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罪人の定義 3

 彼は、シェルニティの寝顔を、見つめている。

 昨夜は遅かったにもかかわらず、なかなか眠りにつけずにいたようだ。

 だが、今夜は、その疲れと寝不足もあったのだろう、すぐに寝入っていた。

 

 実は、彼女の言葉は真を捉えている。

 

 正直、自制するのが、とても難しい。

 恐ろしく、彼は、悔やんでいるのだ。

 自分の選択は誤りだったと、感じている。

 

(シェリー……私は、やはり、きみを傷つけたくないのだよ……)

 

 先回りをして、彼女を傷つけるすべてを排除したかった。

 シェルニティには、どんな小さな傷もつけたくない。

 1人で片をつけたがる、悪い癖だ。

 

 彼は、カイルを始末したいと思っている。

 

 消してしまいたかった。

 確かに、カイルは、シェルニティを殺しはしなかった。

 そして、殺す気もなかった。

 

(他国にでも売り飛ばす気だったのは間違いないが)

 

 カイルは「生きているのが嫌になるだろう」と言ったのだ。

 貴族としてというより、女性として耐え難い苦痛を与えるつもりでいた。

 考えれば、自ずと答えは出る。

 

 ロズウェルドには「奴隷」という制度はない。

 貴族だの平民だのといった身分制度はあった。

 その中で、富む者、貧しき者の差もある。

 とはいえ、隷属を強いる「制度」はないのだ。

 

 むしろ、貴族にこそ、それに似た関係性は存在する。

 下位貴族は上位貴族に逆らえない、という点で、隷属していると言えなくもないからだ。

 ただ、それを覆そうと、下位貴族も右往左往している。

 より良い家と姻戚関係を結ぶため、己の娘や子息をあてがったりと、忙しい。

 

 さりとて、シェルニティは公爵家の令嬢だ。

 しかも、ブレインバーグという、そこそこ力を持つ家の出自。

 国内で、彼女に手出ししようという輩を見つけるのは難しかったはずだ。

 おまけに、彼とシェルニティとの関係は、ほとんど公に等しい。

 

 シェルニティに手を出すことは、ローエルハイドに喧嘩を売る、ということ。

 

 まず無事ではすまないのだから、カイルの誘いに乗るとは考えられなかった。

 であれば、他国となる。

 はっきりとした制度により「奴隷」が許容されている国もあるのだ。

 どこからどう売られてきたのかになど、おかまいなしに。

 

 シェルニティは無事だった。

 だが、無事ではなかった。

 

 とても危うく、脆い、吊り橋を渡っていたのだと、彼には、わかっている。

 それを思うと、カイルを許しておけない気持ちになるのだ。

 今すぐベッドから抜け出して、始末しに行きたくなる。

 

(なにもしなければいい。私の忠告を、重く受け止めていてほしいものだ)

 

 考えはするものの、期待はしていなかった。

 きっとカイルは「なにか」しでかす。

 このまま引き下がりはしない。

 わかっていた。

 

 そして、彼は、焦燥感をいだいている。

 心が、ざわついてしかたがなかった。

 

 見逃したことは、本当に正解だったのか。

 

 これまで、決断後に悩んだことなどない。

 自分の決断に納得していたし、不足も感じずにいた。

 思い返すことすらなかったほどだ。

 

(私は、きみを傷つけたくない……悲しむ姿も、見たくはない)

 

 突然の悪意。

 

 できれば、そんなものとは無縁でいてほしかった。

 たとえ、それがシェルニティの感情を成長させるとしても、避けたいと思う。

 つらい思いをするとわかっていて、見過ごしにはできない。

 

 ここに至っても、彼は悩んでいた。

 カイルを殺しに行くべきか、否か。

 彼にとっては、どちらも簡単だ。

 殺すも生かすも、カイルの命は、彼の手の中にある。

 簡単でないのは、決断後の結果だった。

 

 どちらが、シェルニティの心を救うものとなるのか。

 

 彼は、シェルニティの髪を撫でる。

 苺で染めたような金髪は艶やかで、やわらかかった。

 彼女の寝息に合わせて、わずかに揺れている。

 

 たった1人の愛しい女性。

 

 彼を、この世界に繋ぎとめている存在でもあった。

 こうして隣にいて、彼女のぬくもりを実感できるから、自制を保っていられる。

 

 彼が、イノックエルを訪ねると言った時のことを思い出す。

 頭を、ぽんぽんとした時、シェルニティは、きょとんとした顔をしていた。

 彼女は、とても鋭敏に状況を把握する。

 自覚があるのかはともかく、常に観察を怠らない。

 

 絶対防御をかける際も、本来、彼に動作は不要だ。

 だが、あの時、なんとなく気がかりに感じた。

 シェルニティの(そば)を離れるべきではない気もしていたのだ。

 

(ローエルハイドの伝統か……私も、存外、重んじていたらしいな)

 

 大公の時代からの伝統。

 

 額への口づけと、頭へのぽんぽん。

 理由は不明だが、不安を感じた際にするという。

 

 あの時まで、そんな気分になったことがなかった。

 クリフォード・レックスモアの屋敷で、殺されかけたシェルニティを、彼は森に連れ帰っている。

 そのあと、再び、レックスモアに戻り、クリフォードと、彼女を(さら)った魔術師に罰を与えた。

 その際、シェルニティに梱魄(こんぱく)の魔術がかけられていることに気づいたのだ。

 

 魔術師は、己の魂とシェルニティの魂を繋いでいた。

 つまり、魔術師が死ねば、シェルニティも死ぬ。

 だから、彼は、彼女を家に帰した際、「個」の絶対防御をかけた。

 額への口づけだけで。

 

 不安など微塵も感じていなかったので「ローエルハイドの伝統」は必要なかったからだ。

 

(勘というには語弊があるかな。きみは、経験と観察で、私の不安を見抜いていたのだろうね)

 

 それまでしたことのない、頭への、ぽんぽん。

 シェルニティの、きょとんとした顔。

 

 おそらく、彼女は「どうしたのだろう」と思ったのだ。

 いつもはしないことをした彼に、違和感をいだいたのだろう。

 そして、今日も。

 

「きみは、とてもよく私のことを見ていてくれる」

 

 シェルニティは、彼が、カイルを「赦していない」ことに気づいている。

 見逃したことを気がかりに感じていることも、わかっているに違いない。

 その上で、彼の心を心配もしているのだ。

 

 『わかる? あなたは、傷つくのよ? なんでも平気、というわけではないわ。だって、あなたは……人なのだから』

 

 そんなふうに言ってくれたのは、シェルニティだけだった。

 周りは、彼を「人ならざる者」として扱うし、彼自身も、自分はそういう者だと思い続けている。

 はっきり言って、今もなお、よくわからずにいた。

 

 人である、との感覚が、どういうものか。

 

 シェルニティ以外は、どうでもいい。

 誰が死のうが生きようが、なにをしようが、関心がない。

 

 彼の心には、命の天秤がないのだ。

 

 シェルニティだけが大事なのだから、測る必要がなかった。

 誰かと誰かのどちらを選ぶか。

 人は選択を迫られた時、その命の天秤を使うのだろうけれども。

 

「それが、私にはわからないのだよ、シェリー」

 

 だから、シェルニティの気持ちもわかってあげられないことができるだろう。

 彼女が、大事な誰かと誰かを、その秤に乗せなければならなくなった時に。


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