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口下手公爵の幸せなひととき 2

 夕暮れ時、シェルニティは、森の家に帰ってきた。

 アリスから降りて、地面に立つ。

 ここ最近、乗馬の練習を始めていた。

 いつもアリスには協力してもらっている。

 

 今は、アリスにしゃがんでもらわなくても、背中に乗れるようになった。

 降り立ったあと、背伸びをして、アリスのたてがみに口づける。

 

「遠出につきあってくれて、ありがとう、アリス」

 

 アリスが頭を下げ、シェルニティに頬ずりをしてきた。

 それから、口元を、つんつんと突き出してくる。

 まるで、口づけをねだるような仕草が可愛らしかった。

 

「そうねえ、今日は、あなた、とても頑張ってくれたし……」

 

 アリスの顔を、両手でつつむ。

 ちょっとくらいなら、と思った。

 のだけれども。

 

「シェリー?」

 

 ぎくっとして、動きを止める。

 そろりと、家のほうを振り返った。

 入り口の前で、彼が腕組みをして立っている。

 とても、にこやかだ。

 その、にこやか過ぎる笑顔の意味を知っていた。

 

 アリスの尾に火をつけるつもりだ。

 

「ええと、あの……私、誓いを破ったりしないわ」

「そうだろうとも」

 

 言いながら、彼は腕組みをほどき、歩み寄ってくる。

 シェルニティは、背中でアリスを隠した。

 アリスのほうが、断然、大きいので、まったく隠せていなかったけれど、それはともかく。

 

「きみも納屋に閉じ込められたいようだね、アリス」

 

 シェルニティは、その言葉に、きょとんとなる。

 首をかしげ、彼の顔を見上げた。

 大真面目といった表情をしている。

 

 アリスは馬だ。

 納屋は狭くて窮屈かもしれない。

 けれど、馬は普通「厩舎」にいる。

 それほどの「罰」にはならないのではなかろうか。

 少なくとも、尻尾に火をつけられるよりは。

 

 ブル…と、アリスが鼻を鳴らした。

 尻尾を、大きく打ち鳴らし、くるっと体を返す。

 納屋に閉じ込められるのが嫌だったようだ。

 

(アリスは、飼われてはいないものね。それに、閉じ込められてしまったら、放蕩できないもの)

 

 シェルニティは、アリスの去っていく後ろ姿を見送る。

 ここ最近は、よく姿を現すので、明日も来てくれるだろう。

 その時のために、ブドウの砂糖漬けを用意しておこうと思った。

 秋に収穫したブドウを、干して蓄えてあるのだ。

 

「夕食にするかい?」

「そうね。ちょうどいい時間だわ」

 

 彼が、シェルニティの肩を抱き、家に向かって歩く。

 横顔を見ながら、胸が、きゅっとなるのを感じた。

 

 この半年、彼には、つらい思いをさせてしまっている。

 シェルニティは、ほとんどベッドの上か、部屋に閉じこもっていた。

 外に出るようになったのは、ほんの、ひと月前のことになる。

 

 自分に語りかけてくる、彼の声や言葉は聞こえていた。

 けれど、思考が定まらず、返事をせずにいた。

 シェルニティにとっては、ただの音としてしか捉えられずにいたからだ。

 

 心が、すっかりへこたれていた。

 

 アリスに語ったように、様々なことを、思考してはいる。

 とりとめなく考え続けていた。

 

 どうしてあんなことになったのか。

 どうすれば良かったのか。

 なにができたのか。

 

 わからないことも、たくさん残されている。

 が、わかったこともある。

 

 あの時。

 

 彼が、カイルを見逃した時だ。

 シェルニティは、気づいていたのに、彼の判断に従った。

 従うのが癖になっていたからかもしれない。

 無条件で、なんの疑問も持たず、ある意味では、成り行きに任せている。

 

 彼は、厳しい表情で、しばらく扉の向こうを、じっと見つめていた。

 その表情に、シェルニティは、彼がカイルを殺さなかったことを悔やんでいるのではないか、と感じている。

 それは、結果だけを見れば、間違ってはいなかったのだ。

 

 もし、という仮定が存在していないのは、わかっている。

 だとしても、もしあの時に結果がわかっていれば、こう言えた。

 

 お願い、カイルを殺して。

 

 シェルニティが、そう言えば、彼は躊躇(ためら)わなかったはずだ。

 その後、彼女が罪を背負うとわかっていても、躊躇いはしなかった。

 

(でも……あの時の私だったら結果がわかっていても、口にするのを躊躇っていたかもしれないわね)

 

 以前、彼が人を殺せば、彼女が罪を負うのだということを思い出してほしいと、彼に言ったことがある。

 それを思い出すことで、彼を止められると思ったからだ。

 

 彼は、シェルニティのためなら、どのようなことでもする人だから。

 

 その考えは、間違ってはいない。

 とはいえ、完全には正しくもなかった。

 欠けていたものがある。

 

 シェルニティの判断、だ。

 

 罪を負うとしながら、実際には、判断は彼任せ。

 自分では、どんな選択も決断もせずにいた。

 そのくせ、彼に力だけは使わせるのだ。

 

(どんな判断であろうと、彼は、私のために決断を迫られるのに、私は知らん顔をして、結果だけ受け取ろうとしていたのだわ)

 

 だから、あんなことになった。

 大事な人を失う結果を招いた。

 

 キサティーロは、シェルニティに、2回、同じことを問うている。

 そして、2回、同じ結論を述べている。

 

 『日常には多くの悲しみや寂しさが、存在しており、楽しいことばかりではありません。それでも、お2人は、人生をともにされるのです』

 

 彼とずっと一緒にいる、ということには「覚悟」が必要だったのだ。


 彼が、シェルニティに罪を負わせたくなくて躊躇うのだとすれば。

 そのせいで、大事な人を失うことになるのだとすれば。

 

 もう2度と、躊躇わせたくない。

 そして、自分も躊躇ったりしない。

 罪だけではなく、決断も、その先にある責任も、分かち合っていくつもりだ。

 

 シェルニティは、キサティーロの「死」から、それを学んでいる。

 

 だから、迷わないことに決めた。

 今の彼女には、それだけの覚悟がある。

 

「どうかしたかい?」

「もう少ししたら、イチゴの季節が来ると思っていたのよ」

「つまみ食いを、どの程度できそうか、考えていたのかな?」

「ええ。一生、許してもらえるって知っているもの」

 

 2人で、家に入りつつ、笑い合った。

 中に入ってすぐ、シェルニティは足を止める。

 

「どうしたのかしら」

「なにがだい?」

 

 不思議そうな顔をしている彼に、シェルニティは、真面目に言った。

 

「私、今、とても、あなたに口づけがしたくなっているの」

 

 (まばた)き、数回。

 彼が、ぷはっと、盛大に吹き出した。

 

「まあ! また、あなたったら! とても失礼だわ!」

「そうだね、私は、時々、とても礼儀知らずになるのだよ。こんなふうにね」

 

 するっと腰を抱き寄せられ、2人の唇が重なる。


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