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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
1章 開戦、スットン共和国
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A04R04:どっちが勝ってもだめ

「アナグマの姫の噂、聞いたことある?」


 キメラは直感的に、不気味な話題に巻き込まれた気がした。すぐ隣にいるミカの顔は変わりやしない。違いは見る側だけだ。経験上、常識を覆す新情報に触れた後は碌なことがない。些細なことでも、誰から聞いてもだ。


「聞いたこともないな。アナグマに姫がいるのか?」

「いるかも、って噂。このごろ調べ始めたんだけど、情報は何もなし」

「やっぱりいないんだろ。情報もないならさ」

「情報がないのに、いるかもって噂があったら、誰かの作為を感じない?」


 キメラは訝しみ顔のままで進む。道程は鎖場に差し掛かり、アナグマの誰かによる鎖を頼りに岩山を登っていく。高低差と鎖の音で会話が遮られる。考えごとにはちょうどいい。手足を動かすたび、余計な考えが出る前に潰され、惑いを除いた根っこの考えだけで判断する。


「根も葉もない噂だろ。姫なんて、輝かしすぎる」

「噂はね、本物じゃなくていいのよ。たとえば、吸血鬼の伝承は知ってるでしょう」


 絵本や言い伝えとしては有名で、キメラももちろん知っている。吸血鬼は鏡に映らず、水場を越えられず、招かれるまで家に入れず、咬まれた人間は下位の吸血鬼になる。もちろん、本物を見たことはない。きっと誰も。ただの古い言い伝えだ。


「実在なんかしなくてもいい。吸血鬼の街だって噂を流せば、人々は念のため近寄らなくなる。もし本当だった場合に備えてね。遠ざけたいだけだから、嘘でもいい」

「アナグマの姫も、そういう類だと?」

「かもね。誰かが操ろうとしてるとか、誰かに押し付けたいとか、仮定はいくらでも膨らむけど、実態はさっぱり見えてない」

「ご苦労なことで」


 ここまでの話からキメラは、まずミカ自身が発生源と睨んだ。噂は感染性の疫病ににている。ここから広めて、やがて変異し、何かの目的に繋ぐ。その線は十分にある。同時に、ミカを善意の第三者と考えるための情報もある。遠大な謀略を巡らせるならば、丸出しの隙を見落とすはずがない。


 そうなるとひとつ、試したいことができた。幸いにもここまで、キメラは手の内を晒さずにいた。先に調べられていたなら、友達と戯れる様子を見ているはずだ。ひと芝居でミカの反応を見る。


 キメラはチャンスを窺う。一番堂への道はまだ半分ほど残っている。キメラはこう見えて待つのが得意だ。話の流れが傾く瞬間まで。


 道程はなだらかになり、高低差を除けば難しいことはもうない。近くの匂いを味わう余裕も出てくる。清流の、水の匂いと音が目立つ道。三つの山からの流れが集まり、三方向からの小さな音と合流して大きくなった音が聴こえてくる。大陸広しといえども、この響きを聴けるのはここだけだ。それぞれが異なるリズムを刻みながらも、心地よく重なり合う。ほとんどアナグマの専用席となったこの場所も相まって、アナグマの志を暗喩している。


「キメラ。貴女はどっちに付く?」

「戦争か。分かりきった話だろ」

「だからこそ。物事には予想外があるからね」


 キメラはため息をついた。


「どっちにも付かねえよ。どっちが勝ってもだめだ。アナグマで生きるためには、各国の睨みあいをさせ続ける。安心したか?」

「そうね」


 ミカは急に黙った。道が広くなってからキメラはそこそこ以上の早足だったが、いつの間にか横に並ばれていた。表情を横目で窺う限り、考えごとか、少なくともまだ話をするつもりに見える。


「もしも、だけど」


 ミカは顔ごとキメラを向いて言った。


「どこかを勝たせて安住できるなら、乗る?」


 キメラには愚問だ。きっとアナグマの誰もが同じく。一国による支配など、もう誰にも脅かされないからと調子に乗った輩が好き放題し始める。支配を嫌ってアナグマにいるものが、他者の支配を認めるはずがない。


 答えが決まっているからこそ、揺さぶるチャンスになる。


 キメラは突然に足を止め、目線は真正面に、焦点は広く周囲を見渡す目にした。姿勢は揺れるに任せて、抑揚が小さな言葉を呟く。


「はい、のります」


 催眠術にでもかかったように見せてやる。大まかな予想は三通りだ。「まだ私は何もしてない」「もう唾がついてる奴か」「何が起こったのか」


 どれになるかを目と鼻と耳で探る。前線では微かな情報を見つける技を磨いている。周辺視野で見つけて、空気が動く音で動きを把握して、感情の変化を匂いで読み取る。


 ミカはすぐに異常に気づき、足を止めてキメラの顔を覗き込む。目線でキメラの顔をなぞり、肩周りや足首に虫か何かを探す。周囲への警戒はなし。表情に焦りらしき揺らぎが見える。ようやく発した次の言葉は。


「急に何? 何も変な話じゃないでしょ? 返事しなさいよ」


 キメラはもう少し芝居を続けるつもりだったが、笑いがこみ上げて中断した。


「あっはははは! あんたもそういう顔するんだな。まんまと引っかかってくれるし、存外おまぬけだな!」


 ミカにネタばらしをしつつ話題を流す。緊張を緩めれば疑いを持っても揺さぶるには積極性が必要になり、疑いを持ったと明かさせられる。無意味に嘘を吐く狂人になった、その一点がこの場をキメラの舞台としている。


「何も起きてないの?」

「そうとも! 冷や汗ぐらい流すまで待ちたかったが、ふふ、あんたの焦り顔が面白すぎてさ」


 一番堂に着くまで、ときどき思い出し笑いをしてはミカが文句を垂れる構図を作って進めた。到着までに得た情報は三つ。


 まずは、ミカは警戒が甘い。


 次に、ミカはアナグマには珍しい考えを持ちうる。


 最後に、一番堂の前に見知らぬ誰かが立っている。

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