六ヶ月程度で復興の総仕上げになる。その頃にまた会うから、キノちゃんを経由して教えてあげて」
「わかりました。その時のためにひとつ。似ていますよ」
「何が?」
「さあて。私から言えるのは、二人とも確かに人間です。怪物なんかではなく、人間の範疇ですよ。なのでリンゴを食べるときはうさぎちゃんにします」
バスケットの中身を出す。ユノアが体を起こす気になるまで待つ。平皿にうさぎちゃんが並ぶ。
意外なほどに早かった。