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過ぎた話より 3

 

「大丈夫かしら? お父さまを1人にしてしまっているけれど……」

「大丈夫さ。彼は、大汗をかいていただろう? 今頃は、服を着替えているのじゃないかな」

 

 彼の言葉に、シェルニティも納得する。

 父は、いったん馬車に戻っていた。

 その間に、昼食を準備しているところだ。

 料理自体は彼がするのだが、シェルニティも手伝うようになっている。

 皿やカップを出したりだとか。

 

「私、勝手なことを言ったかしら?」

「まさか。きみが言ってくれて助かったよ。いずれにせよ話すつもりではいたが、せっかく父君のほうから出向いてくれたのだからね」

「お話するのなら、早いほうがいいと思ったの」

 

 彼が、なにか嬉しそうに笑う。

 シェルニティといる時の彼は、いつも穏やかだった。

 彼女の出した皿に、きれいに料理が盛り付けられていく。

 ほかはともかく、料理と掃除には、魔術を使うのだ。

 

「きみと婚姻したあとは、少し考えたほうがいいかもしれないな」

「なにを?」

「きみの父君に対して、がみがみ言い過ぎたと反省しているのさ。今後、彼は私の義父になるというのにね」

 

 シェルニティは、一瞬、きょとんとなる。

 それから、気づいた。

 

「そうね。私、そのことを忘れていたわ」

 

 婚姻というのは、家同士の結びつきでもある。

 シェルニティは、ブレインバーグ公爵家の長女だ。

 彼との婚姻で、彼女の父は、彼の義父にもなる。

 さりとて、シェルニティの中に、父が「父親」として存在していたことはない。

 父との認識はあっても、実感が伴っていないからだ。

 

「あなたは貴族に偏見があるのでしょう? 貴族の義父を持つのは嫌ではない?」

「思っていたよりか、嫌ではないよ。それほど懇意にする気がないのでね」

 

 それを聞いて安堵する。

 同時に、自分は、やはり薄情なのかもしれない、と思った。

 食堂のテーブルに料理を並べ終えた彼が、シェルニティに向き直る。

 その彼女の頬に手をあてて、わずかに首を傾けた。

 

「どうかしたかい?」

「自分を、薄情だと感じていたの」

「それはまた、なぜ?」

「だって、あなたが父と懇意にする気がないと知って、ホッとしたのだもの」

「悪いことではないさ」

「そう? こうした場合、父と仲良くしてほしいと思うものなのでしょう?」

 

 シェルニティには、よくわからないが「そういうものだ」とは知っている。

 婚姻相手と自分の身内が「ぎくしゃく」するのは、心痛の種になるのだとか。

 とはいえ、彼女には、まだ「家族」がどういうものか、判然としていないのだ。

 

 王都の屋敷で、彼が面倒を見ている子供たちと一緒に過ごすのは楽しい。

 賑やかで温かい空気感が、シェルニティの気持ちも晴れやかにしてくれる。

 わざと、しかつめらしい顔を作って、子供らに言い聞かせている彼の様子を見ていると、なんとも言えない気持ちになる。

 

 彼との子供ができたら、毎日が、こんなふうになるのだろうか、と。

 

 2人で、ずっと一緒にいられればいい、と思ってはいる。

 けれど、彼との子供ができれば、あったかい空間が、さらに広がる気がした。

 これまで実感するどころか、考えてもいなかった「家族」に、シェルニティは、無意識に手を伸ばしている。

 

「シェリー」

 

 彼が、額に軽い口づけを落とした。

 とても穏やかに微笑んでいる。

 

「きみが言っていることは、一般論だよ。親しみというものはね、きみ。片側からだけでは成立しない。互いに与え合うものだ。きみが、彼らに、ほとんど親しみを覚えられないとすれば、それは、きみだけの問題ではないってことだね」

「でも、あなたが呪いを解いてくれるまで、私は、あんなふうだったのよ? 周りから親しみを持たれ……」

「あ、あ、きみ。そういう考えかたはしないがいいよ。見た目で判断されることが少なからずあるとしても、固執するほど重要な要素ではないのだからね」

 

 シェルニティは、疎外され続ける中で「外見重視」が当然だと思うようになっていた。

 少なくとも、彼女の周りは、外見で判断する者が多かったのだ。

 

「いいじゃないか。どの道、私はイノックエルと親しくはできない。きみが、どうしてもと言うのなら努力はするが。できれば、そうした努力をせずにすませられると、とてもありがたいね」

 

 言葉に、シェルニティは笑う。

 父と陽気に話す彼なんて想像できなかった。

 ある程度の節度を持って話していたものの、いつだって顔をしかめている。

 彼が、父を「好ましからざる人物」と捉えているのは明白なのだ。

 

「無理をして懇意にする必要がないのなら、あなたに努力は望まないわ」

「きみは、今、私の人生における悩みのひとつを、きれいに解消してくれた」

 

 笑っていた彼の瞳が、ふっと色を変えた。

 シェルニティの頬にあった手が、顎へと滑っていく。

 くいっと引き上げられ、心臓が鼓動を速めた。

 彼が、顔を近づけ、唇を寄せてくる。

 目を閉じかけた時だ。

 

 がたがたっ。

 

 居間のほうで音がした。

 父が戻ってきたようだ。

 

「今後……きみの父君には、ここには来ないよう言ってもかまわないかな?」

「ええ……あの……そうね……」

「かと言って、私は、これを諦めはしないけれどね」

 

 言って、彼は、シェルニティに軽く口づけをする。

 不意をうたれた感じになり、目を閉じるのも忘れていた。

 そのため、ちょっぴり、どぎまぎする。

 

「ええと……お父さまを、お呼びしてくるわ」

「それがいい。私が行くと、無駄に、がみがみ言ってしまいそうだ」

 

 にっこりされ、ほんわりと頬が熱を持った。

 足早に食堂を出て、居間に行く。

 そこには、イスに深く腰を落としている父がいた。

 彼の言っていたように、服を着替えている。

 

(お父さま、ボウタイをしてらっしゃらないわね)

 

 父は、シェルニティの知る限り、身なりを整えるのに余念のない人だった。

 おそらく就寝時以外、貴族服を身につけているのだろう。

 もちろん貴族服といっても気軽なものから正装まで、様々だ。

 が、タイをしないという選択が、父にあったことに驚く。

 

「昼食の準備はできております、お父さま」

「あ、ああ……今日も……その……公爵様が……?」

「ええ。私は、まだ料理を習っておりませんから」

 

 父が、なにやら悲壮な顔つきで立ち上がった。

 きっと料理の味を心配しているのだろう。

 ここには、勤め人がいない。

 高位の貴族は自らで料理などしないため、父は不安に感じているに違いない。

 

「彼の手料理は、お屋敷のものより美味しいと保証しますわ」

「そ、そうか……」

 

 どこか上の空といった調子の父に、シェルニティは話すのをやめる。

 屋敷にいた頃、父は彼女との会話を望んでいなかった。

 ここに居るからと言って、それは変わらないのだろうと思ったのだ。

 

 食堂に入ると、彼が、いつになく陽気に父を迎える。

 席に案内までしているのは「親しくする努力」をしているのではなかろうか。

 しなくてもいいと言ったが、彼はシェルニティを大事にしてくれている。

 親しみはなくとも、父は父なのだ。

 気を遣ってくれているのかもしれない。

 

(やっぱり、お父さまは、ここにはいらっしゃらないほうがいいわね)

 

 彼もシェルニティも無理をすることになる。

 それに、だいたい話題だってないのだ。


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