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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
1章 開戦、スットン共和国
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A06R06:杯を交わした仲

R06:杯を交わした仲


 未明にキメラをはじめとする五人を送り出したら、ノモズは改めて少しの休憩を取り、朝日と共に出発した。同じく朝日と共に向かってきた馬車と落ち合ったら、そこからは秘書クレッタとの打ち合わせをしながら進む。カラスノ合衆国にある事務所へ。


「以上三名、いずれもこちらへ出向くと連絡がありました。ノモズさん、まだ顔に出ています。少しでも休んでくださいね」

「面目ない。これでも皆さんに振ってるのですが」


 秘書クレッタは乳房を作業台にして手帳に連絡済みのチェックを書き込んでいく。同時に、空いた左手で書類を渡しては受け取り、鞄にしまう。最後に手帳を閉じるときは、自らの黒髪を編んで栞を挟む。手際の良さはノモズも高く評価している。


「私見ですが、ノモズさんは優しすぎる。話した相手のことを考えすぎる節があります。そのおかげで築けた信用があると理解してはいますが、それで体を壊したんじゃあ振り出しです」


 ノモズは事務所の全員から異口同音に聞いていた。優しいの部分がクレッタの見方で、他に言われていた、踏み込みすぎるとか、神経質とは趣が違う。シスターとしての活動を知っているためか、クレッタの言い方は随分と優しく感じる。


「実は全員から指摘を受けています。少しは変えてきた、つもりでしたが、やはりまだ足りないですか」

「お言葉ですが、直近の数十日では変わっているようには見えませんでした」


 ならばどの部分を変えられるか、話せども答えを出す前に事務所に着いた。お互い探しておくと決めて、ノモズは休憩室に向かう。客人が来たら教えてくれる。荷物を置き、寝台で上半身を横にして、寝間着用の腰紐を奥に垂らす。小声で「いるのでしょう」と呟いたら、腰紐がぴんと張った。


「ユノアさん。一人目ですね」


 寝台の奥側からなら、寝台の下へ入れる。本来は窓の開閉のために足をつく一角で、埃っぽい空間だが、最低限の掃除は行き届いている。ユノアとの連絡が多いので隠れ場所が必要だった。


「よく気づきで」

「杯を交わした仲ですもの。わかりますよ」


 時刻はまだ朝、扉の先から助手たちが集まり事務作業を始める音音が聞こえてきた。ノモズは表情筋の動きを減らし、布団を扉側への壁にして、ユノアだけに聞かせる。


「昨日の今日で得られた情報とは、どんな内容でしょう」

「すでに戦争に関する噂があって、備えを買い込む人が現れてる。有力者を中心に、一般人もちらほらと」


 ユノアが挙げた中には、明日のノモズが交渉に出向く予定の名前もあった。人々がそうまで不安を感じ、行動を起こすならば、それとなく情報を提示しただけで飛びつく可能性が大いにある。ぎりぎりまで利益を求める相手なら、なおさら。


「有利な情報、ですね」

「そうね。気味が悪い」

「不気味ついでに追加の調査を頼みますよ。アナグマの姫と呼ばれる存在について」


 曖昧な情報をユノアにも共有した。共通項は、噂であること。もし流言を用いた企てなら、どこからか情報が出るかもしれない。


「人使いが荒いね、ノモズは。そんな感染性の疫病を調べるみたいな話、私じゃなかったら逆に呑まれておしまいよ」

「信用していますよ」

「でしょうとも。信用ついでにもうひとつだけ。この後に予定してるシッキルズという男。本名は――」


 言いかけた所で、ユノアは急に黙って腰紐を離した。ノモズの手が布団に沈む。話を中断する合図だ。足音は床を伝わりよく届く。こうなれば改めて垂らす合図までは何も喋らない。アナグマの秘密は硬い。


 ほとんど待たずに、ノックの音が聞こえた。


「ノモズさん、シッキルズ氏の到着です。順番が前後しますが、ご準備は」

「大丈夫、すぐに行きます。ありがとうございます」


 書類には「昼食後を目安に」とあったが、今は贔屓目に見ても昼食前にもならない。誤差など珍しくもないが、こうも大きいと思うところがある。ユノアから聞いたばかりの、シッキルズとは偽名であると示す情報もある。警戒を強めて、応接間へ向かった。


 ノモズはいつも、書類にまとめられた経歴を頭に入れて、どの表現が受け入れやすいかの見当をつけている。それが今回は、信用できる情報がひとつだけになった。調査団を欺くだけの手を打てる存在。カラスノ合衆国では限られている。


 暫定的に、大人数を動かせる地位を持つ相手とする。初めはそのつもりで話し、情報が出るごとに微調整していく。扉の前で待つクレッタに手で挨拶し、対話の席に着く。整った服装ゆえに右腕をかばう動きがよく目立つ。先に口を開いたのはシッキルズ氏だった。


「久しぶりだ。元気か?」

「失礼ながら、どこで同席したか記憶になく。シッキルズさんのお名前は、今日が初めてと存じます」

「腹芸はよせよ。ルーキエだろ。それとも記憶喪失か。死んだと言われるぐらいだ、あり得るだろ。今までどこにいた? 中等部の主席、俺の後輩、俺の婚約者、『西海の白蛇姫はくだき』。ひとつぐらい引っかるだろ」


 ノモズは少し怯んだ。姿勢や表情に出ないよう、ため息で誤魔化す。相手は目的を伏せて、不意打ちを仕掛けてきた男だ。この誤魔化しは効く。ただし、短時間だけ。決別したはずの過去を掘り返されてはノモズも長くは抑えられない。


「引っかかりませんね。その方に似ているのでしょうが、人違いです。加えてあなたは、目的を隠してこの場を取り付けた。これ以上の話は無用です」


 ノモズは立ち上がり、扉の向こうへ声をかける。すぐに秘書陣が入り、ノモズとシッキルズ氏との間割り込んだ。捨て台詞を背中で受け止め、改めて休憩室に戻った。


 寝台にはまだ体温が残っていた。こうまで短時間ならユノアが残っていると期待して、手で腰紐を探り出し、垂らす。


 きっと今、ノモズの揺らぎが伝わっている。アナグマを居場所として以来、過去に触れられる日はなかった。今日までは。慰めは期待していないし、可能だとも思っていない。願わくば心境を新たにする話をしたい。


 ユノアはそこにいた。垂らされた腰紐が引かれ、ノモズは柄でもなく泣きそうな自分に気づいた。


「ノモズ、新しい情報を」


 ユノアが喋りかけた。話が聞こえていたにしても、短く狭い内容だ。あれで何かの情報と噛み合うとは思いにくい。この短時間で別のどこかから情報を取ってきたほうがまだあり得る気がする。「聞きましょう」と返事をして、平静を装えたか不安を抱えて、続くユノアの言葉を待った。


「アナグマの姫とは、ノモズ、あなただ」

「いえ違いますよ!?」


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