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千年妖姫の杯  作者: エコエコ河江(かわえ)
幕間 2章 - 3章
36/89

A35UW1:幕間『旧知の諜報員』

 スットン共和国の北部、海岸沿いの街は当時よりさらに発展していた。山に阻まれて雨が少ない都合で、水を得るために海水を蒸留する。発熱体を兼ねたエンジン周囲の機構が発達し、水が水蒸気になったときに膨れ上がった体積を回転力に変換する。蒸気と歯車は共和国の文化を決定づける動力となっている。


 帽子を目深に、体型を外套で隠し、お忍びの姿で機関車から降りる。エンには懐かしい歩き方だ。皇帝としてまつりごとを指揮する傍らでもときどき、こうして一人だけで歩く日を設けていた。変装には自信がある。探しに来た側近さえ欺いてきた。ガンコーシュ帝国に住む生の姿を見るほかに、諸国との密談の機会もあった。


 共和国は平野部のおかげで国土が広い。帝国よりもずっと。相応に多民族の交雑が盛んで、価値観の共有が必要だった。それが技術とかっこよさだ。都市だけを見れば帝国も同等以上に発展している。対して先進技術は、実験場として使い放題の荒野の有無が響いて、後追いが続いていた。きっと今も。


 記憶を頼りに雑踏をかき分けて、市長モーデンズの私邸へ向かう。彼はエンと交友を持つ一人で、技術の交換を始め取引を行った実績もある。海水を運ぶ耐腐食パイプを辿り、やかましい若者を追い払って、記憶通りの建物が見えた。扉をノッカーで叩き、身分を伏せて市長と繋ぐよう要求する。出迎えた男は若く、不釣り合いに身なりが整っている。


「連絡もなく訪れて申し訳ない。モーデンズと親しい友人だ。イメギッコロと言えば通る。呼んでいただいても?」

「もちろんです。ところでそのお名前は、僕も聞き覚えある名前ですが、失礼ながらどこで聴いたか失念してしまいました。僕はチョイヤックというんですが、どうでしょう」


 エンも知る名前だ。最後に顔を見たのは十年前で、まだ小さな子供だった。それが見違えるほど大きくなっていたら、もちろん感慨深いが、今この場ではふせておきたい。玄関口で何か起これば当然に周囲にも目立ってしまう。


「私も覚えはあるが思い出せず、どうだろう。同席していただいたら思い出すかもしれない」


 彼はにこやかにエンを通した。応接間の下座で待つ。八年前よりトロフィーが増え、他の荷物が減っていた。日付を見る限り、変わらず試作機コンテストに精を出しているらしい。それで荷物が減るなら、別のどこかに移動したか、使い尽くしたか。情勢を踏まえれば理由は分かりきっている。戦火が近づいたらすぐに動くためだ。


 茶を出されはしたが、エンは客先での飲食を決してしない。毒を盛るチャンスを与えても利はない。初対面の相手なら手元の水筒に入れて持ち帰るところだが、今回は顔馴染みだ。飲んだふりなど、しなくていい。


 音と匂いに集中して待つ。外から届く、バルブを捻る音、蒸気が噴き出す音、蒸留水が滴る音。これを聞くとスットン共和国に来た実感が湧く。静かな部屋だからこそ、遠くでの操作がパイプを伝わって届く。全てが懐かしい。足音が近づく音も。間隔と強さから少し急いでいる。


 扉が開いて、モーデンズが顔を見せた。顔には心労が窺える。ふくよかだった身が今では細い。


「やはり、エンさんだ。お久しぶりです。もう諦めかけていました。また会えて嬉しいです」

「私自身も、まさか生きられるとは思えない日々の連続でしたとも。お互い生きていられてよかった。荒野を挟むとはいえ、帝国領に最も近い街だ。安心なんて」

「きっと僕の不安など、エンさんに比べたら取るに足らないでしょう。ここは生産力もありますから、職人の動きを見れば戦局はある程度わかります」


 示されてエンは上座に移り、向かいにはモーデンズが座る。チョイヤックは挨拶をそこそこに、邪魔にならないようにと離席した。こういう気遣いも彼らしい。


「さてエンさんが、急に訪ねておいでとは。喫緊の問題ですかな」

「共和国での論調が知りたい。宣戦布告をしたとまでは聞いたが、聞こえなかった民の声を」


 市長は露骨にばつが悪そうな顔で話す。以前の彼より小振りな仕草になっている。


「そりゃあもちろん、大騒ぎですよ。上層グループでは一致していたそうですが、他は無用な諍いよりも目の前にある好奇心を満たしたがっていました。最初からずっと。信用いただけるとまでは思い上がりませんが、それでも答えられる事実はこれです」

「上層グループでは? 興味深いですね。一致する何かがあったのですか」

「僕でも把握できない何かが。勝ち目もなく、大義もなく、もちろん長期的な計画でもない。寝耳に水そのものでした」


 エンは唸りながら記憶にある情報との整合性を確認する。


「こちらにある情報にひとつ。複数国に内通する何者かの可能性を追っています。もしその上層がそいつに乗せられた結果なら、繰り返すかもしれない」

「内通者、その確度を訊いても?」

「不自然な一致があった程度で、詳細を調査している。きな臭いのはエイノマ王国だが、まだ情報が足りなすぎる」


 モーデンズは茶で口を潤す。先にエンの側にある冷めた茶から。


「それが本当なら一度、議会に 何者かが侵入した事件がありました。影響が見つからないので捜査も進めようがなかったのですが、もし関係あるなら。詳しく聞けるよう手配します」

「それは助かります。南中央でよろしいですかな」

「ええ、そこを経由していただいて」


 何も新情報はないが、手がかりは得られた。出る前に積もる話もしておく。モーデンズの希望で、どのように生き延びたかを話した。重要な動向は伏せて、山地での暮らしに集中して話した。妖姫派の動向も、アナグマに身を置く事実も、見せられるほど信用していない。


 娯楽はなく、体力の余裕もない日々だった。夜空を眺めて星の位置から時刻や方角を探していた。途中で目にした、都市伝説の血涙の話を出したとき、モーデンズが反応した。確度が低いと前置きをつけて情報を話す。


「空の血涙。恐らく同じものを見かけたと耳にしました。二日前のことです。飛ぶ、と聞きましたがね、こちらの目撃者の評では跳ねる感じだと。建物が低いですから、相応に見通しもよく。曰く、空中での方向転換を一度もせず、必ず山形の軌道で動いて、何かを探すようにあちこちへ動いていたそうです」

「跳ねる、か。どうやって?」

「個人用サイズのエンジンか何かを持っていたら可能かもしれないが、それらしい光も痕跡もなかったと報告があります。最後には南側へ消えていったそうですが、こちらも足跡をはじめ情報はなく。お互い、不気味な存在に迫ってる。どうか生きてまた会いたいですな」

「同感です。南側、エイノマ王国、繋がらないでほしいですね」


 締めの言葉を短く続けて、大きくなった子どもたちによろしく伝えて、エンは移動する。街中の掲示物を見て周りながら、まずはアナグマの情報網にここまでを渡す。


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