罪人の定義 1
カイルは無言だった。
無言で、ウォルトの体を、かかえ上げている。
その姿に、シェルニティは、なにも言えなかった。
同情はしていない。
それは確かだ。
シェルニティにとっては、リンクスの命のほうが大事だった。
どちらかを選ばなければならないのなら、リンクスを選ぶ。
同じことが繰り返されたとしても、決断は変わらない。
だから、同情はしない。
できない。
カイルがこれから、1人で生きていかなければならないとしても、だ。
だからといって、しかたがない、とも思っていない。
カイルがここまでしたのには、それだけの理由があった。
貴族を憎むだけの、なにかが。
けれど、それも訊けずにいる。
彼は、カイルの感傷的な出来事には興味がない、と言った。
聞く必要がない、と判断したからだろう。
人には、それぞれ事情がある。
守りたいものも、信じるものも、憎しみすらも違う。
善悪の判断だって、それぞれの事情によって変わる。
カイルに話を訊いても、なにかを変えられるわけではない。
カイルが王太子に言ったように「正しさ」が、相反することもあるのだ。
曲げられない以上、カイルにしてあげられることは、なにもなかった。
それならば、訊かないほうがいいのだ、たぶん。
きっとカイルも話さない。
だから、黙っている。
ウォルトをかかえた、カイルが部屋を出て行った。
魔力を失い、転移できなかったに違いない。
扉の向こうに2人が消え、シェルニティは、息をつく。
シェルニティの前に立つ彼は、しばらく扉の向こうを、じっと見つめていた。
その表情の厳しさに、胸が痛んだ。
よくはわからないけれど、なにかを彼は気にしている。
なんとなく「後悔」しているのではないかと、思った。
(……カイルを殺さなかったことを、悔やんでいるみたい……)
今後、再び、カイルが、なにかを企てることは有り得る。
不安を払拭するには、カイルを殺すのが、確実なのだ。
そう考えていたのは、わかっている。
以前、彼に、カイルを殺したいのかと問うたことがあった。
その際、彼は「そのほうが安全なのは間違いない」と答えている。
今も、考えは変わっていないはずだ。
(でも、彼は、カイルを見逃したわ。殺さないという判断をしたのよ)
理由は、シェルニティに「実害」が及ばなかったからだろう。
リンクスは死にかけたが、すでに、その危険も去っている。
カイルも、彼とやりあうつもりはないようだったし。
シェルニティは、そっと、彼の右手を握った。
ぴくっと指先を震わせてから、彼が、シェルニティのほうに顔を向ける。
いつもの穏やかな彼だった。
急速に、心に安堵が広がる。
「あなたが無事で、なによりだったわ」
「今回は、私が、きみに助けられたね」
彼は、左手で、シェルニティの頬を撫でた。
シェルニティも、彼に、にっこりしてみせる。
「チューすんの?」
声に、ハッとなって、少しだけ体を離した。
彼が、顔をしかめる。
「きみも、民言葉が好きなのだね、誰かさんに似て」
「子供の前ですることじゃねーだろ、ジョザイアおじさん」
「きみは、もうすぐ大人だと思っていたよ」
「そーだけどサ。もうすぐっていうのは、まだって意味もあるんじゃねーの?」
「それだけ口が達者なら、十分、大人だ。というわけで、私は、これを諦めない」
彼が、シェルニティの唇に、唇を重ねた。
うわっというリンクスの声が聞こえたが、彼は平然としている。
それどころか、2,3度、軽く口づけてきた。
「あの……やっぱり子供の前で、こういうことは……」
「いいかい、きみ。リンクスは、純情ぶっているだけなのだよ。14歳になれば、とたんに女の子を追いかけ回すようになると、断言する」
「ひっでえ! オレ、そこまで見境なくねーよ! ちゃんと選ぶし!」
彼が、軽く肩をすくめる。
リンクスの言葉に、シェルニティも納得した。
「追いかけ回す、というところは否定しないのね」
「そりゃあ、シェルニティくらい、可愛い子がいたら、追いかけ回すサ」
ちっとも悪びれない態度に、少しだけ笑う。
リンクスは、恐れているのだ。
だから、場の雰囲気を変えようとしている。
いつもより、ちょっぴり早口で、しかも、声が高くなっていた。
些細な変化ではあれど、シェルニティには、わかる。
(リンクスが、ウォルトを殺したのね。そのせいで、カイルに報復されたのだわ)
目の前で、人が死んだのだ。
いくらシェルニティの感情に、未発達な部分が残っているとしても、なにも感じない、ということはない。
それを、リンクスは気にしていて、恐れている。
シェルニティが気づくことにも、気づいているのだろう。
「ねえ、リンクス」
「なに?」
「私は、あなたが生きていてくれて本当に嬉しいわ。もし、あなたが命を落としていたら、もっと泣いていたでしょうね」
リンクスが、困ったように眉を下げた。
そのリンクスの頭を、彼が軽くこづく。
「そうなっていたら、納屋に閉じ込める程度ではすまなかったよ。反省したまえ」
「うん。エセルとおんなじくらい、シェルニティを泣かせたくねーから、あんまり無茶しねーようにする」
リンクスが、安心したような表情を浮かべた。
その時だ。
ガタっ。
なにか音がする。
リンクスが、なぜか彼を見上げた。
「どーすんの?」
彼が、眉を、ひょこんと上げる。
それから、わずかに首をかしげた。
「ん~、放っておいていいのじゃないかな」
シェルニティには、なんの話か、わからない。
彼よりもっと、首をかしげる。
リンクスのことで精一杯だったため、ほかのことは頭から飛んでいた。
そもそも、ここが誰の「執務室」であるか、とか。
「きみはどうするね?」
「ナルが心配してるっていうか……エセルが気絶してるかもしれねーから、あっちに帰る」
「ああ、エセルが……そうだな。顔を見せてやったほうがいい。ヴィッキーが苦労していそうだ」
彼が、すぐに点門を開く。
リンクスは、シェルニティに手を振って、点門を抜けた。
見送ってから、彼に言う。
「私たちも帰りましょうか」
「夕食をごちそうするよ」
「ずっと楽しみにしていたの」
「デザートも期待しているかい?」
「あなたのデザートを期待しなかったことがないわ」
彼が、また点門を開いた。
門の向こうには、森の家が見えている。
ひどくホッとした。
なのに、胸の奥が、ちくちくしている。
ウォルトをかかえて去る、カイルの後ろ姿が忘れられずにいた。
(みんなが、同じものを大事にしているわけじゃない……でも、大事なものを……みんな、かかえているのね……)




