頭痛に苦笑 1
「キット、頼む」
「お断りします」
ぴしゃんっと、相手の頼みを、にべもなく切り捨てる。
キットことキサティーロ・コルデアは、ローエルハイド公爵家の執事だ。
執事服に身をつつみ、一部の隙もない。
常に、何事も完璧しておかなければ気がすまない性質をしている。
赤褐色の髪は、ひと筋の乱れもなく後ろに流し、整えていた。
同じ色の瞳を持つ目は、切れ長で吊り上がっている。
落ち着いた風貌ではあるが、そこには厳しさと冷たさが宿っていた。
「俺とお前の仲ではないか!」
「あなたとは、どのような仲でもございません」
「なにを言う! お前は、俺の“先輩”であろう!」
「あなたが勤め人として屋敷にいたのは、15年も前の話です」
「それでも、先輩であることに変わりはない!」
2人の声が、ローエルハイドの屋敷の小ホールに響いている。
お互いにソファは無視して立っていた。
お茶も出していない。
キサティーロは、目の前の男に冷たい視線を向ける。
この男が関わると、碌なことがない。
それでいて、排除しきれない要素もあるので、はなはだ厄介なのだ。
眩しい金髪に、青い瞳の現国王フィランディ・ガルベリー。
キサティーロの主の幼馴染みだった。
フィランディがローエルハイドの屋敷を訪れたのは、十歳の時。
キサティーロが、15歳で、まだ執事の見習いをしていた頃だ。
本人の意向で、無理矢理にローエルハイドの勤め人になると捻じ込んできた。
十歳の子供が。
親の承諾も取って来ていると、当時の国王の署名入り書類を得々とした顔で見せられたのを、今でも覚えている。
非常に、憎たらしかった。
それから、フィランディが屋敷を去るまでの十年間、面倒事を引き起こさない日はなかったくらいなのだ。
しかも、キサティーロの主が17歳で婚姻して、屋敷に寄りつかなくなっても、フィランディは居座り続けていた。
現王妃イヴァンジェリンを探し回りながら、3年も屋敷の勤め人を続けている。
「なにも、お前に動けとは言っておらんではないか」
「息子もローエルハイドの勤め人です。あなたに指図される謂れはありません」
「では、こうしよう。俺が薪割りをしてやる。繕いものをしてもよい」
「無用です。国王が、薪割りなどしている場合ですか? ご公務に励まれては?」
「俺の公務が激増しているのは、誰のせいか? お前の主のせいであろう」
ひくっと、キサティーロの眉が引き攣った。
フィランディ・ガルベリーという男は、子供の頃から身も蓋もないようなことを平気で言う。
実に、憎たらしい。
「キット」
とても嫌な感じがした。
フィランディの目つきを見ればわかる。
絶対に、嫌なことを言い出すに違いない。
「テディの子守りをしてやったのは誰だ? おかげで、お前は嫁と思う存分イチャつけたはずだ」
「そのようなことはしておりません」
「ほう。では、なぜ子ができる? どこからか運ばれてきたとでも言うか?」
くっと奥歯を噛み締めた。
これだけは、完璧主義のキサティーロの弱みだったからだ。
今さらに、子守りを任せたことを悔やむ。
とはいえ、ほかのことはともかく、フィランディには子守りの才能はあった。
赤ん坊をあやすのも、キサティーロより、ずっと上手かったのだ。
「いいでしょう。あなたが子守りをしている間にヴィッキーができました。それは認めますが、今のあなたの頼みとは、関係のないことです」
「そうか。お前は、俺に“借り”はないと言うのだな?」
「ない、とは言っておりません。あなたの頼みと子守りとが関係ないと言っているだけです。私の個人的な“借り”に、屋敷の勤め人を動かすことはできかねます」
いくら弱みを突かれても、キサティーロは、一歩も退かない。
退いたら、負けなのだ。
ローエルハイドの執事として、屋敷を取りまとめる者として、そして、なにより主に仕える者としての自尊心が、負けを許さない。
とくに、この生意気な「国王」に対しては。
「よかろう! ならば、お前には、もう頼まぬ!」
「わかっていただけてなによりです。王妃様のため、当家自慢のデザートをお土産に持ち帰られてはいかがですか?」
「それはそれとして貰う。だが……」
さらに嫌な感じがする。
フィランディは、少しばかり間は抜けているが、頭はいい。
キサティーロのことも、よく知っている。
屋敷にいる間中、キサティーロを「先輩」と言い、へばりついていたからだ。
先輩は後輩の面倒を見て、後輩は先輩を敬う。
ローエルハイドの良い慣習ではあるのだが、フィランディに限っては別だった。
まるで敬われている気がしない。
にもかかわらず「先輩は後輩の面倒をみる」ところにだけは食いついてくる。
フィランディは、ものすごく面倒な男なのだ。
「ならば、お前の主に話をつけに行く」
「やめなさい!」
つい声を上げてしまい、しまった、と思う。
が、時すでに遅し。
フィランディが、ニッと笑った。
「しかたあるまい。お前が良い返事をくれぬのだからな。お前の主に頼みこまねばならんのは、俺とて不本意なのだ。あやつに借りを作るのは望むところではない」
キサティーロは、どうすべきかで悩む。
これも、フィランディが厄介な原因のひとつだ。
キサティーロが「悩む」ことなど、滅多にないのだから。
「そうだ。俺の公務を増やしておきながら、己は好いた女とイチャついておるのも気に食わん。よし、あやつの家に乗り込んで……」
「お2人の邪魔はさせません」
「そうか。では、いかがする?」
負けだ。
こうやって、フィランディは、キサティーロの自尊心を破壊しにかかる。
心底、憎たらしい。
「テディ」
「お呼びにございますか、父上」
キサティーロの長男、セオドロスが姿を現した。
赤褐色の髪はキサティーロ似、濃い青の瞳は母親似だ。
どこにいても、キサティーロの言葉には、即座に反応する。
コルデア家は、ローエルハイドに仕える魔術師の一家だ。
キサティーロを始め、長男セオドロス、次男ヴィクトロスと、3人の魔術師としての腕は、王宮魔術師より遥かに優れている。
「テディ! 久しいな。お前が王宮をうろついているのは知っていたが、こうして顔を合わせるのは何年ぶりになろうか」
「5年ぶりになります、陛下」
「そのような呼びかたはよせ。ランディで良い。俺は、そこの仮初の父などより、ずっと、お前を可愛がっていたのだからな」
キサティーロは顔をしかめ、セオドロスは苦笑いを浮かべていた。
確かに、セオドロスの面倒は、フィランディのほうが見ていたかもしれない。
セオドロスもフィランディに懐いていたと知っている。
が、これ以上、よけいなことを言われたくなかった。
「国王陛下、直々に、お前に頼みがあるらしい」
「私にですか?」
「そうだ。お前に頼みたいのだ、テディ。いや、お前にしか頼めん」
セオドロスが、ちらっと視線を投げてくる。
キサティーロは、それを軽く受け流した。
自分も承知の上だ、と示したのだ。
「かしこまりました。それでは、そのように」
キサティーロの主は、ようやく穏やかな日をおくれるようになっている。
フィランディを、山小屋に行かせるわけにはいかない、絶対に。
とはいえ、報告は必要だと、キサティーロは心の中で溜め息をついた。




