秤にかけたら 3
彼は、苦い気持ちになっている。
自分の選択は、誤りだった、と感じていた。
「よう」
どすっという振動が、ソファにかかる。
彼は、居間のソファに座っていた。
隣は見ない。
誰が来たかは、わかっている。
「シェリーは?」
「さっき、ようやく眠ったよ」
「ずいぶん泣いたろ?」
返事はしない。
それが、答えだ。
シェルニティは泣いて泣いて。
泣きつかれて眠っただけなのだ。
少し落ち着いてきてはいるようだったけれども。
「きみは?」
「オレも大変だった」
「テディに殴られでもしたかい?」
「ぶん殴られたよ」
「だろうな」
本当には、彼も、キサティーロの息子2人には殴られるべきだった。
キサティーロがなにをするかに気づいていながら、見過ごしにしている。
彼が指示したのでなくとも、キサティーロは、彼の意志に従ったのだ。
その心にあったものを、見抜いていた。
「あの野郎……オレは、忠告しといたってのに、手加減なしにやりやがった」
「それでも、きみは治癒していない」
アリスなりの片のつけかた、といったところなのだろう。
きっとアリスも、キサティーロの思惑に、薄々は気づいていたに違いない。
「最初に変だなって思ったのは、あんたとあいつが街でやり合った時だ。あン時、近くにはテディもいたんだ。なのに、キットは、テディに手出しさせなかったし、カイルの始末もさせなかった。なんかこう、その先で、キットがなにかするんじゃねーかってね。そんな気がしたんだよ」
キサティーロは、滅多なことでは、自分では動かずにいた。
息子2人を、こき使っていたのだ。
が、彼とフィランディの交戦中、セオドロスの動きを止めている。
「ずっと、カイルを殺したかっただろ?」
そう、彼は、ずっとカイルを消したいと思っていた。
結果が「カイルの殺害」で幕を閉じるのならば、とっくにやっていても良かったはずなのだ。
主の心の奥底まで見抜くキサティーロなら、躊躇ったりはしない。
アリスが変に思うのは、当然だった。
「そんで、オレに王宮に行けって言うんだぜ? いよいよってカンジするじゃん」
王宮にはカイルがいたし、シェルニティもいた。
身動きが取れずにいた者ばかりの中、キサティーロだけは動けたのだ。
にもかかわらず、キサティーロは、わざわざアリスに行かせた。
「おまけに時間稼ぎするだけでいいなんてサ」
およそキサティーロらしくない。
とはいえ、それがキサティーロの「完璧」さの証でもある。
先々までをも見据えて、キサティーロは動いていた。
「完璧過ぎンのも、考えもんだぜ……」
キサティーロが完璧なのは、知っている。
アリスが隣で、大きく息をついた。
「止めさせてもくれねえ。キットを止められる奴なんかいやしなかったよ」
「アリス、泣き言なんて言いたくもないし、聞きたくもないね」
「オレだって、そーだよ」
どこかで区切らなければならないことなのだ。
すでに結果は出ているのだから。
「リンクスは大丈夫かい? シェリーが気にしていた」
「あー、あいつは平気さ。“覚悟”があったからな」
「ネックレスのことは?」
「教えてねーけど、オレが時間稼ぎするってのは、わかってたんだろ」
彼の言ったネックレスとは、リカが当主となった際に受け継いだものだ。
彼の祖が、アリスたちの祖であるユージーン・ガルベリーに与えたものだった。
それには、すべての魔術師から魔力を吸い上げる力が宿っている。
魔力を持たないウィリュアートンのため、詠唱が発動のきっかけとされていた。
魔術師から回収した膨大な魔力は、リカに還元される。
ガルベリーの直系男子は、魔力を溜めるための器を持たない。
そのため、なにもしなければ、還元されてくる魔力に内側から壊されて、リカは命を失うことになるのだ。
が、アリスには、変転のほかに、もうひとつの能力を授かっていた。
積在という、魔力を取り込みながらも、捨てることのできる力だ。
まるで箱詰めされた荷物を捨てるかのごとく、リカに還元される魔力を、アリスが受け取って捨てる。
そうすることで、リカは命を繋ぎとめられるのだ。
2人は、2人で一人前。
それは、こういう意味もあった。
今回、その力を、アリスは使っている。
本来、魔術師から、一気に魔力を奪うと、意識、もしくは命を失うほどの打撃を与えられる。
だが、カイルは薬を使うので、魔力を吸い上げても、効果は薄い。
さほど時間稼ぎはできないと、アリスは感じていただろう。
そして、それをリンクスも、敏感に察知していた。
だから、カイルの従兄弟を殺したのだ。
カイルの従兄弟という具体的な対象ではなく、誰かを殺すことになるとの覚悟を持って、リンクスは、あの場にいた。
アリスの時間稼ぎに「時間を足す」ために。
「あいつは、頭が良過ぎるんだ。ネズミになったり、豹になったり、無茶ばっかりしやがる。おまけに、シェリーにベタ甘やかされてるしな。ムカつくぜ」
本気で、ムっとした口調で、アリスが言う。
なにかほかに嫌なことでもあったらしい。
「なぁ……」
「しばらくは」
彼もアリスも、口を閉ざした。
シェルニティは大丈夫だろうか。
しばらくは無理かもしれない。
けれど、大丈夫になるはずだ。
彼女は、最後にキサティーロと言葉を交わしている。
(内緒にされるのだろうがね……いいさ。盗み聞きはしていない。それは、彼女とキットだけの秘密にしておくとしよう)
あれほど泣いていたシェルニティが、いっとき泣き止んでいた。
ゆっくりとした瞬きに、涙を落としながらも、じっと黙っていたのだ。
その間、キサティーロと話していたのだと、気づいている。
彼は割り込もうとはせず、キサティーロに任せた。
シェルニティが取り乱すであろうことを、キサティーロが、予測していなかったはずがない。
彼女に渡す言葉も用意してあったはずだ。
(きみは……完璧に過ぎたよ、キット……)
1度だけ、彼がキサティーロに「苦言を呈した」ことがある。
11歳の時だ。
『キット、きみは、彼女に愛を告げるべきだ。そして、婚姻したまえ』
『仰られていることが、わかりかねます、我が君』
『苦手なことから逃げ回っているようでは完璧とは言い難い。それでも、きみはローエルハイドの執事かね』
あの時の、キサティーロの表情は、今、思い出しても笑える。
頭を木槌で叩かれたような顔をしていた。
その後、キサティーロは、彼の言った通り、苦手を克服したのだ。
未だに苦手意識はあるようだが、訊けば答えられる程度には乗り越えている。
「オレは、手向けの言葉なんか言わないぜ?」
ソファが、スッと軽くなった。
アリスが飛び立ったのだろう。
彼は、背もたれに体をあずけ、天井を見上げる。
「キット……きみの代わりなど、いない……とても……寂しいじゃないか……」
彼の瞳から涙がこぼれ、頬を濡らしていた。




