罪人の定義 2
「彼らのことが、気になるかい?」
翌朝、朝食を終え、居間で過ごしているところだ。
ソファに座っていたところに、彼が来る。
手に、紅茶のカップを持っていた。
ひとつを差し出しながら、シェルニティの横に座る。
「私、そんな顔をしている?」
「ちょっとね。浮かない顔ってふうかな」
溜め息ひとつ。
心の中にあることを、口に出してみた。
「私は、やっぱり薄情だと思うの」
「リンクスを心配するのがかい?」
彼は、シェルニティの心情を理解してくれている。
うなずいてから、紅茶を口にした。
「ウォルトは死んでしまったでしょう? なのに、私は、リンクスが、罪の意識を感じているのじゃないかって、そっちのほうが心配なのよ?」
「そういうものだよ、シェリー。必ずしも死を悼まなければならないわけではないからね。そもそも、きみは、彼と親しくもなかった」
右手に紅茶を手にした彼が、左手で、シェルニティの頬を軽く撫でる。
知らず、うつむいていたようだ。
顔を上げ、彼のほうを見る。
「カイルのことを、気にしているのじゃないかい?」
「そうなの。カイルにとっては、大事な人だったのよね。でも、私は、どうしてもカイルに同情はできずにいるの。リンクスを殺そうとしたことに、まだ腹を立てているところもあるわ。カイルは……犠牲をはらったのに」
もし、彼が、もう少しでも遅くて、リンクスが死んでいたら、と考えてしまう。
血を流していたリンクスの姿を思い出すと、今でも怖くなるのだ。
「リンクスの体が……少しずつ重くなって……手の力が弱々しくなって……私を見ているのか、わからなくなって…………なにもできないのが、つらかったわ」
リンクスに、どの程度、死が迫っていたのかまでは、わからない。
けれど「この子は、もうすぐ死ぬのかもしれない」と感じていた。
なにも話さず、自分を見てくれることもなく、ぬくもりも、消える。
ちょっぴり意地悪な顔をするリンクスを、見ることもできなくなるのだと。
「だから、リンクスが助かって、本当に嬉しかったのよ。ただ、私が感じたことをカイルは、そのまま感じているということよね?」
「きっと悲しんでいるし、悔やんでもいるよ、彼は」
「でしょうね」
シェルニティは、今まで、誰かの気持ちに立って物事を考えることがなかった。
相手の立場になって想像する、という必要がなかったからだ。
1人での生活、会話のない日々、遠くにいる人たち。
そういう中で、相手の立場になる、という発想など浮かぶはずもない。
もとより「相手」なんていなかったのだから。
だが、今は「もし」を考えるようになっている。
もし、リンクスが死んでいたら、悲しむし、なにもできなかった自分を悔やむに違いない。
そういう思いが、カイルの心情を想像させるのだ。
「あなたは、カイルを見逃したでしょう?」
そう、彼は、カイルを見逃した。
けして「許した」のではなく。
「きみは自分を薄情だと言うが、きみが薄情なら、私は、ずいぶんと薄情者だね。カイルのことなんて、ちっとも関心がない」
「でも、なにか気にしているわ」
彼が、軽く肩をすくめる。
そして、少しの間、なにかを考えているらしく、黙り込んだ。
それほど、気にかかっている、ということだろうか。
「彼の貴族に対する恨みは深い。今後も、なにかをしようとするだろうね」
「そうなったら、どうするつもり?」
「どうかな。きみに関わらなければ、私は、それでかまわないのさ」
「私に関わってきたら?」
カイルは、父を憎んでいる。
父に報復するために、シェルニティを利用しようとするかもしれないのだ。
「追いはらう。何度でもね。面倒だとは思っているよ。だが、結局は、そのほうがいいかもしれない」
「それなら、なぜ、眉間に皺を寄せているの?」
彼が、一瞬、きょとんという顔をした。
自覚がなかったらしい。
シェルニティは、彼の眉間を指でつつく。
「とても悩ましいって顔をしていたわよ、あなた」
「どうやって追いはらうか、考えていたのさ。カイルは、芸の細かい男だからね」
カイルは、長く貴族を憎んでいた。
おそらく、そのことばかり考えていたのではなかろうか。
レース編みを完璧に仕上げるかのように、少しの緩みでも見つければほどいて、また編み直して。
「あなたを閉じ込めるなんてことができるとは、思っていなかったわ」
「私もだよ。反省すべき点だ。これまでにも、私には悪い癖がいくつもあったが、今回の件も、付け加えておこう」
「今回、あなたは悪い癖を克服したのじゃないかしら。少なくとも、ひとつは」
「私を叱り飛ばしてくれる、とても健気な女性がいるものでね」
彼が、体をかしがせ、頬に軽く口づけてくる。
眉間の皺は消えていた。
「きみは、私がどこに閉じ込められていたか、知っているかい?」
「ええ。ブレインバーグの別邸でしょう?」
「やっぱりな。きみが、状況を把握していると思っていたよ」
「それしかできないもの」
「それができるから、きみは、素晴らしいのさ」
なにがどう「素晴らしい」のか、言われても実感がない。
あちこち連れ回されはしたが、これといって、なにもしていないのだ。
カイルとウォルトの関係や、なにが起きているのか、どこにいるのかなどを推測していただけで。
「取り乱して騒いだり、逃げようとしたりしていれば、彼らは、きみの気を失わせていた。縛り上げていたかもしれない」
「それは、困ったこと?」
「とてもね」
彼が、紅茶をテーブルの上に置く。
つられて、シェルニティもカップを置いた。
「きみが、あの場にいること、その時には意識があること、それが絶対条件だったのだよ。そうでなければ、彼らの計画は成功し、私は、未だに閉じ込められていたはずさ。あの忌々しいイノックエルの別邸にね」
「もう2度と行く必要はないわよ」
彼が、じっとシェルニティの瞳を覗き込んでくる。
シェルニティが、なにを考えているのか確認しているのだ。
彼は、しばしば、そういうことをするが、シェルニティは気にしていない。
隠そうとは思っていないからだ。
「きみ、本当に?」
「そうしてほしいの。カイルに同情はしていないけれど、お父さまの顔を見ると、きっと彼を思い出して……なんと言えばいいか……」
シェルニティは、胸のあたりを、わしゃわしゃっとかき回す。
「もやもやする?」
「それよ。モヤモヤするから、もう会いたくないわ」
父が、カイルになにをしたのかは、わからない。
八つ当たりかもしれないし、逆恨みかもしれない。
だとしても、父がきっかけを作ったのは間違いないのだ。
顔を見れば、きっと、今回の件を思い出してモヤモヤする。
「では、絶縁状を叩きつけてもかまわないのだね?」
「かまわないわ。意識していなかったけれど、あなた、ローエルハイドでしょう」
「そうだね」
「ローエルハイドの威光とか、影響力とか。私は、そういうものに興味がないの。誰かに利用されるのは、とても不愉快だわ」
その「誰か」が、父であるなら、なおさらだった。
考えただけで、ちょっぴり不愉快になり、シェルニティは唇をとがらせる。
彼が、彼女のとがらせた唇に、音を立てて口づけた。
「いいとも。私のシェリー。屋敷を残すだけでも、イノックエルには感謝してもらわなければね。きみを愛して以来、吹き飛ばしたくてたまらなかったのだから」




